おばさん冒険者、職場復帰する

神田柊子

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第一話 おばさん冒険者、職場復帰する

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 翌朝、リーナが待っていると、アリスは時間通りにギルドにやってきた。
 相談用の受付に案内してアリスに座ってもらうと、リーナは地図と依頼票を広げた。
「ギルドマスターが最優先と言っていた依頼がこちらです。丸鼻蜂の蜜なんですけど……」
「あー、そうね。あたし向きね」
 テリトリーに入ると襲ってくる丸鼻蜂は、殲滅するより防御しながら採取するほうが楽だ。
「ついでに終わらせられそうな依頼がこちらとこちらです。私が選んじゃいましたが、これでいいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
「今日は中級者向けのルート32番を使って、このあたりまで行こうと思っています。宵待侍草と紫甘露草が群生しているはずなんです。そして、行きか帰りのどちらかでここの崖を上って丸鼻蜂の蜜を採ってきたいと思っています」
「はいはい、了解」
「あの、大丈夫でしょうか? 距離とか難易度とか……。A級のアリスさんなら問題ないと思って計画を立ててみたんですが……」
「全然問題ないわよ。午後のお茶までに帰って来れるわ」
 リーナがうかがうと、アリスはにっこりと笑った。
「あなた、計画立てたりするのが得意なのね? 助かるわ。あたし、そういうの全くダメなのよ」
「え、そうなんですか? 今まではどうしてたんですか、って、あ!」
(アリスさんは息子さんと一緒だったんですよ。私ったらなんてことを!)
 リーナが慌てて口を押えると、アリスはあっけらかんと笑う。
「ああ、あなたは昨日の話を聞いていたものね。そうなの、エディはこういう細かいことが得意でねー」
「そうなんですね。あ、あの、昔はソロだったって聞いたんですが、そのころはどうしてたんですか?」
 昨日の午後の勤務のとき、アリスが『完全防御の魔女』という二つ名持ちの冒険者だと、リーナは他の職員から教えてもらった。結婚して出産するまではソロ冒険者だったらしい。
 リーナが尋ねると、アリスは首を傾げた。
「とにかく一番距離が短い道を選んでたかしら?」
「ええー……? 魔物の巣なんかは……?」
「全部倒せば通れるわよ?」
「まあ、そうですけど。そうなんですけど……」
 昨日は大柄な冒険者コリンをあっさり撃退していたアリスだけれど、リーナにはどうしても、ぽっちゃり体型のおばさん冒険者が魔物を倒すイメージがわかない。
 逃げ足だけなら、細身で小柄のリーナのほうが速そうに思えるくらいだ。
「それじゃ、さっそく出かけましょう」
 アリスに促され、リーナはギルドを後にした。

 ファーラドの関所は、ギルドカードを読み取り機にかざせばすぐに出られる。国境であって、国境ではないのだ。
 リーナは久しぶりの森だ。
 番号が振られているルートはギルドが管理しており、地図がある。初心者ルートは魔物除けの柵が張られ、中級者ルートでも下草が刈られていて、比較的歩きやすい。
 しかし、森の規模に比べたら、地図に載っている部分は三分の一以下だ。『リリンの森』は未踏の場所のほうが多い。
「この辺はまだまだピクニック気分で歩けるわねー」
 アリスは軽快な足取りで先を行く。
 一方のリーナは慣れない森歩きに四苦八苦していた。木の根に足をとられないように必死でアリスについていく。
(冒険者をやってたころの装備を、コリンの部屋から持ってきていてよかったです)
 一緒に暮らしていた部屋を追い出されたリーナは、最低限の自分の荷物だけを持ってギルドの職員寮に転がり込んだ。
 こちらに来てから集めた使い勝手のいい調理器具や、お気に入りのリネンなどが持ち出せなかったのが残念だ。
(今はコリンのことは忘れましょう!)
 リーナは気を取り直して顔を上げた。
「そういえば、アリスさん」
「うーん、他人行儀ねー。アリスおばさんでいいわよ」
「それ、文字数増えてますよね」
「おばさんのほうが親しそうじゃない? それとも、あなたは私の弟子なんだから、お師匠様って呼ぶ?」
「え、ええーっと、じゃあ、アリスおばさんでお願いします」
 リーナは簡単に負けた。
「それで? 何か言いかけたわよね?」
「あ、はい。アリスおばさんの荷物はそれだけなんですか?」
 リーナは大きめのバックパックを背負っている。日帰りなんだからもっと身軽にできたと思うけれど、森歩き用の鞄はこれしかなく、いろいろ詰めたら結局それなりの重さになった。
 アリスの荷物はウェストポーチだけだ。
 それ一つで冒険に出られるとするなら、とリーナは予想する。
「そのポーチはもしかして……」
「そうよ、これ、マジックバッグなの」
「ええー! 本当ですか。初めて見ました! すごいです」
 空間魔法が付与されていて、見た目よりも容量の多いマジックバッグは高級品だ。
 高レベルの冒険者か、貴族や商人しか持っていない。
 内容量や状態保存の有無で値段が変わると聞く。
「どのくらい入るんですか?」
「んー、どのくらいかしら? 赤金穂炎古代竜を丸ごと入れてもまだ余裕だったわね」
「はい?」
 いろいろ聞き捨てならないセリフだ。
 赤金穂炎古代竜はギルドの建物二つ分くらいの大きな魔物だし、そもそも七字名の魔物をマジックバッグに入れる状況が想定できない。
(その竜、倒したんですか? それじゃアリスおばさんはS級じゃないですか)
「え、え、なんですかそれ。国宝ですか」
 リーナがポーチを指さすと、アリスは笑う。
「秘密よ」
 くるりと身をひるがえして一歩先を行くアリスは、こそっとつぶやいた。
「ウィルからもらったもので、城の筆頭魔法使いが付与したらしいから、似たようなものね」
 リーナに聞こえなかったのは幸いだった。

 先に崖で丸鼻蜂の蜜を採取。それから紫甘露草と宵待侍草を採取した。
 図鑑通りに丸鼻蜂はすぐに襲ってきたけれど、アリスの防御壁の中にいれば何の危険もなかった。アリスが大きめの壁を作ってくれたから、拳大の蜂はリーナたちからだいぶ離れたところで壁にぶつかってポーンと軽く飛ばされていた。
 それ以外に小さな魔物もいくつか出たけれど、アリスが防御壁の粒――小石状にしていると聞いたけれど透明なので触ってみないとわからない――をぶつけてあっさり倒していた。
 途中でリーナも魔法で倒してみなさいと指示された。しかし、リーナの水球砲は素早い小物には全くかすりもしなかった。
 宵待侍草を採取をした場所は、ぽっかりと木がなく空が見える。
 何でも入るマジックバッグからアリスは折り畳み式の簡易椅子を二つ出してくれ、ミラお手製の弁当を食べた。
 つぼみをつけた宵待侍草が風に揺れるのを見ながら、カツサンドを頬張る。
 黙って食事をしているアリスは本当にどこにでもいるおばさんで、リーナはあまりにのどかな光景に、ピクニックにきたのでしょうか、と目を瞬く。
「アリスおばさんは防御魔法以外も使えるんですか?」
「ええ、火属性も使えるわよ」
 ぽっと指先に炎を灯して、アリスは答える。
「あなたも魔力は十分あると思うわ。あとは精度と速度。それから、魔物に慣れること」
 ふとアリスは顔を上げると、
「ちょうどいい練習台が来たわよ!」
「え?」
 のっそりと木々の向こうから大きな熊が歩いてきた。
「背鰭熊かしら?」
「え、わ、こっちに来ますよ!」
 リーナは慌てて弁当の蓋を閉める。
「大丈夫よ」
 アリスはさっと手を振って、それだけで熊を足止めした。
「防御壁で囲んだわ」
 熊は前にも後ろにも進めないようで、うなりながら見えない壁に体当たりしている。
(防御壁って普通はこちら側を囲むもので、敵を閉じ込めるために使うものではないですよね……?)
「あのう、これ、どうするんですか?」
「もちろん、リーナが倒すのよ」
「私がですか? 無理です、無理です。こんな強そうな魔物なんて無理です。もっと兎とか鼠とかから始めましょうよ」
「あなた、鼠なんて小さなものに当てられる自信があるの?」
「ありませんー!」
「だから、ほら、あれよ。適当に撃ってもどこかには当たるでしょ?」
 アリスはにっこりと笑った。
 リーナの後ろに立って、肩を叩く。
「あの防御壁は壊れることはないから大丈夫よ。あなたの魔法は通るようになっているから思う存分ぶつけなさい」
「は、はいー!」
 見えない檻に入れられた熊はリーナを睨んでいる。
「攻撃すると悟らせずに命中させるのが最上なんだけれど、あなたの場合はまず命中率を上げるところからね。腕を伸ばして、熊を指さす」
「こうですか?」
 リーナは言われたとおりに熊に右腕を突き出した。
「この腕が魔法の軌道だと思いなさい。指先から水球が発射されるイメージよ?」
 アリスはリーナの腕をなぞってから手を離した。
「背鰭熊の特徴は?」
「背中の鰭です。鋭い刃物のようによく切れるので、背中への接近攻撃は難しいと言われています。前からの攻撃は爪で防がれることが多いです」
「よく知ってるわね。それなら急所はどこ?」
「眉間です。目を潰してもいけます。眉間や目を攻撃して驚いて立ち上がったところをひっくり返して、腹を狙う、というのが鉄板の討伐方法です」
「すごいじゃない! だったら、どうすればいいかわかるわよね」
 リーナは図鑑やギルドの資料を見て知っているだけだ。
「知っているのとできるのは全然違いますー!」
 眉間や目を狙っているつもりなのに、リーナの水球砲は全然当たらなかった。
 魔力がなくなりそうだと言うと、アリスはポーチから魔力ポーションをどっさり出してきた。――体力がなくなりそうだと言ったら、上級ポーションが出てきそうで怖い。
 急所には当たらないけれど、大きな体のどこかには当たる。それなりに痛いらしく、リーナの攻撃は無駄に熊の怒りを煽っているだけだ。
 熊は最初よりも激しく暴れて、何度も防御壁にぶつかっている。
「少しは狙えるようになったんじゃない?」
「ええー、そんなことないですよ」
「相手が動いているから、わかりにくいのね」
 アリスはそう言って手をかざした。すると、熊の動きがぴたりと止まる。
「何したんですか?」
「壁を狭めたのよ。ぎゅっと」
「ぎゅっと……」
 両手をぎゅっと握って見せるアリスに冷や汗が浮かぶ。
 思っていた以上にとんでもない人を師匠にしてしまったようだ。
「ほら、止まっている今なら当たるんじゃない? まっすぐに構えて、的をよく見て……。両足は踏ん張ってね。そう。眉間よ。あの黒い二つの目の真ん中……」
 アリスに言われたように姿勢を整え、構えると、自分から魔物まで線が繋がったように思えた。
 水球砲を放つと、その線を辿るようにまっすぐに向かっていく。
 熊の眉間に、リーナの魔法が当たった!
「やりました! やりましたよ、アリスおばさん! すごいです!」
 リーナはぴょんぴょん飛び跳ねる。
 熊は「ぎゃああ!」と叫び声を上げたけれど、アリスの防御壁にぎゅっとされているので動けないようだ。
「どうする? 腹を狙うのもやってみる?」
「いいえ、もう十分です! とどめはアリスおばさんにお任せします!」
 リーナが辞退すると、アリスはまた熊に手をかざした。すると、熊の声が途切れ、目の光が消えた。
「え? 死んだんですか? 今の何ですか?」
「窒息よ。空気を抜いたの」
「へえー、空気を……」
 リーナは心の中でかわいそうな熊に祈りを捧げた。
(下手な魔法の練習台になったうえに、何の手出しもできないままあっさり討伐されるなんて、この場に現れたのが不運でしたね……)
 そんなリーナの心境を知らないアリスは、防御壁を消して、熊をポーチに入れる。成人男性より一回り大きな熊がすっと吸い込まれていった。
「防御壁に閉じ込めて火魔法で焼いて討伐してたら、エディに怒られたのよ。毛皮や肉が台無しだって。あの子、誰に似たのか細かいのよね」
 細かいのは知らないが、魔物に容赦がないのはアリス譲りだと思う。
 リーナは「へー、素敵な息子さんですね」としか言いようがない。
 依頼以上の成果を上げて、リーナとアリスはファーラドに帰還したのだった。
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