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1章 Secret Rebirth

【一】目が覚めたら、一端のアホになっていた。

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【一】
 
 研究室、薬瓶とデータが散らばったデスクに突っ伏していた彼女は、起きて目を擦った。

 革命の炎、民衆の熱狂の痕跡はない。
 窓から差し込む陽の光は暖かく、平穏そのもの。
 日付を見ると、ちょうど一年前に戻っていた。

 夢かと思って自分の頬をつねったら、ちゃんと痛い。
 時間を遡った。信じられない。
 けれども、絶体絶命の死地からは脱出できたというのは安心できた。

「もしかして夢だったのかも」

 寝起きと思えない覚醒しきった思考と意識だったが、そう考えてみてもいい。
 この日付から1年後、あんなことが起きるなんてゾッとする話だ。

「そうよ夢なんだわ。なによ、あの異常なマッスルボディ。ピッチピチすぎるわ。さあて今日も研究よぉ!」

 大きな声で独り言。
 返事は来ない。
 僕の声は言葉にしても聞こえない。
 だから、聖女は安心して稲作のためのデータを広げた。

「おや?」

 異変があった。目の前に広がるものが一つも理解できない。

「なにかしらこの数字。掛け算? 割り算かも」

 いつもなら考えるまでもなく、呼吸同然に理解し、活用できた数式。

 それが一つもわからない。
 知識そのものが抜け落ちていた。
 数式が世界を表すのに必要なものだということは覚えている。
 それをどうやるのか。このデスクに広がる羊皮紙に記された数式はなにを指しているのか。

 誰かに訊いてみようか。誰に訊けというのか。
 この十年間、お米のために文明の限界を拡張してきた。
 彼女は名声になど興味はないが、およそ全ての人民に天才と言われてきたし、その通りだと自認していた。

「これなんだっけ……? ドライアイス? 舐めたらわかるかな」

 シュワシュワと綺麗な湯気を出しているフラスコを振ってみた。
 舌を突き出して湯気に近づく。
 おいおい死ぬ気か、この子。

「なにをやっているのですか?」

 冷然とした声。
 背筋をピンと伸ばした佇まいで、メイド長のシスマが立っていた。
 エルロンド家に長年仕え、ジェーン専属の付き人同然となってからは、おはようからおやすみまで彼女のサポートをしてきた。

「ええと……これなんだったかド忘れしたから舐めれば思い出すかなって」

「そんなことをしたら死んで終わりでしょう。なんの冗談ですか?」

「アハハ」

 そう笑って白く煙るフラスコを置く。
 結局はこれが何なのかはわからない。
 しかし、メイド長の反応を見てわかった。

 ありえないことが起きている。

 自分がお米に関することを忘れるなど。
 でも得意分野を一切忘れないって、どういう気分なんだろう。
 僕は人の顔と名前はまず忘れないけど、仕事のことは忘れてばっかりだった。

「ねえ、記憶喪失ってどうすれば治るのかな」

「治癒師に訊くべきでしょう」

 それはもっともな話だ。

「私が見てきた限りでは、記憶喪失が起きた人間には二種類があります。一つは脳の損傷。こちらは私が言ったように、治癒術で治ります。もう一方は精神の損傷です。こちらは治療法が確立されていません。」

 脳の損傷。これは彼女も覚えがない。
 一応は後で見てもらうが、気になるのは後者だろう。
 ジェーンの体調は健康そのもの。

 しかし、心と言えばよくわからない。
 1年後の未来で家族も功績もすべて失い、民衆に罵られながら死ぬ。
 あれが夢ではなくて現実としたら、精神にかかったプレッシャーは相当なもの。

 僕なら3日は凹んでポップコーンを食べながら半ベソでサブスクマラソンをするほどの出来事だ。
 でも、こういう時に限って重大な事件とか人の命がかかった事故が起きるんだよね……。
 とにかく、その精神へのショックで、お米に関した知識が欠落しても無理はない。

「どうすれば治る!? もちろんあたしのことじゃないけども!」

「わかりませんが……本当に大丈夫ですかジェーン様」

「楽勝だべった!」

「だ、だべった?」

 口を突いて出たジェーンにとって知らない言葉。
 何故か親指を立てていたが、彼女自身、どうしてかわからない。
 当然だ。あれは僕の郷の言葉遣いだ。

 親指を立てるのも、僕の癖だった。
 彼女の前世の僕のだ。
 不思議な出来事に、ジェーンは笑って誤魔化す。

「あ、あははは! とにかく大丈夫だから! ちょっと息抜きしてくる!」

「息抜き!? 貴女が息抜きをするのですか!?」

 ジェーンは休憩というものをしたことがなかあ。
 したと言えなくはないのだが、それは空き時間にお米を握り拳大に握ったものを食べる時間だった。

 お米の研究をし、お米を食べる。
 周囲にとっては、一度も休むことなくお米への奉仕を続けていたようなものだ。

 そんな人物が“息抜き”という言葉を使った。
 不審に思われても仕方がない。

 研究室を出て空を見上げた。

 春の日差し。
 冬の乾いた空気を太陽が暖め、分厚い雪を溶かして土壌に潤いを与える季節。

 1年後の未来で目覚めた超五感はない。 
 超身体能力もない。
 だが、太陽の光を顔に浴び、大地を踏みしめる、それをとても久々にした気がした。
 不思議と、それをすることで自身の血潮に熱が宿るのをジェーンは感じた。

「なんか良い気持ち。ちょっと前まで死にかけてたはずなのに」

 ──それはよかった

「うわあっ!?」

 何もなかったところから声が聞こえた。
 否、実際には脳内で流れる音だ。
 しかし、その声の主らしき存在が、突如と現れた。ジェーンの視点では。

 筋骨隆々な体躯に童顔めいた顔つき(個人的にはコンプレックスだった。よく侮られてしまったものだ)。
 ミスマッチなビジュアルに全身にぴったり張り付いたスーツを纏った存在。
 背中には堂々たるマントが翻っている。
 僕の姿が幻として彼女に見えていた。

「あ、あなたいたの!?」

 ──ずっといたよ

「誰なの!?」

 ──僕は君さ。正確に言えば、君は僕だった。

「なんだってえ?」

 素っ頓狂な声をあげ、ジェーンは眉を上げた。
 浮かんでいる謎の筋肉男は、見たまんま男性だ。
 彼女が彼だった記憶など一切ない。

 ──前世って知ってるかい?

「それはまあ」

 ──それが僕だ。君が来世、僕が前世。

 彼女の首が90度傾いた。
 それだけピンと来ないんだろう。
 こんなマッチョが生まれ変わって今の自分になったと、ジェーンは上手く呑み込めない。

 だって、彼女はこんなに鍛えようと思わない。
 筋肉がつきやすいタイプで、優れた運動能力を持っていても、食べたものは筋肉以上に胸部などにつくタイプだった。

 ごはんはたくさん食べるから全体的に体格は良い方だが、それを筋肉にしてはいない。
 いつか筋肉になる日を待って、胸部に貯めている。
 足腰は逞しいがそれ以外は、全体的にうっすら脂肪が乗っていた。

 そんな彼女と僕のビジュアルが繋がるなら胸囲くらい。

 しかし、この世界では前世の存在は知られている。
 貴族が前世にアクセスすることは絶対の禁忌だが、平民がアクセスするのは許可されていた。
 前世の記憶を持つものは転生者(リブート)と呼ばれていた。

「あたしが転生者ってことはわかったけど。それじゃあたしの力の説明がつかないわ」

 あの五感、身体能力、空を超光速で飛ぶ能力。
 それらは目の前の彼から来たのだと直感的にわかる。

「前世の知識で成功を修める人物の逸話は聞いたことがあるけれども、前世の力が目覚めたのは聞いたことがないわ」

 特に貴族と前世は無縁だ。
 社会、国の基盤を揺るがすとして、貴族は生まれながらに前世に繋がるのを禁ずる封印が施される。
 それはジェーンも例外ではない。
 こちらも転生をしたのは初体験だが、頑張って説明してみた。

 ──たぶん、生まれ変わる際に僕の魂が君に混ざりきらなかったんだと思う。それで、魂の余剰分が力になったんじゃないかな。

「余剰分? 魂ぃ?」

 そう言われてもよくわからないようだ。
 聞いたことがない概念だったかもしれない。
 もちろん僕もよく知らない概念だ。

 こういうのは魔法ヒーロー、スピリチュアルなタイプが取り扱う問題だ。

 そして僕はそういうのを聞くとなんだか背筋が寒くなるタイプだ。
 だって人の魂がどこから来てどこに行くかなんて下手に布団の中で考えたら怖くなるし。

 ていうかお化けも正直苦手。
 ドロドロしてて怖い。
 実在を知って、戦うことさえ合ったけれども、恐怖症は消えなかった。

 まあ恐怖症ってそういうものかも?

「もうちょっとわかりやすくお願い」

 ──難しかった?

 前世サイドの僕の話がまとまりきっていなかったようだ。
 それは反省するが、ジェーンの気質の問題もあるんじゃないかな。
 彼女は、興味から外れたことにはとんと疎い。

 無限大に思える頭の回転力が、お米以外のことでは鈍感の塊。
 それは家族にもメイド長にも親友のクレオにも呆れられる欠点だ。

 ──そう言えば僕もよく察しが悪いって言われてたなあ

「じゃあどうするの? ふたりともお馬鹿じゃ困っちゃうわ!」

 ──お馬鹿ってほどじゃないよ!

 まったく心外だ。

 高校の物理では一度、C-を取ったことはある。
 それは引っ掛け問題に尽く引っかかったのと、家の手伝いで提出物に手が回らなかったせいだ。
 っていうか、今思うと他の農家の子どもって勉学と家業を僕のようなスーパーパワー抜きに両立して、提出物も欠かさなかったんだなあ。
 超すごい(スーパー)な人たち(マン)だ。

 それ以外では、国語は現代文・古漢どちらも満点、英語と世界史も同じくだ。
 全国模試では文系科目で満点を取ることも多かった。

 まあ数1Aで3点を取ったのは学校史においても僕だけだったけれど。

「あたしにはお米があるから他は馬鹿でもオールオッケー!」

 人間、これだけは自信があるというものが一つあれば自己肯定感が高まるものだ。
 ジェーンは好きなこと以外は凡人未満の感性かもしれない。
 でも好きなことなら天才だ。
 クレオの次に天才だ。

 時間を超えた後遺症か、お米に関する知識を思い出せなくなっていても、それは一時的なことだと考えているようだ。
 自分とお米の絆は絶対だと彼女は考えているのだろう。
 少しの迷いも濁りもない真っ直ぐな眼差しを見ると、そう確信できる。
 胸が痛む。本当は僕はもう死んでいるのに。

 だからこそ、これから彼女に残酷な真実を告げねば。

 ──そのことなんだけど……

 おずおずと切り出した。
 彼女が気分を害さないように最新の注意を払う。

 ──君のお米の知識と才能はしばらく使えないと思う。

「ふふん。ウソね」

 断言した。
 信用できなくて当然だ。

「またまたあ……ウソね」

 駄目押ししてきた。
 遅れて、大粒の冷や汗がジェーンの広い額から顎へと落ちる。
 前世と今世の関係によってか、直感的に僕が嘘をつかない人間とわかってもらえたのかもしれない。

 ──あれは僕の知識なんだ。だから、僕達の魂が重なっていた時は僕の知識を使えたんだと思う。

 僕も生きていた頃の記憶が全部あるわけではない。
 実際は大半が抜けているというか、朝もやのようにボヤケている。
 それでもいくつか維持しているものがあった。
 子供の頃は実家で農作業の手伝いをしていたこと、米どころだったために稲作の知識はあること。
 上京してから実家が熊に侵略され、稲作が不可能になってしまったこと。
 後に地元の味を再現するのに腐心していたことなどだ。

「魂が重なるってどういうこと?」

 ──僕は米食エリアの出身だから君を通して味わいたくて……君の魂に共鳴して、勝手に知識を流し込んでいたんだと思う。

 どうしてこうも完璧に引き継いだのか、それはわからない。
 見たところ、ジェーンは僕の知識・経験・技術を、この世界で再現できる範囲内で完璧に取り扱っていた。

「…………えっと。それじゃあ、あたしがお米の天才だったのはあなたの影響ってこと?」

 この世界の常識的に普通はありえない。
 貴族は前世に関しての封印が施され、勝手に解かれたという話は聞いたことがないからだ。
 疑って当然。
 残酷な真実を僕は出会ってすぐに告げなければならない。

 ──そういうことになるのかも。僕のいた世界は、ここよりずっと進んだ文明だったから、その知識が使えるなら国の文明力を激変させられる天才になれるだろうし。

 どうやって前世の意識が目覚めたかは不確かだが、目覚めたことで彼女は何でもできた。
 才能や地位などを。自分だけの力で得たものだとはジェーンは考えない。
 他の人間と比較すると、特定の分野における彼女の知識や洞察力、閃きというのが度を超えていることについて、本人も不思議がっていた。

 加えて、その異常な才覚を好き放題に使えたのは、公爵家の娘だから……そう考えていたのも僕は知っている。
 努力で得たものというよりは、そういう生き物として生まれたという感覚だったに違いない。

 それは合ってはいたわけだ。
 正確には、前世の知識。
 奇しくも、僕が幼い頃から特別な力を持ち、それを抱えて生きていたのと同じ。
 違いがあるとすれば、ジェーンは生まれながらの特異性を活用して凄い速さで世界に働きかけた。

「でも元があたしのものじゃなくてもまた欲しいわね」

 教えられても、じゃあ知識が全部無くなりますというのを受け入れられるわけがない。
 だが、事実を伝えられてすぐにそう答えられるのは間違いなくジェーン・エルロンド独自の気質と才能だ。

 ──理由を聞いても? 

「だってこれまで使ってきたし。あたしのものにしてもいいじゃん」

 堂々と言ってのけた。とてつもない図々しさだ。
 それによって、紆余曲折の葛藤を大胆にショートカットしてみせた。

 なんという少女だ。これ本当に僕の来世か?
 普通、自分の人生が前世からの借り物で形作られていた可能性があると、多かれ少なかれアイデンティティの喪失を味わうだろう。
 だが、それを使って未来を切り開いてきた道のりこそが自分の人生の一部。否、大半だ。
 借り物の力・記憶・知識でも、それらを使って生きてきたのなら、紛れもなく当人の実力。

 その真理に直感的に辿り着ける人間はいない。
 少なくとも僕が同じ立場であったらしばらくはこれまでの人生と、その意味に思い悩むことだろう。
 とりあえず実家に里帰りして、きりたんぽをつつきながら父さんと母さんに相談する姿が目に浮かぶ。
 生前の定番イベントだった。

「わかった。それじゃあ魂を重ねて記憶を戻しましょう。そうよ、元は同一人物だったんだしできないわけないわ。どうやるの」

 自画自賛だが僕のパワーだけなら無敵に近い。

 頑丈・怪力・高速。
 この3要素があればなんでもできる。 
 事実、ジェーンは僕の力を使って1年後の処刑の日から時間を遡った。
 スゲーマンでも滅多にできないミラクルだ。
 あんなことができるのなら、もっと凄いこともできるに違いないだろう。

 ──わからない。君が時間移動したのは君と僕の生存本能が奇跡的に噛み合ったおかげだろうから。どうやって再現するのか。

「じゃあ、あの約束はなんだったの!? もっと生命に目を向けようってやつ」

 処刑の日に出した提案。
 前世と今世との約束などおかしな話だ。

「特に考えなしに、これから善く生きてねくらいのニュアンスだった」

「ふざけんでねえっ」

 カッとなったジェーンが秋田弁を出して僕の脛を蹴った。
 幻である僕にやっても無意味なので擦り抜けて終わる。
 憤っても無理はない。ジェーンとしてはあの約束をしたから力を使えたと思っていたのだから。

 ──あの時はなんとなく……それができそうだと思って……実際に使えたし。でも今はどうやったらいいか全然……

 僕は前世であり、あれほど人智を超越した力を持っていると知ったのだから、実際に会話ができれば必ず助けになるとジェーンは思っていた。
 だが結果はというと、話せば話すほど“この人、頼りない”と理解できてしまっている。

「あまり学のない農民と話しているかのようだわ……」

 ──言い過ぎに思うけど面目ない。

「……とりあえず“もっと生命を見ろ”っていう、交わした約束があなたの望みなのはそうなんでしょう!? じゃあ、あたしはそれを叶えるわ! どうして欲しいか言いなさい!」

 しまった、失言だったかも。
 あれでは僕が彼女の全てを左右すると思っても仕方がない。
 実際は、ただ内側からぼんやり眺めているだけなんだけども。

 ──うーん、強いて言えば、僕がやってたことをやればいいのかもしれないけど。あれを君に要求するのは少し……

「なに!? こっちは研究に注ぎ込んでた時間が全部浮きそうなんだから、時間が有り余るわ! 言いなさい。ヘイヘイ!! 言え!!」

 両手の拳を振り上げて元気に叫んだ。
 僕は生前から押しの弱さ、自己主張のなさが原因で周囲に呆れられることが多々あった。
 ヒーロー仲間からもそんなことでどうすると呆れられるばかりだった。

 そうやって逃した恋も多々あった。
 あったんじゃないかな。
 あるといいな。

 一方で、ジェーンのこの圧力、押しの強さは魂が共通しているとは思えない性質だ。
 彼女にしてみたら自分のこれからの全てがかかった瀬戸際だとしても、初対面の人間にここまで直接的に要求できるのは大したものだ。
 それなら、僕も思っていることをそのまま語らなければ不誠実というものだ。
 大柄な体をもじもじさせながら、ジェーンの前世である僕は言った。

 ──実は僕、ヒーローをやってて……スゲーマンって聞いたことない?

 あるわけないとは僕も思う。
 彼女はシンプルに答えた。

「ヒーローってなに?」

 ──まあそれはおいおい理解するとして、とにかくキミも検討してみよう。

 それで合わないと思ったらいつでもやめればいいのだし。
 なにせ人生には無限の可能性があるんだ。
 稲作もヒーローも、彼女のエネルギーの矛先には足りない気がした。
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