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24.三日間の戦い
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「それでは、行くぞ」
スイカを食べ終わったショウタをセイスケが促した。
「はい。院長」
二人は既に医師の顔になっている。
「私も行きます」
ミホも立ち上がった。ミノルも後に続く。
『俺も行くか』
最後にエルデムが尾を揺らしながら立ち上がった。
網元の屋敷の広い板の間は、相変わらず地獄のような様相を呈していた。
五十名ほどの怪我人が未だ治療を受けることができず横たわっている。部屋には濃厚な血の臭いが充満していて、あちらこちらから痛みを堪えきれずにうめき声があがっていた。
しかし、怪我人たちは知っている。自分たちを助けることができる凄腕の医師がいることを。そして、彼が重傷者から治療をしていることも。
このまま待っていれば助けてもらえる。そう思えば怪我の苦しみに耐えることができた。
若き異形の医師が部屋に姿を現すと、怪我人たちから安堵のため息が漏れる。後に続く熟練の医師も信頼に値する。そして、部屋には戦艦で命を預けてきた船医もいた。
治療が後になるのは軽傷の証であり、待っていれば助かるのだ。そう怪我人たちは自分に言い聞かせていた。
真新しい白衣に袖を通したショウタは、再びメスを握る。
セイスケも縫合用の針を持った。
「怪我人のために茶粥を炊くからね。大量にいるから、頑張って」
「包帯を水洗いをして湯で煮て消毒をするんだよ。血のついた包帯は直接触らず火箸で掴むんだ」
広い台所で、網元の妻は二十人ほどの漁師の妻たちに叫んでいた。その中にミホとミノルも混じっている。
こちらも怒号が飛び交う戦争にようだったが、年配の主婦に混じってミホはよく働いた。
「ナルカの町に向けて船が出ました。中央病院の自動車がナルカ港まで医療用品を運んでくれますので、夕方には積んで帰ってこれます」
まだ波は高いものの船を出せるぐらいになったので、石炭を動力とする蒸気エンジンを搭載した最新鋭の漁船が出港したことを網元がセイスケに報告する。
「ニッポン政府がカミドの港から大型船を出して、タテハマまで生存者を運んでくれることになった。明日の夕方にクシナカ港に入る予定だ。救援物資も積んでいるらしいから、とにかく明日の夕方まで頑張ってくれ」
駐在所の警察官が本署からの連絡事項を伝えにやって来た。それをセイスケが翻訳すると、ニッポン政府に見捨てられていないことがわかり、生き残ったサルトゥーレン号の乗組員たちから歓喜の声があがった。
大佐であるサルトゥーレン号の艦長は行方不明になっており、中佐の副艦長は酷い怪我のため息を引き取っていたので、無事であった少佐が生き残った者の指揮を取ることになった。ちなみにエルデムは少尉であり、狼男としては異例の出世であるが、彼の能力を鑑みると低い階級であると言わざるを得ない。
『相変わらず凄い腕だな』
船医のアゼルを手伝っていたエルデムが、ショウタを見ながら半ば呆れたように言う。
『本当に信じられない思いだ。彼には体の中が見えるらしい。しかももの凄い力と速さでメスを振るう。血も殆ど流れていないぞ』
アゼルも同意した。
『世界は広い。馬鹿げた生き物がいるもんだ』
『それをエルデムが言うのか? お前だって馬鹿げたほどの能力を持っているのに。エルデムがいなければ、犠牲者はもっともっと増えていた。本当にありがとう』
アゼルの感謝の言葉にアゼルは苦笑してみせた。狼男に産まれて得をした記憶はない。おとぎ話の中では狼男はいつも悪者だった。狼男というだけでいわれなく迫害され、力を恐れられる。
軍の中でも人と同等には扱ってもらえない。だから、限られた人の中で生活する軍艦暮らしは性に合っていた。能力を示せばそれなりに頼りにされて生きやすかったからだ。
ショウタはどうだろうかとエルデムは思う。鬼として産まれたことで神を恨まなかったのか知りたい。
『あいつには最愛の婚約者がいるからな。それほど辛くないかもしれんな』
ミホを見る時の嬉しそうなショウタの顔を思い出し、少し羨ましいと思うエルデムだった。
網元の家には、村の全ての漁師たちが飲み食いしながら集会ができるような大広間がある。
仕切りとなるふすまを全て取り払うと、百畳ぐらいの広さだ。そこに百人以上の手術済みの怪我人が雑魚寝させらていた。身動きさえままならない。着物や寝間着も足らず、さらしを巻いただけの殆ど裸の状態である。
それでも生きている。サルトゥーレン号の生き残りたちは薄い茶粥をすすりながら、そのことを実感していた。
元気な者は近隣の家に分散して世話になることになった。
クシナカの住民は言葉も通じない外国人に信じられないぐらい親切で、サルトゥーレン号の乗組員たちはとても驚く。こんなに無防備で大丈夫かと心配になるぐらいであった。
結局、乗組員の死者は百名近くに上り、行方不明者も数十人を超えている。それでも、三百名ほどが命を救われた。
漁師たちは船を出し、沈没したサルトゥーレン号の近くで行方不明者の捜索に当たった。エルデムもそれに同行する。何名かの遺体を発見したが、生存者を見つけることは叶わなかった。
全ての怪我人の手術を終えたショウタだが、まだまだ気が抜けない。重傷者の治療は続いており、大広間を駆け回る。
ミホと約束したので、倒れてしまわないように短い休憩をはさみつつ、ショウタは奮闘し続けていた。
ミホもまた台所で奮闘していた。ショウタが人を助けたいと願うならば、ミホも全力でその助けをしたい。その思いで疲れた体に鞭打つようにして、重い鍋や炭の入った袋を運び、風呂を沸かし、汚れたさらしや包帯を洗濯していた。
夏の終りとはいえ、まだ気温は高い。網元の家の庭にムシロで覆って置いている遺体をこのまま放置しておくことはできないので、山手の墓地に埋葬することになった。
スイカを食べ終わったショウタをセイスケが促した。
「はい。院長」
二人は既に医師の顔になっている。
「私も行きます」
ミホも立ち上がった。ミノルも後に続く。
『俺も行くか』
最後にエルデムが尾を揺らしながら立ち上がった。
網元の屋敷の広い板の間は、相変わらず地獄のような様相を呈していた。
五十名ほどの怪我人が未だ治療を受けることができず横たわっている。部屋には濃厚な血の臭いが充満していて、あちらこちらから痛みを堪えきれずにうめき声があがっていた。
しかし、怪我人たちは知っている。自分たちを助けることができる凄腕の医師がいることを。そして、彼が重傷者から治療をしていることも。
このまま待っていれば助けてもらえる。そう思えば怪我の苦しみに耐えることができた。
若き異形の医師が部屋に姿を現すと、怪我人たちから安堵のため息が漏れる。後に続く熟練の医師も信頼に値する。そして、部屋には戦艦で命を預けてきた船医もいた。
治療が後になるのは軽傷の証であり、待っていれば助かるのだ。そう怪我人たちは自分に言い聞かせていた。
真新しい白衣に袖を通したショウタは、再びメスを握る。
セイスケも縫合用の針を持った。
「怪我人のために茶粥を炊くからね。大量にいるから、頑張って」
「包帯を水洗いをして湯で煮て消毒をするんだよ。血のついた包帯は直接触らず火箸で掴むんだ」
広い台所で、網元の妻は二十人ほどの漁師の妻たちに叫んでいた。その中にミホとミノルも混じっている。
こちらも怒号が飛び交う戦争にようだったが、年配の主婦に混じってミホはよく働いた。
「ナルカの町に向けて船が出ました。中央病院の自動車がナルカ港まで医療用品を運んでくれますので、夕方には積んで帰ってこれます」
まだ波は高いものの船を出せるぐらいになったので、石炭を動力とする蒸気エンジンを搭載した最新鋭の漁船が出港したことを網元がセイスケに報告する。
「ニッポン政府がカミドの港から大型船を出して、タテハマまで生存者を運んでくれることになった。明日の夕方にクシナカ港に入る予定だ。救援物資も積んでいるらしいから、とにかく明日の夕方まで頑張ってくれ」
駐在所の警察官が本署からの連絡事項を伝えにやって来た。それをセイスケが翻訳すると、ニッポン政府に見捨てられていないことがわかり、生き残ったサルトゥーレン号の乗組員たちから歓喜の声があがった。
大佐であるサルトゥーレン号の艦長は行方不明になっており、中佐の副艦長は酷い怪我のため息を引き取っていたので、無事であった少佐が生き残った者の指揮を取ることになった。ちなみにエルデムは少尉であり、狼男としては異例の出世であるが、彼の能力を鑑みると低い階級であると言わざるを得ない。
『相変わらず凄い腕だな』
船医のアゼルを手伝っていたエルデムが、ショウタを見ながら半ば呆れたように言う。
『本当に信じられない思いだ。彼には体の中が見えるらしい。しかももの凄い力と速さでメスを振るう。血も殆ど流れていないぞ』
アゼルも同意した。
『世界は広い。馬鹿げた生き物がいるもんだ』
『それをエルデムが言うのか? お前だって馬鹿げたほどの能力を持っているのに。エルデムがいなければ、犠牲者はもっともっと増えていた。本当にありがとう』
アゼルの感謝の言葉にアゼルは苦笑してみせた。狼男に産まれて得をした記憶はない。おとぎ話の中では狼男はいつも悪者だった。狼男というだけでいわれなく迫害され、力を恐れられる。
軍の中でも人と同等には扱ってもらえない。だから、限られた人の中で生活する軍艦暮らしは性に合っていた。能力を示せばそれなりに頼りにされて生きやすかったからだ。
ショウタはどうだろうかとエルデムは思う。鬼として産まれたことで神を恨まなかったのか知りたい。
『あいつには最愛の婚約者がいるからな。それほど辛くないかもしれんな』
ミホを見る時の嬉しそうなショウタの顔を思い出し、少し羨ましいと思うエルデムだった。
網元の家には、村の全ての漁師たちが飲み食いしながら集会ができるような大広間がある。
仕切りとなるふすまを全て取り払うと、百畳ぐらいの広さだ。そこに百人以上の手術済みの怪我人が雑魚寝させらていた。身動きさえままならない。着物や寝間着も足らず、さらしを巻いただけの殆ど裸の状態である。
それでも生きている。サルトゥーレン号の生き残りたちは薄い茶粥をすすりながら、そのことを実感していた。
元気な者は近隣の家に分散して世話になることになった。
クシナカの住民は言葉も通じない外国人に信じられないぐらい親切で、サルトゥーレン号の乗組員たちはとても驚く。こんなに無防備で大丈夫かと心配になるぐらいであった。
結局、乗組員の死者は百名近くに上り、行方不明者も数十人を超えている。それでも、三百名ほどが命を救われた。
漁師たちは船を出し、沈没したサルトゥーレン号の近くで行方不明者の捜索に当たった。エルデムもそれに同行する。何名かの遺体を発見したが、生存者を見つけることは叶わなかった。
全ての怪我人の手術を終えたショウタだが、まだまだ気が抜けない。重傷者の治療は続いており、大広間を駆け回る。
ミホと約束したので、倒れてしまわないように短い休憩をはさみつつ、ショウタは奮闘し続けていた。
ミホもまた台所で奮闘していた。ショウタが人を助けたいと願うならば、ミホも全力でその助けをしたい。その思いで疲れた体に鞭打つようにして、重い鍋や炭の入った袋を運び、風呂を沸かし、汚れたさらしや包帯を洗濯していた。
夏の終りとはいえ、まだ気温は高い。網元の家の庭にムシロで覆って置いている遺体をこのまま放置しておくことはできないので、山手の墓地に埋葬することになった。
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