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第72話 記憶の中
しおりを挟む目が覚めると、自分の家じゃない広いベッドの上。
隣に居たはずの湊さんはもういなくて、スマホを見ると『仕事があるので先に出ます。鍵はポストに入れておいてください』ってメッセージだけが残っていた。
カチカチと音を鳴らす時計を見ると、10時を過ぎていた。
閉め切ったカーテンの向こう側には、東京を見渡せるくらいの景色が広がっている。おしゃれなインテリア。壁にはアートが飾られていて、受賞した盾やトロフィーなんかも並んでいるコーナーもある。なんとも芸能人らしい部屋だ。
お酒の力を借りてしまったせいで、正直あの後のことはあまり覚えていない。
ただ、覚えているとしたら
湊さんに抱かれているときにイヴェリスの名前を言ってしまったような気がすること。もしあれが勘違いでなければ、私はとんでもなく失礼なことをしてしまった。
【寝てしまってすみません。鍵はポストにいれておきました】
楓の家もすごかったけど、湊さんの家はもっとすごかった。
途中の階で止まることのないエレベーターに乗り込んで、一気1階まで降りていく。迷子になりそうなロビーを抜けて、コンシェルジュに見送られながら敷地を後にした。
湊さんに夢中になれれば、少しは心に空いた穴が埋まると思っていたけど。
なんだか余計に虚しい気持ちになるだけだった。
「蒼」
マンションを出ると、トマリが待っていた。
トマリの顔を見た瞬間、ホッとした反面、罪悪感に苛まれる。
「トマリ。なんでここにいるの?」
「蒼の匂いがする方に来ただけだ」
トマリはスマホを持っていないから、呼びたいときに呼べない。
でも、なぜかいつも彼は私の居場所を知っている。
「ごめん、やっぱりダメだった」
「ん。仕方ない」
トマリはすべてを察したように、私の頭を何度か撫でる。
そのまま、トマリの温かい手に引かれて家に帰った。
街はすっかり、クリスマスムード一色。
一年の中で、私はクリスマスが一番好きだ。
クリぼっちなんて言葉があるけど、それでもクリスマスの雰囲気は私の心をワクワクさせてくれる。きっとそれは、子供の時に楽しかった思い出が残ってるからだろうなって。
本当は、イヴェリスと一緒にクリスマスを過ごしたかった。
トマリや楓たちとみんなでパーティーして、プレゼント交換とかもして。
一緒に年を越して、初詣にも行って。
そんな妄想をしながら、過ごす冬は一人だった時よりも寂しかった。
全部、夢ならいいのに。
寝て目が覚めたらいつもと変わらないイヴェリスが居て、おはようって言ってくれて。
頭が痛い日はカフェラテを淹れてくれて。
お休みなら一緒にカフェに行って。
天気がいい日は、お家でドラマや映画を観て。
そんな当たり前のような時間が、どれだけ幸せだったろう。
ただただ流れていく時間に逆らうことなく、何をするでもなく過ごす毎日。
あれから、湊さんからの連絡も避けるようになってしまった。
湊さんも映画の撮影で忙しそうで、あまり連絡をしてはこなかった。
私にはもったいない。
このままの気持ちで付き合っていい人ではないと思った。
「今日は寒いね」
布団から出ると、いつもより寒い気がして。
カーテンを開けて窓の外を見たら、雪が降っていた。
「トマリ、雪だよ」
「雪?」
「うん」
この雪を、イヴェリスもどこかで見ているのだろうか。
まだ、彼が同じ世界に居るんだってことだけが、私にとっての救いで。
「ちょっと、お散歩してくるね」
「一緒に行くか?」
「ううん。一人で行く」
「わかった」
雪は嫌いじゃない。
家から見る雪はキレイだし、積もると街の中が静かになるのが好き。
積もりかけの道は、少し滑る。
ゆっくりと地面を踏みしめるように、地面に落ちてはスッと消えていく雪を見ながら進む。
気が付くと、イヴェリスと出会ったあの川沿いまで来ていた。
ここに来たからってイヴェリスに会えるわけじゃないのに、なぜかいつもここに来てしまう。
会いたい気持ちが抑えきれなくて、ここに来て一人で泣いてしまう。
雪が降っているおかげで人通りも少ない。
傘があるから、顔も隠せる。
本当は大声を出して泣きたいけど、さすがにできないからひっそりと。
既読のつかないイヴェリスのスマホに、雪の写真を送る。
最初のうちは、心の中でイヴェリスを呼べば来てくれるかもしれないって。
助けに来てくれた時みたいに、イヴェリスに通じてるかもしれないってどこかで思っていた。
イヴェリスは、私に幸せになってほしいなんて言ってたけど、今の私はイヴェリスとの思い出に生きるしかできなくて。
でも、私がいなくなったら今度はイヴェリスが私との思い出の中で生きなきゃいけない。だから私は幸せなふりをしていた方がいいんだ。お互いのためにも。
そう思うようになってから、心の中でイヴェリスを呼ぶことをやめた。
――私は幸せだよ
そうやって、嘘でもいいから心の中で言うことにした。
「ただいま」
「遅かったな」
家に帰ればトマリが居てくれる。
「今日はお鍋にしよう」
「鍋は熱いから苦手だ」
「えー寒いから鍋にしようよ」
「俺には氷入りのやつくれ」
「それじゃあ鍋の良さが皆無じゃん」
トマリとの二人暮らしにもだいぶ慣れた。
「お肉ばっかり食べないで野菜も食べてよ」
「肉だけでいい」
「だめだって」
「俺は草食じゃない」
「食べなさい」
「こら、勝手に入れるな!」
こうやって、誰かと食べるご飯は美味しい。
――トマリ、蒼の言うことを聞け
きっと、ここにイヴェリスが居たらそんなことを言うだろうな。
なんて考えながら。
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