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序章:蒼月の記憶
月の光が、静まり返った騎士団の練兵場を白く照らし出す。アレンは一人、木剣を振るっていた。汗が顎を伝い、落ちる。彼の銀色の髪が、月の光を反射してきらめいた。
日々の鍛錬は欠かさない。それが彼の信条であり、彼が彼であるための唯一の術だった。感情を表に出すのが苦手なアレンにとって、剣を振るう時間は、無心になれる貴重なひとときだった。
ふと、脳裏に懐かしい風景が蘇る。
故郷の村、風が吹き抜ける丘。そこでいつも一緒に遊んだ、太陽のような笑顔の少女。
リリア――。
もう何年も会っていない幼馴染の名前を、アレンは胸の中で呟いた。彼女は今、どこで何をしているのだろうか。
十年前、村が謎の疫病に襲われた時、リリアの一家は遠い親戚を頼って村を離れた。アレンはその後、剣と魔法の才能を見出され、王都の騎士団に入団した。
以来、彼女の行方は知れない。
時折、こうして彼女の面影が胸をよぎる。それは、アレンのクールな仮面の下に隠された、唯一と言っていいセンチメンタルな感情だった。
「アレン、明日の任務の件だが」
背後から声をかけられ、アレンは振り返った。上官の騎士団長だった。
「はっ」
「お前には、南部のティリアの森周辺の巡察を命じる。最近、微弱な魔力反応が観測されていてな。念のためだ」
「承知しました」
ティリアの森。それは、かつて疫病で廃村となったアレンの故郷の村があった場所の近くだった。
胸の奥が、微かにざわめいた。
第一章:風薫る再会
ティリアの森は、十年前と変わらず深い緑に覆われていた。時折、鳥のさえずりが聞こえる以外は、静寂が支配している。アレンは馬を降り、森の中を慎重に進んだ。
魔力反応は確かに微弱で、特に危険な兆候は見当たらない。おそらく、ただの自然現象だろう。
そう結論づけ、引き返そうとした時だった。
「……あった! よかったぁ」
森の奥から、鈴を転がすような明るい声が聞こえた。アレンは警戒しつつ、声のする方へ足を向けた。
木々の間から見えたのは、薬草を摘んでいる一人の少女の姿だった。栗色の髪が陽光に透け、楽しそうに鼻歌を歌っている。その横顔に、アレンは息を呑んだ。
「……リリア?」
思わず、声が漏れた。
少女は驚いたように顔を上げ、アレンを見た。ヘーゼル色の瞳が大きく見開かれる。
数秒の沈黙の後、彼女の顔がぱあっと輝いた。
「アレン!? まさか、本当にアレンなの!?」
彼女は摘んでいた薬草も構わず、アレンに駆け寄ってきた。
「久しぶり! すごく久しぶりだね! まさかこんな所で会えるなんて!」
太陽のような笑顔。昔と少しも変わらない。アレンは内心の動揺を悟られまいと、努めて平静を装った。
「……ああ。久しぶりだな、リリア」
「もう! 相変わらずクールなんだから! 少しは驚いた顔とかしてくれてもいいのに!」
リリアは頬を膨らませたが、すぐにまた笑顔になった。
「私、この近くの町で、治癒術師の師匠のもとで修行してるんだ。今日は薬草を採りに来てて」
「そうか」
短い会話。だが、アレンの胸には温かい何かが込み上げてくるのを感じていた。
「アレンは? どうしてここに? もしかして、騎士様になったの? その格好、すごく似合ってる!」
リリアはキラキラした目でアレンを見上げる。
「騎士団の任務だ。この森の巡察を」
「そっか……立派になったんだね、アレン」
リリアは少し寂しそうに微笑んだ。
再会は束の間だった。リリアは師匠が待っているからと、名残惜しそうに森の奥へと戻っていった。アレンはその後ろ姿が見えなくなるまで、その場を動けなかった。
風が木々を揺らし、リリアの纏っていた微かな花の香りを運んでくる。アレンの心に、忘れていたはずの甘酸っぱい感情が、確かな輪郭を持って蘇り始めていた。
第二章:ぎこちない距離と、思い出の欠片
数日後、アレンは休暇を取り、リリアがいるという町、ミルフィを訪れた。
石畳の小さな町は、活気に満ちていた。リリアは町の小さな診療所で、師匠である老婆を手伝っていた。アレンの姿を見つけると、リリアは再び太陽のような笑顔を見せた。
「アレン! 来てくれたんだね、嬉しい!」
診療所の裏庭で、二人は薬草を干しながら話をした。リリアは昔と変わらずよく喋り、アレンは相槌を打つのが精一杯だった。
「アレンは昔から無口だったけど、なんだか前よりさらに口数が減ったみたい」
リリアが少し拗ねたように言う。
「……そうか?」
「そうだよ! 私ばっかり喋ってるじゃない」
「お前がよく喋るだけだ」
アレンがぶっきらぼうに言うと、リリアは「むー」と頬を膨らませたが、すぐにくすくすと笑い出した。その屈託のなさが、アレンの心を少しずつ解きほぐしていく。
「ねえ、アレン。覚えてる? 村の裏にあった風詠みの丘のこと」
「……ああ」
そこは、二人がよく遊んだ秘密の場所だった。丘の上からは村全体が見渡せ、心地よい風がいつも吹いていた。
「あの丘で、アレンが私に小さな花の冠を作ってくれたこと、覚えてる?」
アレンは驚いてリリアを見た。そんな昔のことを、彼女はまだ覚えているのか。
「……覚えていない」
嘘だった。鮮明に覚えている。不器用な手つきで、必死に白いクローバーを編んだこと。リリアがそれを宝物のように喜んでくれたこと。
「えー、ひどいなあ、アレンは。私はちゃんと覚えてるのに」
リリアは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに気を取り直したように言った。
「もし今度時間があったら、一緒に行ってみない? 故郷の村。もう誰も住んでいないけど……あの丘だけは、きっと変わってないと思うから」
その提案に、アレンはすぐには答えられなかった。過去と向き合うのは、少し勇気がいることだったからだ。
だが、リリアの期待に満ちた瞳を見ていると、断ることはできなかった。
「……考えておく」
それが、アレンの精一杯の返事だった。リリアはそれでも嬉しそうに微笑んだ。
ぎこちない会話。縮まらない距離。それでも、アレンはリリアと過ごす時間に、不思議な安らぎを感じていた。それは、騎士団では決して得られない、温かく、そして少しだけ胸が苦しくなるような感情だった。
第三章:揺れる心、月下の誓い
ある日の夕暮れ時、ミルフィの町に小さな騒動が起きた。町の家畜が何者かに襲われ、傷を負ったのだ。犯人は、森から下りてきたらしい低級の魔物だった。
騎士団の任務外ではあったが、アレンは放っておけなかった。
「私が案内します!」
リリアが、傷ついた家畜の手当てを終えると、アレンに申し出た。彼女の顔には、不安よりも強い意志が浮かんでいる。
二人は森へと足を踏み入れた。月明かりが、木々の隙間から差し込んでいる。
「アレン、気をつけて」
リリアの声が、アレンの背中を後押しする。
魔物はすぐに見つかった。獰猛な牙を剥く狼型の魔物だ。アレンは剣を抜き、風の精霊の力を借りて斬りかかる。リリアはその傍らで、アレンが傷を負わないよう、治癒の光で援護した。
以前のリリアなら、魔物を前にして怯えていただろう。だが今の彼女は、臆することなくアレンを支えている。その成長した姿に、アレンは胸を打たれた。
魔物を仕留め、町に戻ると、人々から感謝の言葉を浴びせられた。リリアは照れくさそうに微笑み、アレンはただ黙って頷いた。
その夜、診療所の庭で、リリアはアレンに小さな包みを差し出した。
「これ、お礼。アレンがいなかったら、もっと被害が出てたかもしれないから」
包みを開けると、手作りの小さな革袋が入っていた。中には、乾燥させた数種類のハーブが入っており、爽やかな香りがした。
「お守りみたいなもの。少しだけど、怪我の治りを早める効果もあるんだ。昔、アレンが私に花の冠をくれたみたいに……って、覚えてないんだったっけ」
リリアは悪戯っぽく笑った。
アレンは革袋を握りしめた。その温もりが、直接心に伝わるようだった。
「……ありがとう」
月明かりの下、リリアのヘーゼル色の瞳が潤んでいるように見えた。
「アレンが無事でよかった」
その言葉は、アレンの心の奥深くに染み渡った。リリアへの特別な感情が、もはや無視できないほど大きくなっていることを、アレンは自覚していた。しかし、それをどう表現すればいいのか、彼にはまだ分からなかった。
第四章:すれ違う想い、募る焦燥
アレンは騎士団の任務で王都に戻ることになった。ミルフィを離れる日、リリアは見送りに来てくれた。
「また、すぐに会えるよね?」
不安そうに尋ねるリリアに、アレンは「ああ」と短く答えることしかできなかった。本当は、もっと伝えたい言葉があるのに、うまく出てこない。
王都での日々は、以前と変わらず多忙だった。しかし、アレンの頭の中には、常にリリアの笑顔がちらついていた。
ある日、騎士団の同僚である女性騎士エルザが、アレンに話しかけてきた。
「最近、お前、少し雰囲気が変わったな。何かいいことでもあったのか?」
エルザは気さくで、アレンにも遠慮なく話しかけてくる数少ない人物だ。
「……別に」
アレンが素っ気なく答えると、エルザは面白そうに笑った。
「そうか? 南部の任務で、可愛い子にでも会ったんじゃないのか?」
図星だった。アレンはエルザから顔を背けた。その様子を見て、エルザは何かを察したように、それ以上は追及しなかった。
一方、ミルフィのリリアもまた、アレンのことを考えていた。
(アレンは、私のこと、どう思ってるんだろう……ただの幼馴染? それとも……)
アレンの態度はいつもクールで、本心が読めない。それがリリアを不安にさせた。
次に会えるのはいつになるのだろう。手紙を書こうかとも思ったが、何を書けばいいのか分からず、時間だけが過ぎていった。
数週間後、アレンは再びミルフィを訪れる機会を得た。しかし、期待に胸を膨らませていたのとは裏腹に、リリアとの間にはどこかぎこちない空気が流れた。
アレンは、以前エルザに言われたことを思い出していた。リリアは、自分にとってただの幼馴染ではない。だが、その想いをどう伝えればいいのか。クールな仮面が邪魔をして、素直になれない自分がもどかしかった。
リリアもまた、アレンの態度に戸惑い、どう接していいのか分からなくなっていた。
お互いを想いながらも、すれ違ってしまう二人。甘酸っぱい焦燥感が、胸を締め付けた。
第五章:告げられた真実、そして決意
そんなある日、リリアの師匠である老婆が、アレンを呼び止めた。
「アレン殿、少し話があるんじゃ」
老婆は、リリアが持つ治癒術の力が、ただの植物の力を借りるだけのものではなく、稀有な「生命の光」を宿す特別なものであることをアレンに告げた。そして、その力を狙う闇の組織が最近動き出しているという不穏な情報も。
「リリアは、お前さんと離ればなれになった後も、ずっとお前さんのことを想い続けておった。お前さんが騎士になったと風の噂で聞いた時は、それはもう喜んでのう。毎日、お前さんの無事を祈っておったよ」
老婆の言葉は、アレンの胸に深く突き刺さった。
「あの子は、昔からお前さんの前では素直になれんところがあったが……あの子の心は、ずっとお前さんに向いておる」
リリアが、そんなにも自分のことを想っていてくれたとは。そして、彼女が危険に晒されているかもしれないという事実。
アレンの中で、何かが決壊した。
守らなければならない。リリアを。彼女の笑顔を。
今まで感じたことのない強い衝動が、アレンを突き動かした。もう、クールな仮面など必要ない。自分の本当の気持ちと向き合い、それを伝える時が来たのだ。
アレンはリリアの元へ急いだ。彼女は診療所の庭で、心配そうに空を見上げていた。
「リリア」
アレンの声に、リリアは驚いて振り返った。その瞳には、不安の色が浮かんでいる。
「どうしたの、アレン? なんだか、いつもと違う……」
アレンはまっすぐにリリアを見つめた。アイスブルーの瞳には、確かな決意が宿っている。
「お前に、話がある」
終章:運命の糸、繋がる未来
その夜、予期した通り闇の組織の者たちがリリアを狙って現れた。しかし、アレンは冷静に彼らを迎え撃った。風の精霊が彼の怒りに呼応するように荒れ狂い、剣技は冴え渡る。
リリアもまた、ただ守られているだけではなかった。アレンが負傷すると、臆することなく駆け寄り、治癒の光で彼を癒した。その瞳には、アレンへの深い信頼と愛情が溢れていた。
激闘の末、アレンは敵を退けた。月の光が、息を切らす二人を照らし出す。
「……大丈夫か、リリア」
アレンが尋ねると、リリアは涙を浮かべながら頷いた。
「アレンこそ……ありがとう」
アレンはリリアの前に進み出て、彼女の手をそっと握った。
「リリア。ずっと言えなかったことがある」
彼の真剣な眼差しに、リリアは息を呑む。
「昔も……そして、今も。お前は俺にとって、誰よりも大切な存在だ。これからも、お前を守りたい。ずっと、俺のそばにいてほしい」
それは、アレンが初めて見せる、飾り気のない素直な言葉だった。
リリアの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは悲しみの涙ではなく、長い間胸に秘めていた想いが報われた、喜びの涙だった。
「アレン……私も……私も、ずっとアレンのことが……!」
言葉にならない想いが、リリアの声に込められていた。
アレンはリリアをそっと抱きしめた。リリアもまた、アレンの背中に腕を回す。
風が優しく二人を包み込み、どこか遠くで、風詠みの丘の草が揺れる音がしたような気がした。
数日後、二人は連れ立って、故郷の村へと向かった。廃村となって久しいが、風詠みの丘だけは、昔と変わらず穏やかな風が吹き抜けていた。
丘の上に立ち、眼下に広がる今は寂れた村を見下ろす。
「本当に、変わってないね、この丘」
リリアが微笑む。その隣で、アレンもまた、微かに口元を緩ませていた。
アレンはリリアの手を握った。その温もりは、確かな未来を予感させた。
運命の糸は、一度は離れた二人を再び強く結びつけたのだ。クールな魔法剣士と、太陽のような治癒術師。二人の甘酸っぱい恋物語は、まだ始まったばかりだった。
月の光が、静まり返った騎士団の練兵場を白く照らし出す。アレンは一人、木剣を振るっていた。汗が顎を伝い、落ちる。彼の銀色の髪が、月の光を反射してきらめいた。
日々の鍛錬は欠かさない。それが彼の信条であり、彼が彼であるための唯一の術だった。感情を表に出すのが苦手なアレンにとって、剣を振るう時間は、無心になれる貴重なひとときだった。
ふと、脳裏に懐かしい風景が蘇る。
故郷の村、風が吹き抜ける丘。そこでいつも一緒に遊んだ、太陽のような笑顔の少女。
リリア――。
もう何年も会っていない幼馴染の名前を、アレンは胸の中で呟いた。彼女は今、どこで何をしているのだろうか。
十年前、村が謎の疫病に襲われた時、リリアの一家は遠い親戚を頼って村を離れた。アレンはその後、剣と魔法の才能を見出され、王都の騎士団に入団した。
以来、彼女の行方は知れない。
時折、こうして彼女の面影が胸をよぎる。それは、アレンのクールな仮面の下に隠された、唯一と言っていいセンチメンタルな感情だった。
「アレン、明日の任務の件だが」
背後から声をかけられ、アレンは振り返った。上官の騎士団長だった。
「はっ」
「お前には、南部のティリアの森周辺の巡察を命じる。最近、微弱な魔力反応が観測されていてな。念のためだ」
「承知しました」
ティリアの森。それは、かつて疫病で廃村となったアレンの故郷の村があった場所の近くだった。
胸の奥が、微かにざわめいた。
第一章:風薫る再会
ティリアの森は、十年前と変わらず深い緑に覆われていた。時折、鳥のさえずりが聞こえる以外は、静寂が支配している。アレンは馬を降り、森の中を慎重に進んだ。
魔力反応は確かに微弱で、特に危険な兆候は見当たらない。おそらく、ただの自然現象だろう。
そう結論づけ、引き返そうとした時だった。
「……あった! よかったぁ」
森の奥から、鈴を転がすような明るい声が聞こえた。アレンは警戒しつつ、声のする方へ足を向けた。
木々の間から見えたのは、薬草を摘んでいる一人の少女の姿だった。栗色の髪が陽光に透け、楽しそうに鼻歌を歌っている。その横顔に、アレンは息を呑んだ。
「……リリア?」
思わず、声が漏れた。
少女は驚いたように顔を上げ、アレンを見た。ヘーゼル色の瞳が大きく見開かれる。
数秒の沈黙の後、彼女の顔がぱあっと輝いた。
「アレン!? まさか、本当にアレンなの!?」
彼女は摘んでいた薬草も構わず、アレンに駆け寄ってきた。
「久しぶり! すごく久しぶりだね! まさかこんな所で会えるなんて!」
太陽のような笑顔。昔と少しも変わらない。アレンは内心の動揺を悟られまいと、努めて平静を装った。
「……ああ。久しぶりだな、リリア」
「もう! 相変わらずクールなんだから! 少しは驚いた顔とかしてくれてもいいのに!」
リリアは頬を膨らませたが、すぐにまた笑顔になった。
「私、この近くの町で、治癒術師の師匠のもとで修行してるんだ。今日は薬草を採りに来てて」
「そうか」
短い会話。だが、アレンの胸には温かい何かが込み上げてくるのを感じていた。
「アレンは? どうしてここに? もしかして、騎士様になったの? その格好、すごく似合ってる!」
リリアはキラキラした目でアレンを見上げる。
「騎士団の任務だ。この森の巡察を」
「そっか……立派になったんだね、アレン」
リリアは少し寂しそうに微笑んだ。
再会は束の間だった。リリアは師匠が待っているからと、名残惜しそうに森の奥へと戻っていった。アレンはその後ろ姿が見えなくなるまで、その場を動けなかった。
風が木々を揺らし、リリアの纏っていた微かな花の香りを運んでくる。アレンの心に、忘れていたはずの甘酸っぱい感情が、確かな輪郭を持って蘇り始めていた。
第二章:ぎこちない距離と、思い出の欠片
数日後、アレンは休暇を取り、リリアがいるという町、ミルフィを訪れた。
石畳の小さな町は、活気に満ちていた。リリアは町の小さな診療所で、師匠である老婆を手伝っていた。アレンの姿を見つけると、リリアは再び太陽のような笑顔を見せた。
「アレン! 来てくれたんだね、嬉しい!」
診療所の裏庭で、二人は薬草を干しながら話をした。リリアは昔と変わらずよく喋り、アレンは相槌を打つのが精一杯だった。
「アレンは昔から無口だったけど、なんだか前よりさらに口数が減ったみたい」
リリアが少し拗ねたように言う。
「……そうか?」
「そうだよ! 私ばっかり喋ってるじゃない」
「お前がよく喋るだけだ」
アレンがぶっきらぼうに言うと、リリアは「むー」と頬を膨らませたが、すぐにくすくすと笑い出した。その屈託のなさが、アレンの心を少しずつ解きほぐしていく。
「ねえ、アレン。覚えてる? 村の裏にあった風詠みの丘のこと」
「……ああ」
そこは、二人がよく遊んだ秘密の場所だった。丘の上からは村全体が見渡せ、心地よい風がいつも吹いていた。
「あの丘で、アレンが私に小さな花の冠を作ってくれたこと、覚えてる?」
アレンは驚いてリリアを見た。そんな昔のことを、彼女はまだ覚えているのか。
「……覚えていない」
嘘だった。鮮明に覚えている。不器用な手つきで、必死に白いクローバーを編んだこと。リリアがそれを宝物のように喜んでくれたこと。
「えー、ひどいなあ、アレンは。私はちゃんと覚えてるのに」
リリアは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに気を取り直したように言った。
「もし今度時間があったら、一緒に行ってみない? 故郷の村。もう誰も住んでいないけど……あの丘だけは、きっと変わってないと思うから」
その提案に、アレンはすぐには答えられなかった。過去と向き合うのは、少し勇気がいることだったからだ。
だが、リリアの期待に満ちた瞳を見ていると、断ることはできなかった。
「……考えておく」
それが、アレンの精一杯の返事だった。リリアはそれでも嬉しそうに微笑んだ。
ぎこちない会話。縮まらない距離。それでも、アレンはリリアと過ごす時間に、不思議な安らぎを感じていた。それは、騎士団では決して得られない、温かく、そして少しだけ胸が苦しくなるような感情だった。
第三章:揺れる心、月下の誓い
ある日の夕暮れ時、ミルフィの町に小さな騒動が起きた。町の家畜が何者かに襲われ、傷を負ったのだ。犯人は、森から下りてきたらしい低級の魔物だった。
騎士団の任務外ではあったが、アレンは放っておけなかった。
「私が案内します!」
リリアが、傷ついた家畜の手当てを終えると、アレンに申し出た。彼女の顔には、不安よりも強い意志が浮かんでいる。
二人は森へと足を踏み入れた。月明かりが、木々の隙間から差し込んでいる。
「アレン、気をつけて」
リリアの声が、アレンの背中を後押しする。
魔物はすぐに見つかった。獰猛な牙を剥く狼型の魔物だ。アレンは剣を抜き、風の精霊の力を借りて斬りかかる。リリアはその傍らで、アレンが傷を負わないよう、治癒の光で援護した。
以前のリリアなら、魔物を前にして怯えていただろう。だが今の彼女は、臆することなくアレンを支えている。その成長した姿に、アレンは胸を打たれた。
魔物を仕留め、町に戻ると、人々から感謝の言葉を浴びせられた。リリアは照れくさそうに微笑み、アレンはただ黙って頷いた。
その夜、診療所の庭で、リリアはアレンに小さな包みを差し出した。
「これ、お礼。アレンがいなかったら、もっと被害が出てたかもしれないから」
包みを開けると、手作りの小さな革袋が入っていた。中には、乾燥させた数種類のハーブが入っており、爽やかな香りがした。
「お守りみたいなもの。少しだけど、怪我の治りを早める効果もあるんだ。昔、アレンが私に花の冠をくれたみたいに……って、覚えてないんだったっけ」
リリアは悪戯っぽく笑った。
アレンは革袋を握りしめた。その温もりが、直接心に伝わるようだった。
「……ありがとう」
月明かりの下、リリアのヘーゼル色の瞳が潤んでいるように見えた。
「アレンが無事でよかった」
その言葉は、アレンの心の奥深くに染み渡った。リリアへの特別な感情が、もはや無視できないほど大きくなっていることを、アレンは自覚していた。しかし、それをどう表現すればいいのか、彼にはまだ分からなかった。
第四章:すれ違う想い、募る焦燥
アレンは騎士団の任務で王都に戻ることになった。ミルフィを離れる日、リリアは見送りに来てくれた。
「また、すぐに会えるよね?」
不安そうに尋ねるリリアに、アレンは「ああ」と短く答えることしかできなかった。本当は、もっと伝えたい言葉があるのに、うまく出てこない。
王都での日々は、以前と変わらず多忙だった。しかし、アレンの頭の中には、常にリリアの笑顔がちらついていた。
ある日、騎士団の同僚である女性騎士エルザが、アレンに話しかけてきた。
「最近、お前、少し雰囲気が変わったな。何かいいことでもあったのか?」
エルザは気さくで、アレンにも遠慮なく話しかけてくる数少ない人物だ。
「……別に」
アレンが素っ気なく答えると、エルザは面白そうに笑った。
「そうか? 南部の任務で、可愛い子にでも会ったんじゃないのか?」
図星だった。アレンはエルザから顔を背けた。その様子を見て、エルザは何かを察したように、それ以上は追及しなかった。
一方、ミルフィのリリアもまた、アレンのことを考えていた。
(アレンは、私のこと、どう思ってるんだろう……ただの幼馴染? それとも……)
アレンの態度はいつもクールで、本心が読めない。それがリリアを不安にさせた。
次に会えるのはいつになるのだろう。手紙を書こうかとも思ったが、何を書けばいいのか分からず、時間だけが過ぎていった。
数週間後、アレンは再びミルフィを訪れる機会を得た。しかし、期待に胸を膨らませていたのとは裏腹に、リリアとの間にはどこかぎこちない空気が流れた。
アレンは、以前エルザに言われたことを思い出していた。リリアは、自分にとってただの幼馴染ではない。だが、その想いをどう伝えればいいのか。クールな仮面が邪魔をして、素直になれない自分がもどかしかった。
リリアもまた、アレンの態度に戸惑い、どう接していいのか分からなくなっていた。
お互いを想いながらも、すれ違ってしまう二人。甘酸っぱい焦燥感が、胸を締め付けた。
第五章:告げられた真実、そして決意
そんなある日、リリアの師匠である老婆が、アレンを呼び止めた。
「アレン殿、少し話があるんじゃ」
老婆は、リリアが持つ治癒術の力が、ただの植物の力を借りるだけのものではなく、稀有な「生命の光」を宿す特別なものであることをアレンに告げた。そして、その力を狙う闇の組織が最近動き出しているという不穏な情報も。
「リリアは、お前さんと離ればなれになった後も、ずっとお前さんのことを想い続けておった。お前さんが騎士になったと風の噂で聞いた時は、それはもう喜んでのう。毎日、お前さんの無事を祈っておったよ」
老婆の言葉は、アレンの胸に深く突き刺さった。
「あの子は、昔からお前さんの前では素直になれんところがあったが……あの子の心は、ずっとお前さんに向いておる」
リリアが、そんなにも自分のことを想っていてくれたとは。そして、彼女が危険に晒されているかもしれないという事実。
アレンの中で、何かが決壊した。
守らなければならない。リリアを。彼女の笑顔を。
今まで感じたことのない強い衝動が、アレンを突き動かした。もう、クールな仮面など必要ない。自分の本当の気持ちと向き合い、それを伝える時が来たのだ。
アレンはリリアの元へ急いだ。彼女は診療所の庭で、心配そうに空を見上げていた。
「リリア」
アレンの声に、リリアは驚いて振り返った。その瞳には、不安の色が浮かんでいる。
「どうしたの、アレン? なんだか、いつもと違う……」
アレンはまっすぐにリリアを見つめた。アイスブルーの瞳には、確かな決意が宿っている。
「お前に、話がある」
終章:運命の糸、繋がる未来
その夜、予期した通り闇の組織の者たちがリリアを狙って現れた。しかし、アレンは冷静に彼らを迎え撃った。風の精霊が彼の怒りに呼応するように荒れ狂い、剣技は冴え渡る。
リリアもまた、ただ守られているだけではなかった。アレンが負傷すると、臆することなく駆け寄り、治癒の光で彼を癒した。その瞳には、アレンへの深い信頼と愛情が溢れていた。
激闘の末、アレンは敵を退けた。月の光が、息を切らす二人を照らし出す。
「……大丈夫か、リリア」
アレンが尋ねると、リリアは涙を浮かべながら頷いた。
「アレンこそ……ありがとう」
アレンはリリアの前に進み出て、彼女の手をそっと握った。
「リリア。ずっと言えなかったことがある」
彼の真剣な眼差しに、リリアは息を呑む。
「昔も……そして、今も。お前は俺にとって、誰よりも大切な存在だ。これからも、お前を守りたい。ずっと、俺のそばにいてほしい」
それは、アレンが初めて見せる、飾り気のない素直な言葉だった。
リリアの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは悲しみの涙ではなく、長い間胸に秘めていた想いが報われた、喜びの涙だった。
「アレン……私も……私も、ずっとアレンのことが……!」
言葉にならない想いが、リリアの声に込められていた。
アレンはリリアをそっと抱きしめた。リリアもまた、アレンの背中に腕を回す。
風が優しく二人を包み込み、どこか遠くで、風詠みの丘の草が揺れる音がしたような気がした。
数日後、二人は連れ立って、故郷の村へと向かった。廃村となって久しいが、風詠みの丘だけは、昔と変わらず穏やかな風が吹き抜けていた。
丘の上に立ち、眼下に広がる今は寂れた村を見下ろす。
「本当に、変わってないね、この丘」
リリアが微笑む。その隣で、アレンもまた、微かに口元を緩ませていた。
アレンはリリアの手を握った。その温もりは、確かな未来を予感させた。
運命の糸は、一度は離れた二人を再び強く結びつけたのだ。クールな魔法剣士と、太陽のような治癒術師。二人の甘酸っぱい恋物語は、まだ始まったばかりだった。
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