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救出 1

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 元兵士の一人が配膳台を転がす音が人気のない通路に響く。
 湿った地面にできた歪んだ凹みを車輪が通るたび、振動が手に伝わる。
 中庭を囲うように四角に建てられた城の地下には囚人部屋が四つ。そのうちの三つに、どこかの村から攫われた罪のない子どもたちが詰め込まれているなど、前の城主は想像できただろうか。

 食事は一日ニ回決まった時間に運ぶ。今は夕食の時間だった。汚れた明かり取りから濁った茜色が差している。
 
 いつこの仕事を抜け出そうかと元兵士は考えていた。副長官の企みが露見したようだし、先日軍がこの付近まで捜索に来ていた。
 さらには、いつウイディラがこの国を攻めてくるかも分からない。
 他国から連れてきた研究者と変な物体を作っていたが、金になるらしいから盗んでとんずらすべきかもしれない。

 重い車輪の音が止んだ。
 通路の壁には全身金ピカ甲冑が一体ずつ、重厚そうな鉄扉を睨むように直立していた。この見張りは授印の力で操られている。部屋の中が騒がしくても、脱走さえしなければ何の反応もない。兵士には襲ってこないと言われているが、顔が見えない兜が微動だにしないで立つ姿は不気味で、突然動き出すのではないかと毎回嫌な不安を感じる。

 元兵士は配膳台の車輪止めをして、扉を開けた。
 そして、自分の目を疑った。
 一部屋に五人の子どもたちがいたはずだった。おおよそ健康状態が悪く、逃げ出すことなどできそうにない子どもたちが。

 しかし三部屋すべて、もぬけの殻だった。




『全員運んだよ。リタ以外』

 ギジーの長い毛に隠れていた綿伝がカオウの言葉を発した。

 捕まったロナロ人たちを保護するのは簡単だった。
 カオウに地下の囚人部屋へ入ってもらい、安全な場所へ全員瞬間移動してもらったのだ。
 ただし、リタだけは役目で一階にいた。そこも、姿を消して城内を偵察するカオウの姿をトキツが能力で追ったので中の様子は把握できている。
 今は、消えた子どもたちの捜索のため、一階の警備が薄くなるのを待っていたところだ。東側にある物置に身を潜め、慌てて地下や北側の正面玄関へ向かっていく兵たちをやりすごす。

 ちなみに安全な場所がどこかというと。

「たぶん安全じゃないと思うぞ」
「あら、ロウなら保護してくれるわよ」
「子どもたちじゃなくて、強引に依頼した俺たちの身が危険だ」

 ロウのいる中央警察署だ。サクラの綿伝で連絡をとってもらった。
 本来、州で起こったことは州長官へ任せるべきだが、衰弱が激しく一刻を争う子がいたので、細かく説明しなくても察してくれる相手を選んだ。
 ロウなら何とかしてくれると丸投げと言えば丸投げなのだが。ロウの眉間の皺が深くなっているだろうなと遠い目をしつつ、どうかあまり怒られませんようにと二人は祈った。

 トキツは兵士が近くにいないことを能力で確かめてから、物置の扉を少しだけ開けた。物置は暗くて良く見えないが、長年蓄積された埃っぽい匂いがきつい。
 一階の南側は元々客室だったようで、同じ木製の扉が五つ並んでいるが、四部屋分改装して一つの大きな部屋になっていた。

「大部屋には大きな装置があって、赤い石が床に散らばっている。残った一部屋にいる女性がリタだろう。ベッドに寝かされているが意識はあるようだ。腕に管みたいなものが繋がっていて、そこに……血が通っている」

 トキツは説明しながら、うへえと顔をしかめた。血には慣れているが、管の中を通る血液なんて見たことがない。最初に血を武器に使おうと考えた人間の気が知れない。

「かなり顔色が悪いから早く助けた方がいいな」
「リタしかいない?」
「ああ。隣の大部屋には男が三人いる。白衣を着た男と、副長官の息子と、彼に似た男。息子が年取って髪が薄くなって眼鏡をかけたらああなりそうだから、間違いなく副長官だな」
「本当にエドワードも副長官もいるのね」
「だけど授印がいないな。さっきはいたのに。姿を消しているのか、本当にいないのか……」
『そいつらを能力で追ったら部屋が見えるから、二人とも姿を消しただけで部屋にいるぞ』

 副長官の授印は二足歩行する熊で、エドワードの授印は蜘蛛。五十センチの巨大なタランチュラだ。

 ふと、トキツは隙間から外の様子を窺っているツバキを見下ろした。物置は狭く、トキツはツバキのすぐ後ろにいる。密着する寸前の距離。

「ツバキちゃんって蜘蛛は平気? エドワードの授印、かなり大きいけど」
「始祖の森でよく遊んでいたから平気よ。服を作ってくれる蜘蛛がいるの」
「どれくらいの大きさ?」
「小さかったわよ。一メートルくらいだもの」
「心配してすみませんでした」

 しれっと言われてしまった。一メートルを超える蜘蛛を想像してしまい、ぶるっと震える。
 気を取り直してトキツは研究室の中を確認した。
 視点をずらす能力で姿を消されるのは避けたいので、先に副長官を捕まえて気絶させなければ。
 戦力は多い方がいいのに、カオウは子どもたちと一緒にロウのところへ行ったきり戻ってこない。ツバキと極力会わないようにしている。

<早く仲直りしてくれねえかなあ。やりづらいったらねえよ>
<まあまあ。呼んだら来てくれるんだし>

 そんなギジーのぼやきを思念では宥めつつ、心の中で同意する。カオウはツバキの思念には応えないが、トキツが綿伝で呼びかければ応じてくれた。二人の溝は大きく開いてしまっているが、至近距離にいるツバキをこのまま抱きしめたら怒って出てくるだろうかと、詮無い考えが一瞬よぎる。

「じゃあおさらいね。俺らが大部屋にいる副長官たちを捕まえてる間に、ツバキちゃんはすぐそこの部屋にいるリタを救出する。管は腕から一本だけ繋がってる。そのまま抜けばよさそうけど……うーん……あんまり想像したくないなあ」

 若い女性の腕から血がピューっと出てくるかもしれないと思うと、うへえとなる。

「とにかく、警備が薄い今のうちに終わらせよう」

 トキツはそっと物置の扉を開けた。
 廊下には誰もいない。
 と、トキツの目にはそう見えたが。

「ねえトキツさん。エドワードの蜘蛛って、橙色と黒色の縞々の脚?」
「そう。あれ、俺そんなことまで伝えたっけ?」
「そこの壁にいるのだけど……」
「は!?」

 トキツが慌てて廊下を見るがいない。いないが、ツバキには見えるということは。

 蜘蛛の白い糸が勢いよく飛び出してきた。咄嗟にトキツはツバキの頭を押さえて自身もしゃがむ。だがトキツの肩に乗っていたギジーの顔にべちょっとついてしまった。

『うわっ。ぺっぺっ! 気持ち悪い! 早く取って……って、なんだ!?』

 ギジーが長い爪を出して振り上げた。今にもトキツの顔をひっかこうと爪を向ける。

『手が勝手に動く! 助けてくれ!!』

 爪がトキツの顔を切り裂く寸前にトキツとツバキは物置からまろび出た。
 蜘蛛の糸に操られたギジーはなおも二人を殺そうと飛び掛かる。やむなくトキツはギジーの腹を蹴った。
 壁に激突するギジー。

『うう……いてえ……』
「すまん」
『おわ。まだ動く!』

 何かに引っ張られている感覚が消えないギジーは体を振ろうとするが、それさえもできなかった。勝手に立ち上がり、勝手にトキツたちに向かっていく。

「ツバキちゃん、蜘蛛はどこにいる? あいつを倒せば元に戻るだろ」
「探してるけど、もういないの!」

 一度糸をつけたらそばにいなくても操れるらしい。蜘蛛はすでに逃げてしまっていた。
 飛び掛かってきたギジーの手をなんとか掴んで床に倒したトキツは、彼の腹を膝で押さえて動きを封じた。しかしギジーは長い爪を動かしトキツの腕をひっかく。

「ギジー止まって!」

 ツバキが命じるとギジーの手がピタリと止まった。ほっとしたが、ギジーの顔は浮かない。

『まだ引っ張られてる気がする。いつまた動くかわかんねえぞ』

 蜘蛛の糸を取ろうと体を撫でるが全く取れた気がしない。

「やっぱり蜘蛛をなんとかしないとだめか」
「トキツさん、ギジーの頭についてるこの糸を切ってみたら?」
「どれ? 見えない」

 トキツには見えなかったが、ツバキの目には、ギジーの頭の天辺から糸が出ているように見えた。試しにその糸を引っ張ってみると簡単に切れる。

『おっ。取れた気がする』

 ギジーは引っ張られる感覚がなくなった頭をわしゃわしゃと嬉しそうにかく。

「蜘蛛より魔力が高ければ取れるってことだな」

 そうトキツが安堵したのも束の間、遠くからガシャン、ガシャン、という音が聞こえた。

「なんだ?」

 音に耳をすます。
 ガシャン ガシャン ガシャン ガシャン

「誰か歩いてくる?」

 音がする方角を能力で見てみると、全身金ピカ甲冑が綺麗に並んで行進していた。
 西日が甲冑に反射してウザいほど眩しい。

「三十体くらいこっちにくるな」
「ど、どうしよう。蜘蛛に止めるように命じてるけど効かないみたい」
「仕方ない。兵士が戻る前にひと暴れしてくるから、リタのところへ行って。本当に一人で大丈夫?」
「うん。いざとなったら、空間に入るから」

 トキツとギジーが金ピカ甲冑へ向かって駆け出すのを見送ってから、ツバキはリタのいる部屋へそっと侵入した。
 十畳ほどの部屋には中庭へ続くガラス戸があり、ベッドと、鉤のついた細長い棒状の台が置かれていた。鉤には赤い液体が入った袋が掛かっており、袋から伸びる管は女性の細く白い腕に繋がっていた。

「リタ?」
「……!」

 なるべく小さな声で呼び掛けながら口を塞いだ。彼女の体はベッドに拘束されている。

「助けに来たの。手を離すけど静かにしてね」

 こくりと頷いたのでそっと手を離した。リタの震える唇から小さな声が漏れる。

「あ、あなたは……誰?」
「私はツバキ。安心して。他の子はもう安全な場所にいるから」
「ほ……ほんとう?」
「うん」

 リタは二十代前半くらいの女性だった。顔色はかなり悪く、痩せ細り、元は鮮やかであっただろう紫の髪は細く艶がない。それを見たツバキの胸が痛む。

「この腕についている管はどうやって外すの?」
「その……ま…………拭…………て……」

 リタの息遣いは荒く、しゃべるのが辛そうだった。腕から流れる血の色は薄い。
 ツバキも女性なので血には耐性はあるが、あえて見たいものではない。体から血液が通る管が出ている光景は吐きそうになるほど気味の悪いことだった。
 
 ※抜針の様子は細かく書くと気持ち悪くなるかもしれないので省略

 なんとか管を体から取り外せたが、血を抜きすぎたリタは意識がなくなりかけている。

「……み……………ず………」
「お水?」

 ベッド横の小さな机にはコップがあったが、すでに空だった。底に数滴残っている程度。部屋には水道もない。中庭に井戸があったが、そこまで行く間に見つかってしまいそうだ。
 どうしようと困っていると、突然ギュウっと心臓が締め付けられた。水の精霊に脅されたときと同じ痛み。

(な……なぜ今……?)

”水に触れろ”

 苦痛に耐えていたツバキの頭の中に、水の精霊の声がした。

(水?)

 意味が分からないまま言われた通りコップを傾けて、落ちてきた水滴に触る。
 すると、水滴から水が生まれるように急増し、コップが満杯になった。そしてコップの底が暗闇に変わり、魚姿の精霊が現れる。

”飲ませろ”

 そう言って、コップの水が跳ねた。

「これ飲める?」

 ツバキはリタの体を起こした。かろうじてまだ意識があり、小さく開けたリタの口へゆっくり水を流す。少しこぼれたが、なんとか一口飲み込んだ。
 ゆっくりゆっくり繰返していくと、自らコップを掴みこくこくと飲み始めた。半分ほど飲んだところで、はあ、とリタが息をつく。

「大丈夫?」
「うん。ありがとう」

 先程とは別人のように顔色が良くなったリタを見て安堵するツバキ。
 リタはそんなツバキを不思議そうに見つめた。

「あなたもあの生き物が見えるの?」
「今だけね。リタを助けるために精霊から霊力を借りたの」
「私を助けるため? 霊力?」
「リタは霊力があるのよ。精霊が見えたでしょう」
「さっきの生き物のこと?」
「そう。リタだけじゃない。ロナロの人たちには皆霊力がある。何か聞いていない?」
「それは……」

 その時、中庭が騒然となった。ここからはよく見えないが、トキツたちが金ピカ甲冑と戦っている音がする。さらに城の兵士たちの声もした。いったい何人くらいを相手にしているのだろう。
 さすがにトキツとギジーだけでは無理かと心配したとき、カオウの気配を近くに感じた。
 加勢してくれたのは心強いが、カオウがあちらにいるなら、リタをロウの元へ連れていくのは難しい。
 そうなるとしばらく身を潜めておく必要があるが、こういう場合、敵に見つからないといいなと考えた矢先現実になるもので。

 ガラッと扉が開いた。

「なんだお前は!」

 大声で怒鳴ったのは、髪が薄く眼鏡をかけた男。エドワードが年を取ったような相貌。ツバキも何度か会ったことがある。

 まさしく副長官だった。
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