62 / 116
あなただけを
しおりを挟む
セレスティアに嫌われることは、フェリクスにとって、最も恐れていることに他ならない。
「……少し、屈んでもらえますか」
セレスティアに言われるがまま、フェリクスは、背中を丸め、膝を少し曲げた。
「あの……目を閉じていてください」
逆らう訳にはいかない、と、彼は目を閉じた。
セレスティアの柔らかな両手が、フェリクスの顏を挟む。
彼女は何をするつもりなのだろうか――そう思っていたフェリクスは、自分の唇に、何か柔らかく暖かいものが触れるのを感じた。
薄らと目を開けてみたフェリクスは、目の前にセレスティアの顔がある――そして、彼女の唇が、自分の唇に触れているのに気付いた。
これが、接吻というもので、ごく親しい間柄の者同士が行う行為であるというのは、彼も知識としては知っていたし、他人同士のものであれば、実際に目にしたこともあった。
と、閉じられていたセレスティアの目が開き、彼女の顔が、ゆっくりと離れた。
「目を閉じていてって、言ったのに」
耳まで赤くなったセレスティアが、恥ずかしそうにつぶやいた。
「……引きこもっていた時期、『ばあや』が私の為に、色々な本を差し入れてくれました。その中には、男女の恋を描いた物語も沢山あったから……愛しい人には、どんなことをするのか、私だって、少しは知っています」
まだフェリクスの顔を挟んだままの、セレスティアの手が震えている。
ひどく緊張していたのだろう。
「私が、こうしてもいいと思うのは、あなただけなのですよ。初めてだから、上手くできなかったかもしれませんけど……」
フェリクスは、セレスティアの言葉を理解するのに時間がかかった。しかし、何度も反芻するうちに、彼女の言葉が、どれほど重い意味を持つのかが徐々に分かってきた。
愛しい相手に行う接吻という行為、彼女が、そうしてもいいと思うのは自分だけ……心拍数が跳ね上がり、全身が熱くなるのを感じて、フェリクスの思考が停止した。
無意識のうちに、フェリクスはセレスティアを抱きしめていた。いや、しがみついていたと言ったほうが正確かもしれない。
「……フェリクス、少し、苦しいです」
セレスティアの声で、フェリクスは我に返った。
「す、すまない」
彼は、慌てて、セレスティアを抱きしめていた腕の力を緩めた。
「……胸が苦しくて、身体中が熱くて、頭が、ふわふわして、一人では立っていられないんだ。もう少し、こうしていてくれないか」
半ば呻くように、フェリクスは言った。
「私も、同じですよ」
そう言って、セレスティアも、フェリクスの背中に腕を回した。
「私……最初は、あなたのことを、冷静で賢くて物静かで、大人っぽい方だと思っていました」
「……思っていたのと違って、がっかりしたということか?」
彼女に幻滅されたのだろうか――と、フェリクスは眉尻を下げた。
「いいえ……思っていたよりも、ずっと、可愛らしい方だったんだなって。そして、あなたも、やきもちを妬くことがあると分かって、安心しました」
セレスティアは、フェリクスの顔を見上げて、くすりと笑った。
可愛らしいと言われて意外に思いつつも、フェリクスは、彼女の言葉が肯定的な意味のものだと理解した。
「嫉妬されるのは、嫌なことではないのか?」
「それだけ、あなたは私のことを考えてくれているのでしょう? でも、心配しないでください。私は、あなた以外の人のものになるつもりは……ありませんから」
頬を染めながら言うセレスティアを見て、フェリクスは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
それは、苦痛ではなく、不思議な甘さを伴うものだった。
誰にも触れさせたくないとまで思った相手から、あなた以外の人のものになるつもりはないと言われる――これ以上のことが、あるだろうか。
そして、自分の醜い部分を見せてしまったにも拘わらず、全てを受け入れて貰えたという安心感は、フェリクスの不安を、綺麗に拭い去った。
「俺も、こうして触れ合っていたいと思うのは、君だけだ……その、嫌なことを言って、すまなかった」
先刻の自分の態度を思い出し、恥ずかしくなったフェリクスは、素直に詫びた。
「誰にでも、そういう時は、ありますよ」
「君も、嫉妬することなどあるのか?」
「ありますよ?」
フェリクスが問いかけると、セレスティアは赤くなって答えた。
「わたしが、やきもちを妬いたら、嫌ですか?」
「嫌ではないが……君が、やきもちを妬かなくて済むように気を付ける」
「……ようやく、いつものフェリクスに戻りましたね」
セレスティアが微笑むのを見ながら、あれほど、ささくれ立っていた心が、いつしか暖かいもので満たされているのに気付いて、フェリクスは不思議な気持ちになった。
「……少し、屈んでもらえますか」
セレスティアに言われるがまま、フェリクスは、背中を丸め、膝を少し曲げた。
「あの……目を閉じていてください」
逆らう訳にはいかない、と、彼は目を閉じた。
セレスティアの柔らかな両手が、フェリクスの顏を挟む。
彼女は何をするつもりなのだろうか――そう思っていたフェリクスは、自分の唇に、何か柔らかく暖かいものが触れるのを感じた。
薄らと目を開けてみたフェリクスは、目の前にセレスティアの顔がある――そして、彼女の唇が、自分の唇に触れているのに気付いた。
これが、接吻というもので、ごく親しい間柄の者同士が行う行為であるというのは、彼も知識としては知っていたし、他人同士のものであれば、実際に目にしたこともあった。
と、閉じられていたセレスティアの目が開き、彼女の顔が、ゆっくりと離れた。
「目を閉じていてって、言ったのに」
耳まで赤くなったセレスティアが、恥ずかしそうにつぶやいた。
「……引きこもっていた時期、『ばあや』が私の為に、色々な本を差し入れてくれました。その中には、男女の恋を描いた物語も沢山あったから……愛しい人には、どんなことをするのか、私だって、少しは知っています」
まだフェリクスの顔を挟んだままの、セレスティアの手が震えている。
ひどく緊張していたのだろう。
「私が、こうしてもいいと思うのは、あなただけなのですよ。初めてだから、上手くできなかったかもしれませんけど……」
フェリクスは、セレスティアの言葉を理解するのに時間がかかった。しかし、何度も反芻するうちに、彼女の言葉が、どれほど重い意味を持つのかが徐々に分かってきた。
愛しい相手に行う接吻という行為、彼女が、そうしてもいいと思うのは自分だけ……心拍数が跳ね上がり、全身が熱くなるのを感じて、フェリクスの思考が停止した。
無意識のうちに、フェリクスはセレスティアを抱きしめていた。いや、しがみついていたと言ったほうが正確かもしれない。
「……フェリクス、少し、苦しいです」
セレスティアの声で、フェリクスは我に返った。
「す、すまない」
彼は、慌てて、セレスティアを抱きしめていた腕の力を緩めた。
「……胸が苦しくて、身体中が熱くて、頭が、ふわふわして、一人では立っていられないんだ。もう少し、こうしていてくれないか」
半ば呻くように、フェリクスは言った。
「私も、同じですよ」
そう言って、セレスティアも、フェリクスの背中に腕を回した。
「私……最初は、あなたのことを、冷静で賢くて物静かで、大人っぽい方だと思っていました」
「……思っていたのと違って、がっかりしたということか?」
彼女に幻滅されたのだろうか――と、フェリクスは眉尻を下げた。
「いいえ……思っていたよりも、ずっと、可愛らしい方だったんだなって。そして、あなたも、やきもちを妬くことがあると分かって、安心しました」
セレスティアは、フェリクスの顔を見上げて、くすりと笑った。
可愛らしいと言われて意外に思いつつも、フェリクスは、彼女の言葉が肯定的な意味のものだと理解した。
「嫉妬されるのは、嫌なことではないのか?」
「それだけ、あなたは私のことを考えてくれているのでしょう? でも、心配しないでください。私は、あなた以外の人のものになるつもりは……ありませんから」
頬を染めながら言うセレスティアを見て、フェリクスは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
それは、苦痛ではなく、不思議な甘さを伴うものだった。
誰にも触れさせたくないとまで思った相手から、あなた以外の人のものになるつもりはないと言われる――これ以上のことが、あるだろうか。
そして、自分の醜い部分を見せてしまったにも拘わらず、全てを受け入れて貰えたという安心感は、フェリクスの不安を、綺麗に拭い去った。
「俺も、こうして触れ合っていたいと思うのは、君だけだ……その、嫌なことを言って、すまなかった」
先刻の自分の態度を思い出し、恥ずかしくなったフェリクスは、素直に詫びた。
「誰にでも、そういう時は、ありますよ」
「君も、嫉妬することなどあるのか?」
「ありますよ?」
フェリクスが問いかけると、セレスティアは赤くなって答えた。
「わたしが、やきもちを妬いたら、嫌ですか?」
「嫌ではないが……君が、やきもちを妬かなくて済むように気を付ける」
「……ようやく、いつものフェリクスに戻りましたね」
セレスティアが微笑むのを見ながら、あれほど、ささくれ立っていた心が、いつしか暖かいもので満たされているのに気付いて、フェリクスは不思議な気持ちになった。
0
あなたにおすすめの小説
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する
namisan
ファンタジー
数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。
転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。
しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。
凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。
詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。
それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。
「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」
前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。
痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。
そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。
これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる