美味しい時間は貴方と共に

夏空 響

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第四話 昼食と夕食

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「好きなところに座って、待ってて欲しいっす」

春樹は、空調のスイッチを入れた後、店の奥に消えていった。
雛子は以前座った席に腰を下ろすと、店の中を見渡す。
定休日である今日は、雛子が訪れたあの日と違って、店はがらんとしており空調の音が元気よく響くだけだ。
それでもなぜだか、寂しい雰囲気はない。
でも、だからと言って、別に特別な所というわけでもない。

雛子はゆっくり息を吐いた。
優雅なバックミュージックなどない。屋外の雑踏もお店の中まで響いては来ない。
蝉の声と空調音だけが響いている。
雛子がここにやってきたのは二回目だ。自分にとって所縁ゆかりの深い所という訳でもない。
さらに、相手に迷惑をかけている可能性すらあるのだ。
リラックスなどできない。気を張らなければいけない。
雛子にとって、今はそんなシチュエーションの筈なのである。

「お待ちどうさまっす」

何も考えられず正面をぼんやりと見つめていた雛子は、春樹の声にふと意識と視線を向けた。
カランカランと氷同士がぶつかり合う音が、小気味よく響く。
トレンチの上には、ドリンクと、可愛らしい黄色のカップケーキが載せられていた。
ドリンクは、薄く輪切りにされたレモンが浮かび、美しい琥珀色をしている。

「ちょっとお試しで作ってみたレモンケーキっす。ドリンクはアイスレモンティーで、レモン尽くしにしてみたっす」
「ありがとうございます。いただきます」

雛子は目の前に置かれたレモンケーキを一口フォークで崩して食べた。
あ、美味しい。レモンのさわやかな酸味と共に口の中に広がる、これは蜂蜜だろうか?甘い味は雛子の心を軽くするようだ。

「うん、なかなかイケるっすね。西園寺さんはどう思うっすか?」
「とても美味しいです」

雛子の回答を聞きうんうんと満足そうに春樹はうなずく。
そして、彼も、もきゅもきゅとケーキを食べていた。
食器の音だけが静かに響く。
以前ここで、トンカツを食べた時とは違う。雛子の知っている当たり前の食事風景だ。
でも、ここに息苦しさはなかった。

「ごちそうさまでした」
「いえいえ、お粗末様っす」
「わざわざお休みの日にありがとうございました。それで、お代って?」

いつもと変わらぬ食事時間だと思ったが、食事中、雛子の心は軽かった。
軽かったのだが、少し今は重たくなった。
なぜなら、厚かましく付いてきてしまったからだ。
でも、対価を支払えば、この重たくなった気持ちも、いくらか軽くなるのではないかと雛子は思う。

「へ? いや、いらないっすよ。俺が誘っておいてそんなこと言わないっす。これでお代もらったらさっきのセールスと同じっすよ?」
「そう、ですか?」
「そうっす。そうっす」

雛子は必死に考えたが、分からない。どうして雛子の目の前にいるこの男性は、見ず知らずの人間に親切にしたのだろう。
これが彼なりの営業なのだろうか?
ただ、なんにしても休日の店舗に部外者が長くとどまるのも迷惑だろう。

「私、そろそろお暇しますね」
「了解っす。また良ければ、営業してるときにも食事に来てくださいっす」

雛子は席を立ち、お店の入り口へと向かう。まるで分からないという不安から逃げる子供のようだ。
お店を出る前、雛子は、春樹の方へ体を向けると美しくお辞儀をして店を後にした。
店を出ると、忘れていた夏の暑さが雛子をどろりと包み込む。
雛子の耳に届く雑踏はまるでシンデレラの十二時の鐘を知らせるように彼女の心を揺り動かした。



その日の夜。
雛子が家の食堂に行くと、家族が勢ぞろいしていた。
家族全員がそろっての食事などかなり久しぶりだ。
家族の目の前に料理が並べられている。
彩り豊かで、香りもよい。
味も品がありすべてが一級品の芸術品のようである。
雛子たちは無言で食事を終えた。

「ごちそうさまでした」雛子は食事を終えると席を立ち自分の部屋に向かおうとした。
広く長い廊下を歩き自分の部屋に向かう。

「お姉さま」

廊下の途中。雛子は妹の麗子に呼び止められた。
ゆっくりと振り返ると麗子は優雅にすっと雛子の前に進んできた。

「いやだわお姉さま。そんな冷たい表情で私を見ないでくださいませ。そんな事ですから、婚約者にも愛想をつかされるんですのよ」
「ごめんなさい」
「いえ、分かって頂けているのなら良いんですの。お姉さまが上手にできない分、妹の私がフォローしなければいけないので、もう少し頑張って頂けるとありがたいですわ」

うふふと、控えめにほほ笑む麗子はとても可憐な女性だ。

「私は今まで、勉強も遊びも程よく嗜んでまいりましたの。ここ最近は習い事ばかりで、以前のように自由な時間は取れませんけれど、愛する彼が励ましてくれるから何でもありませんのよ」

雛子は静かに耳を傾ける。

「お姉さまは今までお勉強ばかり頑張られていたからここらで息抜きも大切だと思いますわ。でも、メリハリつけませんと、今度は今まで学んだこと全部忘れてしまっては大変です」

ずっと遊んでいるわけでは無い。
しかし、習い事を特に今しているわけでも、学院に定期的に通っているわけでもない。
彼女と比べれば、遊んでばかりに見えるのも間違いはない。

「私はね、お姉さまの事を心配しているんですのよ。次の婚約者の方も苦労されてしまうのではないかなって。私は真司さんがいらっしゃるし、自分のこともありますから、お姉さまのご家庭の事も気にかけて差し上げるのは難しいですから」

気づかわし気に姉を見上げる麗子は雛子の手を両手できゅっと握ると、まっすぐ雛子と視線を合わせた。

「でもね私、お姉さまの事、できる範囲で一生懸命サポートしたいと思ってますのよ。姉妹ですもの。遠慮はなさらないでくださいね」

麗子は雛子の手を離自分の前で祈るように組みなおした。
それから気づかわし気に麗子は雛子へ言葉をかける。

「そうそう、お姉さま。お姉さまのお部屋、ちょっと殺風景すぎますわ。せっかく今お時間あるんですもの。もう少し流行りの物なども学ばれた方がよろしいわ」

そしてにこりと、優し気にほほ笑むとさらに言葉を続けた。

「それから今日お姉さまのお部屋にあった翡翠のペンダントちょっとお借りしております」

翡翠のペンダント。それはまだ、雛子と真司が婚約者同士だった頃、真司が雛子へ誕生日プレゼントだと渡してきたものだった。

「真司さんがお姉さまに渡してから一度も付けて下さらないと嘆いていたの。だから私がそれを付けて慰めて差し上げようと思って。それに素敵な物だし使わないのも勿体ないですから」

一度も付けていない?
そうだっただろうか?
雛子は麗子の言葉に心の中で首をかしげる。

婚約が解消になってからは一度も付けていないかもしれないが、それ以外のタイミングではかなりの頻度で身に着けていた。
それこそ、婚約者から送られた品物なのだ。仮面夫婦になったとしてもお互いの中は比較的良いと辺りに周知する際に必要なことだと雛子は考えていた。
だから身につけていたつもりだった。
家族の前でもよく、身に着けていた筈だったが、雛子の思惑とは異なり伝わっていないようだった。

「もしかしたら、お誕生日のプレゼントが十日遅れになったのが気に入らなかったのかもって、真司さん気にされてましたわ。だからそれ以降のお姉さまのお誕生にプレゼントも渡しづらくなったとも。真司さん、お仕事お忙しいから仕方がないって、私はお慰めしたんですけどね」

そこまでが麗子の言いたい事だったようだ。
そのまま、麗子自身の部屋の方へ消えると、彼女は扉を閉めてしまった。
雛子の目の前にはもう誰もいない。

雛子も自分の部屋に入ると、アクセアリーを片付けている鏡台の引き出しを開けた。
確かに雛子が真司から以前もらったペンダントが無くなっていた。
後、数点、使い勝手の良いアクセサリーも無くなっている。
それについては言わなかったが麗子がそれも持って行ったのだろう。

しばらく身に着けて出かけなければならないイベントは、雛子には無い。
そのため不要だ。
万が一、急に入用の時は母にお願いして借りるか、妹に話して返してもらえば良いだろうと雛子は思う。

でも、麗子にお願いするときは早めに言わなければと、雛子は思う。

雛子が以前パーティがあるからそのアクセサリーを返して欲しいとお願いした時、「もっと早めに言ってくださらないと、事前の連絡って大切ですの。私もきちんと借りるときは早めにお姉さまに申しているでしょう? お願い事があるときは早めに言ってくださいませね」と言われたことがある。

麗子は私とは違う。不器用な私とは違う。
雛子はベッドに横になると自分に言い聞かせていた。
雛子の瞼の裏には、なぜかあの食堂の景色が鮮明に揺れていた。
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