2 / 11
1
しおりを挟む
頭痛が治まり、体調が快復したエイラの眼には、おかしなものが映るようになってしまった。
『おかしなものとは心外だなぁ』
そのおかしなものは男の姿をしており、常にヘラヘラと薄ら笑いを浮かべながら、馴れ馴れしくエイラに話しかけてくる鬱陶しい存在だった。
『そんなこと言われてもねぇ? 表情なんて意識してないし、話しかけてるのは君が望んだからなんだぜ?』
「……いつ、わたしが望んだの」
『初めて会った時だよ』
「そんなこと、頼んでない」
『そりゃあ口に出して頼まれた訳じゃあないけどさ。僕って君の考えてることが分かるじゃん? 頼まれなくても察して行動してるんだ。良い男だろう?』
実に恩着せがましい男だった。
エイラが初めて彼を見た時、部屋に全く覚えのない人間がいるという初めての状況にパニックになった。その時、どういうことなのか誰か教えてほしい、というようなことを考えた記憶はある。だが、それを話しかけてほしいのだと解釈されるのは納得がいかない。
『いやぁだって、僕のことを説明できるのは僕だけだろう? なんせ、僕が見えるのは君だけなんだから』
そう、このおかしな男はエイラにしか見えない。そうでなければ、王女の部屋に許可なく居座るような存在は瞬く間に排除されることだろう。
エイラにしか見えず、されどエイラにすら触ることすらできないが為に、男はここに存在することを許されていた。
『言い方怖ぁ……』
「もう、うるさい! 勇者様なら人の嫌がることしないで!」
エイラが怒鳴っても、男、初代勇者ウィレームは全く堪えた様子はなく、けらけらと笑っていた。
その姿に、エイラは頭痛が再発したような錯覚を覚えながら、初めて彼が見えた時のことを思い出していた。
『おっ、これ回想ってやつ?』
「ちょっと黙ってて」
◆
エイラの頭痛が治まり、なんとか頭を上げることができるようになると、寝込んでいた時に傍で泣き喚いていた侍女はまたも泣き出してしまった。
しかし、それに構っている余裕は相変わらず彼女にはなく、むしろいい加減喧しかったので、何か胃に入れられるものを頼み、部屋から追い出した。
『ひっどいこと考えてるねぇ……もうちょっとあの子に感謝した方が良いんじゃない?』
「…………ぇ?」
寝ぼけて聞こえた幻聴にしては、やけにはっきりと聞こえた。
『おっ、やっと気付いた? エイラ・フォン・アレイアスちゃん?』
「ぅ、ぁっ」
『んー、なんて言った? 聞こえるように言ってくれない?』
錆びたノブを回すようなぎこちない動作で、ゆっくりと声の主の方へ顔を向け、目が合った。
『やぁ、初めまして。僕の名前はウィレーム。
初めましてでなんだが、おめでとう、エイラちゃん。
世界最悪の貧乏くじ、今代の勇者は君だ』
理解できない状況に、エイラの脳は限界を迎えた。
「きゃぁあああああああああああああ!!!」
その後のことは、説明するのも億劫だ。
とはいえ、難しいことはない。悲鳴を聞きつけた護衛が部屋に飛び込んできて何も居ないことを確かめ、叫び続けるエイラを侍女が宥めた。しかし、一向にエイラが落ち着くことはなく、見えない男を指差して、その存在を訴える。
だが、いくら護衛や侍女といえど、見えぬものを排除できるはずもない。結局、エイラのそれは病み上がりに見た幻覚、ということになった。
けれど、エイラが落ち着いた後も、男は幻覚のように消えることはなく、ずっとそこにいた。
その後、適当な理由をつけて侍女たちを部屋から追い出し、一人、もとい二人になったエイラは、ウィレームと名乗る男に話しかけた。
「あの、ウィレーム、様」
『様なんてつける必要はないよ。呼び捨ててくれれば良い。それでなんだい、エイラちゃん?』
軽い口調に力が抜けた。
が、力を入れ直し、改めて口を開く。
「……ウィレームは、なんなの?」
『なんなの、とは。抽象的な質問だねぇ。まぁ言いたいことは分かるから説明しよう。
改めて、僕はウィレーム。君に分かりやすく言うなら、初代勇者だよ』
この世界でその名を知らない者は多くない。というよりも、知らないのは言葉の分からない赤子くらいだろう。
教会の神父が、酒場の吟遊詩人が、或いは母親が寝物語で、そこかしこで初代勇者の物語は語られる。
当然ながらエイラもその物語は知っている。もっと言えば大好きであったし、尊敬もしていた。それに、字を覚えるための教材に使っているのも、その物語だ。
『そうなんだ、照れるね』
「……本当に、勇者様なの?」
『あぁ、そうだよ』
ウィレームはほんのりと笑みを浮かべ、己が世界で最も重い称号を持つ者であると肯定してみせた。
『そうは言うけど、君だって今日からはその称号を持つことになるんだぜ?』
「……へ?」
『おいおい、さっき聞いてなかったのかい? 今代の勇者は君なんだよ。エイラ・フォン・アレイアスちゃん』
先ほどはまともに聞いていなかった言葉。
物語の、最後の一節が頭を駆ける。
「〈勇者ウィレームの魂は廻り、いずれまた生まれ落ちる。そして魔王を討ち果たすだろう。〉」
『……そう云われてるらしいね』
「わたしが、生まれ変わり……ってこと?」
『そうといえばそうだし、違うといえば違うって感じかな』
「……どういうこと?」
エイラが首を傾げると、ウィレームは少しだけ真剣な顔になる。
『この話を聞くと、君は勇者を尊敬できなくなるかもしれない。神様を信じられなくなるかもしれない。本当に、それでも聞きたいかい?』
それは、今までの軽い口調や言葉とはどこか違う、熱のこもった言葉だった。
「……聞きたい」
よく考えてから、エイラは口を開いた。
神様を信じられなくなるのは、少し怖い。勇者を尊敬する気持ちは、ウィレームを見て既にちょっと萎えているが、消えたわけではない。
だがそれでも、聞くべきだと思ったのだ。
『はは……ちょっとひどいな。まぁ、いいや。なら話してあげるよ』
「お願いします」
『じゃあ結論から言うけど、君は僕の生まれ変わり、転生者ってやつじゃあない』
「え」
『そもそも、僕の生まれ変わりなんていないし、もっと言えば魂なんてものがあるのかも僕は知らない』
唐突に、エイラの予想は完全に否定された。
「で、でも二代目様や三代目様は」
『あぁ、彼らは僕の記憶を持っていた。それも当然だよ。だって、彼らも僕なんだから』
「……え?」
困惑するエイラなど見えていないかのように、ウィレームは語り続ける。
『勇者という機構は、簡潔に言えば初代勇者僕を最高効率で使うためのものだ。仕組みも別に複雑じゃない。
魔王が出てくる頃に、そのとき最も肉体的な戦闘適性が高い、言い換えれば才能のある人類種の子供の脳に、僕の記憶を植え付ける。たったそれだけ』
「――――」
『人を形作るのは記憶だ。だから、それによって幼い子供の人格は僕の記憶に塗り潰されて消え、僕だけが残る。その子供が聖国で身体を鍛えれば、最高峰の才能を初代勇者の技術で動かす次世代勇者の完成だ』
「――――」
『それを為しているのが神様で、僕はそれを受け入れている。まぁ話したこともないんだけどね。
以上が勇者の全てだよ。何か質問は?』
絶句していた。尊敬していた勇者の在り方に。それを受け入れるウィレームに。
「で、でもわたしは」
『そう、君は君を保っている。信じられないことだけどね。おそらくだけど、無意識に僕の記憶を参照して、精神系の魔術を使ってその記憶ごと封印、自分を保護したんだろう。一瞬でも記憶を受け入れて、塗り潰されずに耐えられる我の強さもある。いや、大したものだよ、実際』
「大したものって……」
『皮肉とかじゃなくて、そのままの意味さ。瞬間的に記憶を読み取って魔術を編むその才能も、人格の汚染に耐える我も、正しく勇者に選ばれるに相応しいとも。ただ、今の君の言動を見るに、完全に封印できてるわけではないんだろうね』
「……どういうこと?」
『自覚はないのかい? 君はまだ五歳になったばかりなんだぜ? それにしては、僕の説明をすんなり理解しているし、やけに難しい言葉を知っている。参照なんて言葉、先週までの君は知っていたのかな?』
言われてから、はたと気付いた。
エイラは、まだ字を覚えるための勉強をしている。それほど物覚えが良くもなかったため、今は基本文字を書くのが精一杯といった具合だった。それに、そもそも勉強自体好きではなかったから、難しい言葉もよく知らない。
もっと言うのなら、こんなに長く人の話を聞くこと自体できなかった。
『多分、封印できたのは思い出なんかの人格に影響の出る部分だけで、知識なんかはある程度残ったんだろう。気の毒だけど、君は今後も君のままだ』
「気の毒?」
『あぁ、この上ないくらいね。だって君は、君のまま魔王を倒さないといけないんだから。どちらにしてもって感じではあるけれど、僕に任せて消えてしまった方がずっと楽だったと思うよ』
この上ないほどに憐みに満ちた言葉。
「殿下、失礼いたします」
それを理解しきる前に、寝たきりだったエイラの身体を拭くため、侍女が部屋に入ってきた。
そして、肩に浮かび上がった紋章が発見されたことで、城中が大騒ぎになり、エイラがウィレームと二人きりで話す時間は得られなくなってしまった。
そのため、この話は有耶無耶になった。
そうして時間は現在へと戻る。
◆
思い出してみても、エイラが彼に話しかけてほしいと考えた記憶はなかった。
『んー、そうだったっけ?』
あの後、エイラが侍女や両親と話している間にも、ウィレームは茶々を入れてきていた。
エイラが話せないのを良いことに、からかうような、彼女が言い返したくなるような内容が殆どで、口を開く度にエイラの神経を逆撫でてくれた。
まぁ、それは二人きりのときでも変わらないのだが。
「もうやだぁ……全部あなたのせいよぉ」
『何がー?』
「今いらいらしてるのも、勇者になったのも、聖国に行くことになったのも」
『最初以外は割と本当にそうだから言い返せないねぇ……』
最初のもウィレームのせいではあるのだが、彼がその自覚を持つのは難しいようだ。
『まぁ、なんだい? 勇者に選ばれたってことは、才能は保証されたようなものだからさ。ちょっと鍛えたらすぐ強くなれると思うよ?』
「そんなの嬉しくない」
『女の子だもんねぇ……でもほら、勇者にも憧れてたんだろう? 魔術とか使ってみたくないかい? 僕、自慢じゃないけど実質長生きみたいなものだから、そういうの教えるの得意なんだよ』
しかし、その言葉には少しだけ心をくすぐられた。
エイラもいずれ教養として魔術は教わる予定ではあったが、文字を覚え、もう少し分別がつくようになるまで、あと三年ほどはお預けのはずだった。
図らずしも文字は覚えられてしまったし、分別はどうか分からないが、少なくとも今までよりは余程あることは間違いない。
そんなふうに理論武装を済ませ、エイラは喜色をにじませながら言った。
「教えてくれるの?」
『急に元気になったね。うん、現金で結構だ。扱いやすいのは美点だよ』
「うるさい! それで教えてくれるの?」
『もちろん、僕から言い出したことだからね』
見ているエイラが若干不安になるほど笑みを深めたウィレームが、滔々と魔術について語り始める。
『魔術っていうのは、簡単に言うと魔力を用いて現実を捻じ曲げる技術のことだ』
「捻じ曲げる?」
『例えばそうだな、このインク壺を持ち上げて、手を離したとしよう。どうなると思う?』
「落ちる」
『そう、真っ逆さまに落下する。これが現実だ。それを落下しなかったことにするのが、現実を捻じ曲げる魔術なんだよ。
一般的な魔術であればそうだな、【発火】で考えてみよう。あれは指先だとかの指定した場所に火を熾す魔術なんだけど、本来その場所には火なんて存在しない。それを、火がない、という現実を、火がある、という非現実に捻じ曲げる。それが魔術だ』
ウィレームの説明は、正直なところ分かりやすいものではなかった。だが、エイラの頭はその説明を何故かすんなりと理解していた。おそらくはこれが、封印できていなかった部分の記憶だからなのだろう。
自分のものではない記憶が自分の中にあると考えると、中々に薄気味悪い気分ではあったが、エイラは自分を維持できているし、役に立つのであれば問題はない。
そう判断して、エイラは自分を納得させた。
それ自体が、既に彼の記憶の影響を受けたが故のものであると、彼女はきっと気付けない。
『ただ、魔術は決して万能じゃない。なんでもできるわけじゃない、というのも勿論だけど、それ以上に大きいのが維持の問題だ。
魔術は発動させて終わりじゃあない。捻じ曲げた現実には、常に本来の現実に戻ろうとする力が働く。曲げたものが元に戻ってしまえば、当然インク壺は落ちるし、火も消えてしまう。それが及ぼした影響までは消えないけれどね。
ともかく、それを防ぐには、戻ろうとする現実を更に魔術で押し留めなければならない。これが魔術における維持なんだけど……まぁその辺はやってるうちになんとなく分かるようになるから、あまり気にしなくても良い。
さて、蘊蓄はこの辺にして』
「……!」
『昼寝の時間にごめんごめん嘘だからそんな怖い顔しないでごめんって』
こほん、と気を取り直すようにわざとらしくウィレームが咳き込んだ。
『じゃあ、早速魔術を使ってみよう。屋内だから風系統の【微風】辺りが良いかな』
「どうやるの?」
『君ならやり方なんて聞かなくても、なんとなくでできると思うよ。もっと難しい魔術を無意識レベルで使ってたんだし。強いて言うなら、風を浴びる感覚を想像しながら、身体の魔力を外に出すって感じかな』
相変わらず分かりにくい説明ではあったが、できない、とは思わなかった。
それがウィレームの記憶の影響なのか、エイラの才能の証明なのか。実際のところは分からない。
だが。
「おぉ……!」
『へぇ、本当にできちゃったか……』
頬を軽く撫で、薄いカーテンを揺らす風、部屋の換気程度にしか使えない簡素な魔術だ。
しかし、それは才ある者が術式を学び、幾度かの失敗を重ね、ようやく発動させるものである。
だが、それはエイラにとって容易いことだった。
それだけは間違いない。
『おかしなものとは心外だなぁ』
そのおかしなものは男の姿をしており、常にヘラヘラと薄ら笑いを浮かべながら、馴れ馴れしくエイラに話しかけてくる鬱陶しい存在だった。
『そんなこと言われてもねぇ? 表情なんて意識してないし、話しかけてるのは君が望んだからなんだぜ?』
「……いつ、わたしが望んだの」
『初めて会った時だよ』
「そんなこと、頼んでない」
『そりゃあ口に出して頼まれた訳じゃあないけどさ。僕って君の考えてることが分かるじゃん? 頼まれなくても察して行動してるんだ。良い男だろう?』
実に恩着せがましい男だった。
エイラが初めて彼を見た時、部屋に全く覚えのない人間がいるという初めての状況にパニックになった。その時、どういうことなのか誰か教えてほしい、というようなことを考えた記憶はある。だが、それを話しかけてほしいのだと解釈されるのは納得がいかない。
『いやぁだって、僕のことを説明できるのは僕だけだろう? なんせ、僕が見えるのは君だけなんだから』
そう、このおかしな男はエイラにしか見えない。そうでなければ、王女の部屋に許可なく居座るような存在は瞬く間に排除されることだろう。
エイラにしか見えず、されどエイラにすら触ることすらできないが為に、男はここに存在することを許されていた。
『言い方怖ぁ……』
「もう、うるさい! 勇者様なら人の嫌がることしないで!」
エイラが怒鳴っても、男、初代勇者ウィレームは全く堪えた様子はなく、けらけらと笑っていた。
その姿に、エイラは頭痛が再発したような錯覚を覚えながら、初めて彼が見えた時のことを思い出していた。
『おっ、これ回想ってやつ?』
「ちょっと黙ってて」
◆
エイラの頭痛が治まり、なんとか頭を上げることができるようになると、寝込んでいた時に傍で泣き喚いていた侍女はまたも泣き出してしまった。
しかし、それに構っている余裕は相変わらず彼女にはなく、むしろいい加減喧しかったので、何か胃に入れられるものを頼み、部屋から追い出した。
『ひっどいこと考えてるねぇ……もうちょっとあの子に感謝した方が良いんじゃない?』
「…………ぇ?」
寝ぼけて聞こえた幻聴にしては、やけにはっきりと聞こえた。
『おっ、やっと気付いた? エイラ・フォン・アレイアスちゃん?』
「ぅ、ぁっ」
『んー、なんて言った? 聞こえるように言ってくれない?』
錆びたノブを回すようなぎこちない動作で、ゆっくりと声の主の方へ顔を向け、目が合った。
『やぁ、初めまして。僕の名前はウィレーム。
初めましてでなんだが、おめでとう、エイラちゃん。
世界最悪の貧乏くじ、今代の勇者は君だ』
理解できない状況に、エイラの脳は限界を迎えた。
「きゃぁあああああああああああああ!!!」
その後のことは、説明するのも億劫だ。
とはいえ、難しいことはない。悲鳴を聞きつけた護衛が部屋に飛び込んできて何も居ないことを確かめ、叫び続けるエイラを侍女が宥めた。しかし、一向にエイラが落ち着くことはなく、見えない男を指差して、その存在を訴える。
だが、いくら護衛や侍女といえど、見えぬものを排除できるはずもない。結局、エイラのそれは病み上がりに見た幻覚、ということになった。
けれど、エイラが落ち着いた後も、男は幻覚のように消えることはなく、ずっとそこにいた。
その後、適当な理由をつけて侍女たちを部屋から追い出し、一人、もとい二人になったエイラは、ウィレームと名乗る男に話しかけた。
「あの、ウィレーム、様」
『様なんてつける必要はないよ。呼び捨ててくれれば良い。それでなんだい、エイラちゃん?』
軽い口調に力が抜けた。
が、力を入れ直し、改めて口を開く。
「……ウィレームは、なんなの?」
『なんなの、とは。抽象的な質問だねぇ。まぁ言いたいことは分かるから説明しよう。
改めて、僕はウィレーム。君に分かりやすく言うなら、初代勇者だよ』
この世界でその名を知らない者は多くない。というよりも、知らないのは言葉の分からない赤子くらいだろう。
教会の神父が、酒場の吟遊詩人が、或いは母親が寝物語で、そこかしこで初代勇者の物語は語られる。
当然ながらエイラもその物語は知っている。もっと言えば大好きであったし、尊敬もしていた。それに、字を覚えるための教材に使っているのも、その物語だ。
『そうなんだ、照れるね』
「……本当に、勇者様なの?」
『あぁ、そうだよ』
ウィレームはほんのりと笑みを浮かべ、己が世界で最も重い称号を持つ者であると肯定してみせた。
『そうは言うけど、君だって今日からはその称号を持つことになるんだぜ?』
「……へ?」
『おいおい、さっき聞いてなかったのかい? 今代の勇者は君なんだよ。エイラ・フォン・アレイアスちゃん』
先ほどはまともに聞いていなかった言葉。
物語の、最後の一節が頭を駆ける。
「〈勇者ウィレームの魂は廻り、いずれまた生まれ落ちる。そして魔王を討ち果たすだろう。〉」
『……そう云われてるらしいね』
「わたしが、生まれ変わり……ってこと?」
『そうといえばそうだし、違うといえば違うって感じかな』
「……どういうこと?」
エイラが首を傾げると、ウィレームは少しだけ真剣な顔になる。
『この話を聞くと、君は勇者を尊敬できなくなるかもしれない。神様を信じられなくなるかもしれない。本当に、それでも聞きたいかい?』
それは、今までの軽い口調や言葉とはどこか違う、熱のこもった言葉だった。
「……聞きたい」
よく考えてから、エイラは口を開いた。
神様を信じられなくなるのは、少し怖い。勇者を尊敬する気持ちは、ウィレームを見て既にちょっと萎えているが、消えたわけではない。
だがそれでも、聞くべきだと思ったのだ。
『はは……ちょっとひどいな。まぁ、いいや。なら話してあげるよ』
「お願いします」
『じゃあ結論から言うけど、君は僕の生まれ変わり、転生者ってやつじゃあない』
「え」
『そもそも、僕の生まれ変わりなんていないし、もっと言えば魂なんてものがあるのかも僕は知らない』
唐突に、エイラの予想は完全に否定された。
「で、でも二代目様や三代目様は」
『あぁ、彼らは僕の記憶を持っていた。それも当然だよ。だって、彼らも僕なんだから』
「……え?」
困惑するエイラなど見えていないかのように、ウィレームは語り続ける。
『勇者という機構は、簡潔に言えば初代勇者僕を最高効率で使うためのものだ。仕組みも別に複雑じゃない。
魔王が出てくる頃に、そのとき最も肉体的な戦闘適性が高い、言い換えれば才能のある人類種の子供の脳に、僕の記憶を植え付ける。たったそれだけ』
「――――」
『人を形作るのは記憶だ。だから、それによって幼い子供の人格は僕の記憶に塗り潰されて消え、僕だけが残る。その子供が聖国で身体を鍛えれば、最高峰の才能を初代勇者の技術で動かす次世代勇者の完成だ』
「――――」
『それを為しているのが神様で、僕はそれを受け入れている。まぁ話したこともないんだけどね。
以上が勇者の全てだよ。何か質問は?』
絶句していた。尊敬していた勇者の在り方に。それを受け入れるウィレームに。
「で、でもわたしは」
『そう、君は君を保っている。信じられないことだけどね。おそらくだけど、無意識に僕の記憶を参照して、精神系の魔術を使ってその記憶ごと封印、自分を保護したんだろう。一瞬でも記憶を受け入れて、塗り潰されずに耐えられる我の強さもある。いや、大したものだよ、実際』
「大したものって……」
『皮肉とかじゃなくて、そのままの意味さ。瞬間的に記憶を読み取って魔術を編むその才能も、人格の汚染に耐える我も、正しく勇者に選ばれるに相応しいとも。ただ、今の君の言動を見るに、完全に封印できてるわけではないんだろうね』
「……どういうこと?」
『自覚はないのかい? 君はまだ五歳になったばかりなんだぜ? それにしては、僕の説明をすんなり理解しているし、やけに難しい言葉を知っている。参照なんて言葉、先週までの君は知っていたのかな?』
言われてから、はたと気付いた。
エイラは、まだ字を覚えるための勉強をしている。それほど物覚えが良くもなかったため、今は基本文字を書くのが精一杯といった具合だった。それに、そもそも勉強自体好きではなかったから、難しい言葉もよく知らない。
もっと言うのなら、こんなに長く人の話を聞くこと自体できなかった。
『多分、封印できたのは思い出なんかの人格に影響の出る部分だけで、知識なんかはある程度残ったんだろう。気の毒だけど、君は今後も君のままだ』
「気の毒?」
『あぁ、この上ないくらいね。だって君は、君のまま魔王を倒さないといけないんだから。どちらにしてもって感じではあるけれど、僕に任せて消えてしまった方がずっと楽だったと思うよ』
この上ないほどに憐みに満ちた言葉。
「殿下、失礼いたします」
それを理解しきる前に、寝たきりだったエイラの身体を拭くため、侍女が部屋に入ってきた。
そして、肩に浮かび上がった紋章が発見されたことで、城中が大騒ぎになり、エイラがウィレームと二人きりで話す時間は得られなくなってしまった。
そのため、この話は有耶無耶になった。
そうして時間は現在へと戻る。
◆
思い出してみても、エイラが彼に話しかけてほしいと考えた記憶はなかった。
『んー、そうだったっけ?』
あの後、エイラが侍女や両親と話している間にも、ウィレームは茶々を入れてきていた。
エイラが話せないのを良いことに、からかうような、彼女が言い返したくなるような内容が殆どで、口を開く度にエイラの神経を逆撫でてくれた。
まぁ、それは二人きりのときでも変わらないのだが。
「もうやだぁ……全部あなたのせいよぉ」
『何がー?』
「今いらいらしてるのも、勇者になったのも、聖国に行くことになったのも」
『最初以外は割と本当にそうだから言い返せないねぇ……』
最初のもウィレームのせいではあるのだが、彼がその自覚を持つのは難しいようだ。
『まぁ、なんだい? 勇者に選ばれたってことは、才能は保証されたようなものだからさ。ちょっと鍛えたらすぐ強くなれると思うよ?』
「そんなの嬉しくない」
『女の子だもんねぇ……でもほら、勇者にも憧れてたんだろう? 魔術とか使ってみたくないかい? 僕、自慢じゃないけど実質長生きみたいなものだから、そういうの教えるの得意なんだよ』
しかし、その言葉には少しだけ心をくすぐられた。
エイラもいずれ教養として魔術は教わる予定ではあったが、文字を覚え、もう少し分別がつくようになるまで、あと三年ほどはお預けのはずだった。
図らずしも文字は覚えられてしまったし、分別はどうか分からないが、少なくとも今までよりは余程あることは間違いない。
そんなふうに理論武装を済ませ、エイラは喜色をにじませながら言った。
「教えてくれるの?」
『急に元気になったね。うん、現金で結構だ。扱いやすいのは美点だよ』
「うるさい! それで教えてくれるの?」
『もちろん、僕から言い出したことだからね』
見ているエイラが若干不安になるほど笑みを深めたウィレームが、滔々と魔術について語り始める。
『魔術っていうのは、簡単に言うと魔力を用いて現実を捻じ曲げる技術のことだ』
「捻じ曲げる?」
『例えばそうだな、このインク壺を持ち上げて、手を離したとしよう。どうなると思う?』
「落ちる」
『そう、真っ逆さまに落下する。これが現実だ。それを落下しなかったことにするのが、現実を捻じ曲げる魔術なんだよ。
一般的な魔術であればそうだな、【発火】で考えてみよう。あれは指先だとかの指定した場所に火を熾す魔術なんだけど、本来その場所には火なんて存在しない。それを、火がない、という現実を、火がある、という非現実に捻じ曲げる。それが魔術だ』
ウィレームの説明は、正直なところ分かりやすいものではなかった。だが、エイラの頭はその説明を何故かすんなりと理解していた。おそらくはこれが、封印できていなかった部分の記憶だからなのだろう。
自分のものではない記憶が自分の中にあると考えると、中々に薄気味悪い気分ではあったが、エイラは自分を維持できているし、役に立つのであれば問題はない。
そう判断して、エイラは自分を納得させた。
それ自体が、既に彼の記憶の影響を受けたが故のものであると、彼女はきっと気付けない。
『ただ、魔術は決して万能じゃない。なんでもできるわけじゃない、というのも勿論だけど、それ以上に大きいのが維持の問題だ。
魔術は発動させて終わりじゃあない。捻じ曲げた現実には、常に本来の現実に戻ろうとする力が働く。曲げたものが元に戻ってしまえば、当然インク壺は落ちるし、火も消えてしまう。それが及ぼした影響までは消えないけれどね。
ともかく、それを防ぐには、戻ろうとする現実を更に魔術で押し留めなければならない。これが魔術における維持なんだけど……まぁその辺はやってるうちになんとなく分かるようになるから、あまり気にしなくても良い。
さて、蘊蓄はこの辺にして』
「……!」
『昼寝の時間にごめんごめん嘘だからそんな怖い顔しないでごめんって』
こほん、と気を取り直すようにわざとらしくウィレームが咳き込んだ。
『じゃあ、早速魔術を使ってみよう。屋内だから風系統の【微風】辺りが良いかな』
「どうやるの?」
『君ならやり方なんて聞かなくても、なんとなくでできると思うよ。もっと難しい魔術を無意識レベルで使ってたんだし。強いて言うなら、風を浴びる感覚を想像しながら、身体の魔力を外に出すって感じかな』
相変わらず分かりにくい説明ではあったが、できない、とは思わなかった。
それがウィレームの記憶の影響なのか、エイラの才能の証明なのか。実際のところは分からない。
だが。
「おぉ……!」
『へぇ、本当にできちゃったか……』
頬を軽く撫で、薄いカーテンを揺らす風、部屋の換気程度にしか使えない簡素な魔術だ。
しかし、それは才ある者が術式を学び、幾度かの失敗を重ね、ようやく発動させるものである。
だが、それはエイラにとって容易いことだった。
それだけは間違いない。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
勇者パーティーにダンジョンで生贄にされました。これで上位神から押し付けられた、勇者の育成支援から解放される。
克全
ファンタジー
エドゥアルには大嫌いな役目、神与スキル『勇者の育成者』があった。力だけあって知能が低い下級神が、勇者にふさわしくない者に『勇者』スキルを与えてしまったせいで、上級神から与えられてしまったのだ。前世の知識と、それを利用して鍛えた絶大な魔力のあるエドゥアルだったが、神与スキル『勇者の育成者』には逆らえず、嫌々勇者を教育していた。だが、勇者ガブリエルは上級神の想像を絶する愚者だった。事もあろうに、エドゥアルを含む300人もの人間を生贄にして、ダンジョンの階層主を斃そうとした。流石にこのような下劣な行いをしては『勇者』スキルは消滅してしまう。対象となった勇者がいなくなれば『勇者の育成者』スキルも消滅する。自由を手に入れたエドゥアルは好き勝手に生きることにしたのだった。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
早見羽流@3/19書籍発売!
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。
彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる