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明日香お嬢様の楽しい日常

063:天へと昇る

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「アレって何よ?」
「とぼけるな、視える・・・んだろう。アレが」

 その言葉で浮ついた気持ちが霧散むさんする。
 知っていた。視えていた。だけど知らないふりをしたかった。
 でも現実はそうじゃない。
 だって私達……いえ、私だけを見つめて・・・・・・・・いるのだから。

 ジっと私を見ているのは、全身が透けて見える髪の長い女。
 それが鴨川の中程からコチラをジッと見つめている。
 思わず背筋が震え、同時に口を固く閉じてしまう。 

「…………」
「やっぱりな。チッ、来るぞ。俺から離れるな」

 その言葉に「え!?」と呟くのがやっとだったけれど、変態さんは構わずに走る。
 と、同時に透けている女も水中から抜け出ると、私をめがけて飛んできた。

 灰色に濁った瞳を私の視線へと合わせ、『あ゛あ゛あ゛光りがほしい』と割れた爪を前に出しながら迫る。
 また体が固くなり、動くことも出来ずにそれを見ていた瞬間、変態さんが間へと割り込む

 するとまるでアニメで見た陰陽師のような真似をして、左手で印をきりながら、右手に何かの白い札を持つ。
 
「残念だがアンタの光りはここにはねぇよ……天葬てんそう術式じゅつしき起動きどうういノ春」

 そう言うと変態さんは白い札を女の額へと押し付けた。
 瞬間『ぎぃぃぃぃつ!!』と、壊れた弦楽器のような声で叫ぶ。
 ビクリと全身が痙攣けいれんした後、よどんだ透明な体が崩れ去る。

 そして崩れ去った体から、白く半透明な人の形をしたものが抜け出し、そのまま天へと昇っていく。
 先ほどとは違い、その声穏やかに「ありがとう……」と一言告げると、女は空へと溶け込んでしまった。

 あまりの事実に呆然としていると、変態さんが振り向きながら口を開く。

「水辺ってのは、色々と引き寄せやすい。特に自殺したヤツは喉が渇くんだろう。よく集まってくる」
「自殺……じゃあ、あれはまさか」
「そうだ。あれは幽霊ってヤツだな」

 幽霊って嘘でしょ。いえ、でも今実際に見たし声も聞こえた。
 私はいったいどうなっちゃったの? だって昨日までは――。

「――ここまでは視えなかったのに」

 泣きそうな声でうつむき、続きが口からこぼれてしまう。
 それを見た変態さんは近寄ってくるのが分かる。
 砂を踏みしめ一歩、草を踏みしめ一歩。
 最後に彼の両足が見えたと同時に、頭が暖かくなった。

 その感触で変態さんの手が、頭の上に乗っている事に気が付き少し視線を上げる。

「心配すんなよ、俺がいる」
「変態さん……」
「ここまで事態が進んでいるんじゃ仕方ねぇか」

 そう言いながら私の頭を二度ポンポンとなで、背後にあるベンチへと彼は座る。
 だからなんとなく隣に座ってみたんだけど、今更ながら恥ずかしい。
 複雑な気持ちと、今出会った怪異に混乱していると、変態さんは「やれやれだな……」とため息をはきつつ前を向いたまま話す。

「昨日はああ言ったけどな、どうやらお嬢様とは離れられそうにねぇ」
「それはなぜ……いえ、分かっている。さっきの幽霊が原因でしょ?」

 と私が言った後に、背後から聞き慣れた声で「そうでございますね」と声がした。

「善次? どうしてここが分かったのよ」
「それは御館様の式神に教えていただきましたからね」

 善次の右上に浮く人の形をした紙。それの首がウンウンと頷くと、そのまま消えてしまう。
 またも不思議な現象に驚いていると、善次は小脇に抱えていた折りたたみ式のテーブルを広げ、そこに先程の喫茶店から購入したコーヒーが入った包を石の上に置く。

 本当に執事として完璧にこなす姿に感心していると、テーブルクロスを〝ふぁさり〟と掛けながら苦言がはじまる。

「御館様が居たからよかったですが、もし居なかったらどうなっていたか……もうおわかりですね?」
「ええ……あの幽霊に何かをされていたのは分かるわ」
「そうです。ですので、これから御館様がおっしゃる事をよく聞き、決してやぶらぬように。いいですね?」

 コトリと善次は袋から出したコーヒーをテーブルへと置きながら、悪魔めいた瞳でジット見つめ話す。
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