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三、二

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 夕飯時、二十円引きされていたコンビニの天丼を温めていたところへ川中島は現れ、なじりだした。

「おい、オーギガヤツ。わざわざ天使が呼んでいるのになぜ無視をする?」
「公衆の面前であんな風に呼ばれたら誰だってシカトするっつうの」
「嘘をつけ。誰もがオーギガヤツ基準で生きているというのか」

 天丼を電子レンジから出した俺は座布団に腰を落ち着ける。食事をするならリビングでと決まっていた。同じ屋根の下で住むからには団らんが大事だということだろう。シェアハウスの新人として今は素直にルールに従う。

 他にもこの家には決まりがあった。例えば裏口は常にロックすること。洗濯機は使ったらすぐ洗濯物を取り出して次使う人を待たせないこと。待ちたくないなら近くにあるコインランドリーに行け。
 トイレットペーパーや食器洗い洗剤といった日常的に消費されるものは各自買うこと。トイレットペーパーホルダーは色違いで四つあるので各自専用として使うこと。ケチって他の奴のを黙って消費するのはケチンボウだ。カツ丼のことは忘れないぞ。

 それから水回りの掃除は変に汚してしまわない限りは交代制。郷に入れば郷に従えでもこれに関しては不満がある。川中島が当番になると、時折に便器や浴槽が前衛的に変な柄になるのである。現在は三原色を酷使したカラフルな花柄で、頭に浮かべるだけでも目がちかちかする。

 花御堂は「アバンギャルドを感じます」とか言って嫌な顔一つしないし、大家であるおっさんにそれとなく愚痴を入れてみれば芸術肌だと褒めだして、誰も奴の奔放加減に釘を刺そうとしない。俺が実費で元に(元がどんなものだったのかわからないが)戻す気力も今一つ湧かない。ひたすら目にストレスを溜め込むだけである。

 食事を始めてもまだ川中島は立ったまま説教をしている。

「名前を呼ばれた時はハイと返事をしなければならないと教わらなかったのか? 病院で呼ばれた時も、卒業式で呼ばれた時もオーギガヤツは無視して立ち去るのか?」
「それとこれとはちげーよ。つうか、あんた病院とか卒業式とか行ったことあるんスか?」
「当たり前だ」

 真顔で胸を張る川中島。ずっとこいつに仁王立ちで見下ろされているのは気分の良いものじゃないし、共同スペースを個人のキャンバスにしている奴にとやかく言われたくない。

「そもそも天使がなんでここにいるんスか?」
「契約したからここに住んでいるのだ」
「そうじゃなくって。天から、降りてきたんだろ?」
「そうだ。私は調査しに天からやってきたのだ。それから私はハクトーさんだ。アンタではない」
「おうひゃ?」

 口一杯にご飯を含んでいる俺は聞き返す。

「オウヒャではない、調査だ。人間が動物の生態調査をしているように、私たち天使も人間の調査をしているのだ」
「あんた以外にもいるんか、天使」
「天使は公務員のごとくたくさんいるのだ。一人しかいなかったら絶滅危惧種だ。もはやロンサムジョージ状態だ」

 ロンサムジョージってナニ?

「……で、あんたはここら辺の担当?」
「アンタアンタって、私の名前はアンタではない。ハクトーさんと呼べ。いかにも私はここら辺の人間担当として派遣された。だからここに住むことにしたのだ」
「じゃあ川中島っていう名前もそれ用で?」
「川中島白桃は正真正銘の本名だ。どうせ天使イコール外人で名前もカタカナだと思っているんだろう? 馬鹿め。天使にも白人黒人黄色人種がいるぞ。他にも赤人あかじん青人あおじん緑黄色」
「もういいもういい。天使にも野菜並みに種類があるんだな? 馬鹿って言うなよ」

 次から次へとドミノみたいにでたらめを並べ立てるのがうまい天使だ。こいつに対しては辛辣に方言抜きで話せてしまう。まあ、訛りは残るが。

「で、俺たち人間の調査が仕事の天使が、なんで路上ライブなんかしてんだ? あのメンバーも天使なわけ?」
「奴らは人間だ。最低限の生活資金は支給されているが、それ以上の出費は自腹だ。ゆえに稼がなければならない。私は奴らと出会い、私はギター担当となった。弦楽器は得意だからな。これも調査の一環だ」

 一体そいつらはどういう神経を体につなげてこいつを仲間にしたか謎だ。

 モーター音が玄関の方から聞こえてきた。花御堂地球が飛行スクーターのバイオレットスワンに乗っての御帰宅である。

 花御堂地球という名前は、地球に帰化する前から名乗っていたもので、先日めでたく正式に改名したらしい。改名する前のものを聞いてみたところ、日本人の耳では聞き取れないことを理由に教えてくれなかった。
 どこで改名できるのかと聞いてみれば、地球には一般市民には明かされていない機構がいくつも存在し、表社会に立つ日本政府関係者ですら知る者は指折り数えるほどしかいないとかなんとか。なんというメンインブラック。

「ただいま戻りましたー」

 花御堂はバイオレットスワンにまたがったまま玄関を開け、土間で着地させた。アプローチに駐車(車輪がないのに車と呼ぶべきかわからないが)しないのは、落下させては心底まずいことになるからだ。

 ヘルメットを外せば耳なし紫顔。風呂上がりや洗顔の場面を幾度か出くわしているので、厚化粧ではないことははっきりしている。第一、バイオレットスワンが地球の現代技術で生産された物とは思えない。未来から来たというのならドラマの質が変わってしまう。

「オーギガヤツ君、またコンビニですね。栄養バランスが偏ってます。それに安い食材で自炊した方が節約になるかと。せっかく光熱費込みで十二万なのに。もったいない」
「オーギガヤツは面倒臭がりだ」
「ふたりして俺を責めんなや。花御堂だっていつも食べて帰ってくるじゃん」
「ええ、最後まで働く時はまかないをいただいています。時には仲間と飲みに行きますけどね」

 誰に学んだのか、世のサラリーマンおやじのように酒を“ぐいぐい”する手の動作をする。

「そのまんまの恰好で?」
「何か問題でも?」
「いや……」

 川中島と同様、周囲の目を気にしていない。格好の被写体だ。

 花御堂はなぜか満足気にうなずく。

「ええ、ないでしょう。言っておきますが、まかないでも外食でも僕は栄養バランスとカロリーを重視してますんでね。食事の偏りは心臓病や糖尿病と様々な病気を引き起こす原因。恐ろしい」

 さすが自称地球人。病院に行こうとパニックが起きるだけだ。地球の人間と同じ五臓六腑でもないだろうし、病院どころか研究所で隅々まで料理されかねない。健康第一。現実的だ。

「なるほど。僕がこの超ナチュラルフォームでどのように仕事しているか気になると?」

 そっち方向に解釈した花御堂は自信ありげだった。

「いいでしょう。ではオーギガヤツ君。明日、講義が終わった後にでも来てください。お友だちと一緒で構いません。彼女でもいいですよ。紹介してください」

 彼女はまだ先だ。花御堂は返事を待たずに話をちゃちゃと進めようとする節があり、川中島同様に面倒だが、これは生態をより知るには面白いチャンスだとこの時は思っていた。
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