麦わら帽子の約束

カニカマ

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文化祭

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 九月。空が高い。
 朝の川沿いは、夏の名残りをすこしだけ背中に貼りつかせながらも、吸い込む空気の温度は確かに下がっていた。頬の裏まで冷えて、肺が軽くなる。ランニングにはうってつけだ。土手の草は刈られて、切り口の青い匂いが靴音に揺れる。橋の影を抜けるたび、体が自然に前へ出る。
 スマートウォッチのラップを押す。ペースは上々。夏の間に残った重さは、汗といっしょに少しずつ剥がれていく。早朝のパン屋から最初の焼き上がりの匂いが漂って、信号が変わる音が微かに鳴った。秋は、走ることを肯定してくれる季節だ。

 学校が文化祭モードに入ると、教室の空気は軽く浮いた。LHRの黒板に「出し物決め」と大書きされた瞬間、あちこちから「お化け屋敷!」「劇は?」「屋台」「縁日!」と声が飛ぶ。
 
「カフェにしない?」
「火使わないメニューなら、衛生面も通りやすいし」
「写真映えするし、人も入りやすい」
 
 結局、多数決でカフェに決まりる。名前は安直に『一組カフェ』だ。誰もいい案が思い浮かばなかった。
 役割分担で、俺は「装飾・看板」を立候補。なんやかんや力仕事だ、装飾のセンスは任せるが高い位置に装飾するのは任せて欲しい。
 
「湊は?」
「⋯⋯僕も看板、やってみたい」
 
 “接客のほうが映えるって!”という囁きがいくつか飛んだが、湊は穏やかな笑みで受け流した。黒板の名前が並び、俺と湊の字が肩を並べる。女子が早い者勝ちだ、と名前を書き込んでいくのを眺めた。相変わらず湊は人気だ。

 放課後、美術室。美術の得意な女子から指示を受けながら段ボールを養生テープでつないで畳ほどの板を二枚作り、白で地塗り。ローラーは主に俺と湊。細かい部分は女子に任せた。合唱部の発声が遠くから母音だけ運んでくる。窓を開ければ秋の風が薄く通り、絵具の匂いを冷ましていく。

「王子って家も広くてお金持ちなんでしょ?」

 他クラスの女子が話しかけてくる。美術室はこの時間は看板作りで色んなクラスが混じっていた。他の女子も負けじと、という様子で会話に入ってくる。

「王子は上品だよね!育ちがいいんだ」
「兄弟はいるの?お父さんどこで働いてるの?」

 純粋に気になるという目線が湊に刺さる。湊は居心地を悪そうにしているのを横目に俺が割り込む。

「やっぱり俺の品性が溢れ出たか。今朝なんて5時に起きてランニングして朝飯食べる時間無くして学校に来たくらいだからな」
「東堂はいつから王子になったの?」
「えー!?てか東堂くんだっけ?筋肉すごい、触っていい?」
「え、ま、まぁ⋯⋯」
「照れんなよ!」

 うまいこと話題が俺へとズレてくれた。湊はまだ複雑そうな笑みを浮かべていた。
 
 日が落ちて、白い蛍光灯の青さが濃くなるころ。賑やかな女子は帰って俺と湊の二人。湊の手がふっと止まる。
 
「ちょっと、目が、疲れたかも」
「休憩」 
 
 俺は窓をもう少し開け、買っておいたペットボトルを渡す。湊は「ありがとう」と受け取り、小さく口をつけた。喉仏が上下する。
 
「遅くまで、手伝ってもらってごめん」
「皆でやるもんだろ、いいって」
「でも⋯⋯花火の夜も、途中で帰っちゃって。楽しかったのに」
「怪我だろ。しゃーねぇ」
「うん。わかってる。⋯⋯のに、気持ちが、置いてけぼりになる」
 
 湊はペットボトルのキャップを指でなぞりながら、ゆっくり言葉を探した。
 
「小さい頃のこと、話してもいい?」

 俺が頷くと、湊は窓の外へ一度視線を投げてから、ゆっくり続けた。
 
「病院の天井って、夜になると音が変わるんだ。昼の機械音が減って、空調の風だけになる。眠れない日は、カーテンの隙間から見える街の灯りを数えた。退院しても、引っ越すことが多くて⋯⋯空気のきれいなところとか、病院に通いやすいところとか。お医者さんのすすめる環境」
 
 声は穏やかで、でもところどころ震えた声になる。
 
「友達ができたと思ったら、またお別れ。発表会に出られない年が何度もあって、遠足は見学で、体育も見学で。家は自分で言うのもなんだけれど、結構裕福なんだ。両親は僕を大事にしてくれて。兄は健康で、運動もできて。僕だけが、弱かった。家族皆に心配をかけるのが、恥ずかしい。ちょっと過保護気味、だと思う。」
「転校は、その延長ってことか」
「うん。ここは、通いやすいんだ。環境的にも、病院の距離的にも。だから、ちゃんと最後まで転校せずにここで卒業したいな」
「そうだな」
「⋯⋯“王子”って呼ばれるの、少し、気後れしてるんだ。期待に応えるように丁寧に振る舞って。後からどっと疲れる。すごく弱気で人付き合いが苦手。クラス委員なんてやる器じゃない。そんなところをみんなに⋯⋯蓮司くんに知られたら、がっかりされるんじゃないかって」
 
 湊は眉尻をわずかに落とした。俺は笑って首を振る。
 
「お前は別に弱気じゃない。やりたいことを言葉にするし、苦手な運動でも大縄五十回も飛べたろ。俺がテストで百点取るよりも難しいことを湊はしっかりやれてるんだから」
 
 テストなんて勉強すればいいのに俺はしないからな、あ、そろそろテストじゃね、と続けると湊は目を瞬かせ、ふっと笑った。
 俺はローラーを取り、湊も息を整え、作業に戻る。窓辺のカーテンが、秋の風でふわりと膨らんだ。

 準備は加速する。看板の縁取りを入れて、ニスを薄く塗り、乾く間にポップを作る。アレルギー表示、価格、注意書き。湊は実務がやたら早い。俺が骨組みをつくり、湊が文字を整える。
 
「材料費、足りてる?」
「クラス費でギリ。まあいけるだろ」
「もし足りなかったら、出すよ」
「出させねぇよ」
 
 湊は「うん」と笑う。そういう申し出が出るあたり、やっぱり少しズレていると思う。でも俺はそこをつつかない。つつくと、湊は過剰に「ごめんなさい」を背負うから。

 文化祭当日。校門の前が賑やかだ。体育館から吹奏楽が音楽を奏でて、廊下にはポスターがびっしり。教室も、チェックのクロスと紙の旗でそれなりにカフェとして形になっていた。
 
「東堂と王子、宣伝頼む!」

 俺と湊はウェイター服を着せられていた。湊はしっかりと様になっているが、正直俺は窮屈だ、パツパツになっている。着ろ、客寄せになれ、と言われ渋々着たが破れても知らないぞ、とだけ言っておいた。
 
 俺と湊は一枚ずつ大看板を担いで、廊下の角へ。
 
「いらっしゃいませ~! 一組カフェ、やってま~す!」
「休憩にぴったりです。いかがですか」
 
 俺の声は通る。適当に大声を出していると自然と皆見てくれる。湊の声は柔らかく、でも遠くまでよく届く。二人で並べば、単純に目立つ。
 
「はぁ。これ、俺は身長で選ばれた?」
 
 俺が冗談めかして言うと、湊は即答した。
 
「かっこいいから、だよ。蓮司くんは目を引くよ」
「は? な、何も出ないぞ」
「事実だから」
 
 揶揄う様子も様子もなく真剣に言うものだから。なんて返せばいいかわからず、看板の角を持ち直すふりで、ぶんぶん空気を切った。

 午前のピークをやり過ごして、交代でホールの手伝い。湊は導線を見て立て札の位置をずらしていた。流れがよくなる。俺は空いた紙コップをひたすら回収して捨てる。
 
「王子、ウェイター服似合う!写真いい?」
「私も撮りたい!」
 
 “王子”呼びに、湊は少し困った笑み。でも今日は、いつもより柔らかい。その都度、俺も割り込んで入るとガチで迷惑、と言う声と君も入って!と歓迎する側と分担されていた。
 昼過ぎ。「完売」の札。調理班は力尽きかけているが達成感で目が光っている。俺は水の入ったジャグを肩に担いで裏まで下げ、湊はレジの締めを手伝う。
 
「うんうん。成功、だな」
「うん。みんな、すごい」
「お前もだろっ!」
 
 湊の頭をわしゃわしゃと撫でれば、やめてよ、と言いつつキラキラと笑う。

 片付けを終え、夕方のグラウンドに降りる。真ん中に組まれたキャンプファイヤーのやぐらに火が入ると、歓声が上がった。橙が夜の底を照らし、影が踊る。フォークダンスの輪が自然に生まれる。恋人同士、友達同士、先生も混ざって笑う。
 俺は最初、少し離れて眺めていた。木の焼ける匂いは、夏の花火とは違う、乾いた甘さがある。
 
「——蓮司くん」
 
 声に振り向くと、湊がいた。火の光を受けた瞳は深く、頬は薄く紅い。差し出された手の指が長い。
 
「よければ、踊りませんか」
「しょうがねぇな。踏んでも怒るなよ」
 
 輪に入る。右、左、くるり。手を離して、また繋ぐ。
 一拍目で、俺は湊の足を踏みかけた。
 
「うわ、悪い!」
「蓮司くんったら、下手だよ」
「踊ったことねーんだよ!」
「じゃあ、今日は僕がリードするね」
 
 湊は本当に上手かった。手首の向きだけで誘導し、視線で合図を送る。俺はその通りに足を運ぶ。輪が広がり、縮む。火の粉が上がっては消える。湊の手を繋ぐたび、少し安心する。
 曲の終わりに、湊が小さく笑って言った。
「⋯⋯楽しいね」
「おう。俺も。達成感すごいわ」
「今日も最後までいられてよかった」
 
 火の温度よりも熱いものが、胸の中心に落ちた。
 後夜祭の終わり、炭の赤だけが残る。人の波がゆっくり引き、空気が柔らかく冷える。校舎へ戻る道、俺は湊と並んだ。
 
「湊」
「うん?」
「あの時の話、続き。——“がっかりされるのが怖い”って言ったろ。俺は、がっかりしねぇよ」
 
 湊は目を瞬いて、息を短く吸った。
 
「どうして、そんなふうに言えるの」
「お前のこと王子と思ったことなんてねぇし。まあ、見た目はそうかもな。気楽で楽しいよ。前も似たようなこと言ったけど、持ちつ持たれつってやつでな。それに俺は俺で、勉強嫌いだし、忘れ物多いし、踊りは下手だし」
「ふふ」
「笑うなよ」

 立ち止まった湊は楽しそうに呟いた。
 
「蓮司くん、好き」
「え」
「そういう、真っ直ぐなところ、好き」
 
 心臓がひとつ強く打って、次の鼓動が少し遅れた。湊は慌てて手を振る。
 
「あ!えっと、その、人として、友達として」
「わかってる」
 
 俺は笑って、前を向いた。火の匂いが、まだ髪に残っている。

 家に帰ってシャワーを浴び、鏡の前で髪を拭く。耳の後ろにほのかに残る煙の匂いが、今日の温度を閉じ込めているみたいだ。ベッドに倒れ込むと、瞼の裏で火が揺れる。湊の手の感触が、正確に思い出せる。
 俺は目を閉じて、胸の鼓動を数えた。ランニングのラップみたいに整ってはいない。眠れない時は静かに耳を澄ませる。
 好き?好きって言われたよな。
 いや友達としてだよな。起き上がり。部屋を一通り回った後、スクワットをする。走りに行きたかったが、流石に夜が暗い。母さんにうるさい!と言われるまで筋トレが捗ってしまった。

 翌朝。秋の空はまた少し高くなった気がした。走り出す土手の上で、風が頬を撫でる。結局よく眠れなかった。
 文化祭の余韻は、筋肉痛になって残る。二の腕の張り。握力の鈍い疲れ。看板を支えた肩のダルさ。どれも悪くない。
 スマートウォッチの表示を一度だけ見て、俺は呼吸を深くした。
 湊の言葉が、胸の内側に残っている。だって、あんなの告白だったよな。いや、でも、ううん。

 登校すると、教室はまだ少しお祭りの匂いがした。机の角にはチョークの粉が残り、窓際のカーテンに細かな金ラメが付いている。
 
「東堂! おはよう昨日はお疲れ!」
「王子、接客神!」
 
 あちこちから声が飛んで、湊は「ありがとう」と笑う。俺と目が合うと、手のひらを振られる、俺はふら~っと振り返す。昨日までどうやって話してたっけ。変な緊張感でふらっとそのまま椅子に座る。
 
「蓮司くん」
「な、なに!?」

 肩を跳ね上げてしまい、湊は驚いた後、口に手を当てて笑う。どうしたの?と。周りに花が見えるのは気のせいだよな。
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