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真実

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 一九八〇年 十一月八日

 正和は栄介の見舞いに向かった。
 
 その日は栄介の誕生日で、演説の話のネタにちょうどいい……その程度の気持ちだった。だが扉を叩いても誰も出てこず、妙に静かだった。
 
 この時、栄介は既に寝たきりだった。

 両親どちらかは必ず家にいるはずと聞いていた正和は、裏に回り勝手口のノブを回すと、開いた。そっと歩みを進めれば、栄介は居間に敷かれた布団に横たわり、眠るように死んでいたのだ。
 
「……驚いたよ。栄介が死んでいたことにじゃない。その場に晶子がいたことにさ。栄介の父と母、そしてなぜかリンまでそこに倒れて死んでいた。晶子は震える声で、『私は悪くない……』そう呟くばかり。私が何とかしてやるからと説得すると、栄介もその両親も自分が殺した、と晶子は言った」
 
 晶子は治療と称して、微量な毒をずっと栄介に盛り続けていた。
 それがなぜか、栄介は何年も最後の時を迎えない。感覚が麻痺してしまった晶子は、栄介の誕生日にケーキをひと切れ持っていった。致死量の毒を仕込んだケーキを。
 
 しかし、渡してから時間が経つにつれて晶子は血の気が引いてきた。ケーキを食べて栄介が死ねば、間違いなく自分が捕まる。

 我に帰った晶子は栄介の家に戻った。
 ケーキを渡してから二時間は経過していた。正和と同じように勝手口から中に入ると、そこは既に惨劇だった。
 
 栄介、両親、おそらく栄介を見舞いに来たリン、皆が倒れて死んでいた。
 たったひと切れのショートケーキを、皆で分けて食べていたのだ。
 
「晶子は嫉妬したんだ。きよ香……栄介の母に、私はしつこく付き纏われていてね。いっとき可愛がってやったくらいで図々しい、きよ香の目的は栄介の治療にかかる金の無心だった。それをまさか、晶子が勝手に勘違いして栄介に毒を盛っていたとは知らなんだ。栄介の死体を前にして、『本当ならもっと早く死んでもいい毒だった』そう言って爪を噛む晶子の姿が私には怪物に見えたよ」
 
 清八はたまらず声を張り上げる。
 
「怪物はお前だ! 体力のない栄介に、フォークですくったひと切れを口に運んだ親の気持ちが、お前に想像できるか!? 元気を願い、分け合ったリンの気持ちが想像できるのか! 皆……お前が原因で皆死んでいったのだ!!」
「なぜ私に言う。原因がなんであろうと、殺したのは私ではなく晶子だ。まあ、しかし。その後自分が殺されることになろうとは夢にも思わなかったろうな」
 
 正和はもう隠そうとはしなかった。
 
 証拠隠滅を理由に、晶子から毒を預かった正和。そうして機会を見計らうと、あるものを飲料に溶かして晶子に飲ませた。
 
「あんなおぞましい光景は初めて見たよ。身体中の皮膚は溶け、弾け……最後には見るに堪えない姿になった」
 
 正和は微笑すら浮かべている。
 
「なぜ、晶子さんを殺したの?」
 
 涼子の声は震えていた。
 
「晶子は私の愛人だった。いつの時代も痴情のもつれとは醜く耐え難いが、晶子のはまさにあなたも殺して私も死ぬなんて毒を吐いてまわるそれでね。栄介の家で起きたことの責任が、私にもあるなんて言うもんだから。政治家としてこれからだった私は、晶子の存在が鬱陶しくなったのだよ」
 
 正和は自分の身体をソファに沈め直した。
 
「あれだけいっぺんに人が死ねば、人々に不信と疑念が生まれる。更には晶子の異常な死に方。まあ元々、栄介の急な衰退ぶりに奇妙だ、呪いだと騒ぐものはいたからな。いっそ痣に理由かこつけて、痣の形と同じ八歳で死ぬ、近づくものは死ぬ。そう村の皆を煽ってみることにした。するとこれが面白いように広まって……ああ。話が長いな」
 
 正和は首を回し始めた。
 
かなめ、肩を揉め」
 
 要は前を見据えたまま動かない。そんな要の様子に、正和はため息をついた。
 
「お前は父親と違って少しは使えると思ったのだがな。まあいい、それでなんだったか……ああ、健司の子供か。まずいと思ったよ。このまま何事もなく新たな痣の子供が生き続けたら、呪いや栄介の死はなんだったのだと、辻褄が合わなくなるだろう?」
「だから、悟に火をつけさせたのか」
 
 清八は体勢を崩し、前のめりに膝をついた。慌てて博史が手を貸す。
 
「清八、私より幾分か若かったろう。身体は大事にするといい」
「質問に答えろ」
「なあ清八。私はなんの罪に問われる? 私がやったことは晶子の件だけ。悟に火をつけさせた証拠などないだろう。悟は今どこにいるんだろうな。どう証明する? 佐竹充が今更罪を認めようが、死亡診断書は受理され手続きは終わっている。何度も言うが、全ては遠い昔の話だ。もうそれでいいじゃないか。雲島は生まれ変わる。人が増えれば、あの方・・・も満足するだろう。清八、お前もそんなへんぴな場所にいないで、山から降りて来るといい。家族共々歓迎するぞ」
「……笑わせんな」

 静まり返った室内。誰もが言葉を失う中で、鋭い声がひとつ空間を貫く。
 遥の瞳は軽蔑と憂いを持っていた。
 
「あなたが隠したかったのは金でも昔の殺人でもない。もっと、とんでもないものを隠している」
「探偵……貴様は黙っていろ」
妙子たえこ


 一瞬の、出来事だった。
 
 遥がその名を口にした瞬間、正和は今までの冷静さを全て捨てさり、血の昇った顔は般若と化した。
 テーブルを乗り越え、遥の元まで伸びてきた正和の手を、翔太が間一髪阻止して必死で抑える。
 
「おままごとの探偵気取りがっ!! 妙子になにをした!? 殺す……殺す!! その首絞めて殺してやるぞ前に出ろ!!」
「先輩! 下がって!!」
 
 翔太に続き博史も加勢し、興奮する正和を制圧する。
 
「父、さん……」
 
 力無く言う剛士。
 
「なんなのよ、これ」
 
 涼子も、いきなり出た知らない名前と正和の豹変ぶりに戸惑いを隠せない。
 翔太は正和を抑えながら俯いている。
 
「神野正和。あなたがこの雲島を観光地開発することでしたかったこと、それは」
「黙れ」
「それは!!」
「黙れええぇぇぇえ!!!!」

 取り乱しながら部屋を突っ切り、勢いよく扉を開けた正和はそこでピタリと動きを止めた。

 背中が徐々に丸まり、膝をつく。

 その向こうには、血のついたナイフを握った見知らぬ男が立っていた。
 うずくまった正和は左下腹部を抑え、無気力な顔で目の前の男を見上げる。
 
「こ……の、腑抜けが……今頃何の、つもりだ」
 
 正和の声を聞いた途端。ナイフを持った男の手は、異常なまでに震えだした。

 正和から流れ出る血に皆が萎縮し戦慄する中、剛士が口を開く。
 
「さ……とる……」

 ナイフを持って未だ震える男は、
 剛士の弟、さとるだった。
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