桜吹雪と泡沫の君

叶けい

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第五話 もう誤魔化せない

scene12 出来心

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ー透人ー
先輩について外回りに出た帰り、今日はもう直帰でいいぞ、と言われた。
営業職だとそういう日もあるのか、と思いながらスマホを見ると、ちょうど定時を過ぎた頃だった。
就職してから一ヶ月弱。さすがにミスは減ってきたけれど、今度は慣れない業務に振り回されて、なかなか定時で帰れる日が無い。
せっかくだから早く帰ろう。今日は久しぶりに、慶ちゃんと一緒に夕飯が食べられる。
そう思ったら口元がほころんでしまって、道行く人に変に思われないように咳払いでごまかした。

駅まで急いで歩く道すがら、気が付くと以前桃瀬さんと並んで歩いた桜並木の下に来ていた。
花びらはとっくに散ってしまって、枝を見上げるとすっかり葉桜に変わっている。
あの夜、強い風が吹いた刹那。花びらに攫われそうに見えた桃瀬さんの白い横顔を思い出す。
『どうしたの、名木ちゃん』
思わずつかんだ手首の感触が、まだ手の中に残っている。
『俺はここにいるよ』
絡めた指先は、赤ちゃんみたいに細柔らかくて頼りなかった。
どうしてあんなに哀しそうな目で俺を見たんだろう。
まるで、いつか本当に消えてしまう事を知っているみたいに。

「ただいまー。慶ちゃん?」
玄関の戸を開けて呼んでみたけれど、廊下が薄暗いしまだ帰っていない様子だった。
「せっかく早く帰って来たのに、またすれ違いか……」
独りごちてネクタイを緩める。あんなに手こずっていたネクタイも、もう簡単に自分で結べるようになった。
朝は俺より先に起きて、夜は俺より先に寝る慶ちゃん。土日は基本部活に出ていくし、たまに休みでも、次の授業の準備で忙しい。
……寂しいな。
一緒に住んでいるのに。今までは、こんな事なかったのに。
Tシャツの上にカーディガンを羽織り、ウエストの楽なパンツに履き替え、取り敢えずテレビをつけてみる。
夕方の情報番組が明日の天気を伝えている。どうやら晴れらしい。
慶ちゃん、まだ帰ってこないのかな。
スマホを手に取り、メッセージを打ち込む。
『まだ帰ってこない?』
しばらく画面を見ていると、返信がきた。
『まだ。どうかした?』
『今日早く帰って来たんだ』
『ごめん、遅くなりそうだから夕飯は好きに食べて』
絵文字も何もない、素っ気ない文面だった。
「……はぁ」
ため息が、声に出た。
スマホの画面を消し、またテレビに視線を戻す。天気予報のコーナーが終わり、ニュースをアナウンサーが読んでいた。
夕飯どうしよう。食べたくないな。
今日だけじゃなく、仕事を終えて帰ってくると疲れすぎていて食欲なんか無い。いつもは慶ちゃんが作っておいてくれるから、食べようという気になるだけだ。
ご飯じゃなくて、何か甘いものが欲しい。
ふとそう思って、思い出したのはショートサイズのキャラメルラテ。
テレビを消す。スマホと鍵だけ持って、俺はマンションを出た。
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