出雲死柏手

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出雲死柏手

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出雲大社参拝の時には、四柏手を打ちます。この「四」が「死」に通じるとして、出雲大社は「大国主という怨霊を封じ込める為の神社」であるという説があります。これは本当でしょうか?まず、「四」の読み方としては古代は「し」ではなく「よ」または「よん」です。古代においての読み方の上からは「死」はありえないという事です。そもそも「よん」「よ」は古代日本において聖なる数なのです。人や神の魂には四つの種類があると考えられていました。「和魂・荒魂・奇魂・幸魂」です。この四つの魂それぞれに柏手を打つのが四柏手の原型だと思います。出雲以外でも、宇佐八幡宮・・弥彦神社などでも現在も行われている事、また神道の国家神道で最高位ともいうべきの伊勢神宮は八開手(八拍?)で、これらを『長手』と言っている事から推定すれば、四柏手以上の柏手を打つ事こそが古代からの正式な神に対する儀礼なのではないでしょうか?

では何故一般的には四柏手でなく二回の柏手なのか?という疑問があります。古代確かに四回だった柏手が二回になったのは江戸期の国学それに準ずる神学の理論によるものではないかと推測しています。それは、古代確かに四つであると考えられていた人や神の「魂」は「魂」「魄」二つであると理解しなおされたからではないでしょうか?

古代神道における「和魂・荒魂・奇魂・幸魂」の四つの概念を、江戸神学は「魂・魄」二つの概念に改めたのではないかというのが私の個人的推測です。

こういった霊に対する概念の変化も手伝って本来四回打つはずの柏手は二回に簡略化されることになったのかもしれません。

そして、明治初年、国学によって理論づけされた明治政府は「神社祭式」を発布します。「神社祭式」はそれぞれ独立した教義やご利益、縁起由緒をもっていた神社神道を国家神道へと変換するのが目的でした。

「伊勢神宮を頂点とする国家神道」の概念を、そしてそれに準じた祭式を新たに作り上げたのです。この「神社祭式」によって伊勢神宮以外の神社での参拝の作法として「二柏手」が正式なものとして定められたのです。


拝殿 本殿西側から 本殿東から
また注連縄の向きなどもここに至ってはじめて正式なるものが意識されたのではないでしょうか?それまでは、それぞれの神社によって様々な結び方で締められていたのではないかと思います。ちなみに、出雲大社の注連縄の結び方は『左本右末』といい、全国の神社のほぼ一割がこの形式を踏襲している。

また、注連縄の原型は蛇の交尾の形でもある。これは吉野裕子氏の「蛇」(講談社学術文庫)に上げられていた説だが、蛇の交尾の写真をみるとまさしく注連縄そのものである。機会があればぜひごらんになっていただきたい。


出雲大社型の左本右末型注連縄を持つ代表的な神社としては、愛知県津島市の津島神社(祭神は牛頭天王つまりスサノオ)、同じくスサノオ(クシミケヌ)を祀る熊野大社、大物主を祀る三輪山の大神神社、愛媛の大三島町にある大山祇神社などが挙げられる。確かに、珍しい結び方ではあるが、大国主怨霊説を振りかざす人々のいうように、決して出雲大社だけのものではないということに注意していただきたい。

また、注連縄が蛇の交尾を神格化したものであれば、左右の上位意識が成立する前に右本左末の形式をしていて(つまりは、もともと左右のどちらが上位であるかとか、正式な注連縄の在り方なんてものできる前から、あの形であったということ。)、出雲大社は、その古祇を踏襲したに過ぎないとも考えられますし、その可能性が高いのではないでしょうか?

何しろ「出雲大社(杵築大社・きつきのおおやしろ)」は、日本最古の神殿形式の神社であるのだから・・・・・・。

四柏手と二柏手との違いは「怨霊を封じるための神社」と「その他の神社」の違いではなく国家神道絶対主義とそれと相容れなかった古式神社神道主義の違いの現れだと推測しています。

現在も四柏手などの古式の柏手を続けている出雲大社や伊勢神宮、宇佐神宮、弥彦神社などの古社は単なる神社ではなく、それぞれ確固とした独自の信仰を明治維新までにつくりあげました。「縁結び」「出雲講」などなどそれぞれの神社が社地以外でも布教活動を行い、遠隔地にも熱心な信者を集めていた事が古式作法の保存に大きな力となったのだと思います。

また、四が聖なる数だということをしのばせる例としては、遣唐使・遣隋使の船も四艘一組なのです。危険な旅にわざわざ不吉な数字を用いるでしょうか?むしろ四という数字が縁起のよい数字だと考えられていたからこそ「縁起担ぎ」のため四艘で船出したのではないでしょうか?

そして、柏手なんですがこれは相当昔から行われていた儀礼の一つです。魏志倭人伝において「大人の敬する所を見れば、ただ手を摶ち以て跪拝に当つ」と記されているように「手を摶ち」ということは「柏手をうつ」ということで貴人に対する挨拶の作法でもあるのです。卑弥呼の時代には尊敬の念を表す挨拶として柏手が儀礼・作法として存在していたのです。

果たして貴人に対する尊敬を表す作法と鎮魂しかも怨霊を封じ込める技として使われるのものでしょうか?

私はないと思います。

それと、蛇足になるかもしれませんが、金光教や天理教といった幕末に発生した「教派神道」の神前参拝のときの柏手も「四柏手」であり、同じく教派神道に転身した出雲大社の柏手と同じ「四」であるということからも「四柏手」には「死柏手」以外の意味が込められているとしか思えません。

また、出雲大社関連年表を見ていただければ一目瞭然ですが、出雲大社の主祭神は怨霊信仰が流行した平安期から江戸期においては、大国主ではなくスサノオです。この時点で公家や天皇家は大国主を怨霊として認識していなかったという事は明白ではないでしょうか?

怨霊が神となった場合は別で柏手をうつとは思いますが、それは神に対しての柏手であり怨霊に対してではないのです。つまり柏手を打つ数によって怨霊かどうかを論じるというのは成り立たない推論でしかないのです。この「四柏手」を根拠にして成り立つ大国主=怨霊説は、私個人としては非常に疑わしく信用できない説です。

みなさんは、どうお考えでしょうか?
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