壺の中にはご馳走を

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顔を返して④

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「体は僕のものなのに、顔だけ別人になっている!

 思わず

『うわぁ!?』

 と叫んだけれど、老婆は口をピクリとも動かさなかった。

 じゃあ、僕が今しゃべっているのはなぜ?

 僕の顔はどこにある?

 考えても答えが出るはずもなく、ジトリと見る老婆から目を背けました。


 学校に行って、洋介にこのことを話しました。

 貴史は美香といい雰囲気になってて心霊話には耳を傾けそうになかったので、洋介だけに。


 タバコを吸っていた洋介には何も起こらなかった。

『紗矢は? あいつユーレイが見えるらしいぜ。相談するフリして家に誘えよ!』

 洋介も僕の話を冗談だと思っているようでした。


 それから数日経っても、鏡の前に立つと老婆とにらめっこ状態。

 でも向こうから手が伸びてくるわけでもないし、こんな状況でも人間は慣れるもんだなと感心していました。

 返事も来ないのに

『おはよう。今日も皺くちゃだな』

 なんて軽口を叩いていた。


 そんな楽観的な思考を捨てざるを得なくなったのが、5月も終わりに差し掛かる頃。

 美香から紗矢が失踪したことを聞いた。

 
 僕はあの老婆がやったんだと、背筋が凍った。

 何としてでも、自分の顔を取り戻さなくてはいけない。

 じゃないと次は僕の番だと直感したんです。


 近所の神社に相談すると、神主さんは険しい顔をして

『これは私の力ではどうにもなりません。他をあたってください』

 とお祓いを断られました。


 それからはネットで調べたお祓い方法を試し、鏡を見ては落ち込む日々。

 次第に鏡を見ることすら怖くなり、家中の鏡はビニールテープで塞ぎました。

 僕の顔を映す全ての物が怖くて、学校にも行けていません。

 テストだってあるのに……。

 でも見えないようにするだけでは、あいつは消えないんです。


 どうか、助けてください」


 話が終わると、女性は鏡を真也に向けた。

 恐怖で顔を背ける真也。

「よく鏡を見ろ」

 女性の声に従うと、真也の顔が映っている。


 少しやつれてはいるが、久しぶりに見た自分の顔に涙ぐむ。

「戻った……! 僕の、僕の顔だ!」

「この壺がお前から邪悪を引き剥がしたのさ」



 女性は今回の不可解な現象を次のように説明した。

「お前はカオナシに憑かれていた。カオナシは人の顔を喰らう妖怪だ。顔っていうのはその者の象徴と言える。象徴を失ったらどうなる? その者は死を待つしかない。お前はすぐにでも死ぬはずだったが、カオナシはホクロが苦手で、少々食べるのに時間がかかる」

 女性は真也の顔をチラリと見た。

 真也には目元に2つ小さなホクロが並んでいる。

「ホクロには霊的な意味があり、お前を守るものだ。だがホクロ1つでせいぜい1ヶ月が限度だろう」


 真也がカオナシに憑かれたのは5月初旬。

 そして今が7月の第2水曜日。

 ホクロが2個で2ヶ月しか持たない計算だ。

「お前は先週、ここで少し話しただろ? あの時、壺が少し剥ぎ取った分、アタシのイタズラに乗せられても生き延びることができたんだよ」


「僕はギリギリ助かったということですか?」

 ここで真也は友人を思い出した。

「紗矢は? 紗矢もここで話せば――」

「その女がカオナシだ」


 沈黙が流れた。

 特別仲良しでもなかったが、同じ科の同級生で一度は遊びに行った仲だ。

 あわよくば彼女にしてやろうとも思っていたのだ。

 簡単に信じられるわけがない。

「紗矢が!? でも普通に大学に通って――」

 真也の脳裏に老婆の顔が浮かぶ。

 あの日、一瞬紗矢の顔が老婆になっていた。


「カオナシは顔を持たない存在ではない。普通の人間のフリをして、顔を喰らうチャンスを伺っているんだ。老婆の顔こそが女の真の顔だったということだ。失踪したのは、目的を果たしたからだよ。お前の顔を手に入れるというな」

「じゃあ、心霊スポットにいた霊じゃないってことですか?」

 真也は「青山峠トンネル」に出ると噂されていた髪の長い女に呪われていると思っていた。

「心霊スポットなんてほとんどが嘘だ。たまに本物があるから、迂闊に近づくのは勧めないけどねぇ」


 もう一度鏡に映る自分の顔を確認し、ホッと胸を撫で下ろす真也。

 壺の中から低い男の声が響いた。

「ゴチソウサマ、ゴチソウサマ」


 びくりと肩を震わせる真也を、女性は笑った。

「あはははは。こいつはお前の話に満足したようだ」

「その壺って何なんですか?」

 壺からは何も聞こえなくなったが、真也に中を覗き込む勇気はなかった。


「さっきも言っただろう。こいつは言葉に宿る霊力を喰らう。ついでに邪気も引き剥がすから、お前に顔が戻った。カオナシそのものを喰らうことはできないから、今頃どこかで別の獲物を探しているだろう。また顔を盗られたら壺に話しかけるといい」

 もう二度とごめんだ、と真也は思った。

 女性はここで初めて自己紹介をした。

「アタシは高納茉美たかのうまみ。ここで占い師じゃなく、祓い人をやっている。客が支払う料金は、壺を満足させる薄気味悪い話。これからよろしく頼むよ、真也」


 真也は契約により、毎週水曜日にティサへ通うことになった。
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