【R18】嘘がバレたら別れが待っている

鈴元 香奈

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SS:母の想い

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「凪さん、凪さん」
 小さく凪を呼ぶ声がする。凪はゆっくりと覚醒していった。

 見慣れない部屋。部屋に立ち込めるいい香り。
 隣のベッドに横になっているのは章の母親。
 ぼんやりとそれらを見ていた凪は、ようやく眠る前のことを思い出した。
「あっ! 申し訳ありません。眠ってしまいました」
 疲れと緊張で、凪は施術中ぐっすりと眠っていたのだ。

「気にしなくていいのよ。ここはそういう場所だから。でももうすぐ夕方なの。ディナーを何にするか考えないとね。それに少しお買い物もしたいわ」
 まだ解放されないのかと凪は思ったが、皐月が嬉しそうにしているので、それでもいいかと彼女は思ってしまう。章が心配していたように、凪は嫌だとはっきりと言えない性格をしていた。拒否して嫌われるよりは素直に従う方が気が楽なのだ。こじれていた母親との関係や、以前の同棲相手の影響がまだ抜けきれていない。

 凪は皐月が嫌いではなかった。何より章を産んでくれた母親だから。そして、皐月の行いは善意であると凪にもわかっている。
 凪はあの素敵な別荘での結婚式を本当に楽しみだと感じているし、自分のためにデザインされたウエディングドレスを着ることができるのは、女性として心から喜ばしいと思う。多くの女性が結婚前にブライダルエステに通うことも知っていた。

 しかし、凪と皐月とではあまりにも生活環境が違い過ぎる。凪はそのギャップに心がついていかない。そして、高級な店で恥をさらしているだろうなと思い、庶民の彼女は気後れして怯えてしまっていた。
 安物の服を着た凪を、堂々と高級店へ連れて行く皐月の度胸は見習いたいと凪は思っていた。


「あなたたちは子どもができる行為をしていると言ったけれど、私はね、嘘だと思っていたの。だって、二人の間には微妙に距離があって、それ以上決して近づこうとしないから。でも、凪さんが納得しているのならそれでもいいと思っていたわ。章と一緒に暮らしてくれるだけでありがたいものね。子どもが欲しいのなら人工受精という手段もあるし。だけど、あれは本当だったのね?」
 エステサロンを後にして、自動車で移動中、皐月はあけすけにそんなことを訊いてきた。背中についていたキスマークのことを言っているのだと凪はすぐに思い至り、顔から火が出る思いだ。
「あ、あの、すみません」
 初めて体を重ねた時、『一生童貞だ』と嘆く章が哀れで、愛おしくて、凪は自分の体で彼を慰めたいと思った。そして何より、彼女自身が章を欲したのだ。そこに章の意思はない。だから、あれはレイプだと責められても仕方がないと彼女は思っている。
 体を使って童貞の章を籠絡したと謗られても、凪は甘んじて受けなければならないと覚悟していた。

「謝ることなんて何もないわよ。ただ、どうして凪さんが章に近づけるのか疑問に思っただけ。良かったらその方法を教えてもらっていいかしら。ほら、結婚式で新郎新婦が離れていると絵にならないから」
 皐月の疑問は尤もである。それでも、凪は章との二人の秘め事を母親に話してしまってもいいのかとためらっていた。


「章が欲情したときだけ、近づいても大丈夫とか?」
 皐月は純粋に息子のために知りたかったのだろう。しかし、いくら章の母親でも、いや、母親だからこそ凪はいたたまれない思いがした。
「あの、手かせを使っています。最初は手首を縛っていたのですが、痕が残ってしまったことがあったので、通販で手かせを買いました」
 早く会話を終わらせたくて、凪は正直に話すことにした。
「まぁ、あの章を縛っているのね」
「申し訳ありません」
 最初は体を触られると女だとバレると思い、凪は章の手首を縛ってソファに括り付け、目にはアイマスクをしたのだった。どう考えてもレイプだと凪は思う。
「責めているわけではないのよ。章が望むのなら、縛るなり殴るなり、自由にすればいいと思うわ」
「いいえ、殴ったりはしていませんから」
 凪は慌てて否定する。
「本当に凪さんて可愛いわね。章がはまるのがわかるわ」
 皐月は上機嫌であるが、凪にはその理由がわからなかった。


 次に凪が連れて来られたのは新宿のデパートだった。やはり場違いだと感じ凪は落ち着かない。
「凪さんにはトレンチコートが似合うような気がするの。見に行きましょう」
 そう言って向かったのは、凪でも知っているブランド店。
「あの、皐月さん。私にはちょっと高級すぎて」
 凪は恥ずかしそうに小声で皐月に伝えた。
 飾られている商品の価格帯は、凪のパーカーの百倍ほどにもなる。とても凪の手が届くようなものではない。
「私はこうして娘と一緒にお買い物をして、似合う服を買ってあげるのが夢だったのよ。上から下までコーデさせて欲しいなんて言わないから、コートだけでもプレゼントさせてね」
 章と似た微笑みでそう言われては、凪に拒否できるはずもなく、
「はい。ありがとうございます」
 凪はそう答えていた。皐月は満足げに頷いている。

「オーソドックスなベージュもいいけれど、凪さんならちょっと挑戦しても似合うわよね。黒やネイビーも格好いいと思うわ。でももう春だし、ピンク系やイエローも素敵。凪さんはどれがいいと思う?」
「私はどれでもかまいませんので、皐月さんのいいものを選んでください」 
 正直、凪にとっては一生に一度の買い物ほどの価格なのだ。どれがいいと言われても、今すぐ決めることなどできそうにもない。
「凪さんはもう少しわがままでもいいと思うのよ。でも、今日は私の好みで選んじゃうからね。今日帰るまでは着ていてもらえる?」
「もちろんです。ずっと着させていただきますので」
 こんな高いものを今日一日だけしか着ないなんてありえないと凪は思っていた。

 結局皐月が選んだのは落ち着いたイエローのロングコート。凪が着ていたパーカーを袋に入れてもらって、凪は購入したコートをそのまま着ていくことになった。
「思った通りよ。凄く似合うわ。格好良よさの中にも女らしさもあって、とても素敵よ」
 皐月は満足そうに凪を眺めていた。
 コートの下は衣料量販店で買った生成りのセーターとデニム。高級なコートが本当に似合っているのか凪にはわからないけれど、それでも彼女は少し場違い感は減ったと感じていた。
「今度は靴とバッグをプレゼントさせてね。ほら、ウエディングドレスを決めるために、近々また来ないといけないから」
「は、はぁ」
 皐月は一体いくら使うつもりなのだろうかと、凪は少し呆れていた。
「嫁と姑は仲が良くない場合が多いらしいけれど、仲良くした方が絶対に人生楽しいと思うのよ。凪さんもそう思わない?」
「はい。仲が良い方がいいに決まっています」
「そうよね。だから、仲良くしましょうね」
 皐月が手を差し出したので、凪はその手を握った。
 この関係は嫁姑というより、不幸だった章を幸せにするという目的を持った同盟のようだった。 



「ディナーは中華なんてどうかしら?」
 もう反対する気力も凪には残されていない。
「はい。中華は好きです」
 ただし、凪が行ったことがあるのは、一人千円程度でお腹いっぱい食べられるチェーン店だ。本格的な中華料理店など行ったことはない。
「じゃあ、横浜の中華街まで行きましょう。それからマンションまで送っていくわ」
 皐月は凪との時間を本当に楽しんでいた。章が誘拐されてからこんなに楽しいと思ったのは始めてかもしれない。
 自信なさげだった凪は、コートを着ると少し背筋を伸ばしている。
 そんな凪を、もっと自信溢れる素敵な女性に変えていきたいと皐月は思っていた。
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