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まだまだ知らないことばかり
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この日、ナタンたちは何度目かの「帝都跡」探索に出ていた。
リリエも野外生活に慣れてきたということで、今回は未踏破区域の近くにある遺跡を目指している。
「帝都跡入口」付近に比べれば訪れる者も少ない区域であり、ところどころに生い茂った藪を切り拓くようにして、一行は進んでいた。
「未踏破区域に近いところでは『化け物』に遭うことが多いと聞いていましたが、静かなものですね」
セレスティアが、周囲を見回しながら言った。
「せっかく報酬を前金でもらったのに、ここまで何もないと、ちょっと申し訳ない感じもするな」
そう言って人懐こく笑った若い男は、今回の探索で加わった発掘人のラカニだ。
南方の血を思わせる薄い褐色の肌に短く刈った黒髪と鳶色の目を持つ彼は、無法の街に一年以上滞在しており、『帝都跡』探索の経験も、それなりに積んでいるという。
その精悍な体つきや身のこなしなどから、ラカニの剣技は実戦で鍛えられたものだと、ナタンにも分かった。
「何もないのが一番いいんじゃないかな」
ナタンが言うと、一同に笑いが生まれた。
「護衛を雇うのは、安全の他に安心を買うという側面もある。そうだろう、リリエ」
フェリクスの言葉に、リリエが頷いた。
「そうですね……それに、ラカニさんがいるから、今回は未踏破区域の近くまで行くことにした訳ですし」
「今じゃ、発掘人って言うより護衛業のほうが本職みたいになっちまってるからね……だが、前の依頼人が報酬を払わず逃げて途方に暮れてたから、雇ってもらえたのは、ありがたいよ」
言って、ラカニは頭を掻いた。
「ほんと、タダ働きさせるなんて、ひどい奴もいるよね」
ナタンは言いながら、自分も無法の街に来たばかりの時、両替をしてやると言われて所持金と引き換えに殆ど価値のない貨幣を渡されたり、報酬をもらう約束で力仕事をしたにもかかわらず依頼者に逃げられたことを思い出した。
フェリクスたちに会ったのは幸運だったのだと、彼は改めて思った。
「俺たちみたいな、現地で個々に仕事を受ける者は、いわば個人事業者だからな。自分の目で相手を見極める必要がある訳だが、今回は失敗したってことさ」
ラカニが、苦笑いしながら言った。
「護衛すると依頼人を騙して『帝都跡』に置き去りにする奴もいるし、よく知らない相手と仕事をするのは難しいんだなぁ……やっぱり、職業安定所みたいな仲介業者がいるといいかもしれないね」
「ナタンさん……そういう事業を始めるなら、協力します……よ? お金を出すくらいしか、できませんけど……」
リリエの思わぬ言葉に、ナタンはたじろいだ。
「いや……俺は、まだ世間を分かってないし、何か始めるのは早いと思うんだ。それに、そうでなくとも、何でも君に頼る訳にいかないよ」
「分かってないなぁ」
ラカニが唇の端を吊り上げながら、ナタンの脇腹を肘で突いた。
「惚れた男の為に何かしてやりたいって女心じゃないか。これだから坊やは……」
「ほ、惚れたって……?!」
ナタンは思わず、文字通り飛び上がった。
「そ、そういうことは軽々しく言うものじゃないと……リリエだって、迷惑するし……」
「め、迷惑では……ない……です。あ、でも、ナタンさんは、ご迷惑……ですよ、ね?」
顔を赤らめて言うリリエを見たナタンは、心臓が口から飛び出しそうになった。
「お……俺は、迷惑とか……そんなこと全然ないから!」
しどろもどろになっているナタンに、ラカニが、あははと笑って言った。
「悪ィ、もしかして、まだ付き合ってなかったのか? まぁ、でも、見た感じ時間の問題みたいだし、いいか」
「いいか、じゃないだろ~? もう、フェリクスたちも、何とか言ってやってくれよ」
ナタンは赤面しながらフェリクスとセレスティアに助けを求めたが、二人は、微笑ましいとでも言いたげに、にこにこと笑っているだけだ。
――それにしても。
熱くなった頬に指先で触れたナタンは、ちらりとリリエを見た。
――たしかに、俺はリリエの傍にいるだけで幸せな気持ちになる。ずっと、このままでいられれば良いとすら思ってる。でも、今の俺には何もない……自分の面倒も見られないのに、彼女を幸せにはできない……早く一人前にならなければ。
と、ナタンの視線に気付いたのか、彼のほうに顔を向けたリリエが、口元を綻ばせた。
瓶底眼鏡の奥に隠された彼女の笑顔を想像して、ナタンも無意識に微笑んでいた。
「……でもさ、仮に、ナタンが言うような仲介業者を立ち上げるとすれば、『街の奥』の連中とぶつかる可能性もあるかもな」
不意に、ラカニが真面目な顔で言った。
「『街の奥』……って、明るいところを歩けなくなった連中ってやつ?」
この街は、どこの国の管理も受けてないから、明るいところを歩けなくなった連中の吹き溜まりでもある――ナタンは、「躍る子熊亭」のカヤが言っていたことを思い出した。
「無法の街でも、『表通り』に近いところは比較的他の国の街と変わらないかもしれないけど、『街の奥』にはヤバい連中が巣食っていて、ヤバい仕事を請け負ってるって噂だ。さっき言ってたみたいな仲介業を大っぴらにやるとすれば、依頼の食い合いが起きて面倒なことになる可能性もある。あくまで推測だが、個人的には、触らぬ神に祟りなしってことで関わりたくない場所だな」
言って、ラカニは肩を竦めた。
「何でも、簡単にはいかないものだね……」
ナタンが首を捻った時、一行の前方から、何か大きなものが移動しているかのような葉擦れの音が聞こえてきた。
リリエも野外生活に慣れてきたということで、今回は未踏破区域の近くにある遺跡を目指している。
「帝都跡入口」付近に比べれば訪れる者も少ない区域であり、ところどころに生い茂った藪を切り拓くようにして、一行は進んでいた。
「未踏破区域に近いところでは『化け物』に遭うことが多いと聞いていましたが、静かなものですね」
セレスティアが、周囲を見回しながら言った。
「せっかく報酬を前金でもらったのに、ここまで何もないと、ちょっと申し訳ない感じもするな」
そう言って人懐こく笑った若い男は、今回の探索で加わった発掘人のラカニだ。
南方の血を思わせる薄い褐色の肌に短く刈った黒髪と鳶色の目を持つ彼は、無法の街に一年以上滞在しており、『帝都跡』探索の経験も、それなりに積んでいるという。
その精悍な体つきや身のこなしなどから、ラカニの剣技は実戦で鍛えられたものだと、ナタンにも分かった。
「何もないのが一番いいんじゃないかな」
ナタンが言うと、一同に笑いが生まれた。
「護衛を雇うのは、安全の他に安心を買うという側面もある。そうだろう、リリエ」
フェリクスの言葉に、リリエが頷いた。
「そうですね……それに、ラカニさんがいるから、今回は未踏破区域の近くまで行くことにした訳ですし」
「今じゃ、発掘人って言うより護衛業のほうが本職みたいになっちまってるからね……だが、前の依頼人が報酬を払わず逃げて途方に暮れてたから、雇ってもらえたのは、ありがたいよ」
言って、ラカニは頭を掻いた。
「ほんと、タダ働きさせるなんて、ひどい奴もいるよね」
ナタンは言いながら、自分も無法の街に来たばかりの時、両替をしてやると言われて所持金と引き換えに殆ど価値のない貨幣を渡されたり、報酬をもらう約束で力仕事をしたにもかかわらず依頼者に逃げられたことを思い出した。
フェリクスたちに会ったのは幸運だったのだと、彼は改めて思った。
「俺たちみたいな、現地で個々に仕事を受ける者は、いわば個人事業者だからな。自分の目で相手を見極める必要がある訳だが、今回は失敗したってことさ」
ラカニが、苦笑いしながら言った。
「護衛すると依頼人を騙して『帝都跡』に置き去りにする奴もいるし、よく知らない相手と仕事をするのは難しいんだなぁ……やっぱり、職業安定所みたいな仲介業者がいるといいかもしれないね」
「ナタンさん……そういう事業を始めるなら、協力します……よ? お金を出すくらいしか、できませんけど……」
リリエの思わぬ言葉に、ナタンはたじろいだ。
「いや……俺は、まだ世間を分かってないし、何か始めるのは早いと思うんだ。それに、そうでなくとも、何でも君に頼る訳にいかないよ」
「分かってないなぁ」
ラカニが唇の端を吊り上げながら、ナタンの脇腹を肘で突いた。
「惚れた男の為に何かしてやりたいって女心じゃないか。これだから坊やは……」
「ほ、惚れたって……?!」
ナタンは思わず、文字通り飛び上がった。
「そ、そういうことは軽々しく言うものじゃないと……リリエだって、迷惑するし……」
「め、迷惑では……ない……です。あ、でも、ナタンさんは、ご迷惑……ですよ、ね?」
顔を赤らめて言うリリエを見たナタンは、心臓が口から飛び出しそうになった。
「お……俺は、迷惑とか……そんなこと全然ないから!」
しどろもどろになっているナタンに、ラカニが、あははと笑って言った。
「悪ィ、もしかして、まだ付き合ってなかったのか? まぁ、でも、見た感じ時間の問題みたいだし、いいか」
「いいか、じゃないだろ~? もう、フェリクスたちも、何とか言ってやってくれよ」
ナタンは赤面しながらフェリクスとセレスティアに助けを求めたが、二人は、微笑ましいとでも言いたげに、にこにこと笑っているだけだ。
――それにしても。
熱くなった頬に指先で触れたナタンは、ちらりとリリエを見た。
――たしかに、俺はリリエの傍にいるだけで幸せな気持ちになる。ずっと、このままでいられれば良いとすら思ってる。でも、今の俺には何もない……自分の面倒も見られないのに、彼女を幸せにはできない……早く一人前にならなければ。
と、ナタンの視線に気付いたのか、彼のほうに顔を向けたリリエが、口元を綻ばせた。
瓶底眼鏡の奥に隠された彼女の笑顔を想像して、ナタンも無意識に微笑んでいた。
「……でもさ、仮に、ナタンが言うような仲介業者を立ち上げるとすれば、『街の奥』の連中とぶつかる可能性もあるかもな」
不意に、ラカニが真面目な顔で言った。
「『街の奥』……って、明るいところを歩けなくなった連中ってやつ?」
この街は、どこの国の管理も受けてないから、明るいところを歩けなくなった連中の吹き溜まりでもある――ナタンは、「躍る子熊亭」のカヤが言っていたことを思い出した。
「無法の街でも、『表通り』に近いところは比較的他の国の街と変わらないかもしれないけど、『街の奥』にはヤバい連中が巣食っていて、ヤバい仕事を請け負ってるって噂だ。さっき言ってたみたいな仲介業を大っぴらにやるとすれば、依頼の食い合いが起きて面倒なことになる可能性もある。あくまで推測だが、個人的には、触らぬ神に祟りなしってことで関わりたくない場所だな」
言って、ラカニは肩を竦めた。
「何でも、簡単にはいかないものだね……」
ナタンが首を捻った時、一行の前方から、何か大きなものが移動しているかのような葉擦れの音が聞こえてきた。
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