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胸が痛むのは

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 朝食を終えたツバキたちは、パン屋の二階にあるリビングで状況を整理することにした。叔母夫婦とルファはすでにパン作りで一階へ降りている。

「水の精霊は守護者をロナロへ戻せと言っていたけれど、守護者ってリタのことかしら」

 対角線上に座るアフランへ確認すると、彼は頷いた。

「リタだけなのかはわかりませんが」

 守護者が必要な理由までは教えてもらえなかったが、わざわざ人間を探すためだけにツバキへ霊力を与えるほど、水の精霊にとって重要なことらしい。

 問題はリタたちがどこにいるかだ。精霊に聞くため一昨日と同じように水差しへ水を入れて呼び出すことには成功したが、彼らはあまり知能が高くないらしく、”ここじゃない”、”遠い”くらいしか答えてもらえなかった。

「どの辺を探すか当たりをつけないといけないわね」

 ツバキは机にエイラト州の地図を広げた。 
 今ある手がかりは、水の精霊の加護が届かない場所ということだけだ。
 だが、精霊の加護は明確な境界線があるわけではないらしい。水の精霊の場合は農作物に影響を与えるが、その範囲は年によって変わり、ウォールス山から遠ざかるほど、この地にはそれがあると伝わっているだけの不明瞭なものになる。
 とりあえずアフランが知っている範囲を囲ってもらったが、目的はその外なので途方もなかった。

「こんな手掛かりだけじゃ探しようがありませんね」

 ため息をつくアフラン。
 ツバキは顎に手を当てうーんと唸る。

「じゃあリタたちを誘拐した目的や犯人について考えてみましょうか。アフラン、リタには何か特別な力があったの?」
「次期村長という立場ではありましたが、リタも自分に霊力があるなんて知らないと思います。精霊を守っていると言っても、お祈りしているだけでしたし」
「そう……。それならどうしてかしら」
「普通に考えれば、どこかへ売るためじゃないか。先代皇帝から奴隷制度は撤廃されているが、完全になくなったわけじゃない」

 ツバキは少し考えてから、首を振った。

「それなら、わざわざ魔力のないロナロ人は狙わないでしょう。それに村を襲ったのは、誘拐したことを隠すためってことはない?」
「どういうこと?」
「だって、パレードの事件でロナロは嫌でも注目されるのよ。特別な理由もなく誘拐なんて目立つことするかしら。どうしてもリタたちが必要で、攫ったことを知られたくなければ………」

 最後まで言わず、ちらりとアフランを窺い見る。彼は青ざめた顔で、気を落ち着かせるように紅茶の入ったカップを握りしめていた。

「攫われたことが事実なら、その可能性もあると思うの」

 村長や屈強な男性たちが村から出て行った隙を狙ったのだとしたら。
 なぜそんなことをしてまで誘拐しなければならなかったのか、何をしようとしているのか、それが分かれば場所もわかりそうだが、それについても何も手がかりはない。

 次に犯人について考え始めたツバキは深いため息をつき、正面に座るトキツへ目を向ける。

「トキツさん、村を襲った犯人はやっぱり……レオだと思う?」

 彼はアモルの街で狼を容赦なく撃ち殺している。トキツへ銃を向けたときも、人を殺すことに躊躇いはないように感じた。
 トキツは、レオの名に反応したカオウを目の端に捉えつつ、頷く。

「協力者だと本人も認めたんだろう。ロウはそう考えて奴を追ってる」
「どこまでつかめてる?」
「商人というのは本当らしい。魔道具、武器、情報、人、何でも売っていて、殺しも請け負っている。金になるなら何でもする男って話だ」

 ツバキの胸がグサリと痛んだ。わずかでも一緒に過ごした人がそんな人だったという事実が恐ろしくもあり、まだ信じられないという気持ちも残っている。

「彼はどこの国の人なの?」
「容姿はケデウム州の人に近いな。だが商品はウイディラで開発されたものが多いし、東の国で商売を始めたという噂もある。彼の名がケデウムの裏社会で広まったのはここ一・二年のことらしい」
「ケデウム……」

 ツバキが押し黙ったのを見て、トキツは慌てた。

「まさかケデウムへ行こうとか言わないよな?」
「でも、可能性はあるわよね。とりあえず州境まで行って、近づいたか精霊に確認してみましょうよ」

 ケデウムの国境沿いではいつウイディラとの戦が始まるかわからず、治安は日に日に悪化している。ケデウムへは不用意に近づくべきではなかった。
 ツバキもそれはわかっているが、助けるためなら行かなければならない。
 しくじれば殺す。そう告げた水の精霊の声はまだ耳に残っている。ツバキはまたいつ痛むかわからない心臓の辺りに手を置いた。
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