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六、二

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 バスを降りると、すっかり見慣れた赤レンガの高架下が今までとは一風変わっていた。中間地点にぽつんと見知らぬ橙色の明かりが浮かんでいたのである。小柄な人物が背を丸めて座っているのがぼんやり見える。

 電車が通過して反響する生ぬるい空気。近づくにつれてそれは占いの屋台だと判明する。白黒の幕にぼんぼり、占い師自身も黒で統一していて、葬式を連想する様式を取っている。いかにも胡散臭く、興味もなかったので素通りしようとした。

「まんざらでもないことあったみたいだね。オギー?」

 しゃがれた老婆の声にぎくりと背中が跳ねた。

「ウフフ。わたしよ、わ・た・し」

 のっそりと背筋と肩を大きく伸ばしヴェールをまくる老婆。俺はぎょっとする。そこには黒い口紅を差したアクベンスさんの顔があったのだ。

「こんなとこで何やってんスか!」
「見ての通りよ」

 若々しい声音に戻したアクベンスさんは立て看板を指差す。

「元々は遊び半分だったんだけど、レースで負けちゃってさあ! 罰ゲームで占い師のふりして地球人十人相手しなきゃなんなくなって」

 花御堂の話によると、彼女は単なるレースクイーンからレーサーに転身、宇宙喫茶☆銀河団に引き抜かれ、イン地球日本支部代表として宇宙で活躍、という俺からすれば異色の経歴を持っている。企業スポーツの選手ってやつだ。星連間せいれんかんの交流を深めつつ、地球が他の星に舐められないように勝ち続けるのが彼女たちの使命の一つらしい。助っ人外国人選手みたいなやつだ。

「それで俺で何人目になるんスか?」
「ううん。罰ゲームはとっくの昔に終わっちゃってんだ。ウーン、かれこれ五年? なんだかはまっちゃて! 板について今じゃ巷では“大藤おおふじの母”なーんて呼ばれちゃってんだァこれが。実はこっちがこっそり天職って感じ?」

 と、ピースサインを横向きに額へ寄せる。ピースサインは彼女の癖だ。

「宇宙喫茶はどうするんスか」

 アクベンスさんは「ウーン、どうだろ」と唇を尖らせて目線を斜め上にやる。

「みんなでキャッキャッワイワイするのも楽しいしィ。でも時々我に返っちゃうっていうか。なぁんでわたしこんなトコでうるさくやってんだろーって思っちゃうっていうか。大勢でガヤガヤ相手するより一対一で対話している方が気は楽だって思うっていうか。レーサーになったのも乗ってる間はヒトリになれるからってのがあるのよネ。でもみんなのことは大好きだし、みんなで楽しくやっていきたいしィ。なんかわかんないや、ウフフ、ゴメンネー」

 お茶目に舌をちろりと出してくしゃりと笑った。アクベンスさんといえばいつも明るくふるまっている、宇宙喫茶のムードメーカー的存在だ。しかし今の彼女は印象が違っていた。メイクのせいもあるかもしれないが、おとなしめで影を感じる。頭頂部の引き詰めた髪の赤がまるで血の赤のようだと連想させる。やはりリアル宇宙人はミステリアスであるべきなのだ。

「で、どう? 占い。泰大生にも好評だよ。この前も一人占ったし、黄色い眼鏡の。ほら、喫茶の常連さん」

 ジョンス富里だ。

「オギーには社員割引しちゃったりなんかして」
「俺正社員じゃないっスよ」
「ノリ悪いねー。仙人の方は結構ノリノリみたいな感じ? あいかわらずだねー」

 息が詰まった。仙人は看板に書かれた三つのコースをまじまじと見て悩んでいた。テレパス能力は占いに打ってつけという訳だ。

「一週間コースと一ヶ月コースと一年間コースがあるんだけどね。目先のことが知りたいならお気軽一週間コース。長い目で見たいならざっくり一年間コースがおすすめね」
「じゃあ、間を取って」
「一ヶ月コースね。はいはい、そこの若いの。そこにお座りんしゃい」

 ヴェールをかけるや老婆の声になり、背も肩幅も縮まった。俺の中でアクベンスさんとアルファルドさんは二大巨塔だ。ふたりは店長よりも背が高い。だからこそ『UFO』をやる時にフォーメーションが映えるのだ。それなのに目の前の彼女は一回り二回りと小さく見える。心なしか黒のマニキュアの指がしわだって見える。ミステリアスだ。

 弱みを握られたかのように俺は席に着いた。

「ちなみに何占いっスか?」
「カニ占いだよ」
「カニっスか?」
「そうだよ」

 テーブルに置かれたのはカニの甲羅。器の役割であるらしく、そこに焦げ茶色の何かを二摘まみしてマッチで火をつけた。葬式の焼香のにおいがする。一筋の煙がアクベンスさんの鼻息で渦を巻く。二摘まみの何かはチリチリとかすかな音を立て、炭になりながらいびつな塊を作っていく。火が消えそうなところでまた別の何かを小さじ一杯分。

「何入れたんスか?」
馬油バーユ

 炭の塊は白く溶け出し、火は復活する。蝋のような白い液体は無色になり蒸発していく。化学実験を見ているかのようだった。電車がまた頭上で通過して、火が大きく揺らめき、透けたヴェール越しに老婆の波打ったしわと口元が映った。

 やがて火は消え、甲羅にひびが入った。

「はい、出ましたよー」
「今のでわかるんスか?」
「わかるんすよー」

 可笑しそうに大きくうなずいてから「さて」と改まって、干からびた指を組む。

「一ヶ月、といっても多少の誤差は許しておくれよ。宇宙からすれば一ヶ月なんてちっぽけなもんさ」
「ああ、はい」
「嫌な予感しているだろう?」
「え、何がですか?」
「それは、当たるよ」
「あの、俺さっき、なんとなく嫌な予感するなとは思ってたんスけど」
「うんそれ。それが当たる」
「マジすか」
「まじ」

 焼香の匂いで頭がくらくらする。

「何があるんですか?」
「嵐があるよ」
「嵐……?」
「嵐にぶち当たるよ。それで精神が参っちまう」

 ヴェールの下で喉奥から笑っているのが聞こえた。雰囲気を重視しているにしては仄暗い不気味な笑い声をしている。背筋に虫が一匹這ったような不快感。それは冷や汗だったのか。俺は額をひとなでした。

「マジスか」
「まじ。でも心配はいらないよ。嵐はあっという間に過ぎ去っていくものなんだからね」
「具体的にどんなことが起こるんスか?」
「過去を清算する時の訪れ……思わずついてしまった嘘が嵐を作ることになる」
「嘘をつかなきゃいいってことっスか?」
「馬鹿正直になれるかどうかがこの一ヶ月を左右するんだ。しばらくは過去に悩まされて憂鬱気味になるけど、それが過ぎれば嘘みたいにエンジンがかかるからね」
「はあ」
「ラッキーカラーは赤」
「ニュース番組の占いじゃないんスから」
「そう言われてもそう結果に出てるんだよ」
「もっとなんか参考になるような」
「安物のカニだからその程度しかわからないの。社員割引使ったからね」
「なんなんそれ……」
「はい、千五百円」

 彼女は金を手招いた。本来なら一ヶ月分ということで三千円取られるところ。占い界の相場ではそれくらいの額なのか、渋々払った。

「はい、毎度あり。今度かに道楽でカニ鍋おごってあげるね」
「マジスか?」
「まじ」

 最終的にはちょっと得した気分になった。ラッキーカラーはアクベンスさんの髪のことなのか。
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