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本物との遭遇

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 パラスリリーを出航して4日目――。

 嵐になることもなく、食糧や水の備蓄も十分過ぎるくらいだ。
 これが冒険なら退屈してしまうが、この先に待つ目的を思うと少しでも長くのんびりしていたい。

「いや~それにしてもドクターが来てくれて助かるッス」

 オリヴァーは数日で未経験だった船の扱いを習得した。

 これまで研究にのみ使っていた脳の領域が、船乗りとしての才能を開花させた。

「薬も持ってきたから安心してね」

 非日常的な海での暮らしも、オリヴァーがいると研究所にいるような安心感がある。


 が、それもすぐに崩れ去る。

「イワンさん、アレ何ですか?」

 骸骨の旗をなびかせた巨大な船が近づいてくるではないか!

(まさか、これが海賊ってヤツ!?)

 元海軍のイワンは海賊など見慣れているはずだ。

 一方でオリヴァーは私と同じように初遭遇だろう。

 オリヴァーの恐怖で引きつったレアな顔を拝もうと見上げると、予想に反して落ち着いている。

「な、なんで2人ともリラックスしてるんですかー!」

 私だけが間抜けに船上をウロウロする。

 そうしている間にも海賊船(仮)は距離を詰めている。

 
 オリヴァーはクスッと笑った。

「前にも言ったじゃないか。パラスリリーの船は絶対に襲われないよ。香水を載せた商船なんか襲ったら貴族から恨まれる。世界を敵に回すことに等しいからね」

 言われてみれば警戒しすぎたかもしれない。
 パラスリリーの安全が保障されているのは、これまでの長い貿易で裏付けられている。

 小っ恥ずかしくなり、気を取り直してお茶でも淹れようと船内に向かう。

 
 しかしイワンの一言で状況は深刻さを増した。

「お二人は船内に入ってくださいッス」

 私とオリヴァーはイワンを見た。

「あれはただの海賊船じゃないッス。死神リーパー海賊団に世界のルールは通用しないッス」

 イワンは決して落ち着いていたわけではなかった。

 刻一刻と迫る脅威にどう対抗しようか思案していたのだ。

 

 オリヴァーに腕を引かれ、船内へと走る。

 が、船がグラリと大きく揺れるせいで思うように動けない。

 海賊船が大砲を撃ち込みながら近づいているからだ。

「自分の命に代えても守るッス」

 幸運なことに大砲の直撃は免れたが、海賊船はついに船の針路に立ちふさがった。

「どうしよう! イワンさんを助けなきゃ」

「危険だ。今は彼に任せよう」

 イワンの元へ駆け寄ろうとするが、オリヴァーに羽交い締めにされ動けない。

 武器を持たずに最前線にいるイワンと、後方から見ていることしかできない私たち。

 海賊船からはワラワラと海賊たちが顔を覗かせ、無力としか言いようのない構図を嘲笑する。


「お頭の言う通り、パラスリリーの船に護衛はいないぜェ!」

「あそこには女もいるなあ!?」

 オリヴァーが前に出て私を隠す。

 海賊たちを押しのけて奥から中年の大男が現れた。

「ガーハッハッハー! パラスリリーの商人たちよご機嫌よう。命が惜しければ全ての食糧と金、そして香水を渡してもらおう」

 この男はきっと船長だ。

 命が助かるならと、船室に保管してある香水を取りに行く。

 
 背中で動きを察知したイワンの声が響く。

「ダメっす! それはパラスリリーの宝ッス。死神リーパー海賊団は、死神のように目を付けた人間の命を刈り取るッス。こいつらは船を沈めるつもりッス」

 命乞いができないと知り、絶望の淵に落とされる。

 オリヴァーはあまりにも外の世界を見てこなかったため、このような状況すら楽観的に考えていた。

「大丈夫。何か方法があるはずだ。きっと分かってくれる」

 世の中には話し合いが通じない人間がいる。
 そんな人間には関わらないのが一番だ。

 もし遭ってしまったら?

 戦うか、泣き寝入りするかだろう。

 戦わなければこのまま船は沈み、戦ってもこの戦力差では惨たらしく命を落とすだけだ。

 パラスリリーの商船がこんな危険と隣り合わせだったとは……。

 いやむしろ、私たちは今まさにパラスリリーの歴史に刻まれる大不運に見舞われているのではないだろうか。


 船長はイワンに対し、さらに大きな声で威嚇する。

「ガーハッハッハー! 俺たちのことをよーく分かってるじゃないか! それでおめぇはどうするんだァ?」

 イワンは懐からナイフを取り出し構えた。

「自分がこの船を守るッス」

 それまで静かに船長の声に耳を傾けていた海賊たちが一斉に笑いだした。

「ギャーハハハ! そんなナイフ1つでどう戦うってぇ?」

「見ててくだせぇお頭! 俺が一人であいつを殺って来ますゼ」

 
 屈辱を受けたイワンは、なおも前を見続けている。
 そして大声で叫んだ。

「戦いで――――ッ、大切なのは――――ッ、前に進み続けることだ――――ッ!!!! オルロフ中将の――――ッ、教えは――――ッ、悪に屈しない――――ッ!!!!」

 勇敢で気高い軍人の言葉だった。

 しかし気概だけで戦いに勝てるとは思えない。
 イワンの最期を見届けることになると覚悟した。

 
 少しの沈黙の後、まさに火蓋が切られようとする空気の中、船長が動いた。
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