ロージーの結婚

小針ゆき子

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1.ロージーとダンディーな伯爵様

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 ルーズヴェルト王国の社交界は最近浮足立っていた。
 頻繁にお茶会や夜会が開かれ、商人たちは足蹴く貴族の屋敷を行き来する。
 おかげで経済も回り、一時的なことだと分かっていても民たちの顔まで明るい。

 その一番の理由は、若く美しい新王アレクシスが王位を得たからだろう。
 さらに二ヵ月前に王妃フィオレンツァが初めての男児を出産し、王都はお祭りムードだ。
 国王家族の肖像画が出回り、名前の入ったグッズがちょっとしたブームになったりしている。

 さて、王位を継ぐ可能性が高い王子が生まれたことで何が起こるかというと…。
 それは貴族たちの怒涛の出産ラッシュである。
 我が子を王太子(予定)の側近、あるいは妃にと、貴族たちは頑張るわけだ。
 すでに夫婦である者たちは夜に励み、婚約を結んでいた者たちは結婚を早める。
 そして未婚の者たちは…。



 とある日。
 とある伯爵家の屋敷で夜会が開かれていた。

 色とりどりのドレスをまとった令嬢たちが、集まってひそひそと話している。
 彼女たちの意地の悪い視線は、少し離れた場所に立っている一人の女性へと向けられていた。

 「…まあ、あれってスピネット女伯爵様よね?」
 「今更社交を再開されるなんてどういう風の吹き回しかしら」
 「くすくす…、だってあの人、まだ結婚相手がいないのでしょう。お相手を探しにいらしたのではなくて?」
 「でもあの方の年齢は…確か新しい王妃様より年上でしたわよね?」
 「王妃様にはすでに三人の御子がいらっしゃるのに…」
 「早速壁の花になっていらっしゃるわ。お可哀そうにね…うふふ」

 周囲の令嬢からの嘲笑を含んだ視線を感じ取り、ロージーはため息を吐いた。
 
 ロージー・スピネット女伯爵。
 茶色の髪を結い上げ、濃い緑のドレスを着こなす美しい彼女は良くも悪くも人目を引いた。
 彼女の伴侶に選ばれれば、伯爵家の婿として迎い入れられるのだから、本来ならば引く手あまたのはずなのだが、彼女の母と妹が四年前に起こした事件が尾を引き、誰もロージーに話しかけようとはしない。
 それでもロージーはしゃんと背筋を伸ばして立っていた。
 スピネット家の当主として参加している以上、何もしないで逃げ帰るわけにもいかないのだ。


 「スピネット女伯爵、楽しんでいらっしゃいますか?」

 そんな遠巻きにされるロージーにあえて声をかけたのは、黒髪に黒い瞳をした四十前後の紳士だった。
 クラーク・キャベンディッシュ伯爵。
 この夜会の主催者で、ロージーを招待した張本人だった。
 実は彼は、アレクシス新王が即位する直前に亡父から爵位を引き継いだ、いわゆる社交界の新参者なのである。
 彼はロージーとは王宮で出会っていた。
 爵位を継ぐまでは領地に籠っていたキャベンディッシュ伯爵は、慣れない王宮で書類の受付審査に手間取っていて、見かねて手助けしたのがロージーだった。
 以来彼はロージーの悪い噂を聞いても素知らぬ顔をして、今夜のように屋敷に招いたりしてくれる。


 「キャベンディッシュ伯爵様…。本日はお招きありがとうございます」
 ロージーは淑女の礼をしようとしたが、キャベンディッシュ伯爵が手を差し伸べたので右手を重ねた。
 伯爵はロージーの手の甲にキスをする仕草をする。
 先ほどロージーを貶めていた令嬢たちが息を呑んだのが分かった。
 伯爵がしたのは同格か下の家格の男性が、相手の女性に対してする親愛の挨拶だ。
 ロージーをスピネット伯爵家の当主として認めてくれているという意思表示に他ならなかった。
 すると図ったようにそれまで流れていた音楽が終わり、踊っていた者たちや、これから踊ろうとする者たちが激しく交差し出す。
 
 「スピネット女伯爵様、一曲パートナーを務める栄誉をいただいても?」
 「もちろんです。…私の方こそ、キャベンディッシュ伯爵様と踊ることができるなんて光栄でございます」

 キャベンディッシュ伯爵のリードでロージーはダンスフロアの中央へと移動する。
 やがて新たな曲が始まり、二人はゆったりとしたワルツを踊り始めた。

 「よい殿方は見つかりましたかな?」
 「…え?」
 踊りに集中していたロージーは思わず顔を上げる。
 キャベンディッシュ伯爵の端正な顔立ちが間近にあって、思わず目を逸らした。
 「お家の事情は存じております。…入り婿を探しておられるのでしょう?」
 「ええ…まあ」
 「自信をお持ちになってください。四年前の事件を起こしたのは母君と妹君であって、あなたは何も罪は犯していらっしゃらないのですから」
 「周囲はそうは思いませんわ…」
 「あなたのような美しく賢い女性が捨て置かれるなんて惨いことです。私が伯爵家の当主でなければ…いいえ、あなたが女伯爵でなければ傅いて愛を乞うています」
 「まあ、お世辞でも嬉しいです」
 
 …もうお気づきの読者もいるかもしれないが、ロージーはキャベンディッシュ伯爵と話し始めてから一度もツンデレていない。
 それはなぜか。
 ロージーは生まれて初めてかもしれない恋をしているからだ。
 そう、彼女はこのキャベンディッシュ伯爵のダンディーな大人の魅力にすっかりやられているのである。

 ぽうっと頬を染めながら自分を見つめているロージーの熱視線を知ってか知らずか、キャベンディッシュ伯爵は華麗なステップで傍をすり抜けていった男女ペアを見やる。
 「彼とは話しましたかな?」
 「…え、誰ですか?」
 「いま水色のドレスの女性と踊っていた男性です。紹介しますよ」
 「あ、…はあ」
 「聞いていませんか?隣国の公子が結婚相手を探しにこの国に来ていると。年齢もあなたと釣り合うし、第二公子と聞いているので婿入りも可能なはずですよ」
 「…」
 
 憧れの男性からの残酷な提案にロージーは笑顔を保ったが、唇の端はひくひくと引きつっていた。



 曲が終わり、ロージーはキャベンディッシュ伯爵に手を引かれてダンスホールから離れる。
 伯爵は隣国の第二公子とやらを探しているのかきょろきょろと顔を動かしていた。

 「…失礼、キャベンディッシュ伯爵様。誰かお探しですか?」

 そこへ一組の男女が声をかけてきた。
 「君は…」
 「ガイ・シェリンガムです。本日はお招きいただきありがとうございます」
 「ああ!シェリンガム侯爵家のご子息か。これは失礼した。こちらはロージー・スピネット女伯爵だ」
 「はじめまして」
 「こちらこそ」
 ガイ・シェリンガムと名乗ったのはこげ茶の髪に藍色の瞳をした、端正ながらどこか荒々しさを感じさせる顔立ちの若者だった。
 鍛え上げられた体躯とその所作は、彼が騎士であることを物語っている。
 ロージーは雰囲気が従兄のザカリーに似ているなと思った。
 そんなガイは、亜麻色の髪の華奢な令嬢を連れている。
 「そちらは…」
 「妹です。…モニカ」
 「モニカ・シェリンガムと申します。キャベンディッシュ伯爵様、スピネット女伯爵様…どうかお見知りおきくださいませ」
 「こちらこそよろしく」
 「ご丁寧にありがとう」
 婚約者ではなく実の妹だったらしい。
 まだ十七歳くらいだろうか…夜の社交界には不慣れな初々しさがある。
 可愛らしいふわふわした印象で、ロージーに対して先ほど陰口をたたいていた令嬢たちのような、蔑むような態度は見られなかった。
 
 「すまない、オクタビオ公子を探しているんだ。どこかで見なかったかね?」
 「公子なら、あちらでご令嬢がたに囲まれていますよ」
 キャベンディッシュ伯爵の問いに答えたのはモニカ嬢の方だった。
 見れば確かに一人の貴公子を幾人かの令嬢たちが囲んでいる。
 「おお、本当だ。公子に女伯爵殿を紹介したいんだ。…それじゃあ、夜会を楽しんでくれたまえ」
 ロージーとキャベンディッシュ伯爵は軽く会釈をすると、オクタビオ公子の元へと向かうべく足を踏み出す。
 …と、ロージーは強い視線を感じて顔を上げた。
 同時にガイの群青の瞳とぶつかる。
 「…っ」
 「女伯爵様?どうかされましたか?」
 「い、いえ」
 息を呑んだロージーの異変に気が付いたキャベンディッシュ伯爵がこちらを振り返る。
 心配そうな伯爵の眼差しに、ロージーは首を振った。
 まだガイがこちらを見ている気配を感じるが、ロージーは気が付かないふりをする。

 …あんな目は初めてだ。

 ロージーも王子妃になるべく教育を施されてきたので、ある程度の感情は読みとれる自信がある。
 怒りの眼差し。
 蔑みの眼差し。
 羨望の眼差し。
 親愛の眼差し。
 …王宮には様々な感情を持つ人たちが入り乱れていた。
 ところが、先ほどのガイの瞳はとにかく「強さ」しかなかった。
 感情全てをこちらに直球でぶつけてきた感じだ。
 
 ―――気味の悪い人だわ。

 それがロージーの、ガイに対する第一印象だった。

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