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私が見てきた人形の中でも、とびきり高価で、綺麗で、軽々しく触れてはいけないような脆い人形。
不思議なことに、彼女の真っ白いドレスは少しも汚れていない。
地面はぬかるんでいるはずなのに。
ここは森の深部だから、絶対に服をどこかでひっかけるはずなのに。
昨日作ったばかりの私の服も、すでに傷や土、蜘蛛の巣がついてボロボロだ。
こんな人間は初めてだった。
より強い魔物を求める彼らはここへ来るまでにどこか必ずケガをしている。戦ったわけではなく、巨大な魔物の散歩に巻き込まれたり、くしゃみで飛ばされて谷の下へ落ちたりするから。
しかも、彼女の周りには下級から中級の様々な魔物がいた。はべっていると言っても良い。
よくよく見ると、彼女が座っていたのは倒木ではなく熊の魔物だった。彼女を背に座らせて恍惚とした表情をしている。
そして火の魔法を使う蜥蜴たちが彼女の足元を温め、嘴の大きな鳥の魔物が木の実をせっせと彼女へ運んでいた。
……人の上に立つために生まれてきたような女性だ。
思わず跪いてしまった。
この人と契約したい、心からそう思った。
でも。
だけど。
この人に拒絶されたら、私は立ち直れないかもしれない。
またうじうじくよくよしていたら、ピュイ、と鳥の鳴き声が聞こえた。
はっと顔を上げると、彼女がじっとこちらを見ていた。
「人の子か?」
ドキリ、と心臓が止まる。
念のため姿を消していたのに、彼女には私が見えている。
「面白いの。こちらにおいで」
面白いと言う割に、彼女には表情がなかった。本物の陶器人形のようだ。
「どうかしたか?」
無表情で首をかしげている。ちょっと怖い。でも、近寄りたい。
おずおずと私は彼女の足元へ跪いた。
「なぜそこへ座る?隣に座れ」
彼女は私の手を取って立たせてくれた。少しむっとする熊の背に座る。
「そなたは魔物だな?なぜ森の中で転化しておる。その服はどうした」
「この姿の方が、落ち着くの。服は蜘蛛に編んでもらって、私は花を縫い込んだ」
彼女の服と比べると恐ろしく貧相で汚く、服と言うのも憚られるほど破れている。見つめられて急に恥ずかしくなった。
「素晴らしい」
「本当?」
「ああ。色選びが良い」
表情も抑揚もないので、本当に誉めているのかお世辞なのかわからない。でも否定されなくてうれしかった。
「して、お前は何の魔物だ?」
一瞬にして気が沈む。
どうしよう。契約したいのなら、言わなければならない。でも、自信がない。
「言いたくないのか?」
「……私は、他の仲間と違うから」
「何が?」
「色が。黒いのは、私しかいないから」
「言うてみよ。悪くは言わぬ」
こわごわ彼女の目を見つめる。綺麗な青色。どうせ言うのだからと心を決める。
彼女から顔を逸らして、目をギュッと瞑った。
「……金華魚」
「そうか」
しれっと返されて、拍子抜けする。
「……気味悪く、ないの?」
「なぜじゃ?」
「普通の金華魚は赤と白と金でしょ? 黒い私は、皆から気持ち悪い、醜いって言われてる」
「……」
彼女は何も言わない。
ただ私の黒い髪をまじまじと見ている。
気持ち悪いと顔を歪められたらどうしようと心配したけれど、相変わらず無表情で何を考えているのかわからない。
「そなたは、どう思うておる。自分を醜いと思うのか」
「だって、黒いもの」
「黒いとなぜ醜い」
「え?」
そんなこと考えたことなかった。
皆の言葉が私の判断基準だったから。
皆が醜いというなら、私は醜いのだと思っていた。
「黒い金華魚しかおらぬ森もある」
「そう……なの?」
「模様があるのも、ないのもおる。
もし黒い金華魚の群れにおれば、赤が異質じゃ。
それに、他国の森ではもっとたくさんの色をした金華魚がいるという。
そしたら赤だろうが黒だろうが誰も気にせぬ。
他が勝手に評した美醜にわざわざ自分を当てはめるでない」
淡々とした口調は、励ましているようでもあり、視野が狭いと責めているようでもあった。
「でも、仲間に醜いなんて言われたくない」
「わがままだのう」
グサリと心に刺さる。
「そりゃあ、あなたは人間でいえばとても美しいもの。私の気持ちなんてわからないわ」
歯を食いしばる。卑屈だってわかっているけれど、言わずにはいられなかった。
すると彼女は少し身じろぎし、両手で私の頬を覆い、自分の顔へ向けた。
私の目は正面から彼女を捉える。色白で、しわ一つない肌。本当に人形のようだ。
「……わたくしは、笑えぬ」
私はきょとんと彼女を見つめた。彼女の顔からは何の感情も読み取れない。
「楽しくても悲しくても怒っていても、表情と声音が少しも変わらぬのだ」
「……病気、なの?」
「わからぬ。人と違うことが病と呼ぶなら、病なのかもしれぬ。
周りにも、もっと笑えと言われた。
何を考えているかわからないから怖いとも。
表情の豊かな人を見ればうらやましいと思うたし、無理に変えようと思うたこともあった」
またも淡々と語る彼女は今も悲しんでいるようにも感じるし、過去のことだと吹っ切れているようにも感じられた。
「しかし、無理に笑おうとしてできず苦しんでいたとき、私の友人が言うてくれたのじゃ。
”僕は君が楽しいかわからないから不安なだけだ。
笑わないなら楽しいか言ってくれればいい。
言うのが恥ずかしいなら手を握ってくれればいい。
僕はそれを君の笑顔と思うから”と。
わたくしはそれから無理に自分を変えようと思わなくなった。
これがわたくしだから、どうしようもないのじゃ。
他のみんなに理解されなくても、一人の愛しい人に理解してもらえればわたくしはそれでよいと思うことにした」
「で、でも、親にも気持ち悪いと言われるのは辛いわ」
「でもでもだってちゃん、じゃのう」
「!?」
無表情で変な単語を言われてびっくりする。相変わらず無表情だったけど、少し笑われたような気がした。
「大事な人から拒絶されたら、確かに辛いのう。
話をしてわかってもらえなければ、それはもうどうしようない。
辛いけれど受け入れなければならぬときもあろう。
それなら他の大事な人を探せばよい。
世界は広い。いろんな考えの人がおるぞ」
「でもそうして誰からも好かれなかったら?」
「そうはならぬ。わたくしはもうお前が好きじゃ」
驚いて目が見開く。初めて好きと言われた。嬉しくて心臓がぴくんと跳ねた。
「さっきから、うじうじしてるのに?」
「一つ嫌なところがあれば全て嫌いにならねばならぬのか?違うであろう?
そなたは、うじうじしていても初いところがある。
だからそなたは一人にはならぬよ」
はらはらと涙がこぼれた。人に受け入れられることがこんなに嬉しいなんて。
彼女は私の頬から手を離し、私の手を握る。
「わたくしは契約してくれる魔物を探しておる。そなたはどうしたい?」
こんなに、夢のような話があっていいのだろうか。
あれほど望んだことが、実現しようとしている。
そのとき、ぞくりと背筋に寒気が走った。
気づけば周囲が殺気だっている。彼女と契約しようとしていた魔物たちが私をにらんでいた。
他にも、金華魚が……私を醜いと言った仲間や、一緒に服を作ってくれた蜘蛛がいた。彼らが今、何を考えているかなんてわからない。私には無理だとバカにされているかもしれないし、どうせすぐに嫌われると嘲笑っているのかもしれない。
すごく怖かった。
だけど。
この人は、私を好きと言ってくれたから。
何も言われていないのに、勝手に他人の気持ちを想像して自信を無くす必要なんてない。
他人の考えに、私の気持ちを合わせてはいけない。
今一番大切なのは、私がどうしたいかだ。
私は彼女の手を取ったまま立ち上がる。
「私、あなたと一緒にいたい」
「承知した」
彼女は私の手をギュッと握ってくれた。
不思議なことに、彼女の真っ白いドレスは少しも汚れていない。
地面はぬかるんでいるはずなのに。
ここは森の深部だから、絶対に服をどこかでひっかけるはずなのに。
昨日作ったばかりの私の服も、すでに傷や土、蜘蛛の巣がついてボロボロだ。
こんな人間は初めてだった。
より強い魔物を求める彼らはここへ来るまでにどこか必ずケガをしている。戦ったわけではなく、巨大な魔物の散歩に巻き込まれたり、くしゃみで飛ばされて谷の下へ落ちたりするから。
しかも、彼女の周りには下級から中級の様々な魔物がいた。はべっていると言っても良い。
よくよく見ると、彼女が座っていたのは倒木ではなく熊の魔物だった。彼女を背に座らせて恍惚とした表情をしている。
そして火の魔法を使う蜥蜴たちが彼女の足元を温め、嘴の大きな鳥の魔物が木の実をせっせと彼女へ運んでいた。
……人の上に立つために生まれてきたような女性だ。
思わず跪いてしまった。
この人と契約したい、心からそう思った。
でも。
だけど。
この人に拒絶されたら、私は立ち直れないかもしれない。
またうじうじくよくよしていたら、ピュイ、と鳥の鳴き声が聞こえた。
はっと顔を上げると、彼女がじっとこちらを見ていた。
「人の子か?」
ドキリ、と心臓が止まる。
念のため姿を消していたのに、彼女には私が見えている。
「面白いの。こちらにおいで」
面白いと言う割に、彼女には表情がなかった。本物の陶器人形のようだ。
「どうかしたか?」
無表情で首をかしげている。ちょっと怖い。でも、近寄りたい。
おずおずと私は彼女の足元へ跪いた。
「なぜそこへ座る?隣に座れ」
彼女は私の手を取って立たせてくれた。少しむっとする熊の背に座る。
「そなたは魔物だな?なぜ森の中で転化しておる。その服はどうした」
「この姿の方が、落ち着くの。服は蜘蛛に編んでもらって、私は花を縫い込んだ」
彼女の服と比べると恐ろしく貧相で汚く、服と言うのも憚られるほど破れている。見つめられて急に恥ずかしくなった。
「素晴らしい」
「本当?」
「ああ。色選びが良い」
表情も抑揚もないので、本当に誉めているのかお世辞なのかわからない。でも否定されなくてうれしかった。
「して、お前は何の魔物だ?」
一瞬にして気が沈む。
どうしよう。契約したいのなら、言わなければならない。でも、自信がない。
「言いたくないのか?」
「……私は、他の仲間と違うから」
「何が?」
「色が。黒いのは、私しかいないから」
「言うてみよ。悪くは言わぬ」
こわごわ彼女の目を見つめる。綺麗な青色。どうせ言うのだからと心を決める。
彼女から顔を逸らして、目をギュッと瞑った。
「……金華魚」
「そうか」
しれっと返されて、拍子抜けする。
「……気味悪く、ないの?」
「なぜじゃ?」
「普通の金華魚は赤と白と金でしょ? 黒い私は、皆から気持ち悪い、醜いって言われてる」
「……」
彼女は何も言わない。
ただ私の黒い髪をまじまじと見ている。
気持ち悪いと顔を歪められたらどうしようと心配したけれど、相変わらず無表情で何を考えているのかわからない。
「そなたは、どう思うておる。自分を醜いと思うのか」
「だって、黒いもの」
「黒いとなぜ醜い」
「え?」
そんなこと考えたことなかった。
皆の言葉が私の判断基準だったから。
皆が醜いというなら、私は醜いのだと思っていた。
「黒い金華魚しかおらぬ森もある」
「そう……なの?」
「模様があるのも、ないのもおる。
もし黒い金華魚の群れにおれば、赤が異質じゃ。
それに、他国の森ではもっとたくさんの色をした金華魚がいるという。
そしたら赤だろうが黒だろうが誰も気にせぬ。
他が勝手に評した美醜にわざわざ自分を当てはめるでない」
淡々とした口調は、励ましているようでもあり、視野が狭いと責めているようでもあった。
「でも、仲間に醜いなんて言われたくない」
「わがままだのう」
グサリと心に刺さる。
「そりゃあ、あなたは人間でいえばとても美しいもの。私の気持ちなんてわからないわ」
歯を食いしばる。卑屈だってわかっているけれど、言わずにはいられなかった。
すると彼女は少し身じろぎし、両手で私の頬を覆い、自分の顔へ向けた。
私の目は正面から彼女を捉える。色白で、しわ一つない肌。本当に人形のようだ。
「……わたくしは、笑えぬ」
私はきょとんと彼女を見つめた。彼女の顔からは何の感情も読み取れない。
「楽しくても悲しくても怒っていても、表情と声音が少しも変わらぬのだ」
「……病気、なの?」
「わからぬ。人と違うことが病と呼ぶなら、病なのかもしれぬ。
周りにも、もっと笑えと言われた。
何を考えているかわからないから怖いとも。
表情の豊かな人を見ればうらやましいと思うたし、無理に変えようと思うたこともあった」
またも淡々と語る彼女は今も悲しんでいるようにも感じるし、過去のことだと吹っ切れているようにも感じられた。
「しかし、無理に笑おうとしてできず苦しんでいたとき、私の友人が言うてくれたのじゃ。
”僕は君が楽しいかわからないから不安なだけだ。
笑わないなら楽しいか言ってくれればいい。
言うのが恥ずかしいなら手を握ってくれればいい。
僕はそれを君の笑顔と思うから”と。
わたくしはそれから無理に自分を変えようと思わなくなった。
これがわたくしだから、どうしようもないのじゃ。
他のみんなに理解されなくても、一人の愛しい人に理解してもらえればわたくしはそれでよいと思うことにした」
「で、でも、親にも気持ち悪いと言われるのは辛いわ」
「でもでもだってちゃん、じゃのう」
「!?」
無表情で変な単語を言われてびっくりする。相変わらず無表情だったけど、少し笑われたような気がした。
「大事な人から拒絶されたら、確かに辛いのう。
話をしてわかってもらえなければ、それはもうどうしようない。
辛いけれど受け入れなければならぬときもあろう。
それなら他の大事な人を探せばよい。
世界は広い。いろんな考えの人がおるぞ」
「でもそうして誰からも好かれなかったら?」
「そうはならぬ。わたくしはもうお前が好きじゃ」
驚いて目が見開く。初めて好きと言われた。嬉しくて心臓がぴくんと跳ねた。
「さっきから、うじうじしてるのに?」
「一つ嫌なところがあれば全て嫌いにならねばならぬのか?違うであろう?
そなたは、うじうじしていても初いところがある。
だからそなたは一人にはならぬよ」
はらはらと涙がこぼれた。人に受け入れられることがこんなに嬉しいなんて。
彼女は私の頬から手を離し、私の手を握る。
「わたくしは契約してくれる魔物を探しておる。そなたはどうしたい?」
こんなに、夢のような話があっていいのだろうか。
あれほど望んだことが、実現しようとしている。
そのとき、ぞくりと背筋に寒気が走った。
気づけば周囲が殺気だっている。彼女と契約しようとしていた魔物たちが私をにらんでいた。
他にも、金華魚が……私を醜いと言った仲間や、一緒に服を作ってくれた蜘蛛がいた。彼らが今、何を考えているかなんてわからない。私には無理だとバカにされているかもしれないし、どうせすぐに嫌われると嘲笑っているのかもしれない。
すごく怖かった。
だけど。
この人は、私を好きと言ってくれたから。
何も言われていないのに、勝手に他人の気持ちを想像して自信を無くす必要なんてない。
他人の考えに、私の気持ちを合わせてはいけない。
今一番大切なのは、私がどうしたいかだ。
私は彼女の手を取ったまま立ち上がる。
「私、あなたと一緒にいたい」
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