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第二章:破滅の夜会
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王宮で盛大な夜会が催されたのは、それから数日後のことだった。近隣諸国からの賓客も招かれ、大広間は目も眩むようなシャンデリアの光に照らされ、華やかなドレスや豪奢な宝飾品を身につけた貴族たち、そして彼らの熱気でむせ返るほどだった。楽団が奏でる優雅なワルツが流れ、給仕たちが銀の盆にシャンパンやカナッペを載せて忙しなく行き交う。ルベリアもまた、深紅のベルベットのドレスに身を包み、首にはクロイツェル家に代々伝わるルビーのネックレスを輝かせ、アルフレッド王子の隣で完璧な淑女を演じていた。内心では、早くこの喧騒から逃れて温室に戻りたいと思っていたが、そんな素振りは見せられない。
その時、広間の一角がわずかにどよめき、人垣が割れた。そこから、一人の令嬢がアルフレッド王子の前に進み出て、まるで羽のように軽やかにカーテシーをした。
「アルフレッド殿下、今宵はお招きいただき、誠に光栄に存じますわ。わたくしは、セラフィナ・ミルフィーユと申します」
淡いクリーム色のシルクのドレスを優雅に纏い、陽光を溶かし込んだような蜂蜜色の髪を肩まで垂らした彼女は、まるで物語から抜け出してきた森の妖精のようだった。その大きな翠色の瞳は、純粋無垢な輝きを湛え、真っ直ぐにアルフレッド王子に向けられていた。肌は透き通るように白く、控えめながらも上品な立ち居振る舞いは、多くの貴族たちの目を惹きつけた。彼女は、最近になって社交界にデビューしたばかりの、ミルフィーユ男爵家の令嬢だった。ミルフィーユ家は下級貴族ではあるが、セラフィナの母が元宮廷画家で、その美貌と芸術的才能を受け継いだセラフィナは、「アステルダムの至宝」と噂され始めていた。
王子は、ルベリアには決して見せたことのないような、心からの優しい微笑みをセラフィナに向け、彼女の差し出した手を取った。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧だった。
「ミルフィーユ男爵令嬢か。君の噂はかねがね耳にしている。その聡明さと、恵まれない人々への慈愛に満ちた心は、まさに我が国の宝だと。君のような女性が、これからのエルダリアを支えてくれることを期待しているよ」
ルベリアの心臓が、氷の針で無数に刺されたように痛んだ。アルフレッドが、あんなにも優しい顔で、あんなにも甘い声で他の女性を見つめる姿を、彼女は初めて見た。それは、自分に向けられることのなかった、真実の愛情の色をしていた。周囲の貴族たちも、二人の姿を微笑ましげに見守り、囁き合っている。
「まあ、なんとお似合いのお二人でしょう」
「セラフィナ様こそ、未来の王妃にふさわしい気品と優しさをお持ちだわ」
「クロイツェル公爵令嬢とは大違いね…」
その言葉の一つ一つが、鋭い刃となってルベリアの耳に突き刺さった。彼女の存在など、最初からなかったかのように。まるで、自分だけがこの華やかな夜会にそぐわない、異物であるかのように感じられた。ルベリアは扇を持つ手に力を込め、表情が崩れるのを必死で抑えた。
夜会も終盤に差し掛かった頃、アルフレッド王子はルベリアを伴い、人々で賑わう広間を抜け出してバルコニーへと誘った。夜風が火照った頬に心地よい。眼下には王宮の庭園が広がり、遠くにはアステルダムの街の灯りが星のように瞬いていた。しかし、王子の口から紡がれた言葉は、ルベリアの最後の希望と尊厳を打ち砕くものだった。
「ルベリア・フォン・クロイツェル。君との婚約を、これより破棄する」
あまりにも唐突な、そして冷酷な宣告に、ルベリアは一瞬呼吸を忘れた。言葉の意味を理解するのに数秒を要した。紫水晶の瞳が、信じられないというように大きく見開かれる。
「……何を、仰って…?殿下、それは、何かの冗談でございましょう…?」
「聞こえなかったか?それとも、理解できないほど愚かになったのか?君との婚約は終わりだ。私は、真に愛する女性と添い遂げたいと心から願っている。セラフィナ嬢こそ、私の隣に立ち、この国を導くべき人間だ。君ではない」
アルフレッドの空色の瞳には、一片の情けも、ためらいもなかった。あるのは、ルベリアに対する明確な拒絶と侮蔑、そしてセラフィナへの熱く純粋な想いだけ。
「君のこれまでの悪行の数々も、もはや看過できん。侍女への虐待、贅沢三昧の浪費、他家への不当な圧力、そして何よりも、その嫉妬深く、民を顧みない冷酷な性格。そんな女が国母となるなど、エルダリア王国の汚点であり、未来への災厄だ」
悪行?それは、あなた方が作り上げた虚像ではないか。侍女への虐待など一度もない。贅沢もしていない。他家への圧力など、父が政敵を牽制したことはあっても、私が関わったことはない。ルベリアは喉まで出かかった反論の言葉を、ぐっと飲み込んだ。今更、何を言っても無駄だろう。彼はもう、何も聞いてくれない。彼の目には、セラフィナという光しか映っていないのだから。
「……承知、いたしましたわ、殿下。このルベリア・フォン・クロイツェル、これより殿下との婚約を、正式に解消させていただきます」
努めて冷静に、しかし声は自分でも気づくほど微かに震えていた。長年被り続けてきた仮面が、音を立ててひび割れていくのを感じる。
「賢明な判断だ。君には、クロイツェル公爵領へ戻り、当分の間謹慎してもらう。追って正式な沙汰をする。父君にもよろしく伝えておくがいい」
アルフレッドはそれだけ言うと、まるで汚物でも見るかのような視線をルベリアに投げかけ、踵を返し、セラフィナが待つであろう光溢れる広間へと戻っていった。一人残されたルベリアは、大理石の冷たいバルコニーの手すりに凭れかかり、星の見えない夜空を見上げた。アステルダムの夜景が、滲んで歪んで見える。
涙が溢れそうになるのを、必死で堪える。こんなところで泣いてしまっては、それこそ「悪役令嬢」の思う壺だ。彼らの期待通りだ。彼女は唇を強く噛み締め、胸に去来する屈辱と絶望、そして言いようのない悲しみを、心の奥底へと押し殺した。クロイツェル公爵令嬢としての誇りが、かろうじて彼女を支えていた。
その時、広間の一角がわずかにどよめき、人垣が割れた。そこから、一人の令嬢がアルフレッド王子の前に進み出て、まるで羽のように軽やかにカーテシーをした。
「アルフレッド殿下、今宵はお招きいただき、誠に光栄に存じますわ。わたくしは、セラフィナ・ミルフィーユと申します」
淡いクリーム色のシルクのドレスを優雅に纏い、陽光を溶かし込んだような蜂蜜色の髪を肩まで垂らした彼女は、まるで物語から抜け出してきた森の妖精のようだった。その大きな翠色の瞳は、純粋無垢な輝きを湛え、真っ直ぐにアルフレッド王子に向けられていた。肌は透き通るように白く、控えめながらも上品な立ち居振る舞いは、多くの貴族たちの目を惹きつけた。彼女は、最近になって社交界にデビューしたばかりの、ミルフィーユ男爵家の令嬢だった。ミルフィーユ家は下級貴族ではあるが、セラフィナの母が元宮廷画家で、その美貌と芸術的才能を受け継いだセラフィナは、「アステルダムの至宝」と噂され始めていた。
王子は、ルベリアには決して見せたことのないような、心からの優しい微笑みをセラフィナに向け、彼女の差し出した手を取った。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧だった。
「ミルフィーユ男爵令嬢か。君の噂はかねがね耳にしている。その聡明さと、恵まれない人々への慈愛に満ちた心は、まさに我が国の宝だと。君のような女性が、これからのエルダリアを支えてくれることを期待しているよ」
ルベリアの心臓が、氷の針で無数に刺されたように痛んだ。アルフレッドが、あんなにも優しい顔で、あんなにも甘い声で他の女性を見つめる姿を、彼女は初めて見た。それは、自分に向けられることのなかった、真実の愛情の色をしていた。周囲の貴族たちも、二人の姿を微笑ましげに見守り、囁き合っている。
「まあ、なんとお似合いのお二人でしょう」
「セラフィナ様こそ、未来の王妃にふさわしい気品と優しさをお持ちだわ」
「クロイツェル公爵令嬢とは大違いね…」
その言葉の一つ一つが、鋭い刃となってルベリアの耳に突き刺さった。彼女の存在など、最初からなかったかのように。まるで、自分だけがこの華やかな夜会にそぐわない、異物であるかのように感じられた。ルベリアは扇を持つ手に力を込め、表情が崩れるのを必死で抑えた。
夜会も終盤に差し掛かった頃、アルフレッド王子はルベリアを伴い、人々で賑わう広間を抜け出してバルコニーへと誘った。夜風が火照った頬に心地よい。眼下には王宮の庭園が広がり、遠くにはアステルダムの街の灯りが星のように瞬いていた。しかし、王子の口から紡がれた言葉は、ルベリアの最後の希望と尊厳を打ち砕くものだった。
「ルベリア・フォン・クロイツェル。君との婚約を、これより破棄する」
あまりにも唐突な、そして冷酷な宣告に、ルベリアは一瞬呼吸を忘れた。言葉の意味を理解するのに数秒を要した。紫水晶の瞳が、信じられないというように大きく見開かれる。
「……何を、仰って…?殿下、それは、何かの冗談でございましょう…?」
「聞こえなかったか?それとも、理解できないほど愚かになったのか?君との婚約は終わりだ。私は、真に愛する女性と添い遂げたいと心から願っている。セラフィナ嬢こそ、私の隣に立ち、この国を導くべき人間だ。君ではない」
アルフレッドの空色の瞳には、一片の情けも、ためらいもなかった。あるのは、ルベリアに対する明確な拒絶と侮蔑、そしてセラフィナへの熱く純粋な想いだけ。
「君のこれまでの悪行の数々も、もはや看過できん。侍女への虐待、贅沢三昧の浪費、他家への不当な圧力、そして何よりも、その嫉妬深く、民を顧みない冷酷な性格。そんな女が国母となるなど、エルダリア王国の汚点であり、未来への災厄だ」
悪行?それは、あなた方が作り上げた虚像ではないか。侍女への虐待など一度もない。贅沢もしていない。他家への圧力など、父が政敵を牽制したことはあっても、私が関わったことはない。ルベリアは喉まで出かかった反論の言葉を、ぐっと飲み込んだ。今更、何を言っても無駄だろう。彼はもう、何も聞いてくれない。彼の目には、セラフィナという光しか映っていないのだから。
「……承知、いたしましたわ、殿下。このルベリア・フォン・クロイツェル、これより殿下との婚約を、正式に解消させていただきます」
努めて冷静に、しかし声は自分でも気づくほど微かに震えていた。長年被り続けてきた仮面が、音を立ててひび割れていくのを感じる。
「賢明な判断だ。君には、クロイツェル公爵領へ戻り、当分の間謹慎してもらう。追って正式な沙汰をする。父君にもよろしく伝えておくがいい」
アルフレッドはそれだけ言うと、まるで汚物でも見るかのような視線をルベリアに投げかけ、踵を返し、セラフィナが待つであろう光溢れる広間へと戻っていった。一人残されたルベリアは、大理石の冷たいバルコニーの手すりに凭れかかり、星の見えない夜空を見上げた。アステルダムの夜景が、滲んで歪んで見える。
涙が溢れそうになるのを、必死で堪える。こんなところで泣いてしまっては、それこそ「悪役令嬢」の思う壺だ。彼らの期待通りだ。彼女は唇を強く噛み締め、胸に去来する屈辱と絶望、そして言いようのない悲しみを、心の奥底へと押し殺した。クロイツェル公爵令嬢としての誇りが、かろうじて彼女を支えていた。
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