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第二章:彼は如何にしてワンダーウーマンみたいなマッスルボディに兄としての強さを見せつけたか
帰還者2号
しおりを挟む【五】
蓮達の家は玄関から居間まで、かなりの距離がある。
なのにインターフォンを使わず、ドアを叩いて呼びかける。
通常のことではない。
異常に気づかない志紀に目配せをし、蓮が席を立つ。
気配を殺し(師匠に叩き込まれた技術だ)、音のする方へ行く。
ドアの向こうには気配がない。
三森茜が来たのかと思ったが、違うようだ。
いたずらかと思いながらもドアを開けると、玄関に鍋が置かれていた。
「なんだ、けっきょく来たのか」
蓋を開けての匂いで、三森のシチューだとわかる。
昔から、自炊をしても簡単なものしか作れない蓮に、三森茜は食事の差し入れをしてくれた。
両親がほとんど帰って来ないのも、それだけ三森という幼馴染の貢献に頼っているからだろう。
幼馴染としての気遣いと、十年ぶりの兄妹水入らずの一時にも構いやしない強引さ。
そのどちらも感じられて、こそばゆい思いがあったものだ。
その鍋が置かれている。
これは三森側としても、まだ進藤蓮への感情が残っているということではないだろうか。
玄関に置いたのは、きっと気まずいとか、そういうのに違いない。
蓋を開けると、甘く、落ち着く香りが鼻腔をくすぐる。
冷蔵庫に入れなくとも、今の季節なら問題ないだろう。
明日の朝はシチューとトーストにしようと、蓮は決めた。
そうだ、志紀にもたっぷり食べてもらおう。
なんとなくだが、熱いシチューというのを彼女は気に入る確信があった。
玄関の前から家に戻ろうとしていたところに、肌がチリつく気配があった。
振り返り、暗闇に目を凝らすと、見えないが確かに何かがいるというのがわかる。
「来たァ……!!」
妹との触れ合いに邪魔が入ったのは不愉快だ。
だが同時に、志紀のいる場所を戦場にしないため、意識が切り替わる。
異世界転生はどれだけ殴っても殴り足りない。殴れるなら大喜びだ。
肺腑から武者震いに震え、闘気が放つ熱が表皮も炙るかのようだ。
師には、こういった直感には従うようにと教えられてきた。
勘違いなら少しの恥で済み、的中しているのに無視してしまっていたら、命の危機になってしまうからだ。
鍋を玄関の隅に置き、臨戦態勢に入る。
「いいぞいいぞ」
口元が裂け、歯を剥いて爛々と笑う。
「どんどん来やがれえ!!」
暗闇に敵が潜んでいる場合、気をつけるべきは死角からの急襲。
しかし、家を背にしていれば逃げ道の確保も容易だ。
暗闇の形が歪み、巨大なメイスが迫る。
反射的に右腕を走らせ、動くメイスに直撃させる。
闇雲に打った攻撃が、炎の煌めきを放つ材質を粉砕させた。
メイスの柄の長さは一メートルほど。
とりたてて長いということもない。
魔獣としては、存外に常識的な大きさの獲物だと蓮は判断した。
物語ではよく見かけることだが、こうして文明が作ったはずの武器を振るう怪物を見ると、実に奇妙だ。
その武器はいったいどこで手に入れたのだろうか。
死体から奪ったというのが妥当だろうが、それにしては握りも構えも堂に入っている。
体系化した技術を修めた者ができる構えである。
もしや相手にも文明らしきものがあるのか。
それならば意思疎通をする余地も出てくるが、一切の感情も意志もない幽鬼めいた印象がそれを否定する。
異世界の武器である以上、特殊な材質であることも考えたが、拳を通じた手応えで鋼鉄だとわかった。
鋼鉄なら安心だ。問題なく壊せる。
しかし、砕けたメイスの破片は落ちる前に空中で停止し、それから元の形に結集した。
「おいおいおい、武器が直るのかよ……」
思わず声が漏れる。
「……面白え!! いっそ、どれだけ壊せるか試したくなってきたぜ」
異世界らしい事象を目の当たりにし、ただの怪物だけではない“物”を殴れることに、蓮は昂った。
高笑いでもしたい気分なのを我慢していると、ようやく暗闇から怪物の姿全体が現れた。
岩肌の巨漢。
丸い眼鏡をかけている魔獣。
「眼鏡……!?」
これは完全に予想外だ。
付け方もしっかりと正しい。
本当に怪物なら、目の近くに視界を歪める物があれば、不快感を覚えてはたき落とすはずだ。
敵の風体は、日常生活では決してお目にかかれない巨体。
朝に見た牛頭と同じ。
なのに、服装は僧兵めいたローブを羽織り、ファッションに無頓着な少年目線でもセンスがよく見える。
牛頭とははっきりと違う。
こいつには知性・理性の残滓が見え過ぎる。
もっとも、茫洋とした双眸は岩と変わらず、どちらかというと、そういう見た目、形の彫刻が動いているだけにも思える。
「おい……!!」
思わず声をかけてしまった。
異世界からの敵をぶちのめすという興奮は、嘘のように鎮まってしまった。
殴りたいのは、気分よくぶん殴れる怪物だけだ。
知性があるのを殴ると、気分が悪い。
「話はできるか? 言葉が通じないとかか?」
構えを解いて両腕を広げてみる。
これなら言葉がわからなくとも、「交戦の意思はない」という動作の意味は伝わる。
だが相手は返事をしない。
どころか、進藤蓮の動きを目で追ってすらいない。
いったい何なのだ、こいつは。
「そうだ、志紀に訊いてみれば……」
後ろから駆け足でこちらへ向かってくる足音が聴こえる。
フルコンディションの今なら、志紀が出るまでもないと思っていたのだが、見通しが甘かったようだ。
二振りのメイスを握り、小太刀のように軽々と振るってくる魔獣。
師匠にも、武器を持つ敵との戦い方は仕込まれている。
だが、武器を使ってくる怪物というのは教えられていない。
最後に行った訓練は、目隠しをした状態でマシンガンの乱射を避け続けることだった。
通常なら大ぶりに使うものを、小回りが利くものとして用いることが可能なのは、巨体の利点と言える。
岩肌の魔獣が、メイスを袈裟懸けに振るう。
武術を修めた者の動きだ。
握り、肩、肘に無駄な力みがない。
腰の動きと獲物の動きが連動している。
耳元で轟音が唸りをあげた。
「待って!!」
着地して次の攻撃に移ろうとした、その瞬間。
背後で玄関のドアが開く。
志紀が戦斧を手にし、蓮へと呼びかけていた。
新手が現れたせいか、魔獣が動きを止める。
状況判断能力があったのだろうか。そんなふうには見えなかった。
それに、攻撃を強引に止めたせいで、明確に魔獣の姿勢がおかしなことになっている。
体を壊す姿勢だ。
その通りに、膝や肩から金属音の悲鳴紛いが聴こえた。
これでは、“外からリモコンで停止ボタンを押された”みたいだ。
「私に任せて」
「おい、後から来といて足手纏い扱いか」
じろりと睨みつけ、蓮は口を尖らせた。
だが、今はふざけたことを言っている場合ではない。
「志紀。こいつは何なんだ? どう見ても、なんかに操られてるかしてるぞ!!
そう言えば、こいつだけ、こっちで言う生き物じゃなくて、動く岩って感じだけど、それも関係が……」
途中まで話して、気づいた。
志紀が人肌に強く執着していたのは、彼女の周りには友好的な動物がいなかったからだ。
彼女の仲間は、みんな体温のない存在。
つまり、目の前の──
妹の表情は沈痛なものだった。
兄を無視して、岩肌の巨人から目を離そうとしない。
激しい郷愁と哀切の痛みに耐え、そして諦観しきった表情。
「この人は……違うの」
「何がだ? どういうことなんだ!」
ゴキブリウサギと同じように倒せばいいと思っていた蓮は、胡乱げに振り返る。
彼の質問を無視し、志紀は岩肌の巨人へと歩み寄る。
「ギリー……」
名前らしきものを呼びかけられても、魔獣は反応しない。
だが、攻撃もしてこない。
さっきまで激しい攻撃を繰り出してきたのに、志紀が出てきてから動きを止めている。
まるで、志紀の感情に連動しているかのように。
頭を垂れた魔獣の頭部に、形の良い褐色の指を這わせる。
相手の身長は、人間が到達できるものではない。
大型トラックほどの大きさにもなるだろう巨体。
二メートルもあろう長身美女の志紀だが、傅く魔獣との対比で、まるで大人と子供のようにすら映る。
「戻っていいよ、ギリー」
志紀が命じると、怪物は彼女の影へと沈んでいく。
地面に潜るというよりは、沼へ呑まれるようだった。
去るのではない。
彼女の足元へ、そこより深くへ、落ちていく。
そこが帰る場所であるかのように。
「……どういうことだ?
ギリーって、お前の育ての親の名前じゃなかったか……?」
その様子を見ていた蓮が、呆然と呟く。
魔獣を退治するのが目的だと言われ、蓮もそれに協力するつもりだった。
しかし、目の前で展開されていたのは、むしろ魔獣が志紀に従っているかのような光景だった。
文明と理性、知性の名残が強くこびりついているのに、
まるでそれらを一切奪われたかのような敵の姿。
志紀が長いまつ毛を伏せ、沈鬱にうつむく。
「今のは何だ。
俺を殺そうとしてきた魔獣が、お前の下僕みたいに──」
「下僕じゃないわ!!」
激しく反論した志紀は、それだけ言って口を閉ざした。
さっきの語らいもそうだった。
明るく、上品に楚々と振る舞っていた志紀。
それが時間の経過によって打ち解ければ打ち解けるほど、
暗い顔を見せ始めている。
普通は逆ではないか、と蓮は思った。
異世界転生から帰ってきたら、トラウマで暗くなり、
慣れてくるにつれて、少しずつ明るさを取り戻す──そういう展開を想像していた。
実際は、反対だった。
じっくりと近づいていた兄妹の距離が、
蓮にはいやに遠くなったように見える。
正確には、近づいたと思ったら、
反動をつけたかのように、さらに遠ざかった。
ポツリポツリと、異世界から帰ってきた姫戦士が話し始める。
「彼は……ジャヒムで初めて会ったひと。
色んなことを教えてくれて、助けにもなってくれた。
さっきも言った、義父のような人よ。私の家族」
「それが、どうして」
「それは──」
その先の言葉は、形にならなかった。
空気が鋭くずらされた。
音もなく、気配もなく、
“そこにいるはずのない何か”が、割り込んできた。
それを知れたのは、少年に武の心得があったからだ。
「もういいっしょ、シキちゃん」
声だけが先に落ちてきた。
軽い。
場違いに明るい。
機械人形の電子音見たいな明るさだった。
だが、頭上には何も見えない。
次の瞬間、影が下に落ちるのではなく、
上から生えてきた。
人の形をした、細い影。
姫戦士とは正反対のしだれ柳のような細さと軟らかさだった。
──いつからこちらを見ていた?
志紀と蓮の間に、前から知っていたかのような顔でやってきた。
それは少女だった。
細身で軽く、戦士というよりはどこにでもいる人間の体格をしている。
だが、立ち方がおかしい。
重心が、床ではなく、空中にある。
足が微妙に浮遊し、そして固定されているのだ。
敵意はない。
殺気もない。
それが、逆に気持ちが悪い。
「悪いが、取り込み中だ」
蓮がそう言った瞬間、
少女は、初めてこちらを“見た”。
正確には見た、というより──
存在に反応した、に近い。
「うん、だろうね」
否定とも肯定ともつかない声。
視線は、志紀から離れない。
「楽しめた?」
問いかけられた志紀の表情が、歪んだ。
泣きそうで、怒りそうだった。
それでも、何も言えずに、歯を食いしばっていた。
喉の奥で、何かが暴れているのがわかる。
それを、少女は見ていない。
もしかしたら見ようとさえしていないのかも。
志紀は目を閉じ、深く息を吸ってから、首を縦に振った。
「──とても楽しかった。ありがとう」
それで満足したように、少女も頷いた。
「そっか」
次の瞬間、
彼女の手の中に、刃があった。
抜いたのではない。
そこにずっとあったかのように出てきた。
鍔も装飾もない。
ただ、人を殺すためだけの形を追求した遊びのなさ。
大振りで、無骨で、暴力を叩きつける形の使い方をするものだ。
少女は迷わなかった。
一歩踏み出せば。
妹との距離が消える。
志紀の首筋に、白い線が走った。
速すぎて、“斬った”という認識が追いつかない。
だから、蓮の体が動いていたのは、シンプルに弛まぬ反復練習が引き出した反射だった。
掌底が刃を弾き、
金属音が夜に裂ける。
「何をしているんだ!?」
叫びながら、蓮は理解できなかった。
今の斬撃には殺気がない。
憎しみも怒りもない。
それなのに、殺すことだけを高純度に磨きあげていた。
「ちょっと邪魔せんといてー」
少女は不満そうに言った。
声色は軽い。冗談めいている。
だが、足運びも、体の運びも、
人間のものではない正確さだった。
武術の真髄に至ったものが操る、完全な脱力を実現していた。
「シキちゃんのお友達なんスけど」
蓮は、確信した。
こいつは魔獣でも、敵兵でもない。無感情な処刑人だ。
「友達なら、こんなことはしない!!」
吐き捨てるように叫ぶ。
少女は、少しだけ首を傾げた。
嘲りや否定ではなく、少年を理解しようとしている仕草だ。
「あたしの名はライゼン」
そして、当たり前の用件を告げる。
「シキちゃんを殺す約束なんスよ」
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