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4.ロージーとお茶会
しおりを挟むロージーが貴婦人の集まりであるお茶会に参加するのは女伯爵になってからは初めてのことだ。
爵位を継いだ直後は母と妹の醜聞のせいで社交そのものを控えていたし、復帰したあともそれは尾を引いている。また当主の夫人…つまり当主の補佐役の会合の意味合いが強いお茶会に、伯爵家の当主であるロージーが参加するのはよほど主催者と親しい間柄でないと難しいのだ。
そしてそんなロージーの境遇を心配してお茶会の招待状を送ってくれたのが、パトリシア・デューイ子爵夫人だった。かつて王子妃候補としてロージーやフィオレンツァ王妃と切磋琢磨し、候補から降ろされたあとは子爵と結婚していた。結婚四年目にしてようやく男児を授かり、今回は社交のためにワンシーズンだけ王都に戻ってきていた。
「ロージー様…、いいえ、女伯爵様。お久しぶりです」
「元気そうね。…その、ロージーでいいわよ」
ロージーは腕をうずうずさせている。感極まって抱き着きたいのを抑えているのだろうなとパトリシアは苦笑するも、当然態度には出さない。
「先日は息子にたくさんのプレゼントをありがとうございました。大事に使わせていただいておりますわ」
「子供のおもちゃや服を大事に使ってどうするのよ!よだれまみれになってくたくたになるまで使わせなさい!」
「うふふ…。それもそうですわね。そうさせていただきますわ」
「使えなくなったら言うのよ。その時は服のサイズも一緒に…し、仕方なく贈って差し上げてよっ」
「いつも気にかけていただいて嬉しいですわ」
「別にそんなんじゃないわよ…」
照れて唇を尖らせたロージーに、パトリシアはそういえば…と扇を使って声を潜めた。
「シェリンガム家のご子息とお見合いをされたと伺いましたけれど」
「う…っ、ど、どこからそんな情報…」
「王妃様の側近のヨランダ嬢ですわ」
「ヨランダ嬢?…あの人とそんなに仲がよろしいの?」
意外な名前にロージーは瞼を瞬く。
ヨランダはフィオレンツァ王妃がまだ王宮女官を目指していた頃から傍にいる古参の側近だ。優秀で腕っぷしも強いと聞いているが、いつも静かに王妃の後ろに控えているイメージしかない。
「いいえ、王宮を訪れた際にばったり会ったのですが、私も突然話しかけられて驚きました。ヨランダ嬢はロージー様とシェリンガム様のお見合いにかなり興味をお持ちのようで、シェリンガム様のことをあれこれ尋ねられていましたよ。いつ騎士団に入ったとか、ご家族のこととか、あとはザカリー様と仕事をするようになった経緯とお見合いのきっかけなどを…」
話していたパトリシアの語尾が尻つぼみになった。
今まさに話題にしていた人物の関係者を見つけたからだった。
「…モニカ嬢」
「申し訳ございません、お二人のお話をお邪魔してしまいましたか?」
「そんなことなくってよ。楽しんでいらっしゃいます?」
いかにも申し訳なさそうに声をかけてきたモニカ・シェリンガムに、パトリシアは笑顔で返す。対するロージーは形ばかりの笑みを浮かべながらも、困惑を隠せなかった。
正直モニカは今会いたくない人物ベスト3に入っている。当然1と2はガイ・シェリンガムとオクタビオ公子だ。 夜会で会ったときはガイとは仲のよさそうな兄妹に見えたから、ガイとのお見合いの様子は把握しているはずだ。そのうえオクタビオ公子のやらかしでまた噂が増えたので、いい感情を持たれているとは思えない。
「モニカ嬢、王都には慣れまして?」
「…ええ。皆様とても親切にして下さっていますわ」
「それは良かったわ。そろそろ婚約のお話も出ているのでは?モニカ嬢はお可愛らしいから引く手あまたでしょう」
「そんな、私なんて…。子爵夫人や女伯爵様のような気品がもっと身に付けばいいのですが」
そんな二人の会話にロージーは内心首を傾げた。モニカはずっと王都から離れて暮らしていたという風に聞こえるが、侯爵以上の貴族は王都にタウンハウスを構え、領主でもある当主やその後継ぎ以外の家族は基本的に王都で社交をして主を支えるのが普通だ。王妃フィオレンツァの実家の伯爵家がそうだったように、金銭的に余裕のない家は領地を拠点としていることが多いが、侯爵家以上の家がそういった状況に陥ったという話は聞いたことがない。病弱で領地で療養していたとか、そういう話なのだろうか。
どちらにしろ二人が話し込みそうな雰囲気だったので、ロージーはその場を辞そうとした。
「ごめんなさい、私は疲れたので…」
「…あっ、女公爵様!その…少しお話したいのですが」
すると以外にもモニカ嬢の方がロージーを引き留めた。主催者のパトリシアに挨拶するために話しかけたのかと思っていたが、本来の目的はロージーだったようだ。
「え?でも…」
「では私は侍女頭と少し打ち合わせに行って参りますわ。のちほどお会いしましょう」
ロージーが戸惑っている間に、空気を読んだパトリシアはぱっと離れて行ってしまった。
う、うらぎりもの…。
ガイ・シェリンガムとの見合いの顛末は絶対知っているはずだ。なのにその噂の相手の妹と二人きりにして置いていくなんて…あんまりである。
「女伯爵様、薔薇が見えるあちらの方に行きませんか?」
ロージーは無視するわけにもいかず、庭の一角を指さすモニカの後に続いた。
「先日は兄が失礼な態度を取ったのでしょう?…申し訳ございません」
「…はあ」
いきなり謝られると思っていなかったロージーは、気の抜けた返事をした。しかし周囲の刺々しい視線を感じ、はっとする。このままではまた良からぬ噂が立つと戦慄した。
「あ、あの…モニカ嬢、どうか顔を上げて…」
「ですが、お兄様は不器用なだけなのです!決して女伯爵様を貶めようとかそんなつもりだったわけでは!」
「わかりました、分かりましたから!お願いですから顔を上げて頂戴!!」
ようやくモニカ嬢は顔を上げた。
「その…お見合いの内容はどういう風に伝わっているのかしら?」
「兄は女伯爵様を怒らせてしまったということだけ…」
「怒ったというか呆れたと言えばいいのか」
「やはりお見合いは失敗でしたの?」
「まあ、そういうことね。この話を整えてくれた人にはまだ返事をできていないのだけれど」
「そう言わず!どうかもう一度兄にチャンスを与えてはいただけませんか?」
「でも、その…。お兄様の態度を見るに、私にいい感情を持っているとは思えないのだけれど」
「そんなことはありません!お願いいたします、この通り!!お兄様をどうか見捨てないで!」
「だから!頭を下げないで!!」
ようやくモニカ(苦行)から解放されたロージーは、少し離れたテーブルの椅子に座った。彼女を落ち着かせるのに、思った以上に骨が折れてしまい、最後の方はほとんど逃げるようにその場を辞してしまった。
メイドが近づいてきたので、新しい紅茶を頼む。適当にケーキを皿に取り、優雅かつ迅速に糖分を補給する。
さて、これからどうするべきか…。
ザカリーにはあれから接触する機会がなく、不誠実だとは思ったが手紙でガイとの見合いの話をなかったことにしてもらうつもりだったのに。それがモニカに仮婚約を継続してほしいと頼まれるとは思ってもいなかった。
―――パトリシアにこのまま相談しようかしら?
しかしちらりと見たパトリシアは、お茶会の采配に忙しくしていて、とてもここで相談をする雰囲気ではない。それにいくら侯爵家出身といえど、今は子爵夫人であるパトリシアには少し荷が勝ちすぎるかもしれない。
ロージーは次に、残った数少ない友人を二人頭に思い浮かべる。
まず思い浮かんだのはほわほわした笑顔のフィオレンツァだった。ロージーが困っているとなれば絶対に手を差し伸べてくれるはずだが…。
―――却下。
精神的にも生命維持的にもフィオレンツァに頼るのは色々と不味い。
あの嫉妬深い国王に暗殺されかねない。
次に脳裏に現れたのは赤ドリル、スカーレット。
でもちょっと…いや、かなり上から目線だ、マウント取ろうとしているやつだ。
ロージーには分かる。あの女はロージーに嫉妬しているのだ…主にフィオレンツァ関連で。そんな嫉妬の対象が助けてくれと懇願したら…助けてはくれるだろう、薄情な女ではない。でも扇子で口元をほどほどに隠しながら、でも分かりやすく笑うのだろう。
―――腹立つわぁ。
あれ?自分ってもしかして友人に恵まれていないのだろうか。
三個目のケーキにフォークを刺したところで、ロージーは頼んだ紅茶が遅いことに気づいた。別のメイドに頼もうかと顔を上げたところで、主催者のパトリシアや使用人たちがせわしなく動いていることに気づく。招待客たちもざわざわとしていた。
どうしたのだろう。ロージーも何となく落ち着かなくなり、椅子から立ち上がる。
庭の一角に人だかりができていた。先ほどロージーとモニカが話していたあたりだ。嫌な予感がして歩み寄れば、メイドたちに両脇を抱えられるようにしてモニカが屋敷の中へと誘導されるところだった。
「モニカ嬢!?」
ロージーが驚いて声をあげれば、モニカはびくりと肩を揺らす。彼女は上半身がぐっしょりと濡れていた。
「いったい何が…」
「まあ、白々しい」
ロージーは反射的に振り向く。まるでロージーがモニカを害したような台詞だ。声がしたあたりに目を向ければ、幾人かの夫人の団体が剣呑な目つきでロージーを睨んでいた。とても伯爵家の当主に向ける視線ではない。そうこうしているうちに、モニカはメイドに連れられて行ってしまった。主催者のパトリシアの計らいで手当てを受けるのだろう。
「スピネット女伯爵様、こちらへ」
ロージーは別のメイドに誘われ、パトリシアの元へと向かった。
「モニカ嬢が噴水に落ちたようですの。突き飛ばされたようですわ」
「…モニカ嬢はなんて言っているの?」
「自分が足を滑らせたと」
「…」
パトリシアがその証言を信じていないことはロージーにも分かった。
確かにモニカと話していたのは、噴水のすぐ近くだった。だが確かあの噴水の縁の高さは80センチ近くあり、幅も広かった。小柄なモニカが足を滑らせたからといって転落するとは思えない。パトリシアが言った通り、誰かに故意に突き飛ばされたと見る方が妥当だ。
「直前まで話していた私が疑われているのね」
「誰も突き飛ばした瞬間は見ていません。それにロージー様のお召し物は濡れていないじゃありませんか」
パトリシアは冷静だった。モニカをあの噴水の中に転落させようと思ったら、いくら背の高いロージーとて無傷ではないだろう。二人以上で襲い掛かったのなら別かもしれないが、ロージーはずっと一人だった。
「あなたが信じてくれるのならそれでいいわ。…それでいいことにしてあげる」
「ロージー様…」
「信じてくれて…その、感謝しなくもないわよ」
相変わらずなロージーに、硬い顔をしていたパトリシアもくすりと笑みを零す。それでも顔色は戻らない。パトリシア主催の茶会でこのようなことになったのだから、多少なりとも彼女の今後の立場は悪くなるはずだ。
「でもモニカ嬢は、どうして犯人のことを言わないのかしら?脅されているのかしら?」
「これから聞き取りに行きますわ。正直に話して下さればいいのですけれど」
デューイ家のお茶会は解散となった。招待客の夫人や令嬢たちは次々に迎えの馬車に乗り込む。ロージーは最後まで残っていてパトリシアの、できればモニカとも話したかったが、聴取にことのほか時間がかかっているのか、どちらも会場には戻ってこなかった。使用人に促され、仕方なく出口へと向かう。
「…あ」
向かいから歩いてくる人物の姿を認め、ロージーは思わず立ち止まった。それはガイ・シェリンガムだった。
モニカが転落した連絡を受け、タウンハウスから駆け付けたのだろう。彼の顔色は真っ青だった。
ガイもロージーに気が付く。そして、あの強い瞳で真っすぐに彼女を射抜いた。
「妹に近づくなと言っただろう!!!」
ロージーは何も言い返すことはできない。石のように硬直しているロージーに舌打ちすると、ガイはそのまま脇を通り過ぎた。
翌日。
スピネット女伯爵が義妹になるかもしれない令嬢をいじめ、噴水に突き落としたという噂が広まった。
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