透明色のコントラスト

叶けい

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第五話 孤独を照らす花火

20.卵

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―響也―
店の裏口から外へ出ると、まだ朝早い時間にも関わらず日差しが暑かった。
鍵を閉め、店の入り口側へ回って歩道へ出る。入り口の引き戸には定休日の札をかけてきた。さすがに週に一日くらいは休まないと体がもたない。
今朝、自宅の冷蔵庫を開けたら卵が一個しか残っていなかった。スーパーへ買いに行こうか迷ったけれど、この間お客さんから貰った卵が美味しかった事を思い出し、散歩ついでに行ってみようかと思い立ったのだった。

店から歩いて五分ほどの所にある養鶏場の隣に、卵の直売所が建っている。
カラフルな看板には『みよちゃんの卵屋さん』とポップな書体で書かれていた。確かここのおかみさんがみよ子さんて言うんだったっけ、と思い出しながら店へ入る。
レジカウンターの中でお喋りに夢中になっていた女性二人が、俺に気づいて満面の笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい!」
「あら、今日は店休みなの?」
「こんにちは。はい、火曜日はいつも休みなので」
「そうなの?あっ、卵ね。たくさん持ってって!」
「いや自分が食べる分なので、少しで良いんですけど……」
「いいから、いいから」
あっという間に、パックへぎっしり卵が詰められていく。
「はい!サービスしといたよ」
「あ、ありがとうございます」
代金を払い、袋に入れてもらった卵パックを覗きこむ。食べ切る前に傷んでしまいそうな気がする。
「こんなにたくさん、食べれるかな……」
「あら、一人暮らしなんだっけ?」
みよ子さんが聞いてくる。
「早くお嫁さん貰えば良いのに」
「私が立候補しようかしら」
「ばっか、あんた良い歳して図々しいわねー!」
「あはは、良いじゃない!もう旦那の顔なんて見飽きたわー」
「……はは」
豪快に笑い合う二人を前に、苦笑いを浮かべるしかない。
みよ子さんは笑いを収めると、こちらを見た。
「真面目な話、良い人いないの?」
「え?いや、そんな」
愛想笑いで誤魔化す。そういえば誰かにも聞かれたな、と思いながら内心ため息をついた。
「特には……」
「でもあなたモテるじゃない。ほら、この間も店で高校生の子に言い寄られてたの見てたわよ」
「あーこの前のね!確かにイケメンだったわー」
「……え、ええと」
思い切り頬が引き攣る。おしゃべりに夢中と見せかけて、しっかり見ていたらしい。おばちゃんの観察眼は侮れない。
「男の子にまでモテるなら、女の子なんてよりどりみどりなんじゃないの?」
「いや、そんな事ないですって……」
かわしつつ、ふと一樹から女性を紹介された事を思い出す。
『―響也は、誰かと一緒に暮らした方がいいと思うよ……一人だと、自分のこと疎かにしがちだろ……―』
「……結婚した方が、良いんですかね」
ぽつりと呟くと、そりゃあね、とみよ子さんは頷いた。
「お父さんは何も言わないの?」
何気に言われた一言に、胸の奥がすっと冷えた。
「……さあ、気にしてないんじゃないですか。自分もまだまだ新婚気分でしょうし」
別に面白くもないのに、勝手に口元に笑みが浮かぶ。
「あ……あらあら。そっか、そうよね」
こら、と隣から脇腹を小突かれたみよ子さんが、慌てたように取り繕う。
「そうだ、ナス食べない?うちでいっぱい取れたから持って行って」
「え、そんな。悪いですよ」
「いいから!あんたほっそいんだから、倒れないようにたくさん食べなさいよ」
「……ありがとうございます。じゃあ、頂きます」
お礼を言い、直売所をあとにした。

来た時より強くなった日差しの下を歩きながら、大量の卵が入った袋を持ち直す。袋を広げてみると、大小たくさんの卵が入ったパックが、がさっと音を立てた。こんなにたくさん、どうやって消費しようか。
卵料理といえば何があるだろう、と考えてふと思いつく。
―オムライスとか、好きかな。
俺が作ったオムライスを頬張り、美味しいと笑う賢知の顔が浮かんでしまった。
「……っ」
頬が熱くなる。顔を思い浮かべるだけで、勝手に鼓動が速まる。
何で卵見ながらあの子のこと考えてるんだと、自分で自分に戸惑うしかない。
歩いていると、だんだんと額に汗が浮かんできた。
潮の匂いが強くなってくる。もう少しで店に着く頃だ。海沿いの道を進みながら、穏やかに凪いだ水面を眺める。
実家は海より山の方が近い所にある。あの家に帰らなくなって、もう何年過ぎたか分からない。
……結婚したら幸せだなんて、誰が決めたんだろう。
誰もが望んで、夫婦になったとは限らないのに。

―両親は、お互い二十歳の時に結婚したらしい。
父親はまだ就職したばかりで、母親に至ってはまだ大学生だった。急いで結婚した理由は、母親が俺を妊娠したからだ。
大学を卒業したらやりたい事があったにも関わらず、母親はそれを諦め、結婚して俺を育ててくれた。
けれど、やはり夢を諦めきれなかった母親は、やがて俺を置いて家を空けるようになった。そして祖母が亡くなったあの日、とうとう離婚届に判を押し、俺と父親の元からいなくなった。
父親は言葉数が少なく、あまり笑わない人だった。怒鳴られたことも、殴られたことも無かったけれど、だからと言って可愛がられた記憶も無い。
……―俺のこと、本当はいらなかったのかな。
ふと考えてしまう事も、よくあった。
東京の学校へ行きたいと言ったら黙って学費と生活費を出してくれたから、たぶん嫌われてはなかったんだと思う。
でもある時、実家へ帰ってきたら知らない女の人が家にいた。
付き合っている事を聞かされた瞬間、何年も前に出て行った母親の顔が思い浮かんだ。
『再婚するつもりなの?』
冷ややかな声で聞くと、父親は静かに言った。
『お前が気にする事じゃない』
―その一言が、決定打だった。
『……ああ、そう。じゃあ俺のことも、もう気にしなくていいよね?』
返事は、無かった。
そのまま家を出て、その頃まだ独身だった一樹の家へ転がり込み、泣いた。
ひとしきり泣き、もうこれからは一人で生きていこうと決めた。
東京に戻ってから、誰彼構わず関係を持った。付き合っては別れ、満たされない気持ちを持て余したまま、これまで生きてきた……―。

波が打ち寄せる。
警笛が聞こえて顔を上げると、船着場にフェリーが停まったところだった。
高校の制服を着た若い学生達が乗り降りする様子を眺めながら、無意識のうちに賢知の姿を探していることに気づく。
……花火大会、来るって言っていたっけ。
連絡が欲しいと言われた事を思い出し、冷蔵庫に貼ったままの名刺の存在が脳裏に浮かぶ。
自分から、電話なんてするわけない。なのに、ずっと捨てられずにいる。
―ああ、どうして。
期待したって仕方ない。傷つく事は目に見えてるのに。……だけど。
―……会いたい……。
握りしめた袋の持ち手が、卵の重みで指に食い込む。
花火大会は、二日後に迫っている。
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