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待望
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「ずっと……ずっとこの時を待っていた。健司さんの家に火をつけたあの日から、俺はこいつを殺すことだけを考えて生きてきたんだ」
悟は蹲る正和を虫を見る目で見下した。その恨みの表情に、剛士がぼそりと呟く。
「悟がどうして……お前、なんで健司さんの家に放火なんてバカな真似」
「剛士兄さんは本当に何も知らないピエロだ。あの火事の日の前日、当時十一歳だった俺は家のリビングで言い争う声を聞いたんだよ」
あの日、政尚は必死の形相で正和になにかを頼んでいたと悟は続けた。
「殺さないでくれ、政尚兄さんはあんたにそう懇願していた。不安になった俺が顔を出すと、あんたは俺を見てニヤつき、更にこう言ったんだ」
“大役をやろう”
悟は言われるがまま、健司の家の周りに軽油を撒いた。水溜りに混ざる油が、虹色に歪む。
自分がこれからしようとしていることがどんなに悪いことか、悟は分かっていた。分かっていて尚、正和に逆らうことができなかったのだ。
「火をつけようとしたその時、後ろから肩に手を置かれた。政尚兄さんだった。兄さんは俺の手を握ってお前は悪くない、そう言って優しく笑ったんだ」
悟は地面に座り込む正和を見つめたまま唇を噛み締める。
「あんたの笑顔とは比べ物にならないほどの優しい顔で、兄さんは火をつけろ、そう言ったんだ! 自分が家の中に入ったらそうしろって! あんたの言う通りにできなければ俺はきっと殺される。だから政尚兄さんは、全部の罪は俺が被るからなにも考えるなって!!」
悟はボロボロと涙を流した。その隙を見計らって、青池が箱の中のスマートフォンへと手を伸ばす。
「動くな! 今すぐトドメを刺してもいいんだぞ!!」
正和に向けられる血で染まったナイフをみて、青池はすぐに手を引っ込めた。
「怖かった。どうするべきかパニックなまま、兄さんが家に入るのを確認して……俺は、火をつけた。火が大きくなるのはあっという間で、ようやく俺は自分がしたことの罪を実感するんだ。そうしたらさ、燃える家の中から声が聞こえたんだよ。なあ、誰だったと思う? その声はな、健司さんだった。悟、居るんだろう? って。居るなら今すぐ逃げろ、って。俺の命のために、政尚兄さんと健司さんは死ぬと分かっていながら家の中に残っていた。何も知らない麻耶さんと、赤ん坊まで……!!」
なんてことをしたのだろう。そう後悔したところで、悟にはもうどうすることもできなかった。
火事は事故として処理される。
だが村の人々は、直後に行方不明になった政尚が犯人だろうと密かに噂していた。しかもその数ヶ月後には、麻耶の父である裕也まで行方不明になる。
悟には、正和が何かしたとしか思えなかった。
「真実が話せない。政尚兄さんが犯人じゃないと否定もできない。そうして俺は家から出られなくなった」
ずっと塞ぎ込む生活が何年も続いたある日、悟は正和が持っていた東京のクラブの名刺を偶然見つけることになる。
「鳥肌が立ったよ。そこには麻耶と名のついた女性が、麻耶さんの面影を残した顔で載っていたんだから」
悟が見つけたのは雪恵だった。雪恵はクラブでの源氏名を麻耶と名乗っていたのだ。
それから悟は島を出て東京に向かい、雪恵に会うためにクラブへと通った。
「別人だって分かっていた。でも彼女が、麻耶さんがそこに生きてる気がしてどうしようもなく嬉しかったんだ。俺は、麻耶さんがずっと好きだったから」
「まさか……あなたの初恋って」
涼子は驚きの表情で悟の言葉を待つ。
「俺はクラブホステスの麻耶さんに夢中になった。彼女と話をする中で彼女が島の出身なこと、本当の名は雪恵で、母親の名が麻耶であることを聞いて、俺は思ったんだ。もしかして彼女は、本当に麻耶さんの子供なんじゃないかって」
麻耶が生きていたらどんなに救われるか。その思いだけで、悟は雪恵を調べた。そうして、雪恵が雲島に関わりがあることを知ったのだ。
調べる過程で、同時期にクラブに来ていた青池が正和と繋がっていることも知った。その流れで、雲島の開発事業にも悟は疑問を持つ。
「雲島の開発事業には絶対に裏があると思った。短気でせっかちで、自分のことしか頭にないあんたが観光開発? 全然似合わない」
悟の話の最中。正和の顔は青ざめ、息はあるがもう限界がそこまできていた。
「ねえ、手当だけでも……本当に死んでしまうわ」
「手当? やめた方がいい。こいつの血は呪いの血だ。触らない方が身のためだぞ。まあ、だが。そうだな。話が長くなったか……結論、金と自分の欲のためにこいつはたくさんの犠牲者を出した。俺の人生は神野正和に利用されるだけのクソみたいなもんだったが、最後に後始末をして終わりにするよ。お前は今日、ここで死ね」
ナイフを握り直した悟の右手が振り上げられる。翔太は駆け出し、涼子は顔を手で覆った。
「……あなたはまた、私の前で人を殺すの?」
ナイフを振り上げる悟の手が止まった。声がした方に振り向けば、部屋の扉を開けた廊下に女性が立っていて。
悟はじっと、その女性の顔を凝視する。
「麻耶さん……あなたが、どうして」
「健司さんや政尚さんの想いを無駄にしないで」
麻耶は悟の身体に触れる。そうして探り探り手からナイフを取りあげると、息をひとつ飲んでから口を開いた。
「あの日の悟くんの顔、今もこの見えない目に焼き付いている。忘れたことはないわ。一生、許せない。あなたになんて二度と会いたくなかったし、正直今すぐに消えていなくなって欲しいってそう思ってる」
麻耶は凛とした姿で前を見据える。悟は涙を溜め、唇を震わせながら麻耶を見つめていた。
「それでもね。あなたは正和さんを殺してはいけない。あなたには、健司さんと政尚さんへの贖罪だけを考えて生きていて欲しいから。そこに新たな罪を重ねないで。ましてや簡単に死ぬなんてこと、絶対に許さないわよ」
縋るように右手を伸ばす悟の気配に、麻耶は一歩下がる。
「ごめっ……ごめんなさ——」
バタバタと、廊下から足音が近づいてきた。警察と救急が部屋に突入し、悟の右手はその手首を掴まれ、身体ごと床に押さえつけられる。
正和は意識のないまま救急に搬送され、悟は殺人未遂の現行犯で手錠がかけられた。青池と剛士もそれぞれ連れていかれる。
そうして嵐のように喧騒が去っていく中、麻耶は手に持っていたナイフを警察へと渡すと振り返った。
「清八さん、博史」
「麻耶、お前記憶が!」
「ごめんなさい。嘘をついて」
涙を溜める麻耶を、清八は構わず抱きしめる。
「すまない。たくさん辛い思いをさせた」
「ええ。本当に……本当に、長かった」
悟は蹲る正和を虫を見る目で見下した。その恨みの表情に、剛士がぼそりと呟く。
「悟がどうして……お前、なんで健司さんの家に放火なんてバカな真似」
「剛士兄さんは本当に何も知らないピエロだ。あの火事の日の前日、当時十一歳だった俺は家のリビングで言い争う声を聞いたんだよ」
あの日、政尚は必死の形相で正和になにかを頼んでいたと悟は続けた。
「殺さないでくれ、政尚兄さんはあんたにそう懇願していた。不安になった俺が顔を出すと、あんたは俺を見てニヤつき、更にこう言ったんだ」
“大役をやろう”
悟は言われるがまま、健司の家の周りに軽油を撒いた。水溜りに混ざる油が、虹色に歪む。
自分がこれからしようとしていることがどんなに悪いことか、悟は分かっていた。分かっていて尚、正和に逆らうことができなかったのだ。
「火をつけようとしたその時、後ろから肩に手を置かれた。政尚兄さんだった。兄さんは俺の手を握ってお前は悪くない、そう言って優しく笑ったんだ」
悟は地面に座り込む正和を見つめたまま唇を噛み締める。
「あんたの笑顔とは比べ物にならないほどの優しい顔で、兄さんは火をつけろ、そう言ったんだ! 自分が家の中に入ったらそうしろって! あんたの言う通りにできなければ俺はきっと殺される。だから政尚兄さんは、全部の罪は俺が被るからなにも考えるなって!!」
悟はボロボロと涙を流した。その隙を見計らって、青池が箱の中のスマートフォンへと手を伸ばす。
「動くな! 今すぐトドメを刺してもいいんだぞ!!」
正和に向けられる血で染まったナイフをみて、青池はすぐに手を引っ込めた。
「怖かった。どうするべきかパニックなまま、兄さんが家に入るのを確認して……俺は、火をつけた。火が大きくなるのはあっという間で、ようやく俺は自分がしたことの罪を実感するんだ。そうしたらさ、燃える家の中から声が聞こえたんだよ。なあ、誰だったと思う? その声はな、健司さんだった。悟、居るんだろう? って。居るなら今すぐ逃げろ、って。俺の命のために、政尚兄さんと健司さんは死ぬと分かっていながら家の中に残っていた。何も知らない麻耶さんと、赤ん坊まで……!!」
なんてことをしたのだろう。そう後悔したところで、悟にはもうどうすることもできなかった。
火事は事故として処理される。
だが村の人々は、直後に行方不明になった政尚が犯人だろうと密かに噂していた。しかもその数ヶ月後には、麻耶の父である裕也まで行方不明になる。
悟には、正和が何かしたとしか思えなかった。
「真実が話せない。政尚兄さんが犯人じゃないと否定もできない。そうして俺は家から出られなくなった」
ずっと塞ぎ込む生活が何年も続いたある日、悟は正和が持っていた東京のクラブの名刺を偶然見つけることになる。
「鳥肌が立ったよ。そこには麻耶と名のついた女性が、麻耶さんの面影を残した顔で載っていたんだから」
悟が見つけたのは雪恵だった。雪恵はクラブでの源氏名を麻耶と名乗っていたのだ。
それから悟は島を出て東京に向かい、雪恵に会うためにクラブへと通った。
「別人だって分かっていた。でも彼女が、麻耶さんがそこに生きてる気がしてどうしようもなく嬉しかったんだ。俺は、麻耶さんがずっと好きだったから」
「まさか……あなたの初恋って」
涼子は驚きの表情で悟の言葉を待つ。
「俺はクラブホステスの麻耶さんに夢中になった。彼女と話をする中で彼女が島の出身なこと、本当の名は雪恵で、母親の名が麻耶であることを聞いて、俺は思ったんだ。もしかして彼女は、本当に麻耶さんの子供なんじゃないかって」
麻耶が生きていたらどんなに救われるか。その思いだけで、悟は雪恵を調べた。そうして、雪恵が雲島に関わりがあることを知ったのだ。
調べる過程で、同時期にクラブに来ていた青池が正和と繋がっていることも知った。その流れで、雲島の開発事業にも悟は疑問を持つ。
「雲島の開発事業には絶対に裏があると思った。短気でせっかちで、自分のことしか頭にないあんたが観光開発? 全然似合わない」
悟の話の最中。正和の顔は青ざめ、息はあるがもう限界がそこまできていた。
「ねえ、手当だけでも……本当に死んでしまうわ」
「手当? やめた方がいい。こいつの血は呪いの血だ。触らない方が身のためだぞ。まあ、だが。そうだな。話が長くなったか……結論、金と自分の欲のためにこいつはたくさんの犠牲者を出した。俺の人生は神野正和に利用されるだけのクソみたいなもんだったが、最後に後始末をして終わりにするよ。お前は今日、ここで死ね」
ナイフを握り直した悟の右手が振り上げられる。翔太は駆け出し、涼子は顔を手で覆った。
「……あなたはまた、私の前で人を殺すの?」
ナイフを振り上げる悟の手が止まった。声がした方に振り向けば、部屋の扉を開けた廊下に女性が立っていて。
悟はじっと、その女性の顔を凝視する。
「麻耶さん……あなたが、どうして」
「健司さんや政尚さんの想いを無駄にしないで」
麻耶は悟の身体に触れる。そうして探り探り手からナイフを取りあげると、息をひとつ飲んでから口を開いた。
「あの日の悟くんの顔、今もこの見えない目に焼き付いている。忘れたことはないわ。一生、許せない。あなたになんて二度と会いたくなかったし、正直今すぐに消えていなくなって欲しいってそう思ってる」
麻耶は凛とした姿で前を見据える。悟は涙を溜め、唇を震わせながら麻耶を見つめていた。
「それでもね。あなたは正和さんを殺してはいけない。あなたには、健司さんと政尚さんへの贖罪だけを考えて生きていて欲しいから。そこに新たな罪を重ねないで。ましてや簡単に死ぬなんてこと、絶対に許さないわよ」
縋るように右手を伸ばす悟の気配に、麻耶は一歩下がる。
「ごめっ……ごめんなさ——」
バタバタと、廊下から足音が近づいてきた。警察と救急が部屋に突入し、悟の右手はその手首を掴まれ、身体ごと床に押さえつけられる。
正和は意識のないまま救急に搬送され、悟は殺人未遂の現行犯で手錠がかけられた。青池と剛士もそれぞれ連れていかれる。
そうして嵐のように喧騒が去っていく中、麻耶は手に持っていたナイフを警察へと渡すと振り返った。
「清八さん、博史」
「麻耶、お前記憶が!」
「ごめんなさい。嘘をついて」
涙を溜める麻耶を、清八は構わず抱きしめる。
「すまない。たくさん辛い思いをさせた」
「ええ。本当に……本当に、長かった」
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