【R18】嘘がバレたら別れが待っている

鈴元 香奈

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「これ以上切ったら、男の子みたいになってしまうけど、本当にいいの?」
 散切りにされてしまった髪を短く切ってほしいと訪れたなぎは、美容師がためらうぐらいの短さを要求した。
 凪の知らない街、住宅街の一角にある寂れた美容室で、凪は生まれ変わろうとしていた。

 美容室を出た凪は手に持っていたパーカーを羽織る。美容室のドアに姿を映してみると、ジーンズに黒のパーカーを着た短髪の少年の姿があった。元々中性的な顔立ちで女性にしては長身。胸も小さく高校生の時は男子より女子に人気があった。それでも切らなかった長い黒髪は今はない。
『これならば、誰も二十三歳の女だと思わない』
 凪はそう思って、自嘲気味に口角を上げた。初めて晒す首筋が少し寒い。



 母親は凪が小さい時に離婚して田舎の実家に身を寄せていた。実質的に凪を育てたのは製材所に務めていた祖父と専業主婦の祖母だった。母親は小さな商店の事務パートをしていたが、収入は多くなく裕福な家庭ではなかった。
 凪の母親は別れた夫の悪口と職場の不満ばかり口にしていた。
 凪は父の悪口を聞くのが苦痛だった。お金がないと聞かされるのも、無能だと馬鹿にする同僚の話も。
 凪は母親から逃げ出したかった。

 凪は高校を卒業してすぐに地方都市にある大型スーパーの店員として務め始めた。家を出て狭いワンルームに住み、倹約しながら慎ましく生きてきた凪は、二十一歳の時に勤めるスーパーにバイトに来ていた男子大学生と出会った。
 まだ学生だから結婚はできないけれど、一緒に住もうと請われた凪は、悩んだ末に頷いた。
 母と違って幸せになることができると思った。誰よりも。


『幸せなんて、幻想だった』
 手の甲に残る赤黒い痣を見ながら凪はそう思った。
 二年間の同棲生活が不幸ばかりだったとは思わない。幸せだと感じたことはあった。求められるのも嬉しかった。
しかし、辛いことの方が多かったのも事実だ。
 凪はため息を一つついて、見知らぬ街を歩き続ける。

 同棲していた男は嫉妬深く、気に食わないことがあれば凪を殴った。学歴差を傘にきて凪を支配しようとした。それでも優しい時はある。幸せになりたいと一途に思っていた凪はそう自分に言い聞かせて我慢を重ねていた。
 しかし、昨日残業を浮気だと疑われて、罵倒されながら殴られた。大事にしていた長い黒髪を無残にハサミで切られてしまった。そして、性欲を処理するだけのように体を蹂躙された。

 このままでは殺されると恐怖した凪は、もう耐えられないと痛む体を引きずりながら男が眠っている早朝に家を出た。
 凪が務めていたスーパーに怪我をしたのでしばらく休むと電話をすると、度々痣を作っている凪のことを心配していた店長が、とりあえず一ヶ月は休職扱いにしてくれると言ってくれた。


 こうして、凪は電車に乗ってこの街にやってきた。



 見知らぬ街の寂れた映画館で昔流行ったコメディを観た。しかし、凪の心は晴れない。
 未婚のまま同棲を始めた凪を、母親はどうせ捨てられると詰った。そして、男なんて信用したら裏切られて泣くことになると嗤った。
 実家にも帰りたくはないと凪は思う。母親にも会いたくはないし、祖父母のも心配をかけたくはない。
 しかし、したいことも行きたいところもわからない。

 凪はただ歩いていた。



「お兄さん、格好いいね。私たちと遊ばない」
「カラオケへ行こうよ」
 コンビニの前で高校生らしい女子が二人、長身の男性を誘っている。時間は午後の九時を過ぎていた。凪は若いなと思いながら通り過ぎようとしたが、男性の様子がおかしいので、つい見てしまった。
 女の子が言うように、男性は確かに長身で整った顔をしている。短めの髪に地味目の服は清潔感があり好感が持てる。しかし、その顔は真っ青で顔を小さく振りながら、後ろに下がっていく。
「ち、近寄らないで」
 男性の声は震えていて、高校生の女の子を恐れて怯えているように見える。
「お兄さん、どうしたの?」
 男性の反応が面白かったのか、二人の女の子は嗜虐的な笑みを浮かべながら男性に近付いていった。
「こ、来ないでくれ」
 男性の呼吸が荒くなっていく。言葉は懇願に近い。それでも女の子たちは楽しそうに手を伸ばそうとしていた。
 男性の後ろには壁が迫っている。もうそれ以上後方に退けなくなった。男性は絶望したように首を振っている。
 

「止めろ! 警察を呼ぶぞ」
 凪はなるべく低い声になるように気をつけながら怒鳴った。
 急に怒鳴られた二人の女の子は、一瞬凪の方を見たが慌てて去っていった。

「大丈夫か?」
 そう凪が声をかけると、男性が大きく息をしながら頷いた。

「救急車を呼ぼうか?」
 十月の夜にもかかわらず大量の汗をかき、顔色が青を通り越して白っぽくなっている男性を心配した凪がそう訊いた。
「大丈夫だ。すぐに元に戻る」
 全身に酸素を行き渡らせるように、男性はしばらく大きく息を繰り返していた。凪はそんな男性が心配で側を離れられないでいた。


「ありがとう。もう大丈夫だ。女が苦手で、こんな風になってしまう。格好悪いな」
 呼吸が整った男性は、恥ずかしいのか顔を下に向けたまま呟いた。
「誰にも苦手なものの一つや二つはあるから、恥ずかしがらないでもいいと思う」
 凪がそう言うと、男性は安心したように顔を上げる。近くで見た男性は思った以上に若いと凪は思った。


「随分と若く見えるけど、中学生ではないのか? もう遅いから帰ったほうがいいよ。何なら近くまで送っていこうか?」
 男性が普通の対応をしているので、凪は女であることはばれてないと安心したが、女としては微妙な気持ちになる。
「僕は中学生じゃない。十六歳だ」
 中学生がこんな時間に一人で外を歩いていれば警察に連れて行かれるかもしれないと思い、少し年齢を上に言ってみた。しかし、成人した男性に見えないだろうからと、七歳もサバを読んでしまった凪は、ちょっと言い淀んだが男性には不審には思われなかったようだ。
「そうなんだ。悪かった。コンビニに来たのか? お礼に何か奢るよ。俺は甲斐田章かいだあきら。十九歳。よろしく」
 章がそう言って右手を差し出した。
 手の甲にくっきりと痣ができているのを見られてしまうのに抵抗があり、凪は握手をするのをためらう。

「殴られたのか?」
 動かない凪の右手を訝しそうに見た章は、変色した肌の色を確認するために凪の手を掴もうとした。思わず手を背に隠してしまう凪。

「僕はこんな風だから、男に襲われた。だから、男が苦手なんだ」
 凪は痣と握手を拒否した言い訳を口にする。
「警察に行った方がいい。俺も付き合うから」
 章は心底心配しているようだった。しかし、凪は頷く訳にはいかない。
「相手は義理の父親だから。逃げてきた」
 凪は首を振った。
 章はどう声をかけていいかわからずしばらく沈黙していた。

「今夜行くところはあるのか? なければ、うちへ来る? 一人暮らしだから気を使うこともないし」
 章は少女二人から救ってくれた凪のことをとても感謝していて、行くところがないのならば泊めてもいいと思っていた。

「一晩泊めてもらえると嬉しい」 
 凪は迷った挙句についていくことにした。今からホテルを探す気力はない。それでも、一人きりで夜を過ごすのは不安だった。
 もうどうなってもいいと思っているのに、夜の暗さが怖く思っている自分が少し可笑しく、凪は薄く笑った。
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