美味しい時間は貴方と共に

夏空 響

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第五話 食事処

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今日の雛子は和服姿だった。

「それでは今日はここまでにいたしましょう」
「はい。先生、ご指導ありがとうございました」

目の前の年配の女性に深々と頭を下げながら雛子はお礼を述べていた。

今日は華道の授業の日だった。雛子ではなく彼女の妹の麗子の授業である。
麗子はというと体調不良でお休みである。
授業に出られないのはもったいないし先生にも失礼だから、自分の代わりに出るように言われたのだ。
最近遊んでばかりで、技術がなまってもいけないからと。

「やっぱり雛子さんの生け花はとっても素敵だわ。うちの流派の心をきちんと表してくださって」
「いえ、先生のご指導のおかげです」

麗子の心配は杞憂であった。
雛子は特に問題なく、その日の習い事を終わらせた。そして服を着替えるため自室に向う。
途中麗子の部屋の前を通ると声が聞こえる。
声というよりも歌だった。
おそらく、今人気のアイドルグループの歌でも聞いているのだろう。
特に興味のわかない雛子は聞いたことはないが。



服を着替えた雛子はいつものようにタクシーで町へ出てきていた。
向かったのはレンタルビデオショップだ。
興味はないが、確かに今の流行りというものは確認しておいた方が良いだろうと思ったのだ。
レンタルビデオショップに行くと、軽快なリズムが流れている。

さて、お目当ての物はどこかと探して回る。
辺りを確認しながら歩いていた雛子はアニメコーナーでぴたりと足を止めた。
雛子の視線の先には連載アニメのパッケージがあった。
お料理系の漫画だ。
そのパッケージの表紙がトンカツである。
雛子はそれを見て、お昼は食べていないと思いだした。
今日は彼のお店は営業しているのだろうか?

行ってみようかな

なぜだか無性にトンカツが食べたくなった雛子であった。



ガラガラガラと独特な音を立てて扉が開いた。
『食事処 高篠』の扉を雛子は開いたのだった。
雛子が確認した所、レンタルビデオショップのレンタル音源はすべて借りられていた。
やはり人気アーティストだからだろう。一応、過去作品のレンタルアイテムは借りられたのであるが、雛子はそれに気が付かず、むしろ、探しもしなかった。
それを目的で来たものの、興味がそれほどあるわけでもなかった雛子は、早々にお店を後にした。

「おおー嬢ちゃん。また来たのか」

ざわざわと賑やかな店内に快活な老齢の男性の声が響いた。
元作が雛子の姿を確認して声を掛けてきたのだった。

「お嬢ちゃん、良かったらこのテーブルに来な」

今日も小さなお店は、常連のお客様で満員となっていた。
相席のお誘いに雛子は会釈で答えると、席に着いた。

「いやあ、嬢ちゃんもこの店のファンになってくれたんだな。俺は嬉しいよ」

元作はうんうんとうなずきながら、定食を食べていた。
今日はサバの味噌煮定食なのかもしれない。

「そうですね。ここのお料理は美味しいです」

そっけなく答えを返す雛子に、元作はニコニコしながら雛子へ言葉を続けた。

「それより嬢ちゃん。俺見ちまったぜ」

見たとは何だろう?
雛子は疑問を感じた。
その雰囲気が元作にも通じたのか、笑顔をさらに深くしながらさらに続ける。

「ふふふ。お嬢ちゃん、この前、この店の定休日の時ここの兄ちゃんと会ってただろ。ロマンスってやつか?」

ロマンス……。そういうわけでは無かったのだが。
雛子が説明しようと口を開こうとした所で、奥から春樹が出てきた。

「いらっしゃいませ。元さん違うっすよ。ちょっと彼女が困ってたから助けたんす。それで、そのお礼代わりに俺の試作品の味見をお願いしてたんすよ」

そのように元作に説明をしながら、水とお手拭きを雛子の前に置いた。

「困ってたから助けた?」
「そうっす。ちょっと強引なキャッチにつかまってたんす」
「ほうほう、それでねぇ」

やはりニコニコしながら元作は二人を見ている。
周りのグループも各々のグループで談笑しつつもちらちらとこちらの会話を気にしているようだ。

「そうっすよ。この話は終わりっす。お客様。ご注文はお決まりですか?後ほど伺いましょうか?」

丁寧に接客する春樹に対して、元作は「おいおい、俺たちに対するよりも丁寧じゃねーか。ずりーぞ」と声を掛ける。
それに対して、「いやいや、そんなことないっしょ」と軽く返事を返していた。

「元さんやめなて、兄ちゃんにも春が来るかもだろ。そっと見守ろうぜ」

周りからも色々言葉が飛び交っている。

「あの。トンカツ定食、お願いします」

頑張って声を出したつもりだが、周りの声が大きくて掻き消えてしまったかもしれない。
もう一度、言おうと思って顔を上げると、春樹と目が合った。

「トンカツ定食ですね。準備してきますので、お待ちください」

そう言うと、春樹は奥の方へ引っ込んで行った。

「なんかはぐらかされちまったぜ」
「元さんいつも突っ込んだこと聞くよな」
「おん? そらだって気になるだろ。で、嬢ちゃん実際どうなんだよ?」

何がでしょうかという顔で雛子は元作を見つめる。

「いやいや、兄ちゃんの事どう思ってるのかなって。結構イケメンだしさ、ノリも明るいし話しやすいだろ」
「とても素敵な方だと思います」

雛子がそう答えると周りが「おおーー」と湧いた。
別に好きとか愛してるとか言ったわけでは無いのになぜか大盛り上がりだった。
結構立ち入ったような間柄でないとできないような話題な気がするが、雛子の感覚がずれているのだろうか。
雛子は困惑していた。そして、なんだか不愉快ではないが、少しムズムズして、椅子から飛び跳ねたくなってしまう不思議な感覚だ。

「ところで、佐藤さんは、ここのお店の関係者の方なのですか?」

話題のベクトルを変えようと雛子は無理やり元作に質問を投げかけた。
それは以前雛子が気になった事だった。

「うん? 関係者?」
「はい。ここのお店の店主さんとひと際打ち解けているように見えましたので。とても思い入れのある関係者のかなと思いました。違いましたか?」
「ワハハ。そうか、そう思ったか。だがな、関係者ではないな」

口を開けて大笑いした後、元作は言葉を続ける。

「だがな。何十年か前もここの常連だったんだ。思い入れがそのせいで強いのかもな。もっとも店の名前は食事処 橘だったけどな」
その元作の言葉に「あ、俺もだ」とあちこちから声が上がった。
個々の常連の皆はその『食事処 橘』からのお客様が大半なのかもしれない。

「まあ、その当時はもうちょっと、ちゃんと食堂って感じだったよな」
「そうそう。店主は今の兄ちゃんと違ってめっちゃ寡黙だった」
「そうだったな。しゃべっているの見る方が珍しかったよな。男前なのは同じなんだがな」
「従業員も他に居て、デザートメニューとか、コーヒーなんかも置いてたよな。確か、小春ちゃんって言ってたかな?」
「おう、俺も知ってるぞ、可愛かったよな~」

常連達は、思い思いに思い出を語り始めた。
謎のムズムズ感はなくなり、皆の視線からも解放された雛子は、ほっとしたのだった。
それから少し待つとトンカツ定食が運ばれてきた。
わいわいがやがやと、会話のバックミュージックに包まれながら、雛子は美味しく定食を頂いたのだった。

「それにしても嬢ちゃん。今日も可愛い恰好してるな。お洒落さんだ。今の流行の最先端ってやつかね?」

雛子がトンカツ定食を食べ終わるころ、元作が声を掛けてきた。

「えーと」

雛子は返答に困っていた。
流行かと言われればおそらく流行なのだろう。
最近服を新調したばかりだから。
でも、本当にこれが流行りの最先端なのか、雛子には分からない。

「流行かどうかは分からないです。そういうのは、妹の方が詳しいので」
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