異世界ナノマシン無双

雅けい

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第6話 野獣の王国

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「痛覚神経を一時的に遮断すればいいと何故すぐに気がつかなかったんだ……」
 京一郎は四つん這いになりながら、荒くなった呼吸を整えつつそう吐き捨てた。
 完全に脳がナノマシンと一体化しているのだから、感覚は全て自在に制御できる。
 痛覚を無くすことくらい朝飯前だ。
「まったく、慣れない痛みと言う奴はまともな思考を邪魔するものだ……」
 再び仰向けに倒れ込んで、空を見上げる。
「こんな単純なミスを続けるようでは、天才科学者の名折れだぞ」
 いくら突拍子のない環境に放り込まれたとはいえ、あの実験から今まで少し焦りすぎている感が否めなかった。
 あの実験、なぜ彼女の企みを見抜けなかったのか。
 薬品とリモコンがすり替えられていたことは、もっと慎重になれば見抜けたかもしれなかった。
 いくら彼女を信用していたとはいえ、京一郎に油断と過信があったのだ。
 教授の言う通り、見事に足元を掬われる結果となってしまった。
「余剰ナノマシン量、10のマイナス17乗molか」
 すでに細胞の改造は完了しているため、あとは細胞分裂にまかせてナノマシンが増えるのを待つしかない。
「まともに機能させるなら、あと1時間はじっとしているべきか」
 細胞分裂を無理やり加速させてもいいが、余剰ナノマシンでまた別のシステムを作る必要があるし、細胞の老化や癌化の恐れを考えたらこれ以上身体をいじるのはリスクが大きい。
「今のうちに脳内で必要なソフトを組み立てておくか」
 未知の土地にいるのだから、磁気コンパスやマッピングの機能があったほうが何かと便利だ。
 例えば伝書鳩が自分の位置を確認できるのに脳内に方位磁針と同等の機能を持っていると言われている。
 だから今の京一郎の脳内で磁気コンパスに相当するものを作るのは問題ない。
 自転している天体はその自転速度に応じた地磁気を持っていることが多い。
「少なくとも地球と同等の地磁気はあるようだ」
 即興で組み立てたコンパスが磁極の存在を確かに感知した。
 方位さえわかれば、太陽の高度からこの星のおよその自転速度と地軸傾斜の度合いがわかる。
 これも1時間ほどは計測に時間を必要とするだろう。
「見た感じ、ここは地球とほぼ同じような天体に思える。大気成分も特に違いは無いようだ」
 偶然にしては出来過ぎではないかと思わなくもなかった。
 傍らの草をちぎって手に取る。
「品種は分からないがどう見ても葉緑体を持った植物には違いない」
 生物では収斂進化というものがあるが、天体も生態系が似ているなら環境が収斂するのだろうか。
 そんなことを考えていた時だった。
 ガサッと近くの草むらから音が聞こえた。
 ガサガサッと何かが草を分け進んで近づいて来る。
 慌てて起き上がって身構える京一郎。
 自分が転げまわって草をなぎ倒してできた空き地の端までゆっくり後退しながら、腰を落とし息をひそめて様子を見る。
 そしてついにそれが姿を現した。
「!?」
 京一郎はその姿に唖然とせざるを得なかった。
 それは極めて丸かったのだ。
 丸すぎた。
 薄い毛皮で覆われた肉の塊に、申し訳程度の短い四本足を生やした見たことの無い生物。
 漫画調にデフォルメしたミニブタのようにも見えるが、一点違いがあるとすれば頭の上部で動く耳のような物は兎のように長かった。
 顔すら体の丸みの一部であり、何かに嚙みつくなんてことはできそうにない。
「見た感じ、草食動物なのか……」
 ならば過度に恐れる必要はなさそうに思える。
 その球体はぴこぴこと小さい手足でゆっくりと屈んでいる京一郎に近づくと……
「プモーッ!」
 っという奇声を発し、まるでゴムボールが弾むように体全体で跳ねた。
 手足ではなく体全体を用いたその動きは全くの想定外であり、慌てて尻餅をついた京一郎の胸元に激突し、勢いで彼は押し倒されてしまった。
「プモッ!」
 京一郎の胸の上で勝ち誇ったように彼を見下ろし、長い耳を振り回しながら得意げに嘶く謎の球体。
 その表情は何故だか煽っているようで、心底人間をイラつかせるものだった。
「おのれ……」
 起き上がろうとしたが、この球体が地味に重い。
 京一郎は両手でその球体をがっしりと捕まえ、身体から引き剥がしつつ立ち上がった。
「プ、プモォ~……」
 立ち上がったことで意外と京一郎が自分よりも巨大な存在であったことに、初めて気がついたのだろう。
 逃げようと情けない声を上げながら必死に短い手足と長い耳をバタバタさせる。
 しかし、もうどうしようもないと悟ったのか、ぱったりと動きを止めておとなしくなった。
「何がしたかったんだ、お前は」
 急激に馬鹿らしくなった京一郎。
 腹いせ紛れに無益な殺生をするのも気が引けるので、逃がしてやることにした。
「プモォォォ……」
 屈んでその球体を地面に置くと、それは一目散に転がって猛スピードで草むらの中に消えていった。
「走るより転がる方が早いとは……なんてトンチキな生物なんだ……」
 やはりここは自分の常識とはかけ離れた場所らしい。
 そう思うと、科学者としての好奇心が頭をもたげてくる。
 長らく忘れていた感覚だ。
 まったく未知の土地、未知の生物——きっと未知の文化や技術だってあるだろう。
 この先の不安など何も感じなかった。
 ただただ楽しみでたまらない。
 まるで子供時代にもどったようだった。
「どうせ日本に戻る方法だって探さねばならんのだ。今しばらくは冒険の旅としゃれこもうじゃないか」
 立ち上がると遠くから吹いてくる風が白衣を揺らした。
「ここがどこかの内陸部だとすると、この気候では風上に海があるはずだ。海の近くには誰かいるかもしれない……まぁ、我々と同じ人類とは限らないが……」
「プモオオオオオオオ!」
 突然、例の変声が大音量で鳴り渡った。
 その声の先から小さい何かがこっちに向かって飛んでくる。
 それが地面に落下して、バウンドして、京一郎の足元まで転がってきた。
「プ……プモ……」
 全身ボロボロになったあの球体が、消え入りそうなうめき声を上げて動かなくなった。
「向こうに何かいるのか!」
 京一郎は警戒レベルを上げた。
 ナノマシンの余剰量はもう十分に蓄えられている。
「視力強化!」
 目のレンズ・水晶体を引く筋力を分子モーターで無理やり引き上げ、遥か遠くへピントを合わせる。
 約100m先、大型の動物の姿をはっきりと捉えた。
 こんな近くにいるのに気付かなかったのか己の不覚を悔いた、その瞬間。
 と目が合う。
 野生動物にとって100mはもはや近距離といって差し支えない。
 その動物は京一郎の姿をしっかりと認識すると勢いよくこちらに向かってきた。
「循環器、脚部筋力、ATP代謝系、一斉強化!」
 それぞれのナノマシンはすでに先ほどに設計図を入力している。
 京一郎は自分の心拍数が上昇するのを感じながら、一目散に振り返って走り始め
「哺乳類と同様の生物なら、全力運動の限界は最高で10分程度。その時間を逃げ切れば問題ない」
 今、京一郎は身体機能の強化により短距離走のスピードを保ったまま、長時間走ることができる。
 トラブルさえなければ追いつかれることは無い。
 走りながら後ろを少し顧みる。
 狼と猪と熊を合わせた姿の巨大動物。
 凶悪そうな牙も、鋭い爪を備えた太い手足も、その巨体による突撃力もすべてが殺人級の凶器だ。
「どいつもこいつも、学会に出せば新種確定だぞ!」
 京一郎自身は生物学の専攻ではないが、そんな捨て台詞の一つでも吐きたい心境だった。
 視線を前に戻すと、やや先の方に一本だけ立っている大木が見える。
 強化された視力には、その根元に何かを見つけた。
 それは人……のような、何か。
 まさかとは思ったが、このまま直進しては確実に巻き込んでしまうだろう。
「ええい!」
 進路を奴に気づかれないように少しずつ右に曲げていく。
「うまくこっちに釣れるか……!?」
 自分に追い付けると思わせるため、あえて速度を落とし気味にする。
 その巨大な姿がすぐ後ろに迫る。
「あと3分……」
 やつは狙い通りこちらだけに意識を向けている。
「しかし、逃げ切るだけではだめだ。倒すしかない」
 いまここであれを振り切れば、あの木の根元にいたに危険が及ぶ。
 しかし、京一郎の手元に武器など何もない。
 あるのは強化した身体能力、そして今までに蓄えた膨大な科学的知見だけ。
 ならば、それで勝とう。
「奴が自分の見立て通りの生物なら……」
 そう思案して、京一郎は最後のスパートを始めた。
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