拝啓お母様、俺は隣人に殺されるかもしれません

えの

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何かしらイベントが控えていると時間の流れが早く感じるから不思議だ。だが、今回は早すぎる…俺は自分の中でオールナイトを余程待ち遠しいイベントと位置づけているらしい。


だからだろう。イベント当日に普段では絶対にしないであろうミスをバイトで起こしてしまった。俺の働いている店はお昼はカフェとして開いている。もちろんバーに来る常連さんがお昼に来店する事も珍しくはない。そして、店長目当てに来る女の子のお客様も多い。そんな中、一際異彩を放つ輩がいた。明らかに柄の悪そうな風貌をし、この忙しいランチタイムにまさかのアイスコーヒーのみを注文する始末。何を言われてもいい様に細心の注意を払うべきだったんだ…。


「なぁーにぃちゃん。コレ。何かわかるよな?お前のお店は客にこんな物出すんかぁ?」


机の上に置かれているアイスコーヒーをぐっと目の前に差し出された。氷が少し溶け、汗のかいたグラス。真っ黒の液体の表面に張り付くようにそれはいた。席にオーダーされたアイスコーヒーを持っていった時に混入などしていなかったはずだ…。でも絶対とは言いきれない。いつもは必ず机に置いたオーダー品を一目してから立ち去る。だが、今日は後に控えているイベントに心が躍りすぎて失念していた。確認を怠ってしまった。その結果がもたらしたクレームだ。ツイてない。


「大変申し訳ごさまいません。すぐにお取替えを…」


「いやいや、兄ちゃん。取替えたら済むって話ちゃうでー。飲食店やしな…飲み物に虫が入ってるとか噂立つんちゃうかー」


下衆な笑い顔だ。絶対にコイツが入れたに違いないが…言う通りにしないとお店の評判も下がる上に、他のお客様にもご迷惑をかけてしまう。


「お代は勿論頂きません」


「アイスコーヒーのお代なんて、たかが知れてるやろ。俺を誰やと思ってるねん!!もっと誠意見せて貰わな」


クレーマーが言い終わると同時に下げていた俺の頭にバシャッと液体が勢いよく振りかけられた。髪から滴り落ちる液体は床に敷いてある絨毯に黒く染みを作っていく。溶けかけていた氷のブロックが張り付いた髪を伝い滑り落ち転がっていった。冷たい。いきなりの出来事にそれしか思考回路が追いつかない。ただ冷たい。


「あー手元が滑ったわ。悪いなー。しっかし兄ちゃん綺麗な顔してるな。濡れてもうたしな…せや!近くのホテル行こか?こんなに嫌な思いさせられたんや。そこで良い思いさせてくれや」


会話の意味がほとんど理解出来ていないにも関わらず、クレーマーに強引に腕を引かれ店内を引きずられる様に歩かせられる。他のお客様のザワついた声が耳に入り、事態を大きくしてしまった事に罪悪感が芽生えてしまう。腕を振りほどこうにも手形が残りそうな程の力で捕まれているせいで抵抗らしい抵抗も出来ずじまいだ。


だが、クレーマーが出入口のドアに手をかけた時、反対の腕を抜けるんじゃないかと思う位引っ張られ、ようやく止まることが出来た。


「お客様様。困りますねー。大切な、大切な従業員を勝手に連れ出されては」


「店長…」


「何や店長やと?店長やったら従業員の教育ぐらいちゃんとせいや!!今から俺が直々にコイツに教育したるとこや!邪魔すんなや!!」


隣人のヤクザさんよりかは随分と劣るが、凄みのあるお顔だ…。しかしヤグザさんの顔を見すぎたせいか全然怖くない。そんな場違いな事を考えていた俺の隣を店長が通り過ぎ、何やらクレーマーさんに耳打ちをした。


すると、何と言うことでしょう!!クレーマーさんは小さくヒッっと悲鳴を漏らし慌てて出て行ったのでした。店長…あなた何を言ったんですか?!ってか何者なんですか?!でも、そんな事どうでもいいや。俺は間違いなく恐怖で怯えた顔をしていたと思う。だって手が震えてるもん。何をされるのか本当に怖かった。助けを求めたら他の人にまで危害が及ぶかもって…。


その後、絨毯の後始末をすると申し出た俺に、今日はもう大丈夫ですから、お家でゆっくりしてください、と店長は気を遣ってくれた。お言葉に甘えて少し早いがバイトを上がらせて貰うことにした。


帰り道、自分から漂う強烈なコーヒーの匂いが嫌でも例の出来事を思い出させる。早く帰ってシャワーを浴びたい。このコーヒーと一緒にクレーマーの事も流し去りたい。朝の意気揚々とした足取りとは真反対に一歩一歩踏み出す足は鉛の様に重い。今日はダメだ…。オールナイトなんて出来ない。夕方までには時間があるし、ヤグザさんが帰宅したら謝りに行こう。こんな格好じゃ映画だって借りに行けないし…俺、ヤグザさんと居ても笑顔で居られる自信ない。


アパートの階段を一段登るだけなのに、足が上手いこと上がらない。手すりを持ちながらやっとこさ自分の住んでいる階に着いたのに、見つけてしまった。通路でタバコをふかすヤクザさんの姿を…。向こうも俺に気付いた様で、携帯灰皿に煙草を押し付けながら此方に向かって来た。


ヤバイ!!予想外だった!!なんて断りを入れよう…バイトでトラブっちゃって心の痛みが酷くて…とか言ったら殺されるかな…。わぁーもうちょっと猶予欲しかった!!言い訳考えるだけの時間がー!!


「すっ、すみません!!今日の…」


ギュッ


へっ…?この状況って

おっ、俺…

今…もしかして…

ヤグザさんに抱き締められてる──────?!




拝啓お母様、俺の隣人は只今、ご乱心中です。




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