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「涼子さん? りょーこさーん」
遥は何度か涼子を揺するが、起きる気配は一ミリも無かった。
まあいいか、とメモに書き置きを残して、遥は部屋を出る。
昨晩はあまり眠れず、清八の話を思い出すうちに火事の件がそのあと村でどう処理されたのかが気になった。
そんなことを役場や消防に聞いてもきっと教えてくれないだろうし、どうしたものか……そう考えながらスマートフォンを操作していると、思わぬヒットがあった。
『雲島 ガラス』で画像検索した先に、見覚えのある模様の皿を見つけたのだ。それは清八の小屋で見たグラスの模様に酷似していた。
青緑のグラデーションが川のようにグラスを包み、その中を泳ぐように鳥やギザギザの線、地図記号のような模様が描かれている不思議な模様。
(いや、似ているけどちょっと違うかも)
遥はさらに画像が掲載されているサイトに飛ぶと、表示されたのはガラス工房のブログだった。所在地は福島県いわき市。
遥は早朝の定期フェリーで、そのサイトの場所まで行ってみることにしたのだ。
「おはようございます」
階段を降りると、すぐにみのりの姿が見えて声をかける。
「あら、今朝は早いですね。あまり眠れませんでしたか?」
「いえ。快適に過ごさせていただいています。ちょっと外に出てきます。友人はまだ寝ていますので」
「そうですか。こんな時間じゃ、まだどこのお店も閉まっていると思うけど……気をつけてくださいね」
六時半の便に間に合うように、遥は足早にびいどろを出発した。
フェリー乗船時には名前を確認された。村の子供が数人と、ガラスや作物などの物資、それと三〇代くらいの女性が一人乗っていた。
一時間半、毎日この船に乗って通学するのは大変だと思いながら、高い声で元気に跳ねる子供を遥は眺める。
「こら、危ないでしょう! 少し落ち着きなさい。他にお客様も乗っているのよ」
女性は遥に小さく頭を下げ、声をかけてきた。
「雲島は如何でしたか?」
「あ、はい。海も綺麗で、なんだか神秘的な場所ですよね、雲島」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
彼女は結城真由美と名乗った。玻璃村の生まれで、今は村の子供達が通う小学校で教員をしているらしい。
「村の若い人はほとんど本島に出て行っちゃったんですけど、私は雲島が好きでずっと島に住んでいるんです。朝早くからこのフェリーに揺られる時間が気に入っているんですよね」
真由美は肌に触れる海風を気持ちよさそうに感じている。遥は訊いてもいいですか、と真由美に質問した。
「壁書村の出入りに必要な署名制度は、いつからあるのでしょうか」
「ああ。私が生まれてすぐの頃、そういう制度ができたと聞いたことがあります。まあ、壁書村自体に他の村と交流するイメージが元々ないんですけど」
よくわからないですよね、と真由美は笑った。
訊けば、真由美は三十一歳だという。署名制度ができたのは健司たちが亡くなった火事の後くらいか、と遥は思った。
「カエルレアの花の昔話、聞きました。不老不死の少年が旅をする、ってやつ」
ああ、と真由美。
「あれ、アンクはあの後どうしているか聞きました?」
「え?」
「一生をたった一人で過ごすんですよ。不老不死のまま、永遠に」
なんか残酷ですよね、と真由美は続けた。
遥はびいどろに泊まっていること、今日も用事を済ませたら昼過ぎの便でまた雲島に戻ることを話す。
「そうでしたか。どうりで軽装だなと思いました。そっか。みのりさんのところに……あ! みのりさんのご飯、おいしいでしょ?」
「最高です」
真由美は嬉しそうに笑った。みのりの名前を出してから、真由美は途端砕けた話し方に変わる。遥はその笑顔に好感を持った。
「みのりさんはいい人なんだけど、亮二がね。どうしようもなくって。会った?」
「はい。撫子村まで車で迎えに来てくれました。なんだか不老不死に興味があるみたいで」
「そうなのよ。あいつは何かっていうとギャンブルとかそういう胡散臭い話にお金のにおいを感じ取ってね。いっとき、亮二を訪ねに来ていた男の人がいたけど、あれもなんだか怪しい雰囲気だった。帽子を深くかぶって、サングラスで」
蔵田だ、と遥は直感する。
「その男性は亮二さんと何を?」
「うーん、そこまでは。雲島はガラスが有名だけど、観光地開発の話が具体的になるまではそんなに人も来なくてね。ほら、壁書村は閉鎖的だし、ガラスなんて本島でも買えるし。今はネットでなんでも注文できるからね。だから訪ねてくる人を、島の人は珍しがってよく覚えてる。あなたも綺麗な船で来てたでしょ?」
「はい。でも船が撫子村に着いた時は早朝でしたし、あまり村の人も見ませんでしたけど」
「村のお年寄りは早起きと噂話が元気の源だから」
真由美はまた笑顔で肩をすくめた。
ところで用事とは仕事か何かか、と訊かれたので、遥は今日の目的地であるガラス工房のブログをスマートフォンの画面に出した。
「このガラス工房ってご存知ですか? パシフィックオーシャンって名前なんですけど」
工房の名前を聞いた真由美はパッと表情を明るくする。
「あなたもガラスが好きなの? そっか、うちの島に来るぐらいだものね。パシフィックオーシャンでしか手に入らない伝統工芸品、私も大好きなんだけど高くって」
真由美は急に早口になる。先ほど注意された子供達が怪訝な顔で見るので、真由美は照れたようにごめん、と謝った。
「そうだ。どこでパシフィックオーシャンの話を聞いたの? あまり宣伝するようなお店じゃないから」
「いえ、なんというか。その工房を営んでいる家に、健司さんという息子さんが居たんじゃないかなって」
「え」
真由美は急に口籠る。
「……あなたいくつ? 村の出身じゃないわよね。あ! どこかの週刊誌とか!?」
一気に距離を取り、真由美は身構えたまま遥をまじまじと見つめる。
「昨日、壁書村の清八さんという方とお話しさせてもらって。そのとき清八さんが持っていたグラスに、同じ模様が」
健司という人からもらったものだと聞いた、と少しの嘘を混ぜる。
「へえ。清八さんって喋るんだ」
妙に納得した真由美は、工房のオーナーは甲田匠という人で、健司は匠の兄だと言った。
「お兄さんの健司さんが死んでしまってから、匠さんが一から必死で勉強して家業を継いだって聞いた。でも今となってはもう、匠さんのガラスは唯一無二なのよ」
真由美の警戒は解けたようで、また屈託のない笑顔に戻ったことに遥はほっとする。
もうすぐ船着場に着く。真由美は子供達に荷物を持たせ、忘れ物がないかを確認していた。
「匠さんによろしくね。よかったらうちの実家にも是非来て。えっと……あった、これこれ」
四つ折りにされたチラシには『結城農園』と大きく書かれていて、住所と連絡先が載っている。
「あなた名前は?」
「伊東遥です」
「遥ちゃんね。じゃあ、また」
下船した真由美は、走る子供たちの背中を追って小走りで行ってしまった。
遥は何度か涼子を揺するが、起きる気配は一ミリも無かった。
まあいいか、とメモに書き置きを残して、遥は部屋を出る。
昨晩はあまり眠れず、清八の話を思い出すうちに火事の件がそのあと村でどう処理されたのかが気になった。
そんなことを役場や消防に聞いてもきっと教えてくれないだろうし、どうしたものか……そう考えながらスマートフォンを操作していると、思わぬヒットがあった。
『雲島 ガラス』で画像検索した先に、見覚えのある模様の皿を見つけたのだ。それは清八の小屋で見たグラスの模様に酷似していた。
青緑のグラデーションが川のようにグラスを包み、その中を泳ぐように鳥やギザギザの線、地図記号のような模様が描かれている不思議な模様。
(いや、似ているけどちょっと違うかも)
遥はさらに画像が掲載されているサイトに飛ぶと、表示されたのはガラス工房のブログだった。所在地は福島県いわき市。
遥は早朝の定期フェリーで、そのサイトの場所まで行ってみることにしたのだ。
「おはようございます」
階段を降りると、すぐにみのりの姿が見えて声をかける。
「あら、今朝は早いですね。あまり眠れませんでしたか?」
「いえ。快適に過ごさせていただいています。ちょっと外に出てきます。友人はまだ寝ていますので」
「そうですか。こんな時間じゃ、まだどこのお店も閉まっていると思うけど……気をつけてくださいね」
六時半の便に間に合うように、遥は足早にびいどろを出発した。
フェリー乗船時には名前を確認された。村の子供が数人と、ガラスや作物などの物資、それと三〇代くらいの女性が一人乗っていた。
一時間半、毎日この船に乗って通学するのは大変だと思いながら、高い声で元気に跳ねる子供を遥は眺める。
「こら、危ないでしょう! 少し落ち着きなさい。他にお客様も乗っているのよ」
女性は遥に小さく頭を下げ、声をかけてきた。
「雲島は如何でしたか?」
「あ、はい。海も綺麗で、なんだか神秘的な場所ですよね、雲島」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
彼女は結城真由美と名乗った。玻璃村の生まれで、今は村の子供達が通う小学校で教員をしているらしい。
「村の若い人はほとんど本島に出て行っちゃったんですけど、私は雲島が好きでずっと島に住んでいるんです。朝早くからこのフェリーに揺られる時間が気に入っているんですよね」
真由美は肌に触れる海風を気持ちよさそうに感じている。遥は訊いてもいいですか、と真由美に質問した。
「壁書村の出入りに必要な署名制度は、いつからあるのでしょうか」
「ああ。私が生まれてすぐの頃、そういう制度ができたと聞いたことがあります。まあ、壁書村自体に他の村と交流するイメージが元々ないんですけど」
よくわからないですよね、と真由美は笑った。
訊けば、真由美は三十一歳だという。署名制度ができたのは健司たちが亡くなった火事の後くらいか、と遥は思った。
「カエルレアの花の昔話、聞きました。不老不死の少年が旅をする、ってやつ」
ああ、と真由美。
「あれ、アンクはあの後どうしているか聞きました?」
「え?」
「一生をたった一人で過ごすんですよ。不老不死のまま、永遠に」
なんか残酷ですよね、と真由美は続けた。
遥はびいどろに泊まっていること、今日も用事を済ませたら昼過ぎの便でまた雲島に戻ることを話す。
「そうでしたか。どうりで軽装だなと思いました。そっか。みのりさんのところに……あ! みのりさんのご飯、おいしいでしょ?」
「最高です」
真由美は嬉しそうに笑った。みのりの名前を出してから、真由美は途端砕けた話し方に変わる。遥はその笑顔に好感を持った。
「みのりさんはいい人なんだけど、亮二がね。どうしようもなくって。会った?」
「はい。撫子村まで車で迎えに来てくれました。なんだか不老不死に興味があるみたいで」
「そうなのよ。あいつは何かっていうとギャンブルとかそういう胡散臭い話にお金のにおいを感じ取ってね。いっとき、亮二を訪ねに来ていた男の人がいたけど、あれもなんだか怪しい雰囲気だった。帽子を深くかぶって、サングラスで」
蔵田だ、と遥は直感する。
「その男性は亮二さんと何を?」
「うーん、そこまでは。雲島はガラスが有名だけど、観光地開発の話が具体的になるまではそんなに人も来なくてね。ほら、壁書村は閉鎖的だし、ガラスなんて本島でも買えるし。今はネットでなんでも注文できるからね。だから訪ねてくる人を、島の人は珍しがってよく覚えてる。あなたも綺麗な船で来てたでしょ?」
「はい。でも船が撫子村に着いた時は早朝でしたし、あまり村の人も見ませんでしたけど」
「村のお年寄りは早起きと噂話が元気の源だから」
真由美はまた笑顔で肩をすくめた。
ところで用事とは仕事か何かか、と訊かれたので、遥は今日の目的地であるガラス工房のブログをスマートフォンの画面に出した。
「このガラス工房ってご存知ですか? パシフィックオーシャンって名前なんですけど」
工房の名前を聞いた真由美はパッと表情を明るくする。
「あなたもガラスが好きなの? そっか、うちの島に来るぐらいだものね。パシフィックオーシャンでしか手に入らない伝統工芸品、私も大好きなんだけど高くって」
真由美は急に早口になる。先ほど注意された子供達が怪訝な顔で見るので、真由美は照れたようにごめん、と謝った。
「そうだ。どこでパシフィックオーシャンの話を聞いたの? あまり宣伝するようなお店じゃないから」
「いえ、なんというか。その工房を営んでいる家に、健司さんという息子さんが居たんじゃないかなって」
「え」
真由美は急に口籠る。
「……あなたいくつ? 村の出身じゃないわよね。あ! どこかの週刊誌とか!?」
一気に距離を取り、真由美は身構えたまま遥をまじまじと見つめる。
「昨日、壁書村の清八さんという方とお話しさせてもらって。そのとき清八さんが持っていたグラスに、同じ模様が」
健司という人からもらったものだと聞いた、と少しの嘘を混ぜる。
「へえ。清八さんって喋るんだ」
妙に納得した真由美は、工房のオーナーは甲田匠という人で、健司は匠の兄だと言った。
「お兄さんの健司さんが死んでしまってから、匠さんが一から必死で勉強して家業を継いだって聞いた。でも今となってはもう、匠さんのガラスは唯一無二なのよ」
真由美の警戒は解けたようで、また屈託のない笑顔に戻ったことに遥はほっとする。
もうすぐ船着場に着く。真由美は子供達に荷物を持たせ、忘れ物がないかを確認していた。
「匠さんによろしくね。よかったらうちの実家にも是非来て。えっと……あった、これこれ」
四つ折りにされたチラシには『結城農園』と大きく書かれていて、住所と連絡先が載っている。
「あなた名前は?」
「伊東遥です」
「遥ちゃんね。じゃあ、また」
下船した真由美は、走る子供たちの背中を追って小走りで行ってしまった。
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