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14、【ベベ】ちゃん(前編)

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 あのコはフシギなコだった。『金子みすゞ』の詩でたとえるなら『不思議』が似合うと【ビンテージ】くんは言っていた。飾り気がなくて、自分だけの世界を持っていて、独特な話し方をする。オノマトペの達人だった。

【ベベ】ちゃんは歌が大好きだった。『どんな色がすき?』や『ミックスジュース』や、スキャットを歌って踊った。一人遊びも得意で、メグミ班以外でもヒトリさびしくしているコに教えてあげていた。

 けれどやっぱりヒトリよりもみんなで遊ぶ方が【ベベ】ちゃんは楽しくて、そんな時は電車ごっこが役に立った。ヒトリでいるコをどんどん連結させて校内を巡ったり、メグミ先生駅やコトブキ先生駅を作って用事があるところまで連れていったり。

 いつもニコニコしていて、落ち着きがなくて、おもしろかったことうれしかったことを共感してほしくて、よく誰かの腕を引っ張った。かくれんぼも大好きだから、たまに授業が始まる直前に教壇の下に潜んだり、カーテンにくるまったり。わざとムシしてやれば大ヒントとばかりに顔をひょいっと見せるのだ。

【ベベ】ちゃんにはいくつかこだわりがあった。例えば筆記用具は鉛筆派で、一センチくらいになるまで使い続けた。文字は丁寧に書く。書体によって漢字の“とめ・はね・はらい”の形が異なるのだけれど、彼女は教科書書体を忠実にしていた。丁寧に書くあまり、黒板の文字を消そうとすると「まーだ!」と言って止めてくる。地味に授業のペースが遅れちゃうから【エイゴ】くんは怒った。

 ぼくはノートを見せてあげるよう【べべ】ちゃんの隣の席である【パジ山】くんに言った。フタリの机をくっつけて、花瓶の位置も変えて……初めはオドオドとノートを見せていた【パジ山】くんは次第に打ち解けて、【べべ】ちゃん考案の獅子舞ごっこを遊ぶまでに仲良くなった。

 合いの手が必要な歌を歌う時は相手を選び、合いの手を入れてくれるまで続きを歌わない。相手が意固地になって合わせてくれなかったら歌は完結しない。二度とその歌は歌えないのだ。

 一度【ワガヤ】くんがイジワルをして『どんな色がすき?』なのか答えなかった。本当に【ベベ】ちゃんは彼が降参するまで五日間続きを歌わなかった。結局、全校生徒と全教員に好きな色をたずね終わると満足してこの歌を歌わなくなったのだけれど。

 ひょっとしたら、生前は軽度の知的障害を持っていたのかもしれない。いや単に変わり者なだけだったかもしれない。ユウレイだからなおのこと線引きはむずかしいし、そこは深く考えない。

 何かに夢中になって教室に来なかったりすることもあったけれど、本当に毎日楽しそうに勉強して遊んでいたから、周囲は明るくなった。イタズラされてもカワイイ笑顔に免じて許してしまうのだ。


 授業で作った詩がおもしろかった。例えばこれだ。


『キャベツ』

どうしてキャベツはむいてもキャベツ
玉ねぎもずっと玉ねぎ
はくさいも


『スイカ』

スイカはしまうまのなかま
トラはかみの毛はえてない ※1
先生もちょっとはえてない
お月さまもかみの毛はえてない ※2

※1 ライオンと比較。トラもしま模様だからスイカの仲間という意味。
※2 ぼくの十円ハゲが月みたいで、そういえば月も丸坊主だったネという意味。


 後日【ドーワ】くんに無理難題言って全員分の詩の挿絵を描いてもらったのだけれど、その中でもこれらが気に入っている。クレヨンで描かれた絵本の世界のような詩だ。

【ベベ】ちゃんの夢だけ他と質が違っていた。やさしいおかあさんがいて、たのもしいおとうさんがいて、おねえさん思いのおとうとがいる。ドライブ中に歌を歌ったり、ハイキングに出かけたり。釣りに昆虫採集。バードウォッチングに雪合戦!

 うらやましいほどに光にあふれて、あたたかくて、笑顔の絶えないとても幸せそうな夢だった。あのコにだってイヤな思い出はあったハズなのに、それ以上にこの思い出たちがキラキラかがやく宝物で、活発の源だった。

 閻魔帳にはこの世の未練度をグラフにした資料がついていて、【ベベ】ちゃんの未練度はゼロに近かった。死んだことを悲観せず、まさしく純真無垢であり、MGSに通わせずに天に昇らせても構わないほどで、ユウレイ児童にしてはめずらしいケースらしかった。教員の間では、もしあのコが保護されていなかったら座敷わらしにでもなっていたのではないかとウワサされていた。

 それくらいあのコは他のコとは雰囲気が違っていた。あのコが笑うと時々後光が差した。ポッとタンポポが咲くような。あるいはフキノトウがポッと雪の下から顔をのぞかせるような。心が洗われてストレスがまたたく間に消えるのだ。ようし、今夜もがんばるゾっていう気にさせてくれるのだ。あのコがいなければ、ぼくの心はペシャンコに潰れてしまっていたと思う。

【コトブキ】先生はそんなもの見えないと頑なに言い張った。疲れたぼくの幻覚だったのだろうと、最初は思っていた。でも本当は彼女も後光を見ていた。

【コトブキ】先生は【ベベ】ちゃんが苦手だった。あのコは彼女のことが大好きだったから、よく電車ごっこを称してベッタリとついて回っていた。【コトブキ】先生はうっとうしそうにしていて、あのコに向かって二度と近づかないよう注意しているのをぼくは目撃した。

「そんなキツイことを言わなくてもいいじゃないですか」
「授業をするだけが教師の仕事じゃないでしょう? 前にも言いましたよね? 私は母親でも保母さんでもないんです。子どもの面倒をずっと見る気はありません」
「でも」
「この子は幸せのままでも、残された家族は違うんです。娘が死んでずっと悲しんでるでしょう。それなのにこの子はのん気でヘラヘラしてて、見ていてイライラするんです」

 ぼくはカチンときた。

 口論になった。結果、先生同士がケンカして子どもたちを不安がらせるなと本職員から注意を受けた。しばらく【ベベ】ちゃんは口を尖らせて「ぷんぷん! ぷんぷんぷん!」とぼくの真似をして、ぜい肉をツンツンしたりつまんだり。ぼくがイライラするのをやめるまで続けるつもりだと思って反省した。可愛らしかったとはいえ、【ベベ】ちゃんがずっと怒っているのは忍びなかった。

【コトブキ】先生はというと、MGSに通わせる必要がないなら早く【ベベ】ちゃんを成仏させてやってほしいと、本職員に訴えていた。けれど【ベベ】ちゃんに卒業の意志がハッキリとしていたから却下された。

 ほどなくして、かつて【コトブキ】先生に娘がいたということを教えてくれたのは情報通のユウレイたちからだった。【マツカタ】さん以外に耳を傾けてくれる相手がいることがうれしくて、彼らはぼくがたずねなくても、これが知りたいだろうとばかりにあれこれしゃべりに来た。

 シングルマザーだった【コトブキ】先生。娘は交通事故で失った。事故原因は相手のブレーキとアクセルの踏み間違いだったという。運転席にいた【コトブキ】先生は重傷。助手席だった娘は重体で、二日後に亡くなった。だから彼女は毎月とある道路に花束と缶ジュースを供えていた。

「死に目に会えなかったそうだよ」
「楽しいショッピングの帰りだったのに」

 もし娘が生きていたなら六年生。しかも雰囲気が【ベベ】ちゃんにそっくり。だからあのコを見るたびに、思い出してしまっていたのだ。あのコが見せてくる幸せな夢も辛かったろう。見せつけられているようで腹立つと彼女は言っていた。せっかくユウレイ児童が見えるようになったのに、愛娘と対面できないもどかしさは本人にしかわからない。

「娘が小学生だったら、MGSに通えたのかもなあ。ぴかぴかのランドセルしょって」
「じゃあ名前はランドセルちゃんだな」
「ランドセルのランちゃんだ」

 情報通のユウレイたちはみんな同情していた。誰しもが何かを残してユウレイになっているからだった。ランドセルを買った帰りの悲劇に、特に孫がいた老人ユウレイは自分のことのように嘆いた。

 きっと【ベベ】ちゃんも……【コトブキ】先生の心の傷に気づいていたんだと思う。ユウレイ児童たちは生きている人々の夢に接触することができる。自身の悪夢にうなされるほど気が病んでいた【コトブキ】先生の強い思いに触れて、【ベベ】ちゃんはヒトリ立ち上がったのだ。

 ぼくに子どもができると知ってからは、【ベベ】ちゃんもよく家に遊びに来た。「がらがらー。がらがらー」と、芽衣子の腹に向かってオモチャのガラガラのマネをした。【ベベ】ちゃんがいる間は芽衣子の体調も良く、つわりもなかった。これなら臨月まで働けそうだと言われてぼくが慌てたくらいだ。

【ベベ】ちゃんは子どもが大好きだった。休日の昼間に、たまに公園で遊ぶ子どもたちにまざって駆け回っていたのを見かけた。ベビーカーでエンエンと泣く赤ちゃんがいれば、頬に鼻をくっつけてくすぐる仕草をした。そうすれば赤ちゃんは泣きやんだ。赤ちゃんは【ベベ】ちゃんのことが見えるようだった。

 転んで泣く子どもがいれば「ちちんぷいぷい。いたいいたいのとんでけえ」と魔法の呪文を唱えた。そうすれば周りには見えない蒸気が傷口から出てきて、子どもは泣きやんだ。蒸気の正体は痛みだろうか。

【ベベ】ちゃんの魔法はいつも誰かを笑顔にした。唯一【コトブキ】先生は晴れない顔をし続けたものだから、あのコはねばっていたのだろう。隙を突くようにして、ちちんぷいぷいと呪文を唱えていた。いつしか【コトブキ】先生の心の傷が癒えて、笑顔になることを信じて。
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