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第4章 現代の監視社会における具体的な監視方法とその運用の実態について
第76話 神を代替するもの Ubiquitous surveillance society
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大伝馬たちが室長室に入った時、同僚は既に冬川のデスクのまわりに集まっていた。森が怒鳴る。
「遅いぞ!」
即座に大伝馬が「すまん!」と謝り、理堂も「申し訳ありません」とこたえる。
二人は急いで同僚たちのグループに加わる。それを見届けた後、冬川が喋り出す。
「単刀直入に言います。ウェンが見つかりました」
話を引き継いで森が喋る。
「今は上野のアメ横を散歩中だ。捕まえる絶好のチャンス……」
まったく流れについていけない理堂が手を挙げる。
「あの。チーフ、どういうことですか?」
「そうか、お前は知らなかったな。ウェンは武装戦線のメンバー、爆弾の調達係だ。しばらく姿をくらませてたんだが、最近ようやく見つけ出してな」
「大物ですね」
「奴は日本人と韓国人の混血なんだが、そのせいで学生時代にいじめられ、両目を失ってな。今じゃ完全サイボーグの体だ」
「完全サイボーグ? いったいどこから手術代を……」
「闇のビジネスさ。違法薬物や武器を売りさばき、財産をこしらえた。で、あるときその経歴を見込まれて武装戦線にスカウトされ、今に至る」
「なるほど……」
「ウェンはこの日本社会を憎んでる。親の仇のようにな。もしその気になれば、自爆テロだってやるだろう」
「だから今のうちに逮捕ってことですか」
「イエス。問題は、どうやって捕まえるかだ。できれば民間人の犠牲ゼロで済ませたいんだが……」
冬川が話す。
「とにかく今は泳がせましょう。幸い相手は何も気づいていません、監視を続けます」
大伝馬が異を唱える。
「そうはいってもよ、室長。見失うかもしれねぇ」
「確かにその可能性はありますが、だからといって焦るとろくな結果になりませんよ。
とりあえず、実働部隊は現場に行ってください。ただし、森さんと理堂さんはここに残ってもらいます」
「えっ、じゃあ指揮は……」
「もちろんあなたが執るのです、大伝馬さん」
「マジかよ」
「お喋りの時間はここまで! 出撃!」
隊員たちがバラバラと散り、部屋から出ていく。数分もせずに室内は冬川、森、理堂の三人のみになる。
困惑した口調で理堂が冬川に言う。
「あの、なんで僕はお留守番なんですか」
「今のあなたの実力では、現場の仕事は無理だからですよ。そのかわり、今回は情報班を支援してもらいます。森さんと一緒にね」
「はい」
「森さん、よろしくお願いします」
「了解だ。理堂、いくぞ。ついてこい」
二人は部屋から出る。情報班が詰めている区画へ向かう。
その部屋はコンピューターだらけで、多くの職員たちが忙しく働いている最中だ。森と理堂は道を進み、部屋の隅にあるテーブルの前に座る。
テーブルの上にはスイカ程度の大きさをした正方形のコンピューターがあり、その真上にいくつもの映像を浮かべている。
どの映像も、映っているのはウェンだ。彼の見かけは二十代後半のアジア人という印象、しかし森は言う。
「理堂、気をつけろよ。ウェンは若者なんかじゃない、実際は六十手前だ」
「若作りってレベルじゃない……」
「完全サイボーグと言ったはずだ。金さえあれば、いくらでも好みの体に作り替えられる」
「やっぱり完全の人は、若い体にしたがるんですか?」
「まぁな。私も大伝馬も完全サイボーグだから、こういう手合いの気持ち、多少ならわかるさ……」
ウェンはアメ横の騒がしい街路を離れ、上野駅へと歩いていく。そして信号待ちのために歩道で止まる。
ふと疑問が思い浮かび、理堂は聞く。
「チーフ、この映像っていったいどこから?」
「もちろん防犯カメラだ」
「それって、民間人が仕掛けてるやつですか?」
「当たり前だ。緊急事態だからな、局の特別権限で回線を借りてる」
「借りてる……?(不思議そうな目つき)」
「なんだ、何が言いたい?」
「デンマさんに教えてもらいました。調査室は普段からあちこちのカメラをハッキングして、いろんな映像を盗み見てるって」
「おいおい、盗み見とは人聞きが悪いな。うちはちゃんと法律に則り、特別捜査の申請をして、裁判所の許可がもらえた時にだけ活動してるぞ」
「でもそれって、99パーセントの確率でOKしてもらえる申請ですよね?
つまり、書類を出しさえすれば、公衆浴場のカメラだっていつでも見られるっていう……」
「ま、お役所仕事なんてそんなものだ。無駄話はいいから、しっかり映像を見ろ」
赤信号が青に変わる。ウェンが歩き出す。その姿は四方八方のカメラにとらえられ、死角など無い。
理堂は思う。こんなにバリバリに監視されてちゃ、LMから逃げるなんて無理だよな、と。
カメラは文字通り、あらゆる場所にある。
アパートにも、一軒家にも、個人商店にも、スーパーにも、学校にも、病院にも、市民会館にも、図書館にも、駐車場にも、コンビニにも。
神は遍在するというのがキリスト教の考え方だが、2084年の日本ではカメラが遍在するのだ。
そしてカメラは神のように人々の行動すべてを見ている。ニーチェは「神は死んだ」と言ってのけたが、残念なことにカメラにまでは考えが及ばなかった。
だがそれは仕方ない。ニーチェが生きていた時、こんな未来が訪れるなど、彼は想像すらできなかったはずだから。
行政組織が神のように人々をながめ、24時間365日、不眠不休で監視し続ける社会。もしニーチェがこれを見たら、どんな感想を述べるだろうか。
「遅いぞ!」
即座に大伝馬が「すまん!」と謝り、理堂も「申し訳ありません」とこたえる。
二人は急いで同僚たちのグループに加わる。それを見届けた後、冬川が喋り出す。
「単刀直入に言います。ウェンが見つかりました」
話を引き継いで森が喋る。
「今は上野のアメ横を散歩中だ。捕まえる絶好のチャンス……」
まったく流れについていけない理堂が手を挙げる。
「あの。チーフ、どういうことですか?」
「そうか、お前は知らなかったな。ウェンは武装戦線のメンバー、爆弾の調達係だ。しばらく姿をくらませてたんだが、最近ようやく見つけ出してな」
「大物ですね」
「奴は日本人と韓国人の混血なんだが、そのせいで学生時代にいじめられ、両目を失ってな。今じゃ完全サイボーグの体だ」
「完全サイボーグ? いったいどこから手術代を……」
「闇のビジネスさ。違法薬物や武器を売りさばき、財産をこしらえた。で、あるときその経歴を見込まれて武装戦線にスカウトされ、今に至る」
「なるほど……」
「ウェンはこの日本社会を憎んでる。親の仇のようにな。もしその気になれば、自爆テロだってやるだろう」
「だから今のうちに逮捕ってことですか」
「イエス。問題は、どうやって捕まえるかだ。できれば民間人の犠牲ゼロで済ませたいんだが……」
冬川が話す。
「とにかく今は泳がせましょう。幸い相手は何も気づいていません、監視を続けます」
大伝馬が異を唱える。
「そうはいってもよ、室長。見失うかもしれねぇ」
「確かにその可能性はありますが、だからといって焦るとろくな結果になりませんよ。
とりあえず、実働部隊は現場に行ってください。ただし、森さんと理堂さんはここに残ってもらいます」
「えっ、じゃあ指揮は……」
「もちろんあなたが執るのです、大伝馬さん」
「マジかよ」
「お喋りの時間はここまで! 出撃!」
隊員たちがバラバラと散り、部屋から出ていく。数分もせずに室内は冬川、森、理堂の三人のみになる。
困惑した口調で理堂が冬川に言う。
「あの、なんで僕はお留守番なんですか」
「今のあなたの実力では、現場の仕事は無理だからですよ。そのかわり、今回は情報班を支援してもらいます。森さんと一緒にね」
「はい」
「森さん、よろしくお願いします」
「了解だ。理堂、いくぞ。ついてこい」
二人は部屋から出る。情報班が詰めている区画へ向かう。
その部屋はコンピューターだらけで、多くの職員たちが忙しく働いている最中だ。森と理堂は道を進み、部屋の隅にあるテーブルの前に座る。
テーブルの上にはスイカ程度の大きさをした正方形のコンピューターがあり、その真上にいくつもの映像を浮かべている。
どの映像も、映っているのはウェンだ。彼の見かけは二十代後半のアジア人という印象、しかし森は言う。
「理堂、気をつけろよ。ウェンは若者なんかじゃない、実際は六十手前だ」
「若作りってレベルじゃない……」
「完全サイボーグと言ったはずだ。金さえあれば、いくらでも好みの体に作り替えられる」
「やっぱり完全の人は、若い体にしたがるんですか?」
「まぁな。私も大伝馬も完全サイボーグだから、こういう手合いの気持ち、多少ならわかるさ……」
ウェンはアメ横の騒がしい街路を離れ、上野駅へと歩いていく。そして信号待ちのために歩道で止まる。
ふと疑問が思い浮かび、理堂は聞く。
「チーフ、この映像っていったいどこから?」
「もちろん防犯カメラだ」
「それって、民間人が仕掛けてるやつですか?」
「当たり前だ。緊急事態だからな、局の特別権限で回線を借りてる」
「借りてる……?(不思議そうな目つき)」
「なんだ、何が言いたい?」
「デンマさんに教えてもらいました。調査室は普段からあちこちのカメラをハッキングして、いろんな映像を盗み見てるって」
「おいおい、盗み見とは人聞きが悪いな。うちはちゃんと法律に則り、特別捜査の申請をして、裁判所の許可がもらえた時にだけ活動してるぞ」
「でもそれって、99パーセントの確率でOKしてもらえる申請ですよね?
つまり、書類を出しさえすれば、公衆浴場のカメラだっていつでも見られるっていう……」
「ま、お役所仕事なんてそんなものだ。無駄話はいいから、しっかり映像を見ろ」
赤信号が青に変わる。ウェンが歩き出す。その姿は四方八方のカメラにとらえられ、死角など無い。
理堂は思う。こんなにバリバリに監視されてちゃ、LMから逃げるなんて無理だよな、と。
カメラは文字通り、あらゆる場所にある。
アパートにも、一軒家にも、個人商店にも、スーパーにも、学校にも、病院にも、市民会館にも、図書館にも、駐車場にも、コンビニにも。
神は遍在するというのがキリスト教の考え方だが、2084年の日本ではカメラが遍在するのだ。
そしてカメラは神のように人々の行動すべてを見ている。ニーチェは「神は死んだ」と言ってのけたが、残念なことにカメラにまでは考えが及ばなかった。
だがそれは仕方ない。ニーチェが生きていた時、こんな未来が訪れるなど、彼は想像すらできなかったはずだから。
行政組織が神のように人々をながめ、24時間365日、不眠不休で監視し続ける社会。もしニーチェがこれを見たら、どんな感想を述べるだろうか。
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