ペールブルーアイズ

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ペールブルーアイズパートⅨ

ペールブルーアイズ

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百十
首都総合病院の重篤患者用の病室は完全な個室になっていて、その一つだけのベッドの上には人工呼吸器を付けた植物状態の悠太が横たわっている。その傍らで、唯悠太を見つめている島本に医師の言葉が甦って来ている。

確りとした様子の島本と、医師が向き合って座っている。その医師は誠実そうな若い医師で、それに沿った感じで島本の問いに答えている。
「そうですね、状態は段々悪くなってますね。意識が戻ると言う事もないと思いますし、厳しいとしか言い様がないです」と言って手に持っているカルテの方に視線を落とす医師に合わせた様に島本も仄かに青い目を下げるが、その目の力は増している様に見える。

病院の外来者用の待合室は広々としていて、かなり人が居るのは居るのだが混雑しいると言う様な印象を与える事は無い様に見える。その端の方に乳母車が置かれていて、隣で若い女がうとうととしている。すると乳母車から幼い男児降りて来て、覚束ない足取りで歩き出す。

重篤患者専用の病室では、悠太の上に蹲っている島本の姿がある。
「おにいちゃん、やっぱりあの女だ、あの女がやったんだよ」
と伝わる筈のない言葉を伝えている島本の目が、握っている悠太の手の方に向けられる。
悠太の指が、島本の手の平の上で微かに動いている。
自分の手を、何か別の世界の様に見つめる島本。
首を何度も強く横に振る島本。
指は微かに動いている。
再び、強く強く首を強く横に振る島本。
悠太が微かに頷いた様に見える。
悠太の上にうっぷす島本。
激しく泣いている様である。
やがて上がった島本の顔は、涙で濡れている。
その涙に濡れた顔には、涙が溢れている仄かに青い瞳かある。

もう涙に濡れていない何時ものクールな顔が戻っている様に見える島本が廊下を歩いている。その島本のもう涙が溢れていない目の中に、少し離れた先の方を覚束ない足取りで歩いている幼い男児の姿が入って来る。
その男児が交差する廊下に歩き出て行くと、交差する廊下から事故で負傷したと思われる血だらけの急患を載せたストレッチャーが勢いよく現われる。その光景を島本の仄かに青い瞳が捉えて
「危ない」と言う声にならない声を発すると世界が色を失う。
その色を失ったモノクロームな世界は止まっている。
時間が止まっていると言った方が判り易いかも知れない。
色を失っていない島本だけが動く事が出来るが、その事とその意味を理解するには少しの時間が必要だった。
その時間が経過すると島本は男児に駆け寄って抱き上げ、安全な所に運んで行く。
すると世界は色を取り戻す。

只、一つの病室だけはまだ色を失っている。
悠太が死んでいるのを示している心電図。
安らかな顔で死んでいる様にも見える悠太。

百十一 
中程度のライブ会場で行っているJPBのライブは、中心メンバーのソロとかのパートも組み込まれている構成で現在は加奈が一人で唄っている。
楽屋の方に目を移すと他のメンバーが水を飲んだり化粧を直したりしているのだが、次の出番である山内と駒田に加えて島本と瀬籐の姿がないのが見て取れる。
ステージでは加奈が拍手を受けて下がって行くと、代って山内と駒田が現われて唄い出す。
一仕事を終えてステージ裏に出て来た加奈の前には待ち受けていた瀬籐が言葉を、島本からの指令を伝える。
「瑠璃華さんと絵夢さんが、大道具の部屋で待ってるから来て欲しいそうです」
「えっ、何でまたそんなとこ―」
「あたし達に聞かれたくない事でもあるんですかね」。その言葉に
「―そう―判った」と言って何時もの何も考えていない様な顔でそちらの方に歩いて行く加奈である。

楽屋にいるメンバーは変わらない様子で、島本と瀬籐が居ない事を気にかけている様子もない。
唯、加奈が帰って来ないのを気にして絵夢が瑠璃華に
「加奈、遅くない」と声を掛けるが、瑠璃華は判らない位頷くだけである。
「どっか行ったのかな、この後全員で出番があるの忘れて―」と更に言う絵夢に
「流石にそれはないでしょ」と言葉を瑠璃華が何とか返してくれる。 
その瑠璃華に少しだけ笑顔を見せる絵夢だが、それはほんの一瞬で消え去って仕舞い瑠璃華と変わらない位表情の無い顔になる絵夢であった。

百十二
ドアが開いて大道具の部屋に加奈が入って来る。
その中を加奈が少し歩くと電気が消える。
加奈の悲鳴がしてから電気が付くと、首に細いロープを巻きつけられて吊るされている加奈の姿がある。
ロープを掴んで苦悶の声を上げる加奈に
「お前が美侑、竹内を殺したんだろ」
とロープの固定されていない側を持っている島本が問い質す。苦しんでいるだけで無言の加奈に
「判ってんだよ」と続ける島本。
「瑠璃華さんに従っただけだよ。水責めで可愛がってやれって言うから―」と必死に声を絞り出す加奈。
「お前がやったんだな」
「絵夢さんだよ。あたしは横でちょっと手伝っただけ―あんたも判るでしょ、瑠璃華さんに逆らえないの―」
「だけじゃ、ねえだろ」
「あの女が、正義ぶって逆らうからあんな事になったんだよ―死んじゃうよ―」
と何とか最後の言葉を吐いて、必死にロープを掴んで緩めようとする加奈に冷たく言い放つ島本。
「死んじゃってよ」
体重を思い切り掛けて島本がロープを引くと、ロープを掴んだまま加奈は足をバタバタと動かすだけである。
しかも、直ぐにその足は力を失い惰性だけで動いている様に見えて来る。
そして、その動きも短い時間で止まって仕舞う。

その時間よりは長い時間が経った部屋では、瀬籐がフィルムの様な物で加奈をぐるぐる巻きにしている島本を手伝っている。その瀬籐が死体に顔を背けて
「本当に、殺しちゃったんですね」と正直な言葉を何とか吐く。その言葉には答えずに
「こんな風に呼び出したら、今までやってきた事何だって感じだよな」
と島本が冷静に喋ると、その島本に忠誠を誓っている事は変わらないのを示す瀬籐。
「気づかれずに楽屋抜けれてた思います。加奈のスマホもです―」
「もう一度手伝ってくれる、それで終わりだから」
と言う島本がビニールの手袋をした手を差し出して瀬籐から加奈のスマホを受け取ると、瀬籐はそれの替りにメモを受け取る。
「最後の指令」
「今度のは原始的ですね」
と言う瀬籐に、一応愛想笑いを作ってから
「読んだら直ぐに処分してよね」と確りと伝えて来る島本。
「無関係を装った意味ありましたね、瑠璃華達のグループに入れたんですから」
「あたしが捕まってもあんたが巻き込まれない為の事何だけどね―」
その言葉が嬉しかったのか笑顔を見せて
「なんか久し振りに喋ったらまた敬語に戻ちゃってますねー」 
島本もその瀬籐が可愛かったのか、少しだけ笑顔を見せる。
「あたし達も終っちゃうんですね、なんかめっちゃ寂しいです」 
「―もっと関わってくれる」
目の前にある死体が、瀬籐にその言葉に対する即答を流石に躊躇させる。
電話を掛けながら、その瀬籐に最後の指令を実行する事を
「兎に角、頼むは」と念を押す島本。
取り敢えず頷く瀬籐だが、島本の冷徹な様子に、素っ気ない態度に自分の存在感の無さを感じて仕舞い悲しくなって仕舞う。その瀬籐の耳に
「もしもし、何でも屋さんですか」と言う島本の言葉が虚しく響くと
「はい、そうです」と言う声に、何のてらいもなく喋り出す島本の可愛い声が続いて聞こえて来る。
「ゴミを捨てて欲しいんですけど―」
「はい、判りました」
「水に溶けるフィルムで包んだ人形を三山港に捨てて欲しいの」
「えっ、そんな事出来る訳ないでしょ。不法投棄ですよ」
「人形も水に溶けますから―」
「本当ですか―」
「三山港まで運ぶの幾らですか」
「―二万円前後位ですけど」
「百万円、封筒に入れて貼っときますから」
「―百万、百万円ですか―」
その言葉に相手方はトーンが変った声を発するが、島本は全く変わらない可愛い声で
「今直ぐ来て貰えます―」と言って強引に話を進めて行く。

楽屋では戻って来た山内と駒田が、瑠璃華と絵夢の所にやって来る。
話す事もないのか山内がずっと座っている二人に
「お疲れです」と言う余り意味の判らない様な言葉を掛けると
「加奈は―」と言う言葉が絵夢から返って来る。
「戻って来てないんですか」と言ってから駒田と顔を見合わせる山内。
絵夢も瑠璃華と顔を見合わせる。しかし、瑠璃華からは何の言葉もなく話になっていく事もない。

大道具の部屋では、最後の指令が書いてあるメモの最後に書いてある数字を見つめている瀬籐の姿がある。
その瀬籐は
「それスーパーファイナルを予想したの、渡してあるお金で買っといてくれない」
と言う島本に殆ど呆れていた。この状況でよくこんな呑気な事が出来るなと言う事だが、おまけにその数字の並びを見ると自分が一位の予想なので、偶にはガツンと言ってやろうかと思いになる瀬籐でもあった。只、何を言うべきか判っていなかったのでそれを考えていると、島本の言葉がそれを停止させた。
「あたしを一位にすると言ってた美侑のファンに賭けてみたくなったの―」
と相も変わらず素っ気なく言われた言葉にだが、その言葉に今し方瑠璃華達が竹内さんを殺した事が確実になったと聞かされた事と、今さっきの自分を巻き込みたくなかったと言う言葉が重なって来る事で、自分とは最初から立っている所が全く違うと感じられて自分の言葉など大した意味を持たないと思わされたからだ。
それだけその素っ気ない言葉が重かったと言う事である。
島本の行動は、本当の決意を持っていると改めて思う瀬籐はガツンと言う処か返す言葉もなくなって仕舞い、何とか言える言葉を言うだけだった。
「買っときますけど―」。その言葉に
「頼むは」と言うあの出来事を話すかどうか考えている島本に、頷く瀬籐は何故かメモに視線を戻して今は唯の数字であるそれを見つめて仕舞う。すると、その全く意味も何もない様な行為をしている瀬籐の耳に笑うしかない様な島本の話しの最初の言葉が聞こえて来る。
「不思議な事があったの―」

「捜して来いと言われても、そろそろ全員の出番ですよ」
と駒田が絵夢に言っている楽屋では、コップの水飲み干した瑠璃華が
「あえつの所為なんじゃない―居ないでしょ、島本」
と言う言葉で始めて島本がいない事が意識される。
「そう言われれば、たぶん始めの全員の出番が終ってから居ないですよ」と山内が言うと、駒田も
「瀬籐も居ないですよ」と続く。すると
「瀬籐」と如何でもいい様に呟く絵夢が、瑠璃華に向かって
「あの女、島本、一度締め上げた方が良くない」と声を掛ける。
「―そうだね」と曖昧な感じの瑠璃華に
「あの女との間に何かあるの」と聞いて来る絵夢。
その言葉に瑠璃華は無言で、場の会話も完全に途切れて仕舞う。

「凄い―超能力者ですね」と笑顔て喋る瀬籐の前には、綺麗に包まれた加奈の死体が転がっている。
「超能力―自分の意志でやった訳じゃないよ」と全く信じていない様な瀬籐に向かって島本が言うと
「ても、時間を止めたんでしょ」と少し揶揄する様に返して来る瀬籐。
「―止まってたんだよ。色を失なった世界が止まっていて自分だけが動けたんだ」と話す島本に変わらぬ笑顔で
「兎に角、子供を救えたんだから良かったじゃないですか」と言って来る瀬籐。
その言葉に一応頷く島本は、仕方がないと思っている。
今にも笑い出しそうな笑顔を見せている瀬籐に怒る気など毛頭ない。
自分でも病院での出来事は未だに信じれないのに、他人に信じろと言う方がどうかしている。しかし、現実であった事も間違いのない事だ。世界はまだまだ謎に満ちていると言う事なのかと思うそんな島本の耳に瀬籐の
「もう全員の出番の時間ですよ」と言う声が届く。すると、我に返った様に
「急ぐよ、直ぐに行けると言ってたから兎に角これ運んどかないと」
と言って加奈の死体を台車に乗せるのを手伝う様に瀬籐に促す島本であった。

ステージ裏では黒石を中心に加奈がいないと騒ぎになっているが.黒石の大きな声に対してメンバーの小さくはないが緊張感を感じさせない声が両者の距離を感じさせている。
そこに何食わぬ顔で戻って来た島本に、黒石から声が掛かる。
「遅いわよ。加奈見なかった」。その言葉に、ゆっくり首を横に振る島本を一応見つめる黒石だが、直ぐに輪になろうとしているメンバーの方に視線を向ける。そして、瀬籐の姿も見えるメンバーに
「加奈抜きでやるしかないから、頑張ってね」と変らぬ大きな声を掛ける黒石である。
すると、島本がその声に呼応したかの様に輪に加わって輪が出来上がり、余り気持ちの入っていない気勢を上げるJPBである。

百十三
加奈が消えて仕舞った日の次の日で加奈が再び姿を現す予定の日の萌木の病室には、何時もの様に看護婦さんが昼食の片づけに来ていてワゴンに食器等を回収している。ベッドの上の萌木が
「ご馳走様でした」と声を掛けると
「見た目、だいぶ良くなりましたね」と言う声が返って来る。
現実は大して変わっていないので、萌木はその言葉をスルーして聞かないといけない事を聞く。
「この前頼んだ事、如何でしたか―」
「ああ、島本さんのお兄さんがこの病院に入院されてるんじゃないかって事よね」
軽く頷く萌木に
「確かに重篤患者の方の病棟に入院されてたわね」
「されてたって―」
「最近だけど、亡くなられたって。島本さんてどんな方なの」
萌木の表情は殆ど変わらないが、最初の方の言葉に微かに頷いてから返す萌木である。
「判んないっす。無口な人なんで、あんまり喋った事ないんですよ」
「そおなの―早く直さないとね」
その言葉に、一応頷いてからスマホを取り出す萌木。そして
「またステージで踊っているのを見るの、楽しみにしてるから」
と言って去って行く看護婦に、軽く頭を下げてから電話を掛ける萌木である。
「もしもし、マユさんですか―」

百十四
数人の釣り人が釣りをしているのが見える埠頭では静かな波の音だけが聞こえている。
その近くの竹内が浮かんで来た海では、加奈が浮かんでいる。
静けさを破って、埠頭から釣り人の
「あれ何だ―人形か―」と言う声が響くと
「人じゃねえか、人だよ」と言う声が続いて来る。

百十五
病室に訪れた立川とベッドの上の萌木が向き合っているが、お世辞にもいい雰囲気とは言い難い。それを立川の言葉が示していく。
「申し訳ないんだけどJPBから引退して欲しいの、代わりに補欠で入った佐藤にやって貰う事なったから―」
その言葉に続いて、バッグから封筒を出してベッドに付いている少テーブルの上に置く立川。それを一瞥してから
「何ですか、それ」」と言葉を投げつける萌木。
「短い間だったけど、頑張ってくれたから」
「そんなもん要りません、怪我が治ったら復帰しますんで―」
「会社の決定なの、あたしの力で如何こう出来る事じゃないの」
と言って萌木に向けていた視線を立川が下に落とすと、病室に西野が入って来る。その西野は立川の方に目をやるが、立川は
「お大事にね」と言って、その西野の事などを全く無視して部屋を出て行く。

病院の休憩所の自販機では森崎がドリンクを買っているのだが、視線は備え付けのテレビでやっている芸能ニュースに向けている。
アイドルがファンに暴行を受けたと言うニュースが流れていて、そのアイドルが泣きながら喋っている。森崎は何とか力を振り絞って喋る様に気を惹かれた様だが、ドリンクを取らないといけないのを思い出したのか、興味が続かなかったのか、自販機からドリンクを取ると直ぐに萌木の病室の方に歩き出す。
テレビはそのニュースを流し続けているが、その画面に
「神奈川県の三山港で女性の死体が発見され、その死体がアイドルグループの―」と言う臨時ニュースのテロップも表示して来る。

廊下ではドリンクを飲みながら歩いている森崎と病室から出て来た立川が擦れ違うが、病室では萌木と西野が擦れ違っている。二人の擦れ違いを表現するのは難しいと言うより馬鹿馬鹿しいが、噛み合っていない事は確かだ。
「お見舞い遅れて、ゴメン」と言う西野の言葉に対する
「来るとも思ってないけど―」と言う萌木の言葉がだいたいを示していたが西野の次の行為が決定的だった。
萌木の前の小テーブルの上の封筒を手に取って
「これ、要らない奴」と言う西野。
「それで、JPB辞めろってよ」
その萌木の言葉等全く気に掛けずに、封筒から金を出して
「これ三百万ですよね、要らないなんて信じられないです―超ラッキイ」とふざけた言葉の西野の方に
「お前―」と言って身を乗り出す萌木だが、足が痛くて顔を顰めるだけである。
「謹んで貰っときます」
その言葉に呼び寄せられた様に部屋に入って来た森崎に、萌木の
「ゆりあさん、その泥棒猫締め上げて下さい」と言う声が掛かる。その声に西野の首を捕まえて
「如何した」と言う森崎に大声で
「ゆりあさん、三百万、三百万」と殆ど叫ぶ西野。
ドリンクを小テーブルの上に置いて、準備万端になる森崎。
「あたしの金なんです」と萌木が言うと
「山分けしましょう」と西野が森崎に言う。
返答のない森崎に、妙な位の笑顔を浮かべている西野が
「判んない―」と言うと、森崎が西野の首を締め上げ出す。
「百五十万、百五十万」と必死に叫ぶ西野を、なお締め上げる森崎。
「うどん奢ります、うどん―」と方向を変えるが
「百五十万が、うどんかよ」と藪蛇で、森崎はなお一層西野を強く締め上げ出す。その西野は
「山分け――」と言葉を発しようとするが、それ以上は出来なくて笑っている様にも見える苦悶の表情を浮かべるだけの西野である。

百十六
探偵団の事務所で森崎に首を締め上げられて、笑っている様にも見える苦悶の表情を浮かべている西野の顔がある。
「神戸四国にないっす、だいたい県じゃないですから―」と言っている西野に
「だいたいお前、解ってんのかよ」と切り返して来る森崎。
「香川、徳島、高知に―岡山でしょ。合ってますよね」とテーブルに着いているマユの方を見る西野。
そのマユの前には開かれた本が置かれている。
それは、マユが自費で購入した「ツァラトゥストラ」である。
マユはそれを見つめているだけで何も答えない。
そのマユの方に森崎と共に寄って行く西野が、二人に全く興味がないだけのマユを何か勘違いして
「ありぁ、間違えました―」と見当違いの言葉を吐く。
すると当然変わらない様子のマユに、取り敢えず関心を持って貰えそうな事を森崎が喋り出す。
「その本が、浮かんで来た子、殺された加奈って言う子の死に関係しているって言うの、北山の考え過ぎじゃないですか」その言葉に、本の開かれたページを見つめているマユが喋り出す。
「このページを瀬藤さんがスマホで撮ったのを見た時は凄く違和感を感じたけど、瀬籐さんと島本さんがホントは繋がってるのに仲が良くない様な振りをしていただけって考えれば納得出来るって」
「唯の当てにならない北山の憶測でしょ」と言う西野に
「二人が喋るのも見た事なくて、今考えれば逆に凄く不自然だったと感じるって言ってたね」とマユが返すと
「この本の文章が何かの指令になっているのかも知れないって、北山が言ってるんですよね」
と森崎が言葉を挟んで来る。頷くだけのマユに
「横とか斜めに読んだら何か意味を持ちそうですか」と森崎が続けると、只、首を横に振るだけのマユである。
「結局二人で、加奈って子を殺したと考えてるって事ですよね」と森崎が更に続けると、マユは
「そう言う訳じゃない―唯、偶々かも知れないけど、加奈が居なくなった時楽屋に二人の姿だけが見えなかったって」と言う歯切れの悪い言葉を返して来る。
「偶々じゃなかったと言う事なんじゃないですか」と森崎が厳しめに言うと
「確かに、偶々スマホで本を写真に撮らないわよわね―文の意味も全然判らないし―」
とぼやいて、頷くとも頷かないとも言えない様なマユである。
「文章の意味、関係してるんですかね」
その森崎の言葉には、首を捻るだけのマユがいる。
「だいたい島本さんって復讐する為にJPBのメンバーになったんでしょ」
と割り込んで来る西野は、その目を開かれた本の方にやっている。
「復讐する為とは言ってない―仇を討つとかは言ってたけど」と言うマユに
「同じですよ」とマユを見つめて言う森崎。
「でも、馬鹿な事はしないって約束してくれたから―」
「でも、連絡取れなくなったんですよね」
冴えない顔で続く言葉がないマユ。そのマユに真面目腐った顔の西野が
「この文の意味判りましたよ」と言うと、マユは一応訝しんだ顔でその西野を見る事は見る。そして
「誰でも地獄を持ってるんですよ、あたしも森崎ゆりあと言う地獄を持っますもん。次の、神は死んだ。人間に同情した為に神は死んだ、って森崎ゆりあにも同情して仕舞ったんですよ。そりぁ死にますよ」と言う西野の言葉に呆れたのを通り越して笑って仕舞いそうになるマユだが、目の前で西野と向き合っている森崎の顔を見て何とか思いとどまるマユである。
逃げ出す西野を、森崎は簡単に捕まえて首を思いっきり締め上げ出す。
「わわわわー」と大袈裟な声を上げる西野の顔を見て、やっとの笑顔を見せるマユから
「四国四県答えたら何か好い事あるの」と言う言葉が零れ落ちる。
「元祖讃岐製麺で肉うどん奢るだけです、百パーないと判ってましたけど」
その言葉で更に森崎に締め上げられて苦悶の表情を浮かべる西野を見て、かなり笑うマユ。
それはどれだけかは判らないが、とても長い間笑っていなかった事を思わせる。そのマユが
「あそこの肉うどん美味しいよね」
と半端独り言の様に言うと、ドアが開いて横田と本山が入って来る。
もう誰かが居るのが意外だった様で、中の三人の顔を見る二人である。そして横田がポツリと
「早いな」と言うと、マユが微かに頷いて思い出した笑顔を見せる。

百十七
JPBの控室には加奈以外の全員が揃っていて瑠璃華と絵夢は何時もの所に座っている。そこに立川と黒石が入って来る。そして黒石の
「これから警察の方がお見えになるから、聞かれた事に正直に答えてね。それとスマホを見せて欲しいと言う事ですから」と言う言葉に場が少しざわつく。それを治める様に立川が強い口調で
「確り答えて下さいね、それが加奈の為にもなると思うから」と話すと、山内が
「如何してあたし達を調べるんですか、加奈の死に関わってるとでも思ってんですかね」
と言う言葉を吐く。言葉のない立川に絵夢が
「あたし達のスマホ見て如何すんですか」と続ける。
「そんな事を言われても答えようがないわね」
と言って絵夢の方を見る立川の目に、割れている窓ガラスが入って来る。
「これ、如何したの」
「知りませんよ」と答える絵夢。
「瑠璃華、知らない」
その言葉に、立川の事など全く無視していた瑠璃華は憮然とした顔で 
「こんな時に、こんな如何でもいい事が気になります」と言ってから、一応立川を少しだけ見る。
そしてその向こうでロッカーの前に立っている、全く無関心な様子の島本の方を見る瑠璃華である。
そこには、そんな視線など全く感じていない様に身嗜みを整えている島本の姿があり、瑠璃華はその島本を憮然たる顔で見つめる他に仕様がないと言った風である。 
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