叢説竜神世界噺

三郎吉央

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3.年老いた元竜皇の呟き

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「ふう、一旦はひと心地つけそうじゃな。」

そう言って老年の男性は部屋に置かれていた長椅子に深く腰掛け、頭から略冠を外す。

整えられていた白金色の髪が崩れて頬へと落ち、深い皺が刻まれた顔に疲れた印象が加わる。

老年の男性の名はダルディオス。

長い寿命と強靭な肉体、豊富な魔力を有し『竜神の眷属』を自称する種族、竜属。
その竜属国家の中で最も有力な国家であるエストリア白竜皇国の前竜皇であり、譲位して『禅譲皇』と称されている貴顕である。

長く竜皇位に在った頃は『最も竜神に近しい』と謳われた偉大な竜皇であったが、齢80廻年(1152歳)を超え、老いによる衰えを隠すことは出来なくなってきていた。

長椅子に腰掛けたダルディオスにすかさず侍従が近寄り、杯に注いだお茶をすすめる。

ダルディオスは自然な様子でその杯を受け取ると小さな声で、
「小鳥は動いたか?。」
ボソッとつぶやいた。

「先程、羽がひとひら風に舞ったようでございますれば、両日中には。」

ダルディオスは侍従のその言葉を聞くと『うむ』と頷き、杯に口をつける。

「渋いな……。」

杯を侍従の持つ台に戻すと再び長椅子に座り直した。

杯を受け取ると侍従は下がって行く。

今日、ダルディオスは皇位を譲ってから初めて息子のアズダード竜皇に『入れ知恵』を行った。

「橙の実はじきに熟れて落ちる。新しく植えるのならば種から育てた方が根付きが良いだろう」

それは『アルスナート皇子を属領となっているユグレス地方を与えて君主に据えよ。』という入知恵だった。

エストリア白竜皇国はかつて世界を治めていた大竜帝国の皇家の一つで、大竜帝国皇帝の末裔6皇家のひとつ、白竜皇家が治めている。

白竜皇家は大竜帝国が解体されてからもこの地を治め続け、数千年の時を重ねてきた。

対して、大竜帝国時代、ユグレス地方はエストリア竜皇国とは別の国であり、ユグレス竜王が治める独立した王国であった。

だが、数代前にユグレス竜王家が断絶し、エストリア白竜皇国に併合された。
それからはエストリア竜皇家がユグレス竜王も兼ねるようになっている。

そのためエストリア竜皇家はエストリアの君主であると共に、ユグレス地方を治めるユグレス竜王という君主でもあるのだ。

本来であればダルディオスが生涯の終焉を迎え、祖たる竜神の内へ還る時、エストリアとユグレスの君主の座を息子のアズダードに引き継ぐはずであった。

だが、ダルディオスの治世は50廻年(約720年)近い長い治世となり、ダルディオス自身の年齢も80廻年(1152年)を超えて竜属としても長寿と言える年齢となってきた。

そこでエストリアの君主位である竜皇位については5廻年(60年)ほど前に息子のアズダード皇太子に譲った。

しかし、竜皇位を息子に譲ったとはいえダルディオスはまだ健在であるし、諸々の事情があったため、ユグレスの竜王位についてはまだ譲っていなかった。
だからダルディオスはまだユグレス王なのである。

ダルディオスはそのユグレスの竜王位をアズダードの息子のアルスナートに継がせればよいと、例えエストリアの竜皇になれなくとも、ユグレスの君主に据えればアルスナートの立場は守られる。
そうアズダードに伝えたのだ。

今、ダルディオスには気がかりなことがある。

それは歳を経てからやっと授かった息子、現在の白竜皇アズダードとその家族のことである。

息子であるアズダードが生まれ、無事に育ち、アズダードに最高の花嫁、ダリア青竜皇国のラファエナ皇女を縁付かせたことで、ダルディオスは安心して後事を託せると思っていた。

だが、今、そのラファエナ皇女との婚姻が新たな悩みの種になってしまっている。

夫婦となったアズダード竜皇とラファエナ皇妃については夫婦仲も良く夫婦仲については何の問題も無かった。

だが、残念なことに二人はなかなか子宝に恵まれなかった。

ダルディオス夫婦にも長く子供が出来ず、アズダードが生まれたのはダルディオスの年齢が30廻年(432年)近くなってからであったので、子ができない焦りと精神的重圧はダルディオスにも痛いほどわかる。

そのため、アズダードとラファエナから『側妃を娶ろうと思う』という相談を受けた時、渋々ながらも賛成したのだ。

ただ、その後の流れが悪すぎた。

ダリア皇女であるラファエナの正妃としての立場を考え、側妃は国内の貴族の子女、南部地方の大貴族ギュネー侯爵家の息女、ルイーネ公子が選ばれたのだが、ルイーネは嫁いで僅か数年で懐妊してしまった。

この事態はダルディオスを大いに悩ませた。

ルイーネ側妃に子供ができたことについては喜ばしいことだったのだが、それによって世間では長い間子供ができなかったのは『ラファエナ妃に問題が有るのではないか』という疑念が広がってしまったのだ。

高位竜属達の間ではアズダードとラファエナ皇妃の間に子供が出来にくいであろう事はある程度推測されていた。

古来から高位竜属同士の婚姻では子供ができにくいということが伝えられていたためだ。

『魔力が多い者同士の間には子はできにくい』

それは竜属の高位貴族達の間では常識の様なものだった。

ただ、それは長く続く貴族家の間で伝え語られている事であり、一般の竜属はもとより経ても数代といった新参の貴族達が知らないのも無理からぬ伝承だった。

そのため、一般の竜属や下位の貴族家出身者達の間にラファエナ皇妃への言われなき噂が拡まってしまったのだ。

竜属や妖精族といった強い魔力を持つ種族は聖霊の支族と呼ばれるが、聖霊の支族の祖先は元々はこの世界とは違う世界の住人だったと言われている。

だが、神代の時代、神々と竜神が争った時代に多くの世界が争いに巻き込まれ、滅んだり合流するなどして現在の世界が生まれたと伝えられている。

曰く、元々この世界には魔力が無かった。
そのため、本来魔力が無かったこの世界では魔力を持つ竜属の様な聖霊の支族は生き辛いのだという。

魔力が多すぎると竜属が本来住んでいた世界の理に近くなり過ぎて、この世界に生物として『生まれる』ことが困難になるのではないかと言われている。

若い学者達が熱心に研究し、最近では魔力の量を数で表す学問が広まっていて、数廻年ほど前にはダルディオスも新鋭と言われる若い学者から魔力を数量で表現して学説の説明を受けた。

だが、ダルディオスには魔力を『数』として説明される事に違和感があり、若い学者の言いたいことがよく理解できなかった。

ダルディオスも若い頃はそこそこ学問に打ち込んだものだが、古い知識のままで最近の魔法学者の話を聞いていると、若い学者の言っている事はほとんど理解できない。

それは長く生きたダルディオスの『老い』が新しい知見を理解できないのか、それとも感情的に理解したくないためなのか。

『若い学者達はどんどん新しい言葉、方式を創り出し過ぎであろう。昨今はずいぶんと語彙の数も増えたうえ、古い言葉も昔とは意味も違ってしまっている。そもそも一つの知見を得た時、一つの言葉を追加してしまったら言葉は無限に増えてしまうではないか!安易に新しい言葉を作りたがる最近の若い者達にも困ったモノだ。』

そんな批判的な思考が頭をよぎったが、ダルディオスは頭を振って思考を改める。

『……いかん、また思考が逸れてしまった。』

最近、妻のアーミナにもよく『お考えが逸れて言葉が重なりすぎでは?』と、暗に『クドイ』と言われるが多くなった。

だが、ダルディオスは、
『まだまだ若い者達には私が助言してやらなければならないではないか。』
などと、思っている。

『エリオルド皇子が生まれて神竜レスメディソドス様が祝いの言祝ぎに来てくださった際も年若い者たちは狼狽えるばかりだったではないか。』

竜神の眷属たる竜属にとって、竜神の直系の神子たる神竜がわざわざ誕生の言祝ぎをしてくれる事はとても名誉であり重要な事である。

それなのに皇都上空に神竜が姿を現した時、若い者たちは慌てて浮き足だってしまった。
その為、神竜はダルディオスが饗応した。

エリオルドの誕生した時、アズダード竜皇が生まれた時の典礼官はもう居なかったので、皆、様式も知らずに右往左往する典礼官達を叱咤したものだ。

もっとも、アルスナート皇子が生まれた時は神竜ではなく聖竜のアウシソドスが祝いの宝物を運んで来てくれただけだったのでダルディオスの出番は無かったのだが。

「ふう、あれから2廻年か……。」

思えばアルスナート皇子が生まれて2廻年(24年)近い年月が流れた。

寿命が長い竜属にとって2廻年など短い時間でしかない筈なのだが、アルスナート皇子が生まれてからの時間はダルディオスにはとても長い時間に感じられる2廻年間だった。

動揺の始まりは神竜レスメディソドスの言祝ぎが無かった事だった。

代わりに遣わされた聖竜アウシソドスは非常に遜って丁寧な様子ではあったが、明らかに様子がおかしく、貢物と称して大量の宝石や魔石を贈ってはくれたものの、誕生時に神竜自身が姿を見せなかった事から貴族達の間で動揺が拡がっていた。

そして、その後アルスナート皇子は『虚無症』、すなわち『無能者』と診断され、続くラファエナ皇妃とルイーネ側妃の確執、それに伴い『療養』名目のラファエナ皇妃の蟄居。

アルスナート皇子が生まれた事でエストリア竜皇家は荒れている。

「不憫な子よ……。」

決してラファエナの産んだ皇子、アルスナートが忌み子だなどと言う訳ではない。

だが、残念ながらアルスナート皇子が『無能者』として生まれてしまったが故に始まってしまった連鎖だ。

ルイーネ側妃の産んだエリオルドもラファエナの産んだアルスナートもダルディオスにとっては可愛い孫で両者に対する想いに違いは無い。

だが、アルスナート皇子が正妃であるラファエナ皇妃の長子でなかったなら。
ラファエナ皇妃が青竜皇国ダリアの皇女でなかったならば……。

そんな『もしかしたら』という感慨が頭に浮かぶ。

しかしそれは考えても意味が無い事だということくらいダルディオスにもわかっている。

そもそも、ダリアの竜皇ラリュークにラファエナ皇女と息子アズダード皇太子の縁談を願ったのはダルディオス自身である。

その時はここまで事態が複雑になるとはダルディオスにも想像出来なかった。

「あら?お休みになっておられますの?。」

沈思黙考していると妻のアーミナが部屋に入ってきていた。

ダルディオスは長年連れ添った妻の揶揄う様な言葉に、目を開ける。

いつの間に瞼を閉じていたのだろう。

「いや、夢なぞ見てはおらぬよ。」

「あら、時には夢を楽しむのも良いことだと思いますのよ?御身をお労り下さいませね。」

アーミナはそう言いながらダルディオスの向かいの長椅子に腰掛ける。

「ルードを。」

傍らに来た侍従にお茶を頼むと、侍従は礼をして音もなく部屋を出ていく。

部屋の中には他にも数人の侍従達がいるが、その誰もが身動き一つせずに立っている。

「其方も幾つかの糸を手繰っていたのであろう?。」

ダルディオスが息子であるアズダード竜皇に会いに行っている時、アーミナは婦人達で集まってお茶会を行っていた。

おそらく幾つもの方面に種を蒔いてきたのだろう。

「忘れられておりますが、『放置男爵』を頼っては如何でしょう?。」

「む?。」

「わたくし、咲き誇る大輪の花は美しいけれど、小さく咲いている花も可愛らしいのよとお話ししましたの。そしたら、可愛らしい花なら倒れない様に支えをしてあげて、踏み荒らされない様に花壇に植え替えてあげなければダメよと仰るのよ?それなら後は守番には『触っちゃダメよ』と伝えるだけで済むから。あとは他の者が良い様にお世話してくれますわっておっしゃるの。ワタクシ達が愛でるのはその後でも良いじゃないって仰ってたのよ?。」

アーミナは長椅子に座ると早口でそう語る。

『もし、意固地で頑固なダリアの金床頭が咬んで来たら厄介だが、アーミナが会っていた元侍従長の女子爵の方は話が通しやすかろう。』

一瞬、ダリアの外交大使を務める老公爵の顔が浮かんだが、アーミナの言葉からダルディオスは、最近、不穏な動きを見せていたダリア派閥の方は何とかなったと少し安堵した。

今日、彼の妻アーミナが会っていた女子爵はラファエナ皇妃の侍従だった女性で、言葉少なく何を考えているのか推測しにくい人物ではある。

だが、件の女子爵はアルスナート皇子の母であるラファエナの為だと判断すればどのような条件でも呑むような人物であり、アーミナの言うようにアルスナート皇子に信用が出来る者を家臣として付ければいたずらに騒いだりはしないだろう。

「だが、『放置男爵』を頼みにしたとして、『守番』は拗ねぬか?」

「あら?『守番』のご機嫌をお気になさいますの?でも見えないところで動いていても、まるで『鳴りモノ』を鳴らしている様な方よ?それに『勤勉な放蕩者』が側にいた方が『より慎ましく』為られるんじゃございませんか?」

「ククク、それは良いかもしれぬな。」

ダルディオスはそう言って少し愉快そうに表情を緩ませて、

「ふぅ、なんとかなりそうだのう。」

ダルディオスはそう言って長椅子の背もたれに身体を預け、天井を見上げる。

アルスナート皇子が生まれてから数年、この数月は特に不穏な状況であったが、やっと最悪の状況は脱したと判断出来る数少ない情報だった。

『可愛いアルスナート。そして可哀そうなアルスナート。望まれて生まれながらもその生まれ故に国から出さねばならぬとは。不憫な孫じゃ……。』

ダルディオスは一瞬の感傷の後、妻のアーミナの顔を見た。

先ほどまでは明るい感じの表情で微笑んでいた老妻も、一瞬だけ表情が曇っていた。

おそらく、アーミナも今後のアルスナートの行く末を案じているのだろう。

アルスナートは二人にとって可愛い孫だ。

だが、譲位し引退したとはいっても二人は竜神の眷属たる竜属国家エストリア白竜皇国の君主一族である。

竜属という種族全体の事を考え、その利益のためにも国を割るようなことはできない。

国を割るような事態を防ぐためにもアルスナートにはエストリアを出てもらうしかない。

だが、それでもアルスナートは二人にとって長く待ち望み、やっと生まれてくれた可愛い孫の一人なのだ。

国から出すのだとしても皇子アルスナートの身分と矜持は守ってやらねばならない。

ダルディオスもアーミナも年齢から考えて、アルスナートの成人まで助けてやれないかもしれないが、それでも出来得る限りの手助けと信用できる家臣を育てやらねばならないと考えている。

例えアルスナート皇子が『無能力者』であったとしても、何もできない者であったとしても、その一生を健やかに過ごせるように整えてやる責任があるのだ。

「まだまだ、楽にはなれぬのう。」

「本当に。」

多くを語りあったわけではないがダルディオスの言葉に相槌を打つアーミナ。

細かな説明をしたわけではないが、長く連れ添った老妻には伝わったのだろう。

「よろしく頼むぞ。アーミナ。」

ダルディオスは長い時を共に過ごしてきた最も頼もしい相棒に笑いかけるのだった。
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