叶うのならば、もう一度。

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第三話 叶わないIFを彼はつぶやく

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 呆然としたまま最初の数日を過ごした後、急激に病状が悪化した。
 よく「した怪我は『した』と気付いた途端に無性に痛み出す」なんて言うけれど、正にそんな感じである。
 私の肝臓も、やっと自身を蝕むガンの存在に気が付いたようだ。
 
 ――どうせ沈黙してるんなら、ギリギリまでそうしててくれれば良かったのに。
 そんな恨みがましい気持ちを心の内に閉じ込めて、痛みを鎮痛剤で押さえ、すでに手遅れな病状の進行を少しでも遅らせようと頑張る医師の指示に漫然と流された。

 今私がまだ生きているのは、その医師たちの努力の賜物だ。
 でも、やっぱり分かってしまう。
 多分私はもうすぐ――。

「なぁ結奈《ゆいな》、退院したら一緒にバーベキューしたいよなぁー……」

 まるで呟くような声が、風に乗って耳を掠めた。

 私は少し目を見開く。
 当たり前だ、だって私はもうすぐ――。


 声に出して『死ぬのに』とはやっぱり言えなかった。

 私は良いのだ、もう良いのだ。
 最初こそ色々鬱々としたけど、もう一応整理が付いた。
 どうにもならない不条理を呑み込んだ、と言っても良い。

 だけどただ一つだけ。
 彼を傷つける事だけは、出来る限りしたくない。

 だから言えなかったのだ。
 どうしても『叶えられない願いを何故』と。



 彼は、毎日のように病院に通ってきてくれる私の旦那様である。

「君が病気になった事は、別れる理由にはならないよ」

 余命宣告から数日、毎日様子を見に来てくれる彼に別れを切り出したら、そんな声が返って来た。
 おそらく既に、彼の中では決まった覚悟だったのだろう。
 真っ直ぐな目でこちらを見つめて言った彼に、私は思わず「本当にズルい」と思ってしまった。

 いつも冗談を言ってるような、お調子者な人なのだ。
 なのに、こういう時だけこうやって真面目な顔でキッパリとそう言ってくる。

 そんな彼を、どうしてカッコいいと思わずにいられるだろう。


 優しくて、それからとっても頑固な彼だ。
 彼の、そんな所を好きになった。

「良いの……? それで」
「良いんだよ、それが」

 ほら見ろ即答だ。 
 こんなのはもう、惚れ直さずにはいられない。
 弱ってしまった今の私に突っぱねられる筈がない。

 こみ上げてくるものがあってグッと唇を噛んで耐えると、フッと顔に影が掛かって唇に彼が優しく触れる。

 まるで私の行いをやんわりと咎めるような温もりに、不思議と力はスッと抜けた。
 もしかしたら充血しているかもしれない患部をそっと撫でられ、彼の瞳が私を見下ろす。

「だからさ、結奈。お願いだから我慢しないで。怖かったら『怖い』って言って良いし、寂しいんならそう言って。じゃないと俺は、寂しいよ」

 心の傷をほんの少しでも分けてほしいんだ。
 そんな風に言われた瞬間、目の堤防が決壊した。
 
 その日私は、宣告を受けた日から初めて、声をあげながら泣いた。
 彼の温かさに包まれながら、よりどころを見つけた子供みたいに声がかれるまで泣きじゃくった。


 ***


 それから一週間も経たないうちに、書類上の夫婦になった。
 一か月も経たないうちに病室でままごとみたいな式をあげ、極々身近な親族と親友に祝ってもらって嬉しかった。

 新婚生活も病室だ。
 通い妻ならぬ通い夫よろしく、彼は毎日来てくれる。
 私は彼に、食事もお風呂もしてあげられない。
 それでも穏やかで幸せな時を過ごしてきた。


 そんな彼が言った、「退院したら」という叶わないIF。
 
 怒りは全く感じない。
 彼は悪意や皮肉でこんな事を言うような人ではないから。

 ただその代わり『何故そんな事を?』と思わずにはいられなかった。



 彼は私の余命を知っている筈で、私が退院どころか外出だってもうできないのも知っている。
 バーベキューなんて出来る筈もない。
 そんな事は分かり切ってる。
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