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SS:カイオの怒り(中堅女性神官視点)
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「あなた、お疲れ様です」
そう言って今日で引退する竜騎士団長に花束を渡しているのは、彼の妻である元聖乙女のジョアナだった。彼女とは二年間ほど一緒に神殿にいたことがある。
神殿での聖乙女は本当に大切にされていた。彼女たちがいないと国が維持できないのだから、神官である私たちと待遇が違って当然だと思っていた。
中には増長して幼かった私を馬鹿にしたり暴言を吐いたりするような聖乙女がいたが、強制的に神殿まで連れてこられた彼女たちは可哀想な存在だから、私たちは我慢しなければならないと先輩神官たちに教えられていた。
しかし、ある日聖乙女たちの暴言に黙って耐えている私を見たジョアナは、
「神官も私たち聖乙女も、この国を守ろうと努力している志を同じくする仲間でしょう? 年若い仲間を意味なく罵るなんて、おかしいと思わない? そして、ラリーサさんが何も言わないのは、私たちを哀れな存在だと思っているから? 私たちを仲間だと思っていないの? 仲間だと思っているのならば、私たちがおかしいことをすれば止めてほしいの。私たちはあまりにも世間知らずで、でも、聖なる力を失えばここを出て独り立ちをしなければならないのだから」
そう言ってにこっと微笑んだのだ。正直、私は聖乙女たちのことを仲間だと思っていなかったので、ジョアナの言葉に衝撃を受けていた。
「ごめんなさい」
私より二歳上の聖乙女が俯きながらそう呟く。彼女は私をいじめていた首謀格の聖乙女だった。
「ここの暮らしが辛いのはわかるけれど、小さい子どもをはけ口にしては駄目よ。それぐらい貴女たちにもわかるでしょう? 私たち聖乙女はこの国を守っているのよ。その誇りを傷つけてはいけないわ」
私は負けたと思った。
ジョアナは私より七歳ほど年上であるが、どこかぼんやりしていて年より幼く見えた。お人形のように大人しい彼女はこの国の犠牲者の一人としか私は認識していなかった。のに日々に耐えていたのだ。
それから私は強くあろうとした。聖乙女と良き仲間として付き合っていけるように。
「あら、ウォレスさん、それにラリーサさん? お久しぶりね」
少し涙ぐんでいるジョアナがこちらを向いた。
「私のことを覚えていてくれたのですか?」
ジョアナが神殿を出たのは私が十歳の時。あれから随分と時が経っている。私の風貌は全く変わってしまっているだろう。
「当たり前じゃない。私たちに怒鳴る神官はラリーサさんが初めてだったもの」
「それはジョアナさんが仲間と言ったから」
「そうよ。だから嬉しかった。それまでの女性神官の態度は腫れ物に触るような感じだったから。幼くても憐れまれているのは敏感にわかるものよ。私たち聖乙女は、それに苛立ちを覚えていたの」
「えっと、ラリーサさん?」
私たちの声に気がついたのか、ライムンドとの別れを想って泣いていたルシアがこちらを向いた。
「ルシアさん、こんにちは。元気だった?」
「はい。元気いっぱいです」
涙の跡を残しながらもルシアは明るく笑った。
「元気そうで良かった」
神官長は感慨深くルシアを眺めていた。
その後、私たちは竜騎士団の団長とジョアナを労った。
多くの団員たちが彼を讃えている。カイオも何度も握手を求め、ルシアは再び涙ぐんでいた。
竜舎前に集まってきた人々は再び整列をして、長年竜騎士を務めてきた団長に敬礼を捧げた。その中をまるで若い恋人のように手を繋ぎながら、団長とジョアナは去っていく。
私はアウレリオとの別れの時と同じように祈りを捧げた。
「ひっく、ひっく」
後ろでルシアが泣き始めた。その頭をカイオが撫でている。彼のその優しい顔を見て、私はここに来て本当に良かったと思った。
団長たちが見えなくなると、やっとルシアが泣き止んだ。
「神官長様、ラリーサさん、我が家へ来ていただけませんか? カイオ、お二人を招待してもいいでしょう?」
「ああ、もちろんだ。俺の武器を渡してくれた神官さんですよね。あの時はありがとうございました」
カイオが私に頭を下げた。私のことを覚えていてくれたらしい。
「こちらこそ、ルシアが大変お世話になっております。神官長、どういたします?」
私もカイオに頭を下げた後、神官長にルシアの家に行くか訊いてみた。
「せっかくだからお言葉に甘えましょうか?」
神官長はやはりルシアの暮らしが気になるのか、彼女の家へ行く気らしい。もちろん、私に異存はない。
「はい。それではお邪魔させていただきます」
「あっ! そうだ」
突然ルシアが大声を出した。
「どうかしたのか?」
歩き出そうとしていたカイオが驚いて立ち止まる。私も驚いてルシアを見た。
「私ね、カイオに謝らなければならないと思っていたの。カイオの武器を祝福する時に、矢を放射状に並べて、くるくる踊りながら祝福したのよ。カイオの言葉で思い出してしまった」
「何だと!」
カイオの顔つきが一気に険しくなる。誇り高い竜騎士の武器をぞんざいに扱ったのだ。怒って同然だろう。私はあの時止めなかったことを後悔しながら、なぜ今頃そんなことを告白するのかとルシアを睨んでしまった。
「ごめんなさいと言っているのに、怒らなくてもいいじゃない。だって、カイオは若くて、私には未来なんてないと思っていたから、ちょっと悔しかったのよ」
やはり告白したことを後悔したのか、睨むカイオを見て、ルシアの声はだんだん小さくなっていった。
「立会神官は私だったのです。私が止めるべきでした。申し訳ありません」
悪いのはルシアを止めなかった私に違いない。
「いえ、神殿のことは全て私の責任です。どのような謝罪もいたしますから、ルシアを許してやってください」
神官長も頭を下げてくれた。
「悪いのは私よ。ラリーサさんはちゃんと止めたのよ。無視したのは私だから」
ルシアは私たちを庇おうとしてくれているようだ。
そんなことより、私たちを悪者にしてでも、夫婦仲を元に戻してほしいと私は思った。
「俺が怒っているのは、矢の近くでくるくる回ったことだ。俺たちの武器には刃がついているんだぞ。そんなことをして転んで矢が突き刺さったらどうする!」
カイオはかなり怒っているけれど、ルシアを心配しているらしい。
「そんなに転んだりしないわよ。ほら」
両手を広げて回り始めるルシア。
今はくるくる回っている時ではないと思ったけれど、ルシアにそんな配慮を求めるのは無理のようだった。
「転ぶから止めろって」
カイオはルシアの腰を片手で抱きかかえるように持ち上げた。ルシアの足が宙に浮く。足をばたつかせるルシア。しかし、カイオの腕は揺るぎない。
「今はそんなふざけた祝福をしていないだろうな? そんなことをするといつか怪我をするから、本当に止めてくれ」
「当たり前よ。ちゃんと椅子に座って祝福してるもの」
「本当だな? これからは不用意に回ったりするなよ。急に走ったりするのも駄目だ。何度転んだと思っている」
神殿に長年いたルシアは運動不足のため足の筋肉が発達していないのだろう。だから、頭で考えた動きに足がついていかない。やはり十六年は長すぎた。神官長も辛そうに二人を見ている。
「ふざけながらカイオの武器を祝福したことは怒ってはいないの?」
「ルシアの祝福は最高だっていつも言っているだろうが。俺の武器は他の竜騎士のものより凄かった。今は他の竜騎士の武器もルシアが祝福しているから、性能に差がなくなったけどな」
「そうよね。怒ってないのなら降ろして。このままだと恥ずかしいわ」
カイオは後ろを向いて私たちを見て、バツが悪そうな顔をしながらルシアを下ろした。
「転ぶと危ないから手を繋いでやる」
カイオはルシアに手を差し出した。
「わかった」
その手をルシアが掴む。二人はゆっくりと歩き出す。歩幅の小さなルシアに合わせるように、カイオの歩みは早くなることはなかった。
「あのね、今夜の夕飯は香辛料をきかせたスープで肉と野菜を煮たやつなの。カイオの好物だから、いっぱい作ったのよ。家へ帰って温めたら、すぐに食べることができるの」
「それは楽しみだな」
「人参もちゃんと食べてね」
「俺は竜騎士だぞ。人参ぐらい食える」
「そう? じゃあ、カイオのお皿には人参主体で入れることにする」
「俺は肉主体がいいけどな」
「それは二杯目ね」
「ちぇ」
カイオが小さく舌打ちをした。
「二人は仲がいいですね」
「そうですね」
私は神官長と笑いながら頷きあっていた。
そう言って今日で引退する竜騎士団長に花束を渡しているのは、彼の妻である元聖乙女のジョアナだった。彼女とは二年間ほど一緒に神殿にいたことがある。
神殿での聖乙女は本当に大切にされていた。彼女たちがいないと国が維持できないのだから、神官である私たちと待遇が違って当然だと思っていた。
中には増長して幼かった私を馬鹿にしたり暴言を吐いたりするような聖乙女がいたが、強制的に神殿まで連れてこられた彼女たちは可哀想な存在だから、私たちは我慢しなければならないと先輩神官たちに教えられていた。
しかし、ある日聖乙女たちの暴言に黙って耐えている私を見たジョアナは、
「神官も私たち聖乙女も、この国を守ろうと努力している志を同じくする仲間でしょう? 年若い仲間を意味なく罵るなんて、おかしいと思わない? そして、ラリーサさんが何も言わないのは、私たちを哀れな存在だと思っているから? 私たちを仲間だと思っていないの? 仲間だと思っているのならば、私たちがおかしいことをすれば止めてほしいの。私たちはあまりにも世間知らずで、でも、聖なる力を失えばここを出て独り立ちをしなければならないのだから」
そう言ってにこっと微笑んだのだ。正直、私は聖乙女たちのことを仲間だと思っていなかったので、ジョアナの言葉に衝撃を受けていた。
「ごめんなさい」
私より二歳上の聖乙女が俯きながらそう呟く。彼女は私をいじめていた首謀格の聖乙女だった。
「ここの暮らしが辛いのはわかるけれど、小さい子どもをはけ口にしては駄目よ。それぐらい貴女たちにもわかるでしょう? 私たち聖乙女はこの国を守っているのよ。その誇りを傷つけてはいけないわ」
私は負けたと思った。
ジョアナは私より七歳ほど年上であるが、どこかぼんやりしていて年より幼く見えた。お人形のように大人しい彼女はこの国の犠牲者の一人としか私は認識していなかった。のに日々に耐えていたのだ。
それから私は強くあろうとした。聖乙女と良き仲間として付き合っていけるように。
「あら、ウォレスさん、それにラリーサさん? お久しぶりね」
少し涙ぐんでいるジョアナがこちらを向いた。
「私のことを覚えていてくれたのですか?」
ジョアナが神殿を出たのは私が十歳の時。あれから随分と時が経っている。私の風貌は全く変わってしまっているだろう。
「当たり前じゃない。私たちに怒鳴る神官はラリーサさんが初めてだったもの」
「それはジョアナさんが仲間と言ったから」
「そうよ。だから嬉しかった。それまでの女性神官の態度は腫れ物に触るような感じだったから。幼くても憐れまれているのは敏感にわかるものよ。私たち聖乙女は、それに苛立ちを覚えていたの」
「えっと、ラリーサさん?」
私たちの声に気がついたのか、ライムンドとの別れを想って泣いていたルシアがこちらを向いた。
「ルシアさん、こんにちは。元気だった?」
「はい。元気いっぱいです」
涙の跡を残しながらもルシアは明るく笑った。
「元気そうで良かった」
神官長は感慨深くルシアを眺めていた。
その後、私たちは竜騎士団の団長とジョアナを労った。
多くの団員たちが彼を讃えている。カイオも何度も握手を求め、ルシアは再び涙ぐんでいた。
竜舎前に集まってきた人々は再び整列をして、長年竜騎士を務めてきた団長に敬礼を捧げた。その中をまるで若い恋人のように手を繋ぎながら、団長とジョアナは去っていく。
私はアウレリオとの別れの時と同じように祈りを捧げた。
「ひっく、ひっく」
後ろでルシアが泣き始めた。その頭をカイオが撫でている。彼のその優しい顔を見て、私はここに来て本当に良かったと思った。
団長たちが見えなくなると、やっとルシアが泣き止んだ。
「神官長様、ラリーサさん、我が家へ来ていただけませんか? カイオ、お二人を招待してもいいでしょう?」
「ああ、もちろんだ。俺の武器を渡してくれた神官さんですよね。あの時はありがとうございました」
カイオが私に頭を下げた。私のことを覚えていてくれたらしい。
「こちらこそ、ルシアが大変お世話になっております。神官長、どういたします?」
私もカイオに頭を下げた後、神官長にルシアの家に行くか訊いてみた。
「せっかくだからお言葉に甘えましょうか?」
神官長はやはりルシアの暮らしが気になるのか、彼女の家へ行く気らしい。もちろん、私に異存はない。
「はい。それではお邪魔させていただきます」
「あっ! そうだ」
突然ルシアが大声を出した。
「どうかしたのか?」
歩き出そうとしていたカイオが驚いて立ち止まる。私も驚いてルシアを見た。
「私ね、カイオに謝らなければならないと思っていたの。カイオの武器を祝福する時に、矢を放射状に並べて、くるくる踊りながら祝福したのよ。カイオの言葉で思い出してしまった」
「何だと!」
カイオの顔つきが一気に険しくなる。誇り高い竜騎士の武器をぞんざいに扱ったのだ。怒って同然だろう。私はあの時止めなかったことを後悔しながら、なぜ今頃そんなことを告白するのかとルシアを睨んでしまった。
「ごめんなさいと言っているのに、怒らなくてもいいじゃない。だって、カイオは若くて、私には未来なんてないと思っていたから、ちょっと悔しかったのよ」
やはり告白したことを後悔したのか、睨むカイオを見て、ルシアの声はだんだん小さくなっていった。
「立会神官は私だったのです。私が止めるべきでした。申し訳ありません」
悪いのはルシアを止めなかった私に違いない。
「いえ、神殿のことは全て私の責任です。どのような謝罪もいたしますから、ルシアを許してやってください」
神官長も頭を下げてくれた。
「悪いのは私よ。ラリーサさんはちゃんと止めたのよ。無視したのは私だから」
ルシアは私たちを庇おうとしてくれているようだ。
そんなことより、私たちを悪者にしてでも、夫婦仲を元に戻してほしいと私は思った。
「俺が怒っているのは、矢の近くでくるくる回ったことだ。俺たちの武器には刃がついているんだぞ。そんなことをして転んで矢が突き刺さったらどうする!」
カイオはかなり怒っているけれど、ルシアを心配しているらしい。
「そんなに転んだりしないわよ。ほら」
両手を広げて回り始めるルシア。
今はくるくる回っている時ではないと思ったけれど、ルシアにそんな配慮を求めるのは無理のようだった。
「転ぶから止めろって」
カイオはルシアの腰を片手で抱きかかえるように持ち上げた。ルシアの足が宙に浮く。足をばたつかせるルシア。しかし、カイオの腕は揺るぎない。
「今はそんなふざけた祝福をしていないだろうな? そんなことをするといつか怪我をするから、本当に止めてくれ」
「当たり前よ。ちゃんと椅子に座って祝福してるもの」
「本当だな? これからは不用意に回ったりするなよ。急に走ったりするのも駄目だ。何度転んだと思っている」
神殿に長年いたルシアは運動不足のため足の筋肉が発達していないのだろう。だから、頭で考えた動きに足がついていかない。やはり十六年は長すぎた。神官長も辛そうに二人を見ている。
「ふざけながらカイオの武器を祝福したことは怒ってはいないの?」
「ルシアの祝福は最高だっていつも言っているだろうが。俺の武器は他の竜騎士のものより凄かった。今は他の竜騎士の武器もルシアが祝福しているから、性能に差がなくなったけどな」
「そうよね。怒ってないのなら降ろして。このままだと恥ずかしいわ」
カイオは後ろを向いて私たちを見て、バツが悪そうな顔をしながらルシアを下ろした。
「転ぶと危ないから手を繋いでやる」
カイオはルシアに手を差し出した。
「わかった」
その手をルシアが掴む。二人はゆっくりと歩き出す。歩幅の小さなルシアに合わせるように、カイオの歩みは早くなることはなかった。
「あのね、今夜の夕飯は香辛料をきかせたスープで肉と野菜を煮たやつなの。カイオの好物だから、いっぱい作ったのよ。家へ帰って温めたら、すぐに食べることができるの」
「それは楽しみだな」
「人参もちゃんと食べてね」
「俺は竜騎士だぞ。人参ぐらい食える」
「そう? じゃあ、カイオのお皿には人参主体で入れることにする」
「俺は肉主体がいいけどな」
「それは二杯目ね」
「ちぇ」
カイオが小さく舌打ちをした。
「二人は仲がいいですね」
「そうですね」
私は神官長と笑いながら頷きあっていた。
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