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第十七話 ボンネフェルトへ帰ろう

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 一夜明けた。今日もいい天気。牧場には温泉を引いた人口の池があり、昨日逃げた馬がその中をゆっくりと歩いて痛めた蹄を癒している。
 洗濯にも暖かい湯を使うことができるので、いつもより早く終わった。洗い終わった洗濯物を干していると、牧草の匂いを含んだ爽やかな風が通り過ぎていく。洗濯物はよく乾きそうだ。
 ロンバウトは元気に牧場の柵の外周を走っていた。そうすることで、彼の匂いを恐れて馬を狙う猛獣が近づかない。それに、馬だって柵の外へ出て行こうとしなくなると、クンラートさんから頼まれていた。
 ロンバウトは馬なんかよりずっと速い。本当に楽しそうに走っている。

「すごいな。あんなに速く走れると気持ち良さそう」
 干した牧草を運んでいたランナルが目を見開いている。
「ロンバウトさんはね、足が速いだけではなく、すごく高くまで跳べるのよ」
 あの姿になったことで不自由なことはたくさんあったと思う。でも、少しは良いこともあると信じたい。それは、私の願望かもしれないけれど。だって、彼には何も罪はないのに、辛いことばかりなんてあまりにも救いがない。

 たまたま近くを走っていたロンバウトにそんな会話が届いたらしく、信じられないほどに高く跳ねた。彼の耳はとても良いらしい。
 人の三倍ほどの高さまで手を伸ばして、回転しながら見事に着地する。それから、ロンバウトはすごい勢いで遠ざかっていった。
「おお!」
 ランナルは感嘆の唸り声をあげている。町一番の曲芸師でもあんなことはできない。人の能力を遥かに凌駕している。ロンバウトはランナルを喜ばせるためにあんな跳躍を披露してくれたのだろうけれど、やはり切ない。人ではないと自ら申告させたようなものだから。

「さあ、洗濯も終わったし、朝食にしましょう」
 不用意に高く飛べるのだと言ってしまい申し訳なくて、それに相変わらずロンバウトが優しくて、涙が出そうになった。それをごまかしたくて、なるべく明るい声を出す。
「僕も手伝うよ! ロンバウトさんに美味しい物食べてもらうんだ。あんなすごい技を見せてもらったお礼だよ」
 ランナルの屈託ない様子に、少し救われたような気がした。


 朝食を終え、後片付けをして、クンラートさんに貰った古着をロンバウトに合わせて尻尾を出せるように改造した。ロンバウトが着ていた騎士服は、汚れている上に魔女との戦いであちらこちらが破れていて、とても修理きるような状態ではなかった。それでクンラートさんが昔着ていたという古着をくれたのだ。
 ロンバウトは背負い鞄に昨夜焼いたパンと日持ちのする食材を詰めている。

「本当にお世話になりました。服までいただいてありがとうございます」
 クンラートさんが泊めてくれなければ、野宿しなければならなかったかもしれない。感謝してもしきれない。
「こちらこそ、食事を作ってもらった上に、掃除やら洗濯までしてもらって、本当にありがとう。最近少し太ってしまったからその服はもう着ることができないんだ。だから、使ってもらえて嬉しいくらいだ」
「アニカ姉ちゃん、ロンバウトさん、元気でね」
「ありがとう。お母にも感謝していたと伝えてね。無事に赤ちゃんが産まれることを祈っているわ」
 久々の出産なので無理をさせたくないと、息子と二人の生活は大変だとわかっているのに、奥さんを実家に帰したクンラートさん。赤ちゃんの世話で忙しくなるお母さんのために食事を作ってあげたいと言うランナル。そんな二人のためにも、無事に産まれてきてほしい。赤ちゃん、可愛いだろうな。

 ランナルが寂しそうにしながらも元気に手を振ってくれた。ロンバウトは何度も振り返り手を振り返している。馬たちがどこか安心したように走り回っていた。
 私も何度か振り返って礼をする。クンラートさん親子は私たちが見えなくなるまで見送ってくれていた。


 町の市場で旅に必要なもの買い、町の門を後にした。
 目の前には昨日と同じ広い草原が広がっている。振り返ると、岩肌がむき出しの山が見えた。その麓にクンラートさんの牧場がある。そう思うとちょっと感傷的になってしまった。

 日は高くなっているがまだお昼には少し早い時間だ。ロンバウトは昨日とは反対の方へ歩いて行こうとする。
「待って! 魔女の森へ戻りましょう」
 そう言うと振り返ったロンバウトが不思議そうに首を傾けた。

「私は魔女のところで暮らすわ。ファビアンもいるし寂しくないと思うのよ。あの魔女は思った以上に優しいから、本気で頼めば一年に一回くらいはボンネフェルトの町に帰らせてくれると思うの」
 歩くことを止めて近寄ってきたロンバウトは、私の言葉を理解できなかったのか、少しの間じっと私の顔を見ていたけれど、急に首を横に振った。

「だから、ロンバウトさんは人の姿に戻してもらいましょう。ごめんなさい。最初から私が残れば良かったのよね。ロンバウトさんは出会った時からその姿だったので、その姿でいるという意味をちゃんと理解できていなかった。あんなに獣扱いされて、辛くないはずないのに」
 私でさえ辛かった。あまりに理不尽で怒ってしまいそうだった。実際、ランナルの怒鳴ってしまった。
 だけど、ロンバウトは静かに首を横に振っている。

「人の姿に戻ったら、すぐに王都へ行って。早くしないと婚約者の女性は王太子殿下と結婚してしまうわ。婚約が破棄されたのはロンバウトさんが獣化したせいなのでしょう? それならば人の姿になれば、またロンバウトさんと結婚しようと思うはずよ」
 婚約者と王太子が結婚すると話したからか、ロンバウトは眉間にしわを寄せた。

「だから、魔女の森へ戻りましょう」
 住み込みの仕事だと思えば何ということはない。まだ幼いファビアンの成長を間近で眺めて暮らすのは悪くないはずだ。
 ロンバウトは少し歩いてから、草の生えていない乾いた土が露出している場所にしゃがみ込んだ。私も傍に行く。
『私は騎士だから』
 ロンバウトは長い爪で土に文字を書いた。相変わらず整った美しい文字だ。
「騎士だから私を犠牲にできないと思っているの? 違うのよ、私は自分の意志で魔女のところへ行くの。ねえ、これからの一生がかかっているのよ! お願い」
『ボンネフェルトへ帰ろう。一緒に』
 ロンバウトは私の言葉を聞き入れず、文字を続けた。

「後悔するわよ。私を恨むかも」
 ロンバウトさんが屈託ない笑顔で首を振る。
 本当に強い人だ。結婚も地位もすべて失くして、それでも笑っている。

 一緒に帰る。その言葉が嬉しかった。
「本当にいいの?」
 ロンバウトが立ち上がって力強く頷いた。

 なんだか泣けてきた。またあの日常が戻ることができる。それが嬉しいのか、ロンバウトの人生を奪ってしまう後ろめたさか。自分でもわからない涙が流れた。

 ふと気がつくと多数の蹄の音がする。
「ロンバウト! お前のせいで魔女に攫われアニカを、こんなところで泣かせているのか!」
 馬から飛び降りて怒鳴りながら走ってくるのは、ボンネフェルト騎士団のデニスだった。
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