私は五番目の妃 ~グランディエ王国後宮物語~

小針ゆき子

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第一章 第五妃サリサ

08 建国祭の始まり

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 「今日は上の空だな」
 「…え?」
 いつものように「桜の館」を訪れたゾロ王は、すでにサリサとの一戦目を終えていた。
 息を整えながら、サリサの真白い肩に口づける。
 「昨日のことは詳しく調べさせている。見張りも増やした故、あまり怯えることではない」
 「はい…。そうですわね」
 
 中庭で舞踊の訓練をしていたサリサに矢が飛んできた事件。
 近くの倉庫の屋根から放たれた矢だということまでは分かったが、犯人は逃走したままだ。
 重要な書類や高価な家具のための倉庫ではなかったため、普段からそこに見張りは配置していなかったという。
 事件を聞いたゾロ王は政務を放り出して「桜の館」に飛んできた。
 イズラエルから依頼を受けた調査部の宦官が来るよりも早く、サリサは何があったのか質問攻めにされた。
 しかしサリサも矢を射った暗殺者の姿を見たわけではなく、大した証言はできなかった。
 矢を防いだイズラエルの証言で倉庫のことが割り出され、現在は全ての建物に見張りが配置されている。
 心配したゾロ王の提案で、サリサは「シュルヴィ姫」の舞い手の候補から降りることとなった。
 暗殺者を放ったのが第二妃の手の者だと考えたのだろう。
 そしてサリサもその考えは間違っていないと思っている。 
 国王の子供を冷酷に次々と暗殺していった女だ。
 ゾロ王の寵愛を受け、華やかな舞い手の役まで攫おうとしているサリサを邪魔に思ったはず。
 しかし王妃の流産といい、今回の暗殺未遂といい、素早く実行しているのに証拠を一切残していない。
 第二妃の感情的で短絡的な暗殺指令に対応し、冷酷かつ抜かりなく実行できる者があちらにはいるということだ。
 サリサもイズラエルとの顔合わせという本来の目的を果たしたため、ゾロ王の言う通り「シュルヴィ姫」の候補を降りることをガブリエラ王妃に伝えたのが今日のことだ。
 
 「気にするな、そなたを傷つけさせはしない」
 「陛下のことは信じております。ただ…あの場で公爵様や女官たちに守られていただけの自分が口惜しくて」
 「いくら運動神経が良いと言っても、そなたは武術や剣術を心得ていたわけではないのだろう。騎士のクレスウェル公爵が守るのは当然のことだ」
 「公爵様は近衛のお仕事に戻られたとか」
 「ああ、今回の手柄を理由にな。もともと何か理由をつけてすぐに戻らせるつもりだった」
 「それは…ようございました」
 「サリサ、昨日の出来事はもう忘れるのだ」
 ゾロ王の逞しい体が再び覆いかぶさってくる。
 サリサはそれを目を閉じて受け入れた。
 しかし脳裏に過るのは、熱を共有しているゾロ王のことでも、昨日自分を襲った矢の衝撃でもない。
 自分をからかいながらも優しく見つめ、そして強靭から守ってくれた騎士の、灰色の瞳だった。


 建国祭の日がやってきた。
 初日はゾロ王とガブリエラ王妃は朝から豪奢な衣装で正装し、自国の貴族や他国からの客人からの祝いの言葉を受ける。
 午後には民衆の前に顔を出し、大々的に儀式を行った。
 二日目となる次の日は、午前にもう一度民衆の前に顔を出す。
 あらかじめ決められた邸宅のバルコニーに出て、庭に通された民たちに手を振るのだ。
 そして二日目のメインが夕方から行われる奉納の儀式。
 グランディエ王国を守る精霊王に神官が供物を捧げ、歌を捧げ、そして舞を捧げる。
 今年の舞は勇ましき「シュルヴィ姫」。
 舞い手は十数年ぶりに妃が担うことになった。

 
 王族の席に先についていたゾロ王は、王妃の到着を告げられ立ち上がる。
 「陛下」
 「王妃、さあこちらへ」
 ゾロ王の差し出した手に、ガブリエラ王妃は白く細い手を重ねた。
 今宵のガブリエラ王妃は正妃にしか許されないサークレットを額に付け、深い青のドレスを纏っていた。
 結婚してから12年、婚約してからは22年、すでに29歳になっている王妃だが、未だ美しさは衰える気配がない。
 ゾロ王はどの妃を寵愛しようとも、決してガブリエラ王妃を粗略にすることはなかった。
 さすがに実母であるラモーナ王太后を排除することはできなかったが、ゾロ王の配慮がなければガブリエラ王妃は名ばかりの王妃となり、後宮の奥に押し込められていたことだろう。
 「結局、今年の舞い手は第二妃に決まってしまいましたわね」
 「仕方あるまい、第五妃は足をくじいたのだ。無理はさせられない」
 本当はサリサはどこも怪我をしていないのだが、舞い手を辞退するにあたり適当な理由を取り繕った。
 それにサリサが怪我をしたとなればオーガスタ妃も多少留飲を下げると思ったのだ。
 「でも第五妃の舞を見てみたかったですわ」
 「それは私もだ。きっと来年は見られるさ」

 儀式の時刻となり、神官が舞台に出て挨拶を始める。
 進行を担っている従僕の合図で、ゾロ王はガブリエラ王妃の手を取って立ち上がった。
 そのまま席を降り、舞台へと進み出る。
 あらかじめ用意されていた供物を神官から受け取り、王妃と共に精霊王に捧げる。
 それが終われば、神官見習で形成される合唱隊の歌が始まった。
 席に戻ってそれに聞き入っていたが、視界の端に他の妃たちの席が映った。
 国王と王妃の席の一段下に第二妃から第五妃までの妃たちの席があるのだが、現在座っているのは第三妃のエメラインと第四妃のパンジーだけだった。
 第二妃オーガスタはこの後すぐに行われる舞の準備に入っているのであろうが、第五妃のサリサの空席は気にかかった。
 それはガブリエラ王妃も同じだったらしく、女官を手招きする。
 「第五妃はどうしたの?」
 「気分が悪くなったそうで、少し前に席をお立ちになられました」
 「…そうなの」
 ゾロ王とガブリエラ王妃は顔を見合わせた。
 もしかしたら、「シュルヴィ姫」を舞えなかったことがショックだったのだろうか。
 第二妃が舞う姿を見るのが嫌だったのかもしれない。
 国王と王妃の許可を得ずに席を立つのは褒められたものではないが、儀式の進行を妨げるのを単に懸念しただけなのだろう。

 
 
 その頃、サリサは王宮の一室でベッドに腰かけていた。
 「では何かあればお呼びください」
 「分かったわ」
 サリサに薬を処方した医師は、礼をすると部屋を出て行った。
 ドアの前に立っていたエイプリルが近づいてくる。
 「第五妃様、横になっていらした方がよろしいのでは?」
 「大丈夫よ。あの医師はとても腕がいいわ。もう痛みが引いているもの」
 サリサの体調不良は本物だった。
 月のもののせいなのか、急に腹痛が起きたのだ。
 後宮の妃であるサリサのために王宮の客間が一つ空けられ、待機していた医師が駆け付けて鎮痛剤を調合してくれた。
 薬を口に入れて5分と経たないうちに痛みが引いたものの、一時間は横になっているようにと言われたところだ。
 「まあ、あの第二妃の勝ち誇った顔は見たくないからいいけれど」
 でも逃げたと思われるのも癪だ。
 唇を尖らせるサリサにエイプリルも苦笑をこぼした。
 「私は扉の外で別の者が間違えて入らないよう見張っております。きちんと休んでいてくださいましね」
 「分かったわ。よろしくお願いね、エイプリル」
 部屋から出ていくエイプリルを見送り、サリサはため息をつく。
 舞の奉納が終われば、そのあとは歓談を目的とした夜会だ。
 それまでにまた着替えて会場へ赴かねばならないのだから、エイプリルに言われた通り少し横になった方がいいのかもしれない。
 夜会は日付を跨ぎ、深夜二時まで行われる予定なのだ。
 サリサはベッドに座ったまま目を閉じる。
 すると、聞きなれた音楽が流れて来た。
 ここから舞台は見えないが離れてもいない。
 舞の奉納が始まったのが分かった。
 サリサは思わず立ち上がる。
 ドレスは診察のために脱いだままだったので、ほとんど下着姿の彼女は身軽だった。
 剣を構える動作をし、あの時のように足を上げる。
 
 ―――シュルヴィ姫。
 
 月明かりに照らされ。
 サリサは、音楽に操られるように体を動かしていた。
 
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