【完結】侯爵令嬢は破滅を前に笑う

黒塔真実

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第四章「歓喜の瞬間」

2、現れた亡霊

    それからの道中も追っ手への不安とカエインの面影につきまとわれ、つねに気の休まらない寝不足の日々が続いた。

 事件が起こったのは虫除け薬が切れた翌日、追っ手の気配もなく順調にデュボンの森まであと一日の距離に迫った、小さな村のはずれにある草地を馬で進んでいたとき。
 左斜め前方の視界に、地面に横たわる男性と、上を飛びまわる数羽のカラスが映った。

 瞬間、その光景がカエインの死に様と重なって見えた私は、胸に鋭い痛みをおぼえて目を反らす。

 きっとここまで長く罪悪感を引きずるのは、出会ってからのカエインがあまりにも私に優しすぎたのと、最後にいらぬ告白を聞いたせいだ。

 苦く思いながら横を通り過ぎた私は、遅れて、すぐ後ろをついてきていた馬の蹄の音が止んだことに気づく――

「待って、シア!」

 ぎくり、として左後方を振り返った時には、すでにセドリックは馬から降りて、水筒を片手に咳きこむ男性の頭を持ち上げているところだった。

「何しているの! セドリック、離れなさい!」

 絶叫に近い声で怒鳴りながら取って返し、夢中で馬から飛び下りてセドリックに抱きつく。

「不用意に倒れている人間に近づくなんて正気なの!!」

 私の物凄い剣幕に驚いたのか、セドリックは素直に立って謝罪した。

「ごめん、シア……まだ息があって、水を欲しがっていたから……つい……」

 さっと見下ろした男性の袖口から覗いた手は黒く変色しており、ぞっとした私は焦ってセドリックの腕を引いて促す。

「いいから、早く馬に乗って行くわよ!」

 それはデリアンやエルメティアとは違い、情け深いセドリックの性格を思えば、充分予想できる行動だったのに――!

 カエインのことを考え、ぼーっとしていた自分を激しく呪う私の脳裏に、かつての母の教えがよぎる。

『どんな屈強な戦士も病には勝てないわ。つねに身の周りの衛生および栄養状態には気を配りなさい』

 併せて浮かんだ悪い想像を、わずかな間の接触だったので大丈夫だと頭では否定しても、不安を完全には拭いされなかった……。



 あくる日の昼過ぎには予定通りデュボンの森へ入り、馬の休憩がいらなくなったので、夜に短く眠る以外はほとんど休まず、食事すらも歩きながら食べて先を急いだ。

 そうしてひたすら森の中を進み続けること二日目の夕方。

 空気の湿り気と枝葉の間から覗く黒雲の動きから、嵐の様相を見て取った私は、できるだけ多くの枝を拾い集め、暗くなる前に洞窟を見つけて避難した。

 セドリックが発熱したのは、激しい雨が降り始めたその日の夜半過ぎ。

「ただの風邪だと思うから心配しないで……」

 本人はそう言い、見たところ身体には疫病患者によく見られる赤斑もなかったが、急激な熱の上昇と乾いた咳が心配だった。
 やがて時間を追うごとにセドリックの症状は悪化していき、横で看病する私も一晩中、息苦しさと悪寒で身体の震えが止まらなかった。

 翌日の晩には、私もセドリックを追うように高熱をだし、肺がぜいぜいして頻繁に咳が出るようになった。

「……ごめんね……シア……僕のせいで……君まで……」

 うわごとのように謝罪を繰り返すセドリックの隣で、私はなんとか気力を保ち、定期的に焚き火に枝をくべる。

「……私こそごめんなさい……いくら急いでいるからって、ずっと牢屋にいたあなたに無理をさせ過ぎたわ……」

「ううん……違うよ……愚かで……弱い、僕が悪いんだ……」

「そんなことないわ……セドリック……あなたは愚かでも、弱くもない……。
 それをエルメティアやデリアン、この国の皆に証明するためにも絶対に回復しましょう……!」

 必死で励ます私の頬に震える手が伸びてきて、涙で滲んだ視界にセドリックの儚げな笑顔が映る。

「……そうだね……シア……。でも、僕は、君さえ信じてくれるなら……他の誰に何と思われていてもいい……。
 ………だって、僕はずっと君を……」

 言い終わる前にセドリックは力尽きたように手を落とし、瞼を閉じて意識を失った。

「……セドリック……!?」

 私は焦って上に覆いかぶさり、口元に顔を寄せて呼吸を確認する。
 しかしこのままではセドリックはいくらももたないし、森の中にいては助けも呼べず、私自身も倒れている現在、できることは奇跡的に熱が下がることを天に祈るのみだ――

 絶望的な状況のまま、洞窟に入って三日目の朝を迎え、ようやく降り続けていた雨は止んだのに、私は起き上がるどころか意識を保つのもやっとの状態だった。

 おまけに一昨日から洞窟の暗がりに、時折チラチラと、飛び回っている光の粒が見えるようになっていた。
 幻覚でなければアロイスの放った虫なのだろう。

 ところがそれを目にしても焦るどころか、むしろ死にかけている私には最後の希望に思えた。

 どう考えても復讐を果たせそうにない今、せめてデリアンがやってくるのを待ち、死ぬ前に呪詛の言葉を吐き連ねてやりたかった。


 ――思い返せば、塔の部屋にカエインが戻ってきたあの瞬間、私の命運は尽きていたのかもしれない――

 カエインを殺しても平気でいられると思っていたのに、全然そうではなくて「亡霊」に取りつかれてしまった。

 きっとお母様が知ったら、また情けなく思って失望するだろう。

 私は朦朧とした意識の中、幼い頃、母と真夜中の森で交わした会話を想起する――

『――何をそんなに怯えているの、シア?』
『だってお母様、この森は夜になると幽霊が出るって聞いたわ』
『まったく、そのような噂を信じて怖がるなど愚かで臆病な子ね!
 よく聞きなさい、この世に幽霊などいないわ。たとえ死者の姿が見えたとしても、それは恐怖心や罪悪感、つまり心の弱さが見せる幻なのよ』

 ――ああ、そうね、お母様、いつだってあなたは正しく、私は救いようもないぐらい心が弱い――

 証拠に私の瞳には今まさに炎に照らし出された――濡れたような漆黒の髪と、白皙の頬、金色に光る双眸を持った、ぞっとするほど美しい死神の姿が――カエインの亡霊が映っているんだもの……。

「シア、ずいぶん弱っているな。
 追っ手が近くまで迫っているというのに、そんなざまでは逃げ切れないぞ……」
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