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6.テレジア・キャストレイの苦渋
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テレジアはエストリアの騎士爵家の娘である。
テレジアは幼い頃よりエストリアの騎士団に入って騎士になり、ゆくゆくは魔動甲冑、レグノーに乗って竜騎士になるのが夢だった。
「テレジア、貴方には侍女としてユグレスに行儀見習いに行ってもらいます。」
しかし、突然訪ねて来た祖母イネッサ・キャストレイ前子爵は応接室の椅子に腰かけたままテレジアにそう言い渡した。
「お義母様、テレジアは騎士になる為、来年より従士として騎士団に入る予定となっておりまして、ユグレスになど……。」
「ラファエナ様のご子息、アルスナート皇子がユグレスの領地に入封されることになりました。貴女には側仕えとしてユグレスに同行してアルスナート皇子の護衛をしてもらいます。」
父が庇ってくれようとしたが無駄だった。
イネッサ率いるキャストレイ家はダリア青竜皇国皇女ラファエナがエストリア白竜皇の正妃となるべく嫁いで来た時、侍女として侍臣としてダリアから付き従って来た貴族家である。
テレジアの祖母のイネッサ・キャストレイはラファエナ妃の侍女としてエストリアに来て、エストリアでも叙爵されて子爵となった。
子爵位を得て貴族家として封爵後もイネッサにとってラファエナ妃のことが一番であり、ラファエナ妃が産んだアルスナート皇子のことは家族や孫のテレジアのことよりも優先すべき事案なのだろう。
そして、彼女がこうしてラファエナ妃に関して何かを決定したならば、家族の誰も彼女を止めることは出来ない。
「アルスナート皇子には味方がございません。貴女は自分をアルスナート様のアルスナート様だけの『騎士』になるのだと思ってお側で護りなさい。」
イネッサはテレジアの目を真っ直ぐ見て、とても厳しい表情でそう言った。
「え?、アルスナート皇子には護衛騎士が付いて行くのでは無いのですか?。」
祖母の厳しい表情を見て、怪訝そうにテレジアの父カルルが尋ねた。
アルスナート皇子についてはとある『噂』が囁かれている。
それはアルスナート皇子が『阿呆』で皇族足りうる能力がなく、竜皇から疎まれているというものだ。
だが、どんな噂が有ろうともさりとて皇子だ。
専任の護衛騎士を連れずに地方へ領主として赴くことなどあるのだろうか?
「今のところ何の話もありません。ダリアのスーロフ様にも何の報せも無いということです。」
祖母はそう言って目を伏せ、辛そうに、
「ラファエナ様、なんとお労しい......。」
と悲しそうに小さな声で呟いた。
イネッサは心の底からそう思っているのだろう。
しかし正直泣きたいのはテレジアの方だった。
騎士、それも魔導甲冑レグノーに乗り『竜騎士』になるがテレジアの夢だ。
正直、テレジアは剣も槍も棒術も弱い。
『テレジアに武人の才は無い』
武芸の先生からもそう評価されてしまっている。
だがそれでもテレジアは騎士になりたいと希望し続け、数年がかりでやっと父を説得し、ようやっと父の許可を取り付けた。
そして来年から騎士団の従士になれるというこのタイミングでイネッサがこのような話を持ってきたのだ。
テレジアにとっては疎ましいことこの上無かった。
そんなにアルスナート皇子のことが心配ならイネッサの家、キャストレイ子爵家本家の娘が行けば良いのだと思う。
テレジアは祖母にそう言ってやりたかったが、困っている父の様子を見るとテレジアはなにも言うことができなかった。
父カルルは本家の当主、テレジアにとっては叔父の護衛騎士をしているし、分家であるテレジアの家は元々立場が弱い。
「行って……くれるか?テレジア。」
「……。」
テレジアは答えなかった。
いや、答えると応えたことになるような気がして、騎士になりたいという自分の夢を自分で諦めることになるような気がして、答えることができなかったのだ。
「行っては、くれまいか?。」
もう一度問いかけてきたカルルの顔はとても辛そうで、テレジアは思わず目を伏せる。
そんな父を見ても、それでもテレジアは『はい』とは言いたくは無かった。
「行きなさい。それが貴女のためです。そして貴女の未来はアルスナート様と共にあります。」
テレジアと父親の心情を知ってか知らずか、イネッサの冷たい声が無情に判決を告げる。
「……はい。」
テレジアは辛うじて聞こえるような声、絞り出すような声で返事をした。
「よろしい。」
厳格な祖母はそう言うと立ち上がり、来た時と同じようにサッと帰っていった。
テレジアは退出する祖母の見送りもせず俯いていた。
「……。」
父はそんなテレジアを見ながらも何も声をかけずに部屋を出ていった。
父がいなくなった後、俯いた顔から涙が落ちる。
「……ぅぅう、ぅぅ、ぁぁあ……。」
部屋に誰も居なくなって一人になってから、テレジアは嗚咽のような小さな声を漏らしながら泣いたのだった。
後日、キャストレイ本家から迎えの馬車が来て、テレジアはキャストレイ本家の養女となった。
アルスナート皇子の侍女になるには騎士爵家の娘では格が低すぎるのだという事らしい。
『それならばアデリーナが行けば良いのに』
家の格の違いについて説明された時、テレジアは従姉妹にあたるキャストレイ子爵家本家の娘の顔を思い出してそう思った。
本家に移ってからテレジアは祖母のイネッサに行儀作法を習った。
そもそも行儀見習いの侍女として行くはずなのに、テレジアは『行儀見習い』が修めていなければならない最低限の行儀作法もなっておらず、上流貴族の礼儀などまるでなっていなかったのだ。
テレジアは騎士を志して剣や槍の訓練に明け暮れていたのだからそれもやむを得ないことだったのだろうが、イネッサは全く『やむなし』とは納得してはくれなかった。
テーブルマナーから立ち居振る舞い、所作、歩き方に至るまでみっちりと叩き込まれる。
『叩き込む』の言葉通り、イネッサは細い鞭を持ち、姿勢から歩き方、手の振り方まで『美しくない』時には容赦なく鞭が飛んできた。
朝明るくなってから夕方暗くなるまで祖母イネッサが『よろしい』と言うまで、行儀作法の訓練が続く。
夕食を取ってから就寝するまでの間だけは自由時間にしてもらえたので、テレジアは自由時間には剣や槍の素振りなどの武芸の稽古をして過ごした。
それまでは幼い頃に剣の師匠である騎士に言われてから続けてきた、ただの日課だったが、本家に来てからは心の拠り所のようになった。
礼儀作法の訓練で頭が痺れるほどに疲れていても、無心で剣の素振りをすれば気分が紛れた。
そんな生活が1年余り続いた後、アルスナート皇子がユグレス地方へ下向する事になり、アルスナート皇子の御目見えとなった。
テレジアは祖母のイネッサと養父となったキャストレイ子爵と共にエストリア皇宮へと参内したが、なぜか祖母達は謁見叶わず、テレジア一人での謁見となった。
祖母のイネッサはかなり食い下がっていたが、侍従から謁見自体を『無かった事に』と脅されて引き下がった。
いつも冷静な祖母が奥歯を噛み締めるほどに悔しそうな表情をしているのがテレジアには新鮮に映った。
本家に移ってからの1年、テレジアはイネッサに色々と叱られてばかりだったが、祖母のいつも叱られている時とは違った『怒り』を感じて、何事にも冷静で全て見透かされているように感じていた祖母でもこれほど感情的になるのかと不思議な気持ちになったのだった。
「テレジア・キャストレイ殿、面を上げられよ。」
謁見の部屋に入ると、両膝を床について両腕を胸の前で組み、両肩を指す様に両手の指先を真っ直ぐに伸ばす。
その形から頭を下げた最敬礼の姿勢で待つ事数分、侍従の声に顔を上げると数歩離れた上座にお世話係の侍女と思しき少女のスカートにしがみ付きながらこちらを見ている幼児が居た。
テレジアの見たアルスなート皇子の第一印象は、その様子や見た目から『弱々しい』という感じだった。
だがなぜかテレジアにはアルスナート皇子が単純に『弱い』とは思えなかった。
見た目は非常に弱々しくて、師匠に『武の才能が無い』と言われたテレジアから見ても『弱そう』に見える。
だが、テレジアにとってアルスナート皇子を一目見た時の印象は『弟に負けた後』に見た弟を見ているような感じで『まるで勝てそうもない』ように感じる。
それはただ単に『弟に負けた』という経験からテレジアが年下の男の子を見ると萎縮してしまっているだけなのかもしれない。
しかし、弟に負けた時、テレジアは少なくとも実際に弟に負けるまでは、弟に『勝てる』と思っていた。
それなのに、消えてしまいそうなほど『弱々しい』様子のアルスナート皇子を見ても『勝てる』という気持ちが一切湧いてこないのだ。
気配が薄いせいだろうか、まるで圧倒的な彼方に有る星を見つめている様な。
またはその星に手を伸ばして『届かない』と感じている様な。
そんな迂遠なモノを見ている感じ……。
だがそんな印象を抱いているにも関わらず、見られているだけでも既に背後まで回り込まれて、首根っこを掴まれているような感じがして頭の後ろの方がザワザワする。
「キャストレイ殿?名乗られよ。御前ですぞ?。」
テレジアは侍従の声にハッとした。
見ると、もうテレジアへの興味を失ったのか、ただ一人アルスナート皇子だけは傍らに立つお世話係の侍女のスカートに顔を付けて眠そうにしているが、他の者達全員がテレジアに注目していた。
不思議そうな顔をする者、怪訝な表情の者、色々な表情をしている者たちがいたが、少なくともテレジアが感じたような恐怖を感じたような表情の者は居ない。
そもそもテレジアも今は何も感じていない。
どうやら緊張で妙な感情が沸き起こってしまっただけらしい。
即座にテレジアは考えを切り替えると、
「テレジア・ドゥナース・キャストレイにございます。蒼天雲高く陽光暖かき良き日にお目見えいただけたこと祖たる竜神に感謝いたします。アルスナート皇子殿下に置かれましてはご機嫌麗しく、以後、お見知りおきをお願いいたします。」
そう言って最敬礼を行ったのだった。
そして、お目見えはテレジアの挨拶だけで、アルスナート皇子からのお声掛けなどは一切なく終了した。
侍女としての勤めは住み込みなのだが、勤め始めは後日からになるらしくその日はキャストレイ子爵邸へと戻った。
テレジアにとって非常に億劫だったのは、帰宅途中や邸宅へ戻ってからも祖母のイネッサから質問攻めにされたことだった。
とはいっても『お目見え』とはよく言ったもので、まさに『一目』姿を見ただけである。
祖母に説明できる情報など多くあるはずがない。
だが、普段厳格で冷静な祖母があまりに必死な様子で尋ねるため『顔を上げて一目見て、目が合って、アルスナート皇子が一瞬自分を見て……』と、一瞬一瞬の流れをできるだけ細かく説明をした。
しかし、祖母の聞きたかったことはそういうことではなかったらしく、今後お側に居られる時は出来る限りお声掛けを行い、その様子を観察し、そしてどういった反応があったのかなどを逐一連絡するようにと強く申し付けられてしまった。
無口な性格のテレジアにとって他者に説明して様子を伝えるなどという行為は非常に面倒極まりない事だったので、適当に返事をしておいた。
だが、過日、皇宮へ引っ越す際に大量の羊皮紙と羽根ペンとインク、封蝋を渡された。
衣類の量よりも多い羊皮紙をテレジアはげんなりとした顔で眺めるのだった。
テレジアは幼い頃よりエストリアの騎士団に入って騎士になり、ゆくゆくは魔動甲冑、レグノーに乗って竜騎士になるのが夢だった。
「テレジア、貴方には侍女としてユグレスに行儀見習いに行ってもらいます。」
しかし、突然訪ねて来た祖母イネッサ・キャストレイ前子爵は応接室の椅子に腰かけたままテレジアにそう言い渡した。
「お義母様、テレジアは騎士になる為、来年より従士として騎士団に入る予定となっておりまして、ユグレスになど……。」
「ラファエナ様のご子息、アルスナート皇子がユグレスの領地に入封されることになりました。貴女には側仕えとしてユグレスに同行してアルスナート皇子の護衛をしてもらいます。」
父が庇ってくれようとしたが無駄だった。
イネッサ率いるキャストレイ家はダリア青竜皇国皇女ラファエナがエストリア白竜皇の正妃となるべく嫁いで来た時、侍女として侍臣としてダリアから付き従って来た貴族家である。
テレジアの祖母のイネッサ・キャストレイはラファエナ妃の侍女としてエストリアに来て、エストリアでも叙爵されて子爵となった。
子爵位を得て貴族家として封爵後もイネッサにとってラファエナ妃のことが一番であり、ラファエナ妃が産んだアルスナート皇子のことは家族や孫のテレジアのことよりも優先すべき事案なのだろう。
そして、彼女がこうしてラファエナ妃に関して何かを決定したならば、家族の誰も彼女を止めることは出来ない。
「アルスナート皇子には味方がございません。貴女は自分をアルスナート様のアルスナート様だけの『騎士』になるのだと思ってお側で護りなさい。」
イネッサはテレジアの目を真っ直ぐ見て、とても厳しい表情でそう言った。
「え?、アルスナート皇子には護衛騎士が付いて行くのでは無いのですか?。」
祖母の厳しい表情を見て、怪訝そうにテレジアの父カルルが尋ねた。
アルスナート皇子についてはとある『噂』が囁かれている。
それはアルスナート皇子が『阿呆』で皇族足りうる能力がなく、竜皇から疎まれているというものだ。
だが、どんな噂が有ろうともさりとて皇子だ。
専任の護衛騎士を連れずに地方へ領主として赴くことなどあるのだろうか?
「今のところ何の話もありません。ダリアのスーロフ様にも何の報せも無いということです。」
祖母はそう言って目を伏せ、辛そうに、
「ラファエナ様、なんとお労しい......。」
と悲しそうに小さな声で呟いた。
イネッサは心の底からそう思っているのだろう。
しかし正直泣きたいのはテレジアの方だった。
騎士、それも魔導甲冑レグノーに乗り『竜騎士』になるがテレジアの夢だ。
正直、テレジアは剣も槍も棒術も弱い。
『テレジアに武人の才は無い』
武芸の先生からもそう評価されてしまっている。
だがそれでもテレジアは騎士になりたいと希望し続け、数年がかりでやっと父を説得し、ようやっと父の許可を取り付けた。
そして来年から騎士団の従士になれるというこのタイミングでイネッサがこのような話を持ってきたのだ。
テレジアにとっては疎ましいことこの上無かった。
そんなにアルスナート皇子のことが心配ならイネッサの家、キャストレイ子爵家本家の娘が行けば良いのだと思う。
テレジアは祖母にそう言ってやりたかったが、困っている父の様子を見るとテレジアはなにも言うことができなかった。
父カルルは本家の当主、テレジアにとっては叔父の護衛騎士をしているし、分家であるテレジアの家は元々立場が弱い。
「行って……くれるか?テレジア。」
「……。」
テレジアは答えなかった。
いや、答えると応えたことになるような気がして、騎士になりたいという自分の夢を自分で諦めることになるような気がして、答えることができなかったのだ。
「行っては、くれまいか?。」
もう一度問いかけてきたカルルの顔はとても辛そうで、テレジアは思わず目を伏せる。
そんな父を見ても、それでもテレジアは『はい』とは言いたくは無かった。
「行きなさい。それが貴女のためです。そして貴女の未来はアルスナート様と共にあります。」
テレジアと父親の心情を知ってか知らずか、イネッサの冷たい声が無情に判決を告げる。
「……はい。」
テレジアは辛うじて聞こえるような声、絞り出すような声で返事をした。
「よろしい。」
厳格な祖母はそう言うと立ち上がり、来た時と同じようにサッと帰っていった。
テレジアは退出する祖母の見送りもせず俯いていた。
「……。」
父はそんなテレジアを見ながらも何も声をかけずに部屋を出ていった。
父がいなくなった後、俯いた顔から涙が落ちる。
「……ぅぅう、ぅぅ、ぁぁあ……。」
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後日、キャストレイ本家から迎えの馬車が来て、テレジアはキャストレイ本家の養女となった。
アルスナート皇子の侍女になるには騎士爵家の娘では格が低すぎるのだという事らしい。
『それならばアデリーナが行けば良いのに』
家の格の違いについて説明された時、テレジアは従姉妹にあたるキャストレイ子爵家本家の娘の顔を思い出してそう思った。
本家に移ってからテレジアは祖母のイネッサに行儀作法を習った。
そもそも行儀見習いの侍女として行くはずなのに、テレジアは『行儀見習い』が修めていなければならない最低限の行儀作法もなっておらず、上流貴族の礼儀などまるでなっていなかったのだ。
テレジアは騎士を志して剣や槍の訓練に明け暮れていたのだからそれもやむを得ないことだったのだろうが、イネッサは全く『やむなし』とは納得してはくれなかった。
テーブルマナーから立ち居振る舞い、所作、歩き方に至るまでみっちりと叩き込まれる。
『叩き込む』の言葉通り、イネッサは細い鞭を持ち、姿勢から歩き方、手の振り方まで『美しくない』時には容赦なく鞭が飛んできた。
朝明るくなってから夕方暗くなるまで祖母イネッサが『よろしい』と言うまで、行儀作法の訓練が続く。
夕食を取ってから就寝するまでの間だけは自由時間にしてもらえたので、テレジアは自由時間には剣や槍の素振りなどの武芸の稽古をして過ごした。
それまでは幼い頃に剣の師匠である騎士に言われてから続けてきた、ただの日課だったが、本家に来てからは心の拠り所のようになった。
礼儀作法の訓練で頭が痺れるほどに疲れていても、無心で剣の素振りをすれば気分が紛れた。
そんな生活が1年余り続いた後、アルスナート皇子がユグレス地方へ下向する事になり、アルスナート皇子の御目見えとなった。
テレジアは祖母のイネッサと養父となったキャストレイ子爵と共にエストリア皇宮へと参内したが、なぜか祖母達は謁見叶わず、テレジア一人での謁見となった。
祖母のイネッサはかなり食い下がっていたが、侍従から謁見自体を『無かった事に』と脅されて引き下がった。
いつも冷静な祖母が奥歯を噛み締めるほどに悔しそうな表情をしているのがテレジアには新鮮に映った。
本家に移ってからの1年、テレジアはイネッサに色々と叱られてばかりだったが、祖母のいつも叱られている時とは違った『怒り』を感じて、何事にも冷静で全て見透かされているように感じていた祖母でもこれほど感情的になるのかと不思議な気持ちになったのだった。
「テレジア・キャストレイ殿、面を上げられよ。」
謁見の部屋に入ると、両膝を床について両腕を胸の前で組み、両肩を指す様に両手の指先を真っ直ぐに伸ばす。
その形から頭を下げた最敬礼の姿勢で待つ事数分、侍従の声に顔を上げると数歩離れた上座にお世話係の侍女と思しき少女のスカートにしがみ付きながらこちらを見ている幼児が居た。
テレジアの見たアルスなート皇子の第一印象は、その様子や見た目から『弱々しい』という感じだった。
だがなぜかテレジアにはアルスナート皇子が単純に『弱い』とは思えなかった。
見た目は非常に弱々しくて、師匠に『武の才能が無い』と言われたテレジアから見ても『弱そう』に見える。
だが、テレジアにとってアルスナート皇子を一目見た時の印象は『弟に負けた後』に見た弟を見ているような感じで『まるで勝てそうもない』ように感じる。
それはただ単に『弟に負けた』という経験からテレジアが年下の男の子を見ると萎縮してしまっているだけなのかもしれない。
しかし、弟に負けた時、テレジアは少なくとも実際に弟に負けるまでは、弟に『勝てる』と思っていた。
それなのに、消えてしまいそうなほど『弱々しい』様子のアルスナート皇子を見ても『勝てる』という気持ちが一切湧いてこないのだ。
気配が薄いせいだろうか、まるで圧倒的な彼方に有る星を見つめている様な。
またはその星に手を伸ばして『届かない』と感じている様な。
そんな迂遠なモノを見ている感じ……。
だがそんな印象を抱いているにも関わらず、見られているだけでも既に背後まで回り込まれて、首根っこを掴まれているような感じがして頭の後ろの方がザワザワする。
「キャストレイ殿?名乗られよ。御前ですぞ?。」
テレジアは侍従の声にハッとした。
見ると、もうテレジアへの興味を失ったのか、ただ一人アルスナート皇子だけは傍らに立つお世話係の侍女のスカートに顔を付けて眠そうにしているが、他の者達全員がテレジアに注目していた。
不思議そうな顔をする者、怪訝な表情の者、色々な表情をしている者たちがいたが、少なくともテレジアが感じたような恐怖を感じたような表情の者は居ない。
そもそもテレジアも今は何も感じていない。
どうやら緊張で妙な感情が沸き起こってしまっただけらしい。
即座にテレジアは考えを切り替えると、
「テレジア・ドゥナース・キャストレイにございます。蒼天雲高く陽光暖かき良き日にお目見えいただけたこと祖たる竜神に感謝いたします。アルスナート皇子殿下に置かれましてはご機嫌麗しく、以後、お見知りおきをお願いいたします。」
そう言って最敬礼を行ったのだった。
そして、お目見えはテレジアの挨拶だけで、アルスナート皇子からのお声掛けなどは一切なく終了した。
侍女としての勤めは住み込みなのだが、勤め始めは後日からになるらしくその日はキャストレイ子爵邸へと戻った。
テレジアにとって非常に億劫だったのは、帰宅途中や邸宅へ戻ってからも祖母のイネッサから質問攻めにされたことだった。
とはいっても『お目見え』とはよく言ったもので、まさに『一目』姿を見ただけである。
祖母に説明できる情報など多くあるはずがない。
だが、普段厳格で冷静な祖母があまりに必死な様子で尋ねるため『顔を上げて一目見て、目が合って、アルスナート皇子が一瞬自分を見て……』と、一瞬一瞬の流れをできるだけ細かく説明をした。
しかし、祖母の聞きたかったことはそういうことではなかったらしく、今後お側に居られる時は出来る限りお声掛けを行い、その様子を観察し、そしてどういった反応があったのかなどを逐一連絡するようにと強く申し付けられてしまった。
無口な性格のテレジアにとって他者に説明して様子を伝えるなどという行為は非常に面倒極まりない事だったので、適当に返事をしておいた。
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