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アジュガ
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あれから1週間が経った。塔坂とはあれ以来連絡を取っていない。俺は瀬川先輩に言われたことを意識し、体を動かす毎日を送っていた。
母さんと昼飯の準備をしていると、遠くで携帯が鳴る音がした。俺はソファの上に置いてある携帯を見る。塔坂からメールが届いていた。俺はすぐさま確認する。
"台本、書き終わったよ。この前見せてもらった劇を見て勝手ながら配役も決めさせてもらった。僕の偏見だから合わなければ変えてもらって構わない。そこら辺は実際やってみないとね。この話をみんなに見せる前に、最初に君に読んで欲しいんだ。君の感想が聞きたい。空いてる日にまた話し合おう"
メールを読み終え俺はすぐさまカレンダーを見る。明日は予定があるから明後日だな。俺はメールを返し、携帯の電源を切る。
「友達から?」
テーブルに冷やし中華を置きながら母さんは言った。
「そう。今度やる劇の台本が書き終わったって」
俺は椅子に座りテレビをつける。
「すごいわね、台本を書いちゃうなんて」
「ほんと。俺じゃあ絶対無理だ」
お互い笑い合う。テレビから聞こえる笑い声が重なり、お前には無理だと笑われている様だった。水を飲み、母さんは俺を見る。
「劇、見に行こうかしら」
その発言に驚き、麺が喉に詰まる。勢いよく水を飲み干し息を吐く。
「み、見に来るの…?」
「璃人がこんなに頑張ってるんだもの、見てみたいわ」
優しい笑みをする母さんに俺は返す言葉も無くただただ麺をすすった。
テレビの音がやけにうるさく、俺は音量を少し下げた。
8月に入り、塔坂とは近くの駅で待ち合わせをしていた。遠くで手を振る姿が見える。どこに行こうにも手放さない麦わら帽子がもはやトレードマークの様に見える。俺は塔坂の所まで走って行く。
「んじゃ早く行こうぜ、溶けそうだ」
「そうだね、道案内よろしく」
「おう」
俺たちは駅とは逆方向へと歩き出す。道路は明るく照らされ熱気が下から伝わってくる。立っているだけで汗をかいた俺はなるべく塔坂から離れて歩く。後ろを確認しながらなるべく影になっている場所を歩く。振り返るたびにニコニコ笑う塔坂に苦笑いしながらひたすら歩いた。
「ここだ」
「おー、ここが璃人の家か」
下から上まで見る塔坂に、俺は玄関の扉に鍵を差し込む。塔坂が中に入り俺は扉を閉める。
「先に行っててくれ、母さんに伝えてくるから。俺の部屋階段上がって右にあるから」
「はーい」
俺はリビングのドアを開ける。
「母さん、塔坂連れてきたよ」
台所に立つ母さんは俺の言葉に顔を上にあげる。その顔は驚いていた。
疑問に思った俺は振り向いた。
そこには先程ずっとしていた笑顔で母さんを見る塔坂がいた。
「はじめまして、璃人と同じクラスの塔坂 葵です」
「ふふ、ゆっくりしていってね。これしかないけど良かったら持って上がって」
そう言いおぼんにお茶とクッキーを置き俺に渡す。
「ありがとう。なるべく遅くならない様にするよ」
母さんは頷き洗い物に手を伸ばす。
先にリビングのドアを開けて待っていた塔坂と階段を上る。
片手でドアノブを回し部屋に入る。
「適当なところに座ってくれ」
俺はテーブルの脇におぼんを置きその場に座る。
近くにあったクーラーのリモコンを手に持ち電源を入れる。
塔坂は俺の前に座り、鞄からパソコンを取り出す。
「さ。始めよう」
パソコンをいじりくるっと回転させる。
「"クラウン"?」
「そう。今度の劇のタイトル。安直かと思ったけど、この話はクラウンが主役だからね」
矢印キーを押しページを進める。
そこには役名と演者の名前が書いてあった。
「クラウン ポルカ 古海璃人?」
「この話の主人公を君にやってもらいたいんだ」
「俺が!?……一体なんでだ?」
塔坂は俺を真っ直ぐ見て、
「言ったじゃないか。君を僕の台本に使わせて欲しいって」
「それは劇に出て欲しいって意味だと思って……主役なんて考えてなかった…」
驚きを隠せない俺に塔坂は笑った。
「僕は君の癖を使いたいとも言ったよ。頭が追いついてなかったのかもだけど、あの時から僕は君を主役に台本を書くつもりだった。どうか素直に受け入れてくれ」
「ぐぅ、分かったよ…」
塔坂は笑いながら鞄から眼鏡ケースを取り出した。
「目が悪いのか?」
「いや、パソコンをいじるときは眼鏡をかけるようにしてるんだ。一つの物事に焦点を当てる時、つまり集中したい時にもかけるようにしてる」
「お前ちょいちょい難しいこと言うよな…」
俺の言葉を無視して塔坂は次のページをめくる。
「台本というより小説みたいになっちゃったけどそこは勘弁してね。はい、どうぞ」
俺は差し出されたパソコンの画面を見る。塔坂はお茶を飲みながら携帯をいじり始めた。俺も画面に集中する。
その話は俺の心を何度も揺さぶらせた。
気づいたら涙を流していた。ポロポロ流れる涙を拭き、深く息を吐く。
「良かった…………」
一言だけ、それだけ言って俺はしばらく画面を見つめていた。
目の前にいた塔坂が、持っていた携帯を机の上に置き、
「ありがとう。璃人が泣くだろうとは思ってたけどかなり早い時間ですでに泣いてたからびっくりしたよ。……で。君はこの話の主人公をやる訳だが、イメージ湧いたか?」
鼻をかみ塔坂を見る。
「俺がこの役をやるんだっていうプレッシャーが湧いた」
塔坂は目を丸くし、途端に吹き出す。
「あっはっはっは!まぁ、イメージが湧いたならいいよ。次はキャラと配役が合っているかだ。璃人は読んでみてどう思った?」
「うん、そこは大丈夫だと思うぞ」
「そっか。安心した」
まだ余韻が残ってるせいか、画面を見てしまう。これを一週間で書くなんて凄すぎる。
この前の小説もそうだが塔坂が書くキャラはそれぞれに感情移入しやすい。どの視点からでも話が楽しめるようになっている。狙っているのかは分からないが、普通に読んでも面白いのに何回も違う視点で読みたくなる工夫がされてる気がする。一体どこでそんな考えが思いつくのだろう…
頭がうまく回らない。感動を引きずったまま、沈黙の時間が過ぎる。
そこでふと気づく。明らかに静かすぎることに。
俺は画面から目を離し顔を上げる。そこには塔坂の姿はなかった。とっさに立ち上がり辺りを見渡す。
「塔坂!」
机の下に横たわる塔坂に、嫌な予感が頭をよぎる。肩を叩きながら必死に名前を呼ぶ。
静かに目が開き俺を見る。
「あ……あきと……?」
ゆっくりと体を起こす塔坂の背中を支えながら口を開く。
「大丈夫か?ダメならベッド貸すけど…」
「大丈夫。ちょっと眠くて寝てただけだから。台本書くのに少し夜更かししたからかな…」
目元を抑え頭を振る。
「寝不足だったのかも。ごめんね、心配かけて。今日はもう帰るよ」
フラつく体で立ち上がる塔坂に俺はドアまで走り、
「待ってろ、今母さんに言って車用意できるか聞いてみるから」
俺は返事を待たずに部屋を出る。階段を降りリビングのドアを開ける。
「母さん!今車って出せる?」
ソファに座りながらテレビを見ていた母さんは俺を見て立ち上がった。
「何かあったの?」
「塔坂が寝不足で倒れちゃって…できれば家まで送ってほしいんだけど…」
母さんは優しい笑みをし、
「もちろん、いいわよ。葵くんは大丈夫なの?」
「あぁ。自力で立てるから大丈夫だと思う」
「分かったわ。すぐ用意するから葵くんをよろしくね」
俺は頷き、リビングを出る。階段を上る最中で、塔坂が俺の部屋から出る姿が見えた。
俺は塔坂の荷物を持ちゆっくり前を歩く。
無言で下を向きながら階段を降りる。時々塔坂を見ては歩きにくくならないよう少し前を歩く。
そうして玄関まで辿り着き靴を履く。ドアを開け母さんが待つ車に乗る。
「無理させてごめんなさい。家までの道のりは分かるかしら?」
塔坂は頭を上げ母さんを見る。
「はい。大丈夫です。送ってもらってすいません…」
「いいのよ。道案内だけお願いするわね」
「はい」
真っ直ぐ前を見る塔坂はどこか虚ろげだった。
最初に璃人を見たのは1年生の時だった。廊下で友達と話してる。僕が前を通り過ぎた時、隙間から泣いている表情が見えた。周りは茶化すばかりで本人も笑いながら涙を拭いていた。その顔が、完璧すぎて疑問に思ったのをよく覚えてる。それ以降学校に行くと璃人を目で追いかける様になった。いつも周りが賑やかで、中心で怒ったり泣いたり笑ったりしてるのを遠目で見るだけ。話しかけようなんて思わなかったし、その時は相手の表情を見て小説のネタになればいいと思っていた。
だから、突然台本を書いて欲しいとメールが来た時はとても驚いた。自分が書いてる小説を読んで、しかも涙まで流してくれた。嘘…だとは思わなかった。あの時泣いている璃人を見て、嘘泣きをするような人じゃないと分かっていたから。嘘で涙を流せるような人じゃないって。
本当の気持ちで僕に頼んできたんだって。文面だけじゃなくて、これまで見てきた璃人を信じて僕は璃人の話を引き受けた。
公園で声をかけられて初めて言葉を交わした。遠目で追いかけていた璃人が目の前にいる。それがなんだか可笑しくて、自分が見ていた表情をするのか試したくなった。その時の璃人は緊張しているのか、ぎこちない動きだった。メールで大体のことは聞いていたけど、本人の口から直接聞きたかったのもあって、小説の話を振ってみた。すると少し表情が柔らかくなった。友達の前では見たことのない顔を見れて、嬉しくなった。ぎこちない動きも段々ほぐれていき、
カフェを出る時、璃人が楽しかったと言ってくれて、勝った気になってた心が跳ねるのを感じた。僕といて楽しかったなんてそんな言葉を言われるのは初めてで、その後も冷静さを保つのに必死だった。飲めないコーヒーの券をあげて、璃人が少し嫌な顔をした。同じなんだと思ったら心がようやく落ち着いた。
その日は暑さも忘れて、体が軽くなるのを感じた。
劇の動画を見せてもらった。この劇は頼まれて出たと言っていたが素人が見ても璃人の演技は上手いと思った。演技だから普段隠れてる表情が顔を出す。叫んでる表情、憎しみの中の悲しい表情、作品が作品だから暗い表情が多いものの、それは僕が今まで見たことのない顔だった。全てを知ってる訳では無いけど、こんなにも隠してたんだと思うと、途端に心が重くなった。人は、普段表さない顔をどれだけ持っているのだろうか。初めて気付く心の変化に表情は付いて来るのだろうか。隠している自覚がなくてまだ自分では気づいていない、知らない表情をいくつ持っているのだろう。璃人が顔に出やすいのは分かっている。でも、その中の表に出る顔はほんの僅かに過ぎない。もしかしたら自分も、と思うとゾッとした。
送ってもらい、そのまま部屋に入りベッドに横になる。思い出しただけでも璃人は僕に色んな事を教えてくれた。僕が勝手にそう思ってるだけで、あっちはどう思ってるか分からないけど、僕は君と話す前から君のことを知ってる。見ているだけだったのが、君が声をかけてくれて、気付くことがいっぱいあった。璃人の癖もその一つだけど本人はそれを良いこととは思っていないみたいだった。苦しそうな表情をさせてしまったのは申し訳なかったな。
眠らなきゃいけないのに、違う事ばかり考えてしまう。なんであの時は眠気に勝てなかったんだろう。
目を覚ました時の璃人の顔が、あの時見た苦しそうな表情に似て、脳裏から離れない。本気で心配してくれてる顔。
そっか。心配……してくれてたんだな。不思議と安心した。ほっと息を吐き、そのまま目を閉じる。優しさに包まれる感じがして、意識が薄れていく。後で謝らないと。微かに思い、そこで意識が途切れた。
母さんと昼飯の準備をしていると、遠くで携帯が鳴る音がした。俺はソファの上に置いてある携帯を見る。塔坂からメールが届いていた。俺はすぐさま確認する。
"台本、書き終わったよ。この前見せてもらった劇を見て勝手ながら配役も決めさせてもらった。僕の偏見だから合わなければ変えてもらって構わない。そこら辺は実際やってみないとね。この話をみんなに見せる前に、最初に君に読んで欲しいんだ。君の感想が聞きたい。空いてる日にまた話し合おう"
メールを読み終え俺はすぐさまカレンダーを見る。明日は予定があるから明後日だな。俺はメールを返し、携帯の電源を切る。
「友達から?」
テーブルに冷やし中華を置きながら母さんは言った。
「そう。今度やる劇の台本が書き終わったって」
俺は椅子に座りテレビをつける。
「すごいわね、台本を書いちゃうなんて」
「ほんと。俺じゃあ絶対無理だ」
お互い笑い合う。テレビから聞こえる笑い声が重なり、お前には無理だと笑われている様だった。水を飲み、母さんは俺を見る。
「劇、見に行こうかしら」
その発言に驚き、麺が喉に詰まる。勢いよく水を飲み干し息を吐く。
「み、見に来るの…?」
「璃人がこんなに頑張ってるんだもの、見てみたいわ」
優しい笑みをする母さんに俺は返す言葉も無くただただ麺をすすった。
テレビの音がやけにうるさく、俺は音量を少し下げた。
8月に入り、塔坂とは近くの駅で待ち合わせをしていた。遠くで手を振る姿が見える。どこに行こうにも手放さない麦わら帽子がもはやトレードマークの様に見える。俺は塔坂の所まで走って行く。
「んじゃ早く行こうぜ、溶けそうだ」
「そうだね、道案内よろしく」
「おう」
俺たちは駅とは逆方向へと歩き出す。道路は明るく照らされ熱気が下から伝わってくる。立っているだけで汗をかいた俺はなるべく塔坂から離れて歩く。後ろを確認しながらなるべく影になっている場所を歩く。振り返るたびにニコニコ笑う塔坂に苦笑いしながらひたすら歩いた。
「ここだ」
「おー、ここが璃人の家か」
下から上まで見る塔坂に、俺は玄関の扉に鍵を差し込む。塔坂が中に入り俺は扉を閉める。
「先に行っててくれ、母さんに伝えてくるから。俺の部屋階段上がって右にあるから」
「はーい」
俺はリビングのドアを開ける。
「母さん、塔坂連れてきたよ」
台所に立つ母さんは俺の言葉に顔を上にあげる。その顔は驚いていた。
疑問に思った俺は振り向いた。
そこには先程ずっとしていた笑顔で母さんを見る塔坂がいた。
「はじめまして、璃人と同じクラスの塔坂 葵です」
「ふふ、ゆっくりしていってね。これしかないけど良かったら持って上がって」
そう言いおぼんにお茶とクッキーを置き俺に渡す。
「ありがとう。なるべく遅くならない様にするよ」
母さんは頷き洗い物に手を伸ばす。
先にリビングのドアを開けて待っていた塔坂と階段を上る。
片手でドアノブを回し部屋に入る。
「適当なところに座ってくれ」
俺はテーブルの脇におぼんを置きその場に座る。
近くにあったクーラーのリモコンを手に持ち電源を入れる。
塔坂は俺の前に座り、鞄からパソコンを取り出す。
「さ。始めよう」
パソコンをいじりくるっと回転させる。
「"クラウン"?」
「そう。今度の劇のタイトル。安直かと思ったけど、この話はクラウンが主役だからね」
矢印キーを押しページを進める。
そこには役名と演者の名前が書いてあった。
「クラウン ポルカ 古海璃人?」
「この話の主人公を君にやってもらいたいんだ」
「俺が!?……一体なんでだ?」
塔坂は俺を真っ直ぐ見て、
「言ったじゃないか。君を僕の台本に使わせて欲しいって」
「それは劇に出て欲しいって意味だと思って……主役なんて考えてなかった…」
驚きを隠せない俺に塔坂は笑った。
「僕は君の癖を使いたいとも言ったよ。頭が追いついてなかったのかもだけど、あの時から僕は君を主役に台本を書くつもりだった。どうか素直に受け入れてくれ」
「ぐぅ、分かったよ…」
塔坂は笑いながら鞄から眼鏡ケースを取り出した。
「目が悪いのか?」
「いや、パソコンをいじるときは眼鏡をかけるようにしてるんだ。一つの物事に焦点を当てる時、つまり集中したい時にもかけるようにしてる」
「お前ちょいちょい難しいこと言うよな…」
俺の言葉を無視して塔坂は次のページをめくる。
「台本というより小説みたいになっちゃったけどそこは勘弁してね。はい、どうぞ」
俺は差し出されたパソコンの画面を見る。塔坂はお茶を飲みながら携帯をいじり始めた。俺も画面に集中する。
その話は俺の心を何度も揺さぶらせた。
気づいたら涙を流していた。ポロポロ流れる涙を拭き、深く息を吐く。
「良かった…………」
一言だけ、それだけ言って俺はしばらく画面を見つめていた。
目の前にいた塔坂が、持っていた携帯を机の上に置き、
「ありがとう。璃人が泣くだろうとは思ってたけどかなり早い時間ですでに泣いてたからびっくりしたよ。……で。君はこの話の主人公をやる訳だが、イメージ湧いたか?」
鼻をかみ塔坂を見る。
「俺がこの役をやるんだっていうプレッシャーが湧いた」
塔坂は目を丸くし、途端に吹き出す。
「あっはっはっは!まぁ、イメージが湧いたならいいよ。次はキャラと配役が合っているかだ。璃人は読んでみてどう思った?」
「うん、そこは大丈夫だと思うぞ」
「そっか。安心した」
まだ余韻が残ってるせいか、画面を見てしまう。これを一週間で書くなんて凄すぎる。
この前の小説もそうだが塔坂が書くキャラはそれぞれに感情移入しやすい。どの視点からでも話が楽しめるようになっている。狙っているのかは分からないが、普通に読んでも面白いのに何回も違う視点で読みたくなる工夫がされてる気がする。一体どこでそんな考えが思いつくのだろう…
頭がうまく回らない。感動を引きずったまま、沈黙の時間が過ぎる。
そこでふと気づく。明らかに静かすぎることに。
俺は画面から目を離し顔を上げる。そこには塔坂の姿はなかった。とっさに立ち上がり辺りを見渡す。
「塔坂!」
机の下に横たわる塔坂に、嫌な予感が頭をよぎる。肩を叩きながら必死に名前を呼ぶ。
静かに目が開き俺を見る。
「あ……あきと……?」
ゆっくりと体を起こす塔坂の背中を支えながら口を開く。
「大丈夫か?ダメならベッド貸すけど…」
「大丈夫。ちょっと眠くて寝てただけだから。台本書くのに少し夜更かししたからかな…」
目元を抑え頭を振る。
「寝不足だったのかも。ごめんね、心配かけて。今日はもう帰るよ」
フラつく体で立ち上がる塔坂に俺はドアまで走り、
「待ってろ、今母さんに言って車用意できるか聞いてみるから」
俺は返事を待たずに部屋を出る。階段を降りリビングのドアを開ける。
「母さん!今車って出せる?」
ソファに座りながらテレビを見ていた母さんは俺を見て立ち上がった。
「何かあったの?」
「塔坂が寝不足で倒れちゃって…できれば家まで送ってほしいんだけど…」
母さんは優しい笑みをし、
「もちろん、いいわよ。葵くんは大丈夫なの?」
「あぁ。自力で立てるから大丈夫だと思う」
「分かったわ。すぐ用意するから葵くんをよろしくね」
俺は頷き、リビングを出る。階段を上る最中で、塔坂が俺の部屋から出る姿が見えた。
俺は塔坂の荷物を持ちゆっくり前を歩く。
無言で下を向きながら階段を降りる。時々塔坂を見ては歩きにくくならないよう少し前を歩く。
そうして玄関まで辿り着き靴を履く。ドアを開け母さんが待つ車に乗る。
「無理させてごめんなさい。家までの道のりは分かるかしら?」
塔坂は頭を上げ母さんを見る。
「はい。大丈夫です。送ってもらってすいません…」
「いいのよ。道案内だけお願いするわね」
「はい」
真っ直ぐ前を見る塔坂はどこか虚ろげだった。
最初に璃人を見たのは1年生の時だった。廊下で友達と話してる。僕が前を通り過ぎた時、隙間から泣いている表情が見えた。周りは茶化すばかりで本人も笑いながら涙を拭いていた。その顔が、完璧すぎて疑問に思ったのをよく覚えてる。それ以降学校に行くと璃人を目で追いかける様になった。いつも周りが賑やかで、中心で怒ったり泣いたり笑ったりしてるのを遠目で見るだけ。話しかけようなんて思わなかったし、その時は相手の表情を見て小説のネタになればいいと思っていた。
だから、突然台本を書いて欲しいとメールが来た時はとても驚いた。自分が書いてる小説を読んで、しかも涙まで流してくれた。嘘…だとは思わなかった。あの時泣いている璃人を見て、嘘泣きをするような人じゃないと分かっていたから。嘘で涙を流せるような人じゃないって。
本当の気持ちで僕に頼んできたんだって。文面だけじゃなくて、これまで見てきた璃人を信じて僕は璃人の話を引き受けた。
公園で声をかけられて初めて言葉を交わした。遠目で追いかけていた璃人が目の前にいる。それがなんだか可笑しくて、自分が見ていた表情をするのか試したくなった。その時の璃人は緊張しているのか、ぎこちない動きだった。メールで大体のことは聞いていたけど、本人の口から直接聞きたかったのもあって、小説の話を振ってみた。すると少し表情が柔らかくなった。友達の前では見たことのない顔を見れて、嬉しくなった。ぎこちない動きも段々ほぐれていき、
カフェを出る時、璃人が楽しかったと言ってくれて、勝った気になってた心が跳ねるのを感じた。僕といて楽しかったなんてそんな言葉を言われるのは初めてで、その後も冷静さを保つのに必死だった。飲めないコーヒーの券をあげて、璃人が少し嫌な顔をした。同じなんだと思ったら心がようやく落ち着いた。
その日は暑さも忘れて、体が軽くなるのを感じた。
劇の動画を見せてもらった。この劇は頼まれて出たと言っていたが素人が見ても璃人の演技は上手いと思った。演技だから普段隠れてる表情が顔を出す。叫んでる表情、憎しみの中の悲しい表情、作品が作品だから暗い表情が多いものの、それは僕が今まで見たことのない顔だった。全てを知ってる訳では無いけど、こんなにも隠してたんだと思うと、途端に心が重くなった。人は、普段表さない顔をどれだけ持っているのだろうか。初めて気付く心の変化に表情は付いて来るのだろうか。隠している自覚がなくてまだ自分では気づいていない、知らない表情をいくつ持っているのだろう。璃人が顔に出やすいのは分かっている。でも、その中の表に出る顔はほんの僅かに過ぎない。もしかしたら自分も、と思うとゾッとした。
送ってもらい、そのまま部屋に入りベッドに横になる。思い出しただけでも璃人は僕に色んな事を教えてくれた。僕が勝手にそう思ってるだけで、あっちはどう思ってるか分からないけど、僕は君と話す前から君のことを知ってる。見ているだけだったのが、君が声をかけてくれて、気付くことがいっぱいあった。璃人の癖もその一つだけど本人はそれを良いこととは思っていないみたいだった。苦しそうな表情をさせてしまったのは申し訳なかったな。
眠らなきゃいけないのに、違う事ばかり考えてしまう。なんであの時は眠気に勝てなかったんだろう。
目を覚ました時の璃人の顔が、あの時見た苦しそうな表情に似て、脳裏から離れない。本気で心配してくれてる顔。
そっか。心配……してくれてたんだな。不思議と安心した。ほっと息を吐き、そのまま目を閉じる。優しさに包まれる感じがして、意識が薄れていく。後で謝らないと。微かに思い、そこで意識が途切れた。
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