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第2章「運命はいつだって『西』にある……空腹とともに」
第26話「何も考えちゃダメ。ほら、きもちいいでしょう……」
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(UnsplashのMonika Kozubが撮影)
赤毛の女は、宿屋の2階に登り、突きあたりの扉を開いた。
「どうぞ、散らかっていますけれども」
いや、それほど荷物は多くない、とクルティカは一瞬で部屋の中を見渡して思った。身の回りのものをまとめた、小さな包みが一つ。それに、いま彼女が壁に架けたマントが一枚。部屋のすみに革長靴がきれいに磨かれて並んでいる。
「弟が来たら、すぐに出発しようと思っているんです。母の病が気になりますから」
「あー。病気のお母さんね。よければ僕が……もがっ! 何すんだよ、クルティカ!」
「余計なことは言うなよ。あの、おれたちはこの長椅子で寝ますから」
「まあ、いけません。こちらに寝台がふたつあるんです。私が長椅子で休みますから、お二人はこちらで」
「ほいほーい!」
と簡単に寝台に近づくリデルを、クルティカがふたたびガッキ! と押えた。
「あのさ、さっきから、何なんだよクルティカ?」
「おれたちは、護衛だ。ご・え・い! 護衛は寝ないものだ」
「えっ!? 一睡もしちゃダメなの?」
「当然だ。眠るのは護衛を依頼した人だ」
「うそ。あの、ちょっとくらい……交代で眠るとか」
「それで、お前が起きているときに賊が押し入ってきたら、どうするんだ?」
「……君を起こすよ、クルティカ」
ふう、とクルティカはため息をついた。手早く槍の柄を組み立て、武器代わりにする。空になった革筒はリデルに向かって放り投げられた。
「それならはじめから、おれが起きていたほうがいいじゃないか……寝ててもいいから、せめて荷物を持っていてくれ。絶対に手からはなすなよ?
おれは扉の前で不寝番をする」
「ふーん……なんか納得できないけど、まあ、眠れればいいよ。さっきお腹いっぱい肉を食べたから、もう、眠いんだ……」
そういいながら、リデルは革筒を抱いて長椅子に倒れこんだ。それをみて赤毛の女が笑った。
「お連れさん、そうとう疲れていらしたのね」
「はあ、そうですね……あ、おれは眠りませんので、安心してお休みください」
「なんだか申し訳ないけれど……ありがとうございます。では」
女は木製の仕切りの向こうへ行き、しばらく衣ずれの音を立てていた。着替えているのだろう。
……着替えて……ほっそりした体をくねらせて、柔らかい服を脱いでいる……なぜだろう、分厚い仕切り板の向こうで着替えているはずなのに、クルティカの眼にはクッキリと女の体が見えている気がする。
長い首筋、かすかに柔らかさのある二の腕、細い手首。全身がしなやかなのに、そこだけが重量感をもち、たわわな胸……。くびれた腰の下には、とろりとしたたるような場所があるはず……。
ふいにリデルの声が脳内で反響した。
『ロウちゃんとキスくらいした?』
びくっとクルティカの指が痙攣する。
キス? なぜロウとキスなんてしなきゃいけないんだ。
あれはただの幼なじみで同じ時に蒼天騎士になったというだけだ。
クルティカもロウ=レイも先の内乱で親を亡くし、蒼天騎士団のなかで育てられた孤児だから、兄妹同然だと言ってもいい。だからこそ、キスなんてしない。
ぜったいに……キスなんて……し、な……い……。
ふっと目の前に霧がわいてきたようだ。
濃厚な霧は古龍の吐き出す毒となり、切り分けられるほどの濃厚な瘴気に変わっていく。どす黒く、危険なほどに甘いにおいのする瘴気に……。
「……すてき……よく鍛えてある体ね……」
だれかが、クルティカの上でつぶやいた。
甘いにおい……蜜を煮詰めたような、危険なほどに甘い香り……。香りは体温をもってクルティカの体をはい回る。肩、首筋、耳たぶ……きゅっと耳たぶをかまれてハッとした。
「……く……っ、だれ……だ」
「誰でもいいのよ。何も考えちゃダメ。ほら、きもちいいでしょう?」
匂いは柔らかな女の指になり、シャツの下に滑り込んできた。固く鍛え上げた腹を撫で、ゆっくりと這い上がってきたかと思うと胸にふれはじめた。
「やめろ……よせ……っ」
「まあ、かわいい。もしかして、はじめてなのかしら……なんてすてきな、ごちそうなの……」
するり、と指がクルティカ自身を握りこんだ。ゆっくりと撫であげ撫でおろし、ときおりチラリと爪を立てる。
あまりの暖かさに全身がビリビリした。
「あ……あ……あ」
「かわいい……かわいい……はじめての女を覚えていてね……なんてもったいないのかしら、この綺麗な体をズタズタにするなんて」
その瞬間、シャツの下に入れておいた槍の金属穂が女の手で奪い取られた。銀色の穂はたちまち鋭利な筋となって、クルティカを襲う。
だがわずかに早く、クルティカが身体を跳ね上げて十分な距離をとった。
「……くっ! なぜ気づいたの!」
女は赤い髪を乱して、クルティカをにらみつけた。襟もとがゆるく開き、たっぷりした乳房がのぞいている。
くそ、あの乳房に触っておけばよかったか……?
クルティカが一瞬だけ欲情にとらわれた時、鋭い金属穂が飛んできた。
よける暇もない。
だが。
クルティカはよけなかった。ただ左手で、とすっと金属穂を受け止めた。
女の眼が見ひらかれた。
「ばかな……素手で槍の穂を……!?」
「あいにくね、金属じゃないんだ。金属に見せかけたニセモノ。本物はまだ革筒の中にあるんだ。そして革筒は――」
クルティカはいびきをかいて寝ているリデルを指さした。
「あそこで、おれの同行者が大事に抱いている。あんたじゃ取れないよ。さあ、どうする――?」
赤毛の女は、宿屋の2階に登り、突きあたりの扉を開いた。
「どうぞ、散らかっていますけれども」
いや、それほど荷物は多くない、とクルティカは一瞬で部屋の中を見渡して思った。身の回りのものをまとめた、小さな包みが一つ。それに、いま彼女が壁に架けたマントが一枚。部屋のすみに革長靴がきれいに磨かれて並んでいる。
「弟が来たら、すぐに出発しようと思っているんです。母の病が気になりますから」
「あー。病気のお母さんね。よければ僕が……もがっ! 何すんだよ、クルティカ!」
「余計なことは言うなよ。あの、おれたちはこの長椅子で寝ますから」
「まあ、いけません。こちらに寝台がふたつあるんです。私が長椅子で休みますから、お二人はこちらで」
「ほいほーい!」
と簡単に寝台に近づくリデルを、クルティカがふたたびガッキ! と押えた。
「あのさ、さっきから、何なんだよクルティカ?」
「おれたちは、護衛だ。ご・え・い! 護衛は寝ないものだ」
「えっ!? 一睡もしちゃダメなの?」
「当然だ。眠るのは護衛を依頼した人だ」
「うそ。あの、ちょっとくらい……交代で眠るとか」
「それで、お前が起きているときに賊が押し入ってきたら、どうするんだ?」
「……君を起こすよ、クルティカ」
ふう、とクルティカはため息をついた。手早く槍の柄を組み立て、武器代わりにする。空になった革筒はリデルに向かって放り投げられた。
「それならはじめから、おれが起きていたほうがいいじゃないか……寝ててもいいから、せめて荷物を持っていてくれ。絶対に手からはなすなよ?
おれは扉の前で不寝番をする」
「ふーん……なんか納得できないけど、まあ、眠れればいいよ。さっきお腹いっぱい肉を食べたから、もう、眠いんだ……」
そういいながら、リデルは革筒を抱いて長椅子に倒れこんだ。それをみて赤毛の女が笑った。
「お連れさん、そうとう疲れていらしたのね」
「はあ、そうですね……あ、おれは眠りませんので、安心してお休みください」
「なんだか申し訳ないけれど……ありがとうございます。では」
女は木製の仕切りの向こうへ行き、しばらく衣ずれの音を立てていた。着替えているのだろう。
……着替えて……ほっそりした体をくねらせて、柔らかい服を脱いでいる……なぜだろう、分厚い仕切り板の向こうで着替えているはずなのに、クルティカの眼にはクッキリと女の体が見えている気がする。
長い首筋、かすかに柔らかさのある二の腕、細い手首。全身がしなやかなのに、そこだけが重量感をもち、たわわな胸……。くびれた腰の下には、とろりとしたたるような場所があるはず……。
ふいにリデルの声が脳内で反響した。
『ロウちゃんとキスくらいした?』
びくっとクルティカの指が痙攣する。
キス? なぜロウとキスなんてしなきゃいけないんだ。
あれはただの幼なじみで同じ時に蒼天騎士になったというだけだ。
クルティカもロウ=レイも先の内乱で親を亡くし、蒼天騎士団のなかで育てられた孤児だから、兄妹同然だと言ってもいい。だからこそ、キスなんてしない。
ぜったいに……キスなんて……し、な……い……。
ふっと目の前に霧がわいてきたようだ。
濃厚な霧は古龍の吐き出す毒となり、切り分けられるほどの濃厚な瘴気に変わっていく。どす黒く、危険なほどに甘いにおいのする瘴気に……。
「……すてき……よく鍛えてある体ね……」
だれかが、クルティカの上でつぶやいた。
甘いにおい……蜜を煮詰めたような、危険なほどに甘い香り……。香りは体温をもってクルティカの体をはい回る。肩、首筋、耳たぶ……きゅっと耳たぶをかまれてハッとした。
「……く……っ、だれ……だ」
「誰でもいいのよ。何も考えちゃダメ。ほら、きもちいいでしょう?」
匂いは柔らかな女の指になり、シャツの下に滑り込んできた。固く鍛え上げた腹を撫で、ゆっくりと這い上がってきたかと思うと胸にふれはじめた。
「やめろ……よせ……っ」
「まあ、かわいい。もしかして、はじめてなのかしら……なんてすてきな、ごちそうなの……」
するり、と指がクルティカ自身を握りこんだ。ゆっくりと撫であげ撫でおろし、ときおりチラリと爪を立てる。
あまりの暖かさに全身がビリビリした。
「あ……あ……あ」
「かわいい……かわいい……はじめての女を覚えていてね……なんてもったいないのかしら、この綺麗な体をズタズタにするなんて」
その瞬間、シャツの下に入れておいた槍の金属穂が女の手で奪い取られた。銀色の穂はたちまち鋭利な筋となって、クルティカを襲う。
だがわずかに早く、クルティカが身体を跳ね上げて十分な距離をとった。
「……くっ! なぜ気づいたの!」
女は赤い髪を乱して、クルティカをにらみつけた。襟もとがゆるく開き、たっぷりした乳房がのぞいている。
くそ、あの乳房に触っておけばよかったか……?
クルティカが一瞬だけ欲情にとらわれた時、鋭い金属穂が飛んできた。
よける暇もない。
だが。
クルティカはよけなかった。ただ左手で、とすっと金属穂を受け止めた。
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「ばかな……素手で槍の穂を……!?」
「あいにくね、金属じゃないんだ。金属に見せかけたニセモノ。本物はまだ革筒の中にあるんだ。そして革筒は――」
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