牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

文字の大きさ
24 / 52

24.

「アリーセ、お願い。二人の話を確かめてきて。あなたなら警戒されないから」
 侍女のアリーセにそう頼んだのはベルタであった。明らかに様子がおかしい息子を心配して、アリーセに盗み聞きをさせようとしていた。
「でも、奥様。立ち聞きはしてはいけないと母から言われました」
 解雇されるかもと母に脅されたアリーセはためららう。
「大丈夫。私が命じたのだから。夫に知られても絶対に守るから。お願い」
 ベルタは両手を組んで祈る格好をした。
 アリーセは母親を振り返る。ベルタの侍女である母親は大きく頷いた。
「わかりました。行ってきます」
 茶器を載せたワゴンを押しながら、アリーセは執務室へと向かった。 

 執務室の扉の下部には空気を取り込むための細長い穴が複数空いている。アリーセはかがみ込むようにして穴に耳を近づけた。
 
「リーナは駄目だ。シュニッツラー侯爵には金でなんとかしてもらおう」
 エックハルトにとって、金の力で息子の不祥事を隠蔽するのは断腸の思いだが、家族と領民のために受け入れるしかない。
「しかし、リーナは父親が死んで継母に殺されそうになっていたところを父上が助けたのでしょう。可哀想とは思うけれど、ウェイランド伯爵家のために役立ってくれてもいいのではないですか? ウェイランド伯爵家が潰されるようなことになれば、リーナだって困るでしょうに」
 リーナのことは手紙で知らせただけだったので、エックハルトは詳しいことを記述していない。そのため、ウェイランド伯爵はディルクと結婚するためにリーナを預かっていることを知らなかった。
 真面目なエックハルトが金銭での解決でさえ受け入れるのは辛いことは、息子のウェイランド伯爵にはわかっていた。ましてや養女にしたリーナを愛人として差し出すことに了承するはずはないと思っているが、家を守るために説得しようとしている。
「違うんだ。リーナはハルフォーフ将軍の花嫁と望まれている。そんな女性を他の男の愛人にしようものなら、領地どころか国が潰れるかもしれない」
 軍部を担うハルフォーフ侯爵家と、財政を担うシュニッツラー侯爵家が争うことになれば、それこそ国家の危機である。
「そ、そんな……。行方不明になっているアルノルトが横領の罪に問われていると言うのに」
 ウェイランド伯爵は頭を抱えてしまった。救国の英雄の花嫁を他の男の愛人として差し出すことなどできるはずはない。
「それにしても、ルドルフのやつ、若い女性を愛人にしようなどと。なぜ、そんな男になってしまったのか」
 エックハルトも頭を抱えていた。


「リーナ様、なんて不憫な」
 アリーセは信じられない思いで二人の会話を聞いていた。
 リーナはやはりハルフォーフ将軍に花嫁と望まれていた。そして、妻のいるシュニッツラー侯爵からも愛人として差し出すように言われているらしい。

「誰だ?」
 物音に気付いたエックハルトが廊下に向かって叫んだ。
「侍女のアリーセです。お茶を持ってまいりました」
「話は済んだ。入ってこい」
 アリーセは上の空で茶を入れていたので、随分と濃くなってしまったが、エックハルトとウェイランド伯爵は思いにふけっていたので気が付かなかった。



「どうでした?」
 茶器を引き上げて帰ってきたアリーセを捕まえたベルタは、三男の不始末とシュニッツラー侯爵の不快な要求を知ることになった。その場で一緒に聞いていたリーナも驚く。
「リーナ様は、ハルフォーフ将軍様とシュニッツラー侯爵様なら、どちらがいいですか?」
 アリーセは真面目に聞いていた。化物のようなハルフォーフ将軍の花嫁と、普通の貴族シュニッツラー侯爵の愛人、アリーセにはどちらの方が幸せになれるか判断できない。
「ハルフォーフ将軍に決まっています。シュニッツラー侯爵には奥様がいらっしゃるのよ。そんな方の愛人なんてまっぴらです」
 たった一度だけ出会ったシュニッツラー侯爵の鋭い目と、見下すような態度のシュニッツラー侯爵夫人を思い出して、リーナは身震いをした。あのような男の愛人になるぐらいなら牢の中で暮らした方がいいと感じるぐらいに、リーナは生理的な嫌悪を感じていた。
「当然でしょうね。夫の元部下で息子たちの上司らしいけれど、シュニッツラー侯爵は何だか嫌な感じだったわ」
 ベルタも同意した。

「そうですか」
 アリーセは悲痛な思いで頷いた。リーナが恋人のディルクと結ばれることはないのだと一人落ち込んでいる。
「それにしても困ったわ。アルノルトが横領をするなんて」
 次男はベルタの実家である子爵家へ養子に入ったので、爵位を継ぐことになっていた。長女は侯爵家へと嫁に行っている。三男のアルノルトだけが結婚もせずに兄の家に居候していた。ベルタにとっても心配の種だった。

「私では駄目でしょうか? 私がシュニッツラー侯爵様の愛人になったら、アルノルト様をお救いできるのではないでしょうか?」
 アリーセとって十歳上のアルノルトは、やさしくて頼りになる兄のような存在だった。自分は継ぐ爵位もないので身分は気にしないでいいと笑って遊んでくれた記憶がある。
「駄目よ! そんなこと、エドガーが許すはずないしゃない」
 ベルタが怒ったように首を振る。
「アリーセをあんな男の愛人になんて、絶対にさせないから」
 リーナもかなり怒っている。
「でも、アルノルト様を助けたいです。それに、ウェイランド伯爵家のことも」
 ベルタやリーナの気持ちは本当に嬉しいとアリーセは思う。しかし、ウェイランド伯爵家が潰れたりしたら困ることになるのも真実だった。
 それならば、自分ひとりが我慢すれば全てはうまくいくのではないかと思う。
 リーナがあのハルフォーフ将軍に嫁がなければならないのであれば、自分も貴族の愛人になるぐらいできるとアリーセは考えていた。

「アルノルト様が行方不明というのも怪しくないでしょうか?」
 リーナはシュニッツラー侯爵を思い浮かべながらそう言った。
 リーナから見ると、シュニッツラー侯爵はそのような謀略を巡らせるような男に見えた。
「最初からリーナを狙っていて、アルノルトを謀ったと。確かにあの男ならやりかねない」
 ベルタも同じように感じていた。
「アルノルト様を陥れて、リーナ様を手に入れようなんて、なんて男なの。許さない」
 アリーセは拳を握りしめて怒り出す。


「私は王都へ行きシュニッツラー侯爵様に会います。アルノルト様が私のために巻き込まれたのならば、助け出さなければなりません。もし、アルノルト様が横領したのが真実であったとしても、シュニッツラー侯爵がなにか知っているような気がします」
 リーナは決意したように言い出した。
「リーナ、駄目よ。あんな男に近付いてはいけないわ」
 もちろんベルタは止める。
「リーナ様、無謀なことはお止めください。とても危険です」
 アリーセは顔色を蒼白にして、無謀なリーナを止めようとした。

「大丈夫。あの人がきっと助けてくれるから」
 リーゼはディルクの優しい顔を思いかべていた。

  
***  
 二千十八年四月二十九日 鈴元 香奈 著 
感想 120

あなたにおすすめの小説

私が生きていたことは秘密にしてください

月山 歩
恋愛
メイベルは婚約者と妹によって、崖に突き落とされ、公爵家の領地に倒れていた。 見つけてくれた彼は一見優しそうだが、行方不明のまま隠れて生きて行こうとする私に驚くような提案をする。 「少年の世話係になってくれ。けれど人に話したら消す。」

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

冬野月子
恋愛
「私は確かに19歳で死んだの」 謎の声に導かれ馬車の事故から兄弟を守った10歳のヴェロニカは、その時に負った傷痕を理由に王太子から婚約破棄される。 けれど彼女には嫉妬から破滅し短い生涯を終えた前世の記憶があった。 なぜか死に戻ったヴェロニカは前世での過ちを繰り返さないことを望むが、婚約破棄したはずの王太子が積極的に親しくなろうとしてくる。 そして学校で再会した、馬車の事故で助けた少年は、前世で不幸な死に方をした青年だった。 恋や友情すら知らなかったヴェロニカが、前世では関わることのなかった人々との出会いや関わりの中で新たな道を進んでいく中、前世に嫉妬で殺そうとまでしたアリサが入学してきた。

病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。 怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。 ……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。 *** 『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』  

全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。

彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。

絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので

ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。 しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。 異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。 異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。 公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。 『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。 更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。 だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。 ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。 モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて―― 奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。 異世界、魔法のある世界です。 色々ゆるゆるです。

【完結】私を忘れた貴方と、貴方を忘れた私の顛末

コツメカワウソ
恋愛
ローウェン王国西方騎士団で治癒師として働くソフィアには、魔導騎士の恋人アルフォンスがいる。 平民のソフィアと子爵家三男のアルフォンスは身分差があり、周囲には交際を気に入らない人間もいるが、それでも二人は幸せな生活をしていた。 そんな中、先見の家門魔法により今年が23年ぶりの厄災の年であると告げられる。 厄災に備えて準備を進めるが、そんな中アルフォンスは魔獣の呪いを受けてソフィアの事を忘れ、魔力を奪われてしまう。 アルフォンスの魔力を取り戻すために禁術である魔力回路の治癒を行うが、その代償としてソフィア自身も恋人であるアルフォンスの記憶を奪われてしまった。 お互いを忘れながらも対外的には恋人同士として過ごす事になるが…。 番外編始めました。 世界観は緩めです。 ご都合主義な所があります。 誤字脱字は随時修正していきます。

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです ※表紙 AIアプリ作成