アストルムクロニカ-箱庭幻想譚-(挿し絵有り)

くまのこ

文字の大きさ
11 / 116

濡れ衣

しおりを挟む
 フェリクスがマルムの申し出を断ってから、彼女が訪ねてくることはなくなった。
 数週間が過ぎ、平穏が戻ってきたと思われた、ある日。
 いつものように、フェリクスはモンスとシルワ夫婦と共に夕食を済ませた後、くつろぎのひと時を過ごしていた。
 突然、玄関の戸を激しく叩く音が響いた。
「何かあったのかな」 
 モンスが扉を開けると、そこに立っていたのは険しい顔をした五十がらみの大柄な男――村長だった。
「フェリクスは、いるか」
 強い怒気をはらんだ声で、村長が尋ねた。
「いますが……一体どうしたんです?」
 驚きながらも、そう答えたモンスを押しのけて、村長は、フェリクスのほうへ足早に歩いてきた。
 フェリクスは、思わず座っていた椅子から腰を浮かしかけた。
 村長は、彼の前に立つと、胸倉を掴んだ。その手は、怒りの為か、小刻みに震えている。
「よくも娘を傷ものにしてくれたな!貴様のような余所者を村に置いてやっていたというのに、恩を仇で返すのか!」
 何を言われているのか、フェリクスは理解できなかった。
 初めて浴びせられた、強烈な負の感情に、彼は身をすくませた。
「娘は、腹に子がいると……相手は、貴様だと言っている!」
 激昂する村長の顔を見ながら、フェリクスは必死に脳内で状況を整理した。
「つまり村長は、俺がマルムと生殖行為を行ったと言っているのか。そうだとすれば、それは絶対にない」
「娘が、嘘をついていると言うのか?! 貴様は、娘と頻繁に会っていたそうじゃないか!」
「村長さん、この子が、そんなことする訳ありません、何かの間違いです」
 シルワが、村長の腕に縋って言った。
「お嬢さんが身籠っていると、お医者が、そう言ったんですか?」
 モンスが、冷静な口調で問いかけると、村長は、フェリクスの胸倉を掴んでいた手を乱暴に離した。
「医者には、まだ見せていないが……娘が、嘘をつく理由もない。モンスもシルワも、この男を変に庇い立てすれば、村に居づらくなるかもしれんぞ」
 捨て台詞と共に、村長は去って行った。
「フェリクス、本当に、村長のお嬢さんとは何もなかったんでしょう?」
 シルワが、両手でフェリクスの手を握って言った。
「……何度か会って話したことはあるが、村長の言うようなことはなかった。ただ……」
「ただ?」
「少し前に、マルムから『一緒になって欲しい』と言われた。でも、俺は、はっきりと断ったんだ」
 フェリクスの言葉を聞いて、モンスとシルワは溜息をいた。
「逆恨みかもしれんな……」
 モンスが呟いた。
「逆恨みとは?」
「あなたが間違ったことをした訳ではないけれど、お嬢さんは、あなたに振られて悲しかった気持ちを、どこかにぶつけたかったんだね……でも、ひど過ぎるよ」
 フェリクスの手をさすりながら、シルワが言った。
「大丈夫、わしらは、お前さんを信じているよ」
 モンスも言って、フェリクスの背中に手を当てた。
 二人を見ていたフェリクスは、胸が痛くなり、目の奥が熱くなるのを感じた。
「可哀想に……あなたみたいな、いい子が、どうしてこんな……」
 涙を流しているフェリクスを見て、シルワも泣いている。
「……違う……違うんだ」
 村長の捨て台詞を、フェリクスは思い出していた。
「俺は、どうなってもいい。でも、俺の所為で、モンスとシルワに迷惑をかけてしまうのが嫌だ……」
「なに、わしらのことは心配ない。とりあえず、今日は、もう休んだほうがいい」
 赤ん坊を寝かしつける時のように、モンスはフェリクスの背中を軽く叩いた。

 夜も更けた頃、フェリクスは、モンスとシルワが眠っているのを確かめると、物音を立てぬように家を出た。
 二人は心配ないと言ったものの、この家に留まれば、やはり迷惑をかけてしまうと、フェリクスは判断した。
 自分がいなくなることで、少しでも、村長の彼らに対する当たりが和らげば――行くところなど、ある筈もなかったが、フェリクスは村を出て、足の向くままに歩いた。
 冬の初めの冷たい夜気の中、星だけが彼の姿を見ていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する 

namisan
ファンタジー
数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。  転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。  しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。  凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。  詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。  それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。  「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」  前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。  痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。  そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。 これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。 国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。 悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

処理中です...