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別れ 1

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 リタをロウのいる中央警察署へ送ったカオウは、三階のバルコニーに胡坐をかき、欄干にもたれて中庭を見下ろしていた。長らく整備されていない庭は雑草や落ち葉が目立つ。
 背後にトキツの気配を感じ、チッと舌打ちした。
 姿を消しているのに、能力で居場所を当てられてしまう。

「カオウ、いるんだろ?いつまでそうやって隠れているつもりだ?」

 姿を現したカオウは、無言でトキツを睨む。

「何も言わずに去るつもりか。しかもこのタイミングで」

 今は、ケデウム州の軍が副長官たちを捕らえに来るのを待っているところだった。

「……早く離れた方がいいと言ったのはお前だろ」
「別に今じゃなくてもいいだろ」

 魔物の本気の睨みに威圧されつつも会話を続けるトキツから視線を外し、ため息交じりに立ち上がる。
 クラッと軽いめまいがした。
 海で魔力を放出してから、山にいた中級や上級魔物の魔力を片っ端から吸ったがまだ足りない。量もそうだが質が全然違う。どれだけ吸っても物足りなかった。

(あークソ。イライラする)

 ツバキとは朝会話したきりだ。
 それからは会うのも嫌だった。だが姿が見えないと心配でたまらなく、そんな自分に嫌気がさした。
 中庭の乱闘に混ざって憂さ晴らしをしても治まらない。
 ギジーと一緒にいるツバキの姿をつい視界に入れてしまって、またイライラが増す。

「あいつら捕まえる必要あるの?」

 カオウは廃人のようになってしまった副長官と珍妙な格好で気絶している息子を見下ろした。

「どうせ死刑になるんだから魔物に食わせればいいじゃん」
「お前まで怖いこと言うな」
「俺が食ってやろうか」
「またそういう冗談を。…………冗談だよな?」

 顔をひきつらせたトキツをカオウは真顔で一瞥した。魔物の姿になれば食べられないことはない。
 トキツは冗談だと信じることにして、今にも倒れそうなカオウを心配して尋ねる。

「顔色悪いけど大丈夫か?」
「ああ」
「ツバキちゃんから魔力もらったら?」
「いらない」
「今にも倒れそうなんだけど」
「いらない。会いたくない」
「いつまでも無視するわけにいかないだろ」

 カオウに恨みがましく睨まれたトキツは気まずそうに首の後ろをかいてから、腕を組んで苦渋の表情を浮かべた。何やら熟考し、悩みながら諦めたような深いため息を吐く。

「少し二人きりにしてやる」
「いらない」
「話す時間が必要だろ。呼んでくるから待ってろ。あ、でも変な気は起こすなよ」
「いらないって言ってるだろ!」

 怒鳴りつけてもトキツは無視して出ていき、しばらくして中庭に現れた。呼ばれたツバキがこちらを見上げたので咄嗟に部屋へ入る。

 この部屋は書斎になっていた。
 今も使っていたのか、机上にはほこりがなく書きかけの書類が広がっている。壁沿いの本棚には古びた本が並び、魔物の図鑑なんてものもあった。

 話せと言われてもカオウには何の考えもない。他の人を選んだのはツバキだ。そしてカオウはその答えを受け入れて、ツバキの元を去る決断をした。だが、リタを送ってそのままいなくなってもよかったはずなのに、いまだ未練たらしくこの場にいるのも事実だ。

 振り子時計の重い音がうるさくて、とにかくイライラした。

(今のうちに、行かないと)

 そう気が急くが、体はこの場に張り付いたように動かなかった。
 ツバキの気配が近づく。
 ドアをノックする音と、躊躇いがちに「カオウ?」と呼ぶ声。
 ドクンと大きく心臓が波打つ。振り子時計よりも早くなる心音。
 ゆっくりとドアが開き、そっとツバキが顔を出した。

「カオウ?いるの?」

 部屋は明かりをつけていなかった。
 中庭の明かりは部屋の中までは届かない。新月に近い夜空も暗い。
 夜目がきくカオウだけツバキが見えた。
 不安そうな顔で目を凝らしてカオウを探している。
 ツバキを近くで見て、また血が沸き立つような怒りと、魔力を吸いたいという渇望が全身を駆け巡った。

(だから会いたくなかったのに)






 トキツに呼ばれて三階の書斎のドアを開けたツバキは、緊張しながら暗闇の中に入った。

「カオウ?どこ?」

 気配はするのに反応がなく、不安になる。

「どこにいるの?」
「止まって」

 強い口調で言われ、転ばないように慎重に進めていた足を止める。声がした方を見るが、彼がどこにいるかわからなかった。

<ツバキはさ>

 頭の中にカオウの声が聞こえてドキリとする。

<本当はどうしたいの?>
<どうって?>
<……わかってるだろ、俺の言いたいこと>

 どう返答すべきか考えあぐね、押し黙る。
 振り子時計の規則正しい音がいちいち緊張感を高めた。

<婚約のことなら、したいと答えるわ>
<国のために?>
<うん>
<あんなに公務サボってたお前が、今更皇女面するわけ?>
<それでも、私は皇女だもの。サタールへ嫁ぐことが国のためになるのなら、喜んでいくわ>

 ジェラルドがツバキに期待していることの一つは、東の国との橋渡しだ。今もサタールを通じて少しは交流があるが、まだまだつながりは弱い。東の国に関する情報も少ない。そしてそれは相手も同じだ。バルカタル帝国がいきなり名乗り出ると周辺諸国を刺激し不要な警戒心を持たれる恐れがあるが、ツバキがサタールの王妃として間に入れば多少の緩衝材になるらしい。それが叶えば、魔力のいらない道具の輸入や製造がもっと容易にできるようになる。

 幼い頃に役職のない皇女だと早々に決まり何の期待もされていなかったからか、重要な役目を担うと知ったとき少し嬉しかったのは事実だ。

<だからカオウ。あなたの気持ちには応えられない>

 しんと静まる部屋。
 時計の重い音が静寂の秒数を刻む。
 近くにいるのに会えないのがもどかしい。
 いったいカオウはどこにいるのかと見回していると、突然後ろから抱きしめられた。

「俺と本当に離れられる?」

 耳元でささやかれ、ツバキの胸が抉られる。
 一日と離れていないのに、久々だと感じてしまう温もり。こみあげてきたものを必死に抑えて、頷く。
 カオウの腕に力が入った。

「じゃあツバキの魔力全部食っていいよな。……加減しないから」
「…………!!」

 カオウの左手がツバキの口を塞いだ。
 襟を力強く引っ張って破り、ツバキの右肩を出す。暗闇でも印は淡く金色に輝いていた。歯形は消えていたが、そこに触れたいと思わず舌打ちして印を消し、長い白銀色の髪を前に流す。

 ピリッと刺すような痛みがツバキのうなじに走った。

「制御すんなよ」

 返事を待たずカオウはツバキのうなじを噛んで魔力を吸った。思いっきり、好きなだけ。
 ツバキの口を塞いだまま、上衣の裾から右手を入れた。なめらかな柔肌にもう一つ印を刻み、溢れてきた金色のもやを手の平からも吸い取る。

「んんっ!」

 二か所から急激に魔力を吸われたツバキは、電流が走ったような感覚に全身を貫かれた。
 口と手の隙間からくぐもった息が漏れる。声を出す余裕がなく、ツバキは思念を送った。
 
<カオウやめて>
<やめるわけないだろ>

 制御したくても、うなじを這う舌と体を撫でる指先に意識が支配されていく。
 ツバキの荒い息と、吸いつく音と、時計の音が部屋に響く。
 
<……ツバキ…………>

 ぼうっとした頭の中までカオウの切ない声に占領された。
 ツバキは力が抜けて自力では立っていられなかった。
 抱きしめられた腕に寄りかかると、カオウはうなじから口を離してツバキの頭を体にもたれさせる。

 全身をカオウに預けたツバキはうっすら開けた目をカオウヘ向けた。暗闇に目は慣れてきたが、はっきりと顔は見えない。怒っているのか悲しんでいるのかその両方か。
 目を凝らそうとすると口を覆う手が顔を反対側へ向けた。

<ちゃんと言える?俺なんかいらないって。もう一緒にいたくないって>

 緊張を孕んだ問いかけが頭に響き、数秒呼吸が止まる。

 言えるわけがなかった。
 そんなこと思ったことなどない。
 
 それでも言わなければと思念を送ろうとした。

<カ、カオウなんていら…………>

 途中で言葉に詰まり、じわっと涙が溢れてきた。決心したはずなのにきっぱりと拒絶できない弱い心が情けない。

<嫌なら俺を選んで。そしたらどこへでも連れ去ってやる。ずっと一緒にいられる>

 ギュッとツバキの心臓が冷たく痛む。
 ずっとは無理だ。
 人と魔物は時間が違う。
 老いる早さも、寿命も、感覚も。

<む、無理だわ。人と魔物は一緒になれない>
<なれるよ>
<なれない。無理よ。無理なの>

 頑なにツバキは無理だと繰り返す。
 
<それなら言えるだろ。俺はもういらないって>
<どうして言わせるの>
<ツバキの本心が知りたい>
<もう言ったでしょ>
<言ってない>

 カオウはさらに印を耳の裏に刻んで魔力を舐めとり、ツバキの口を塞いでいた手で首筋や鎖骨をなぞる。両手で体をまさぐられ、ツバキの息が熱くなった。

<本当に俺と離れられる?……俺がいなくなっても平気?>

 気を失いかけている頭の中にカオウの優しい声が響く。呪文をかけられているようだった。本心を、本当の望みを、言ってしまいそうになる。

<やめて>
<それとも一緒にいたい?>
<……………言わないで>

 胸が張り裂けそうだった。
 きっとこれでお別れなのだ。
 もう二度とカオウはツバキの前に現れないだろう。
 その選択をしたのは自分なのに、早く離れるべきなのに、受け入れられない。
 これからカオウのいない人生を送る恐怖で体が震える。

 ツバキの目から涙がこぼれた。ぽろぽろ落ちて、カオウの手を濡らす。
 
<……………………だめ………一緒には……いられない>

 そう断言した瞬間、ガクッと体から全ての力が抜け、ツバキは深い眠りに落ちた。
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