冷徹王太子の愛妾

月密

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六十六話

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「裏切り者って、血を分けた妹なんだろう?」

 夕食時、食堂の長テーブルにはマリユスとエミリア、兄のディートリヒにその兄の友人であるルメール国の第二王子セドリック・ルメールの姿があった。彼は昔から兄と仲が良く、頻繁に訪ねて来ては長期滞在をしている。

「関係ない。命惜しさに敵国の王太子に身を差し出した女だ」

 ディートリヒは終始不機嫌そうで、空気は頗る悪い。ベルティーユの事を口汚く罵っている様子から姉と何かあったのだと思われる。使用人から聞いた話ではベルティーユの部屋から怒りながらディートリヒが出て来たと言っていた。

 それにしても幾らなんでも言い過ぎだ。
 ブランシュが苦しみ辛い思いをしている間、姉は温温と何の苦労もせずに過ごして来たなどと延々に話しており、正直聞くに耐えない。

わたくしには、陛下が何にそんなに腹を立てていらっしゃるのか理解が出来ませんわ」

 そんな中、隣で食事をしていたエミリアは手にしていたカトラリーをテーブルに置くとこれ見よがしに溜息を吐いた。

「まだ子供の君には難しい話だよ」
「もう十六でごさいます。言う程子供ではございません。物事の善し悪しくらい十分に分別がつきますわ」

 相手がこの国の王であろと物怖じする事もなく、真っ直ぐにディートリヒの目を見てその様に答える。本当に勝ち気だ。

「どうしてそんなにベルティーユ様を目の敵にするのでしょうか」
「アレはリヴィエの裏切り者の恥知らずだからだ。それだけでは理由は足らないかな?」
「……陛下にはお部屋はございますでしょう?」
「は、部屋? あぁ勿論、それが何だというんだい」

 ディートリヒの問いかけは無視をして、エミリアは突如突拍子もない事を言い出す。兄だけでなくマリユスもセドリックも困惑が隠せない。

「ではそのお部屋から六年一歩たりとも出ないでお過ごしになる事が出来ますか?」
「出来る筈がないだろう。仕事もあるし、そもそもそんな何年も部屋に引き篭もっていたら精神的におかしくなる」

 その時マリユスには彼女が何を言わんとしているかが分かった。そして理解して唇を噛んだ。

「目前に見えている庭や扉の向こうの廊下にすら自分の意思では一歩だって出る事は許されない。常に見張られ、こうやって食す時も毒が盛られていないか怯えなくてはならない。そんな神経を擦り減らす生活を毎日、六年もの間続ける事の何処が温温と苦労もせずに、ですか? まして十代の初め頃からです。きっと綺麗なドレスや宝石で着飾りたいと思う事もありましたでしょう。華やかな舞踏会に参加して素敵な殿方とダンスの一つでも踊りたかった筈です。同じ年頃の方々と恋の話の一つでもしながお茶をしたかった筈。遠く故郷を離れた敵国に身を置き、どんなに心細かったか陛下には分かりますの?」
「随分と詳しいんだね……姉君からの情報かな」

 ディートリヒは如何にも面白くないといった表情を浮かべた。
 苛々しているのかテーブルを指で叩いている。

「でも、例え自由がなくても待遇自体は悪くなかったと聞いているよ。本や嗜好品、ドレスや宝石だって与えられていたらしいじゃないか。それでいて可哀想だと言えるのかい」
「そんな風に仰るならば、陛下はブランシュ様をそれなりに自由にさせておりましたでしょう? 街や海になどにもお連れになったり、舞踏会や夜会にも参加させてましたわ。贈り物だって沢山されて……。ですがだからと言ってブランシュ様の苦しみや辛さが軽くなったとは言えませんし思いません。わたくしが言いたいのはブランシュ様とベルティーユ様が同じ立場だったと仰るならば、ベルティーユ様はベルティーユ様の苦しみや辛さがあった筈だと申しております。どうして陛下はそれがお分かりになられませんの? そもそも陛下が和平を掲げた為にベルティーユ様が人質としてブルマリアスへと行く事になられたのでしょう? 陛下の志しはとても素晴らしいと思います。ですが、その為に犠牲にされたのは誰なのか……今一度良くお考え下さいませ」

 言い返す言葉が見つからないのか、ディートリヒは反論をやめた。
 静まり返る食堂は暫しエミリアの独壇場だったが、彼女は話し終えると席を立ち食堂から出て行ってしまった。
 まだ食事の途中だったが、マリユスも席を立つと彼女の後を追った。






◆◆◆




 苛立って仕方がない。 
 ディートリヒは執務室の仕事机を力任せに叩いた。すると乗っていた書類が床へと散らばる。

「ディートリヒ、少し落ち着きなよ」

 食後、態々執務室まで後を追って来たセドリックは蹲み込み散らばった書類を一枚一枚丁寧に拾い上げると机の上に戻してくれた。
 彼は昔ディートリヒが父の代理でルメールを訪れた時に知り合い、それからは友人として交流を続けている。その時はまだルメールは中立国ではあったが、水面下ではリヴィエと既に繋がっていた。そして今から二年程前ーーブランシュが死んでから暫くしてルメールは正式に中立国の立場を捨てリヴィエ側へとつく意志を表明した。
 
「俺はさ、君の友人だからエミリア嬢の肩を持ちたい訳じゃないけど……。それでも俺からしても、君の妹君が不憫だと思う。君のそれは八つ当たりだ、理不尽過ぎる」
「っーー」
「君だって本当は理解しているだろう? 妹君はリヴィエ国や君達の為に命を懸け一人で敵国へと渡った。例え君が言う様に彼女が過ごしていたとしても、それを咎める権利があるのか? それにエミリア嬢も言っていただろう。六年もの間、ほぼ部屋から出る事はなく、年頃の娘なのに着飾ってダンスの一つも叶わない。友人とお茶をしながら話をする事も出来ず、それどころか味方もいないんだ。心細かったに決まっている。それ等がどれ程の苦痛か、俺なら想像しただけで息苦しくなるよ」

 可哀想なのはもういないブランシュだというのに、何故誰も彼もがベルティーユを擁護するのか分からない。
 弟もエミリアもモーリスも、そして自分の友人である筈の彼でさえそうだ。
 
「ブランシュが死んだ、事実はそれだけだ」
「ディートリヒ、君は今おかしくなっているんだ。大切な人を喪い自分すら見失っている。ブランシュ嬢が亡くなった事と妹君は関係ない。何故結び付けようとするんだ」
 
 頭が痛い、息苦しいーー。
 セドリックが何かを喚いているが、全く理解出来ない。

「すまないが一人にして欲しい」
「ディートリヒ……」

 不満気にしながらも彼は諦め部屋から出てった。ようやく静かになった。

「私は間違ってなどいない」

 裏切り者の妹が私怨だ何だとほざいていたが、そうではない。これはリヴィエの威信に関わる報復だ。
 そもそもブルマリアスは初めから和平など結ぶつもりはなかった。ブランシュを利用し、自分を殺させる様に仕向けた。極めて卑劣でリヴィエを侮っていたとしか考えられない。
 だが別に命を狙われた事など些末な事に過ぎない。問題はあの優しい彼女にその様な卑劣な行為を強いた事だ。
 そしてそんな事とも知らずに彼女と結婚の約束までした自分が赦せない。きっと余計に彼女を苦しめたに違いない。
 それに同じ立場でありながらのうのうと生き続けている妹が赦せない。
 敵国の姫を支配下に置き悦に入るブルマリアス王も赦せない。
 ブルマリアスが憎い、ブルマリアスの全てが憎くて仕方がないーー。

「ブランシュ……」

 必ず彼女の無念の想いは私が晴らす。


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