この世で一番軽い恋

神田柊子

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幕間

ふたりの密偵

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 時は進んで、セリーナが学園一年生の冬。

 サイ商会のサイは、ユーカリプタス王国の王都を歩いていた。
「崔殿」
 突然横から声をかけられて、崔は警戒しながら、ことさらゆっくりと振り返った。
 気配がしなかったのも案の定、同業の男が立っていた。
 カイ帝国の第三皇子の密偵、ダンだ。
 話をしたことはないが、存在は知っている。今まで仕事場ですれ違ったことも数回あった。
 しかし壇は、政治や経済よりも、スキャンダルや事件の現場を重点的に探っているようだった。
(ゴシップ誌の記者かって感じなんだよな。政治経済担当が別にいるのかもしれないが……)
 ゴシップだって使い方によっては脅しの材料になるから侮れないけれど、檀や浩大の意図は知れない。
 そんな考えは顔には出さずに、崔は壇に笑顔を見せた。
「これは壇殿!」
 対する檀は無表情だ。
 往来で東国人がもめていたら目立つ。彼もおかしなことはしないはずだが、と崔はあくまで商会長の顔で挨拶をした。
「ご無沙汰しております。こんなところでお会いするとは! 今日はどうされたのですか?」
「崔殿にお渡ししたいものがあって声をかける隙をうかがっていたのですよ」
 そう言って壇は桐の小箱を差し出した。
「お探しの品ですよ。萩の……」
 崔は笑顔のまま、途中で言葉を切った壇を注視する。
 崔が探している萩の品といえば、瑠璃姫の手鏡だ。
 昨年の晩夏、浩大皇子の元にあると判明したが、それ以上は情報がつかめなかった。
「わたくしの商会で対価が支払えるかどうか……」
 本物かどうかはまだわからないが、牽制も兼ねて崔はそう言い、困った表情を作った。
「いえ、こちらは差し上げます」
 檀は崔の手に小箱を押し付けるようにして載せた。
「我が主人からの婚礼祝いと考えてください。一年ほどすぎてしまいましたが、遠い東国のことです。お許しください」
 壇はそう言ってから、声をひそめる。
 彼の口から出てきたのは檜帝国の言葉だった。
『疑念を持たれても面倒なので説明します。元々、浩大殿下の元に持ち込まれたとき、この鏡は西国の婦人の霊が映るという触れ込みでした。ところが期待はずれにも、霊は映らなかった。手放すことになったのですが、その前に、この国の魔法使いを帝国に招待するネタに使わせていただきました。降霊術師を生業にしている魔法使いです。彼は殿下の元で生き生きと仕事をしていますので、ご心配なさらず』
『ネタというのは?』
『バンク伯爵家ですよ。魔法使いの旅費を出させました。東国の貴婦人と西国の貴婦人の霊が出ると話したら、瑠璃姫とダイアンだと思い込んだみたいですね』
 そう思わせる仕掛けをしたのだろう。
『瑠璃姫を幽鬼にするなど、たとえ嘘でも許せん』
 崔が声音を変えると、壇は両手を顔の前で振った。
『ダイアンが姫を捕えて鏡に縛り付けたという話になっています。それにバンク伯爵家の者は皆、口をつぐんでいますから。ダイアンは他国のもっと厳しい修道院に送られましたし、それで手打ちにしてください』
 壇は『今、そこの影に控えている者たちも下がらせてくれたらうれしいですね』と肩をすくめる。
 崔は先に言葉を戻した。
「これが本物なら、正しい持ち主にお返しするつもりですが、その際にあなたのご主人の名前を伝えてもよろしいのでしょうか?」
「いいえ、それは控えていただければうれしいですね」
 壇は首を振った。
「承知いたしました。それでは、こちらは帝国で見つけたと伝えましょう」
 崔が引き下がると、檀はうなずいた。
「それでは、これで」
「ええ。では」
 お互いに再会を願う言葉は添えなかった。

 商会に戻った崔はすぐに桐箱の中身を確認した。
(確かに、瑠璃姫の鏡だ……)
 崔は瑠璃に鏡を見せてもらったことがある。
 また、同じ職人の手による家具や小物を瑠璃は他にも持っており、ハツカ国に置いてきたそれらも見たことがある。絵柄はどれも同じ萩の花なので、判別しやすかった。
 念のため、贋物じゃないか、おかしな仕掛けがないかなど、本国に持って帰って確認してもらおう、と考える。
 ラグーン侯爵ウォーレンには密偵経由で浩大からもらったと正直に伝えるとして、フォレスト公爵家はどうするか。
(全て話して口止めするか、檀との約束通り帝国で見つけたで通すか……)
 悩んだ時間はごくわずか。
(ハワード様とチャーリー様には話さない。アリスター様にだけ全て話す。……これでいこう)
 崔はアリスターを選んだ。
 自分の素性もアリスターには打ち明けるつもりだ。彼が崔を必要とするなら、アリスターの下につく。
 崔は算段を立てると、ハツカ国の国王に許可を取るべく、帰国の準備にとりかかったのだった。
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